4. Partially Offline
気の抜けたアナウンスの声と共にバスのドアが閉じる。
駅のロータリーを出発したバスは、理系学部特有のなぜか辺鄙な場所に建てられたキャンパスに向かって走り出した。
今のVRChatの状況や、蓋を開けてみれば頭のおかしいネットストーカーだった狂人も酷かったけど、現実世界のつらさはそれを十分上回る。狂人の件から数週間経ち、VRChatに入る頻度が減ったせいで、現実が以前に増して僕に容赦なく襲いかかってきていた。
キャンパスに到着し、研究室に入る。
就活だって全然進んでないというのに、准教授から修士論文の報告を求められる頻度はだんだんと増えていく。
修士論文と言えばまだ聞こえはいいものの、実際は共同研究という名の下で企業にタダ同然で働かされているようなものだった。
データセット解析のツール自体はほぼ完成しつつあったけど、修士論文にするにはまだ何重にも検証ややり取りを進めなければならない。
やりがいを何も感じない。せめてまだ興味のある分野の研究なら向き合えるのに。
どこの誰が対象なのかも、何に使われるのかもわからないデータセット。それを任意に解析しやすくなったところでこれが僕の人生に一体どう役に立つっていうんだ。
退屈なのに焦らされる現実の繰り返し。逃げ場のない日々は、毎日が8月31日のようだった。
連日の研究で気力とやる気が共に尽きた僕は、キリのいいところで作業を切り上げ、学食でオムライスを食べながらTwiterのタイムラインを眺めていた。
新作アバター、イベント告知、ハンドトラッキングあるある、診断メーカー、ロマンスの神様、テレビ出演告知、彩麗もも予報bot、お砂糖報告、VCC導入手順、おすすめシェーダー設定、VRC漫画……平日の昼にも関わらず、いろんな情報が下から上に流れていく。
オムライスを半分食べ終わった頃、ある動画が目に止まった。
『昔のVRChatの録画見つけたんだけどクソ懐かしいwww』
そんな文章とともにその動画は自動再生された。
画面に表示されたのは、どこかのイベントの集合写真撮影風景。VRChat撮影動画特有の揺れる視界の中で、楽しそうに横に並ぶ参加者。今ではあまり見かけないアバターがたくさん見える。参加者の頭上に浮かぶネームプレートはいろんな色でカラフルに重なり、視界の端から伸びた手が、古いデザインのカメラを手に取って集合写真を撮影した。
懐かしい、この頃のVRChatに戻りたい。
VRChatで過去を再現できるイベントやワールドがあればいいのに。
昔のメニューを操作しながら、昔のアバターで昔のフレンドとあの頃の発展途上を楽しみたい。いろんなものが充実していてもどこかノイズを感じる今のVRChatより、ローポリゴンでいいから純粋だったあの頃のVRChatに浸りたい。
脳内でVRChatの思い出を再生しながらオムライスを食べ終わり、席を立とうとした時。僕は、とあるアイデアを思いついた。
僕はその夜、久しぶりにVRChatを起動し、狂人にjoinした。
酒飲みたちの声を聞きながら、暗くて賑やかな路地裏をまっすぐ進み、丁字路を右折する。
ポピー横丁の奥の店にいた狂人は、僕を見つけると店から出て来てくれた。
「おいおい、久しぶりじゃねぇか、最近会ってなかったけど元気してたか?あの時は変なこと言ってすまなかったなぁ」
外に出てきた黒い巨体を見上げて、僕は話しかけた。
「ちょっと試してみたいことがあるんだ」
路地裏に狂人を連れていき、ポータルで移動したMEROOMで僕は昼に思いついたアイデアを狂人に話した。
狂人が持っているあの"データセット"を、僕が大学で作っているツールに入れて解析する。
各ユーザーごとに行動記録、音声、アバターデータを分類して利用可能な形に変換する。
それをVRChatのインスタンスとして組み立て、過去を再現する。
まるでVRChatの録画をヘッドセットで見るような感覚で、過去の思い出を再生できるギミックを作れないだろうか。
QvPenで空中に構想を書き散らしながら、僕は説明した。
「おう、面白そうじゃねぇか、あの無用の長物にようやく利用価値が生まれたか」
狂人はあっさり承諾してくれた。
こうして、僕と狂人はVRChatの過去を追体験できるシステムの開発を始めた。
データセットと解析ツールの統合を進め、VRChatからアクセス可能にする。そのシステムを組み込んだワールドをUnityで作成し、SDKを経由してアップロードする。ヘッドセットを被ってワールドに入り、動かない部分をメモしながら動作確認をする。一通り確認が終わるとヘッドセットを外してまた作業に戻る。UnityのConsoleウィンドウと何回も格闘し、繰り返しの作業が何日も続いた。
最終テストプレイをする頃には、アップロード回数は30回を超えていた。
作成したワールドはシンプルなものだった。
白い床とデフォルトのスカイボックス、そして中央に置かれた椅子。
最終テストプレイのために椅子にsitすると、『ようこそ』の文字とともに僕のIDが認識された。
『どの過去にダイブしますか?』目の前に現れたメニュー画面には、様々な時期の記録が表示されている。
選択肢は僕がVRChatを始めた日から、2022年の夏頃まで。どんな記録でも再生可能になっていた。
メニューを操作し、再生したい過去の記録を選択した。実際に選択までできるのは今回のテストプレイが初めてだ。
僕が選択した過去の記録は狂人のサーバーを経由して読み込まれ、白い床だけだったワールドを作り替えていく。
2分ほどで、当時のインスタンスが完全に再現された。
「うわ懐かしい!」
僕は思わず叫んだ。
2020年7月、コネクトステーション。
このワールドは、今はもうない。
僕が選んだのは、当時初めてコネクトステーションに連れて行ってもらった時の記録だった。
どうやら過去の僕はそこにフレンドがいたことがきっかけでjoinしたようで、joinして早々にフレンドのところに近づいていった。
別にプレイできるわけではなくて、過去の記録を映像として追体験するだけだったけど、それで十分だった。
スロープを降りた1階部分で過去の自分がフレンドと他愛のない話をする。
しばらくするとフレンドがコネクトステーションを案内してくれた。過去の自分はそれに従う。青い半透明の階段を登って、2階に移動する。上からコネクトステーションの全景が見下ろせた。BGMを設定できるラジカセ、様々なイベントカレンダー、なぜか置いてあるパンジャンドラム、コツを掴むのが難しいストラックアウト、VRC放送局。
フレンドはそのまま2階の奥の方に僕を連れて行った。フレンドにボタンを押すように促される。過去の自分がそのボタンを押すと、抽象的に列車を模した車内に大量のポスターが展示された。今ではなかなか見かけない懐かしいポスターも並ぶ。過去の僕はフレンドと一緒にしばらくポスターを見たあと、そのまま1階に戻って談笑に混ざり、しばらくしてから離席した。
ダイブから戻った僕は、高揚感に包まれていた。このクオリティで過去のVRChatを遊び放題なら、これからいくらでも遊べる。そしてもう今のVRChatに入らなくて済む。
楽しくて、何より懐かしかった。
ダイブ用の椅子から離れると、黒い巨体がAFKポーズで待っていた。
しばらく待っていると、狂人はすぐに復帰した。
「すごかったよ、完璧だ」
僕は狂人に興奮を伝えた。
「お、作った甲斐があったな。俺が記録をとってきたのはこの日のためだったりしてな」
「ああ、過去の映像とクオリティは大差ないよ、自由に動けないとはいえまるでタイムリープしたみたいだ」
「お前がそんなに言うなら俺も試してみようかな」
狂人がダイブ用の椅子に向かう。
狂人と僕はその日しばらくの間交代で遊んでは感想を共有し、深夜までそれは続いた。
ワールドの成功を確信した僕と狂人は、その日から毎日のようにダイブするようになった。
毎日毎日、VRChatを起動してダイブする。
楽しかった記録を思い出して選択する。
Murder2で自分が一番活躍したとき。ひなげし亭で自分と似ているアバター改変を見つけて、意気投合したとき。ファンタジー集会場の最後を見届けたとき。辛くてどうしても眠れない夜に駆け込んだポピー横丁で、初対面の人たちに暖かく肯定されたとき。
楽しい記録を再生しては自己満足に浸っていた。誰にも邪魔されない、自分のためのVRChatがそこにあった。
次第に実際のSocialやWorldを見ることはほとんどなくなっていった。
そして、ときにはVR睡眠でさえも過去のVR睡眠をした記録を再生しながら寝るようになっていた。
ある日、いつものように過去のVR睡眠のデータの中で寝ていた僕は、過去の他のVRChatterが起きる音で目が覚めた。
その日は現実世界で大学の予定がなかったので、起きた後もそのまま過去記録の再生を続けることにした。物音につられてインスタンスにいる何人かが続々と身体を起こす。お風呂に入りに行く人、ご飯を食べる人、他のインスタンスに移動する人。過去の僕はまだ寝ている中、続々とインスタンスの人数は減っていき、最終的に過去の自分ともう1人、当時の知り合いだけが残った。
「あ……」
映像を見ていた僕は思わず声が漏れる。思い出した、自分がこの後何をするのかを。
自分の記憶が正しければ、この後いつまでも寝ている自分に対して、この人は親切に声をかけてくれたはずだ。そして寝起きで機嫌が悪かった当時の僕は、その人に対して寝起きのテンションで酷い物言いをしてしまったことを覚えている。そしてそれがきっかけでその人にブロックされてしまい、その周辺の人間関係とも疎遠になったことまで思い出した。
直後、思い出した当時の記憶そのままの映像が目の前で鮮明に再生された。
取り返しのつかない過去、頭に押し寄せる後悔。
気分が悪くなった僕は、別の記録に避難した。
次の日も、またその次の日も、いろんな記録を楽しもうとダイブしてどこかのタイミングで黒歴史に遭遇してしまった。そのうち僕は嫌な思い出に遭遇するたびすぐに他の記録に変更するようになった。
変更の頻度はどんどん大きくなり、自分の思い出を選別するハードルはかなり高くなっていた。
そして同時に、自分があまり覚えていない記録を再生することが怖くもなっていた。
過去を楽しむことはできても、過去を変えられるわけじゃない。
気づけば、忘れていたはずの嫌な記憶をわざわざ思い出してしまうツールになっていた。
ダイブしても自分にとって無害な記録を数種類選んで同じ内容を再生するだけの毎日になるのは早かった。
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