3. Untrusted User
そいつの名前は狂人。
本当は別のユーザーネームがあるけど、僕は心のなかで狂人と呼んでいる。実際やばい奴だ。
彼も自覚はあるから、たぶんこう呼んでも怒らないと思う。
年始にVirtual Diffusionが話題になっていたことが少し気になった僕は、VRChatを久しぶりに起動した。でもHomeワールドの読み込みが終わったあたりで、もしVirtual Diffusionに会えたとしても他のユーザーとたくさん接触しなければならないことを想像して、やる気をなくしてしまった。仕方なく僕は適当に顔なじみの知り合いがいるインスタンスを探すことにして、5、6人ほどいるFriend+のMEROOMを見かけたのでそこにjoinした。
でもjoinするとそこには知り合いがいなかった。Socialを見ても誰もいない。
よくあるSocialのラグか、たまたまみんながどこかに移動した直後だったのか。誰もいないインスタンスで数本のQvPenと他愛のない文章が空中に散乱しているだけだった。
仕方なくインスタンスを移動しようと、僕はメニューを開いて右手を動かし始めた。
その時、チャイムの音が鳴った。直後に見慣れないディスプレイネームが視界の下のjoin通知に表示された。
年末年始に特に誰とも話せず少し人恋しくなっていた僕は、挨拶くらいしてみようかと玄関まで迎えに行くことにした。
廊下越しに玄関に目をやると、青いひし形が立っていた。まだアバターは読み込まれていない。
しばらくしてだんだん僕に近づいてきたその青いひし形は、僕の目の前でちょうど読み込まれて、大きな黒いクリーチャーに姿を変えた。
想定していなかったホラワ展開に、僕は思わず変な声を出してしまった。
「あぁ、驚かせちまったか、すまねぇ」
黒いクリーチャは僕を見下ろしながら、イメージそっくりそのままの低い声で話しかけた。
それが僕と狂人の出会いだった。
その後意気投合した僕たちは、MEROOMでしばらく談笑していた。
僕がその時適当に挨拶を済ませて移動しなかったのは、人恋しかったのもあるけど、狂人から独特の雰囲気を感じたのも理由だ。
VRChatをそこそこプレイしている人ならわかると思う。所作や言動から感じる何となく廃人特有の匂い。VRChatを何周もプレイしてきたかのような、プレイ時間が4000時間とか5000時間とか、そういった雰囲気。
狂人と仲良くなった僕は、次第にVRChatの外でも交流するようになっていって、Discordで作業通話をしたりApexのランクリーグなんかをやっていた。さっきのVirtual Diffusionの説明も、そこで一通り教えてもらった。
狂人も僕と同じように昔のVRChatが好きだったから、昔話に花が咲いた。
当時のVRChatはメタバースとかメディア露出がなくて平和だった、昔のカメラは使いにくかった、イベントカレンダーは今ほど渋滞してなかった。そんな話を毎日していた。
狂人と遊ぶ生活が当たり前になり、ずっと苦戦していたApexも狂人のおかげでようやくプラチナ帯からダイヤ帯に行けた頃。
僕は狂人とMEROOMで出会ったとき、第一印象が怖かったことを思い出して話していた。
「そういえばお前VRChat始めたばっかの頃もすぐいろんなことに驚いて声出してたよなぁ」
狂人は僕の過去について余計なことを言う。僕からしたらわざわざVRChatでホラー要素を楽しむ方がおかしいと思うし、そもそも狂人とは最近知り合ったばっかりだ。
「確かに最初ホラワに連れていかれた時驚いたけど、お前まだその時知り合ってなかったろ」
「いやわかるんだよ」
狂人はまるで当時を知っているかのような口ぶりをする。
「そりゃ僕は驚いちゃうことは多いけど、お前が思ってるほど酷くなかったからな?」
知らないくせに憶測で決めつけないでほしい。
「そうか?お前VRChat始めて3日目のときにフレンドに1%の仮想展に連れて行かれて、別にホラワでもなんでもねぇのにいちいちビビって驚いて全然進めてなかったじゃねぇか」
覚えている。確かに当時、1%の仮想展の独特の雰囲気をホラーワールドだと警戒していた僕は、せっかく連れてきてくれたフレンドの足を引っ張ってずっと怯えていた。
でもなんで狂人がそこまで知っている?フレンドのことだって言ったことがないはずだ。それに行ったのがVRChatを始めて3日目であることまで。実は狂人は転生で、転生前に僕と交流があったのか?いやさすがにこの独特の声と話し方は記憶に残るはずだ。誰か僕のことを嫌う人間が情報を流したのか、誰が?何のために?
考えを巡らせて無言になった僕に狂人が話しかける。
「や、すまねぇ、混乱してるみたいだな」
「……何で知ってる?」
わからない、どうして。
「悪い、ちゃんと説明するわ」
Discord越しに狂人が椅子に座り直す音が聞こえた。
「俺は結構前からVRChatをやっていて、お前と同じで昔のVRChatが好き……っていうのは知ってるよな」
「うん」
「でもな、俺が昔のVRChatを好きなのはお前とはちょっと違う理由でな。俺な、ゲームや現実世界に限らず人の行動を観察するのが大好きなんだよ。その点VRChatって他のゲームと違って他人の個人的な言動を色んな角度から収集しやすいだろ?それでVRChatにハマったんだ」
「VRChatに入って録画とかしまくってたってことか?」
「いや、これを見てくれ」
Discordの画面共有が始まった。
開くと、ただの灰色の画面が表示された。
「なんだよこれ」
「これは俺が知ってる限り全ての日本人ユーザーの、移動情報とか音声とかトラッキングの動きのログだ。こういうのを集めるのが楽しくなってな、ずっと集めてたんだ」
共有された画面をよく見ると、それは灰色ではなく、細かい文字がびっしり刻まれたスプレッドシートだった。
全ての日本人ユーザーのデータ?
なるほど、こいつはやばい奴だ。
僕は自分の体温が下がっていくのを感じた。
「……それって今も現在進行系でお前のところにデータが集まってるってことか?」
僕は目の前のやばい奴に、疑問を投げかける。
「それがなぁ、去年だっけ?一昨年だっけ?あのEACが導入されてからAPI周りの管理が厳しくなってな、今はもう新しく取れないんだよな、ほんと残念だよ」
Easy Anti Cheat。2022年の夏頃に導入された、VRChatをチートから守るためのシステム。
VRChatをMOD前提で楽しんでいたユーザーが当時阿鼻叫喚していたのを覚えている。
確かに狂人のデータは2022年の7月頃で止まっているようだ。
「さっきの僕の情報もそのデータから探したってことか?」
「ああ、でもこのデータ中身がでけぇし、そもそもあんまり人間が見やすいように取れてなくてな、お目当ての情報探すのも大変で。たまたま今日お前のデータっぽいのを見つけたからお前が昔何をしてたのか掘り起こしてみただけだよ」
怖い、というよりもここまでくると一周回って冷静に納得することができた。
今までにもVRChatのAPIを利用して少し情報を手に入れる人なら何回か目にしたことはあるけど、こいつは違う。徹底的に収集している。僕が狂人と初めて会った時に感じたあの独特の廃人さは、単なるプレイ時間や立ち振る舞いだけではなく、どうやらこういった狂気から感じたものらしい。
この数年間、数万人分に及ぶ膨大なデータをどこに保存しているのか、どう収集していたのかも気になった。だけど狂人がその後も「BOOTHからpixivアカウントを見れば大体年齢と性別はわかる」だとか「IFTTTでVRChat民のツイートをDiscordに転送しているからもしツイ消しても全部把握している」だとか言い始め、果てには「ネットで誰でも見れるようになってる情報を集めることは悪いことじゃない」と言い始めたあたりで怖くなった僕は適当な理由をつけてDiscordを抜けた。
せっかく仲良くなれたのに。第一印象通り、やばい奴だった。
それ以降僕が狂人と交流する機会はめっきり減った。
そして僕がVRChatに入る機会は以前に増してさらに減った。
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