第41話 乳搾り

「あ、おかえりー!」


 箒と塵取りを手に部屋の中を掃除していた香織が、顔をぱあっと輝かせて言う。

 出発前に家事はやると話していたためエプロンを渡しておいたのだが、それのせいで胸の大きさが強調されてしまっている。

 

「ただいま。変わった事あったか?」


「何も無かったよ。お饅頭ちゃんとキマイラがじゃれてたくらいかな?」


 そう言って彼女が指差す先を見れば、触手でナデナデされるキマイラの姿があり、とても心地良さそうに喉を鳴らしている。

 ちびっ子のお腹には余裕があるようでほっとしていると、彼女はきゅっと抱き着いて来る。


「私、一人で寂しかったんだからね?」


「お、おう……ごめんな。でもあの戦車四人乗りだから仕方ないだろ?」


 入浴からそんなに時間が経っていない事もあって、ふんわりと女の子らしい香りが鼻腔を擽る。

 同じシャンプーを使っているはずなのに夏月とはまた違い、そしてぷにぷにな柔肌が密着して来る感触は、なかなか得られ無い心地良さがある。


「私、強くなれたら連れて行ってくれる?」


「そんなに行きたいか? 外は敵だらけであぶねえぞ?」


「好きな人と一緒に居たいでしょ。それに、知らないところで戦ってると思うと不安で仕方ないんだよ?」


「気持ちは分かる。でもな、連れてったせいで香織が死んだら取り返しが付かないだろ?」


 俺がそう言いながら抱き締め返すと、嬉しそうな笑みを浮かべてえへへと笑った。

 後で夏月のために何かすることに決め、外で待つみんなの元へ向かおうと香織を連れて外へ出る。

 跳ね上げ橋の根元へやって来た俺はそれを片手で掴んでグルグル回していると、香織がちょっと悔しそうに。


「それ、両手使っても全然動かなかったのに……」


「もっと筋肉付けろ。レベル三十四なんかじゃ、この森でやってけねえぞ」


「うぅ……。じゃあ何でレベル一で行った隼人君は無事なのさ」


「運が良かっただけ」


 もしも魔王軍の基地や魔素の淀んだ場所へ転移していたら、きっと俺たちは何も出来ぬまま死んでいた。

 ……いや、魔族たちと交渉して魔王軍の一員になっていたかもしれないか。


 そんなことを考えている間に橋が下がって行き、装備を外された代わりに牛を拘束している縄を咥えたぽちたまと、談笑する女子三人組が見えて来た。

 橋が降り切る前にこちらへ駆けて来た夏月とマキナは飛び込むようにして抱き着いて来る。


「もう、遅いよ?」


「ごめんごめん、香織と話してた」


「すーぐ浮気するんだから」


 そう言いながらくんくんと鼻を押し付けて来る夏月と、腕をぎゅっと抱き締めてえへへとはにかむマキナ。

 すると後ろから香織もぎゅっと抱き着き、三方向から大きな秀峰が押し付けられておふっと変な声が出る。

 暑くて装備を脱いでいて良かったと、そんなことを考えながら三人の事を抱き締め返していると、ぽちたまとおーちゃんが横を素通りしていく。


「まったく、人間というのはいつでも発情しおって」


「「ちがうもん!」」


 香織と夏月が口を揃えて否定したが、マキナは発情という言葉の意味が分からない様子で首を傾げる。

 にゃははと笑うおーちゃんが拠点の中へ戻って行き、香織は頬を赤らめて顔を埋める。

 それを見た夏月はハッとした顔をする。


「堂々としすぎて気付かなかったけどさ、平然と女の子三人抱き締めてるよね」


「仲間外れは可哀想かと思って」


「堂々としてれば許されると思った?」


「めっちゃ正妻感あるな」


「そ、そんなこと言って……!」


 悔しそうな、でも嬉しそうな、何とも言えない顔をした彼女は顔を埋めてむーっと唸る。

 彼女にとって嫌な思いをたくさんさせてしまっているし、結婚指輪を作って送るとするか。

 香織やマキナといった女の子に鼻の下を伸ばしている体たらくではあるが、夏月に対する気持ちは本物だ。


「可愛いなあ……」


「うるしゃい」


 ジト目で見上げて来る彼女に思わずキスをしたところで三人を放し、橋を上げて捕まえた牛の元へ向かう。

 拠点の裏手へ向かうと既に意識を取り戻したヘルン・ブルと見つめ合うぽちたまの姿があった。

 お互い戦闘の意欲は無いのが気怠そうな眼から分かり、魔素の薄い地帯では無気力になってしまうらしいことが伺える。


「大丈夫か?」


「わぅ……」


「ぶもぉ……」


 さっきは自分よりもデカい戦車へ猪突猛進して来たというのに、今は何のやる気も無いような鳴き声を挙げる。

 それにしても、さっきは霧が濃くて分かり難かったが、体毛は全体的に青みがかっている。

 それに対して下腹部は普通の乳牛と同じように肌色の乳房に乳頭が四つ生えていて、美味しい牛乳を出してくれそうだ。


「お前、テイムされても無いのにそれで良いのか?」


「もぉ……」


「やる気なさすぎだろ……別に良いけどさ」


 そんなことを言いながら牛の体に巻き付けたままの縄を外し、だらーんとほっぽり出されている乳頭に触れる。

 尻尾がぴくっと反応したが暴れることも無く、されるがままな彼女には呆れて笑ってしまう。


「なんか、みーんなやる気無いね」


「そんなもんだ。この子たちにとって、ここは空気が薄いようなものだしな」


 付いて来ていた夏月の言葉にそう答えながら、細長い乳の先端を瓶に入れ、小学校の行事でやった乳搾り体験を思い出しながら扱いてみた。

 すると、すぐに真っ白な液体が飛び出し、臭みはあるが牛乳の匂いが漂い始める。

 横にしゃがみ込んだ香織が興味津々な様子で覗き込んで来るのを横目に作業を続けていると、夏月がハッとした顔をして。


「あ、キマイラ連れて来るね。お腹ペコペコだろうから」


「おう、任せた」


 俺がそう言うなり彼女は拠点の方へ駆け出し、残ったのはマキナと香織だけになった。

 好意を持った美少女に左右を挟まれながら乳搾りをするという、日本では絶対に経験出来ない稀有な状況に笑えて来る。

 それを堪えて話題を振ろうと香織に疑問を一つ投げ掛ける。


「香織はさ、何で俺のこと好きになった? ぶっちゃけ、俺じゃなくても他に良い男たくさんいただろ?」


 問いかけてみると彼女は頬を赤らめ、目を逸らしながら話し始める。


「その……私と目を合わせて会話をしてくれるの隼人君だけだから」


「……あー、そういうこと」


 目を合わせて会話するなんて普通だろと言いかけたが、男の視線を釘付けにするマシュマロの存在が視界の端に映ったことで納得した。

 これだけ恵まれた体付きをしていたら、ついついそっちに目が移ってしまう男も少なくは無いだろう。

 すると、彼女は自分の胸をわざわざ持ち上げてアピールしながら。


「ホントは見てた?」


「見てたらどうする?」


「夏月ちゃんにチクる」


「みんなで仲良く地獄行きってか」


 香織がそんな小悪魔なことをするとは驚きだが、恥じらいのある顔を見るに、こんなことをするのは俺が初めてなのだろう。

 一人で嬉しくなっている間に瓶がミルクでいっぱいになり、飲み口を取り付けたところで、夏月がキマイラを抱っこして戻って来た。


「どう? 搾れた?」


「おう、採れたぞ。飲ませたれ」


 言いながらそれを差し出すと彼女はそれを受け取り、にゃーにゃーと鳴くちびっこにミルクを飲ませ始める。

 凄い飲みっぷりで瓶の中がどんどん空になって行くのが見えて、間に合ったことに安堵する。

 十秒もかからずに飲み干したベビーちゃんは小さなゲップをすると大人しくなり、やがて寝息を立て始める。


「お腹いっぱいになったら寝ちゃったね」


「可愛いもんだな。まあ、ちょっと経ったらすぐにデカくなるんだろうけどよ」


「ぶもぉ?」


 後ろでヘルン・ブルが顔を上げ、夏月に抱っこされるキマイラの赤ちゃんを見ると体を震わせて立ち上がる。

 怯え切っているのが一目瞭然で、落ち着かせようとした途端に、あの繋がった感触を覚えた。


「そんなに怖かったか、ごめんな」


「ぶもぉ……」


 俺の背後に隠れて尻尾をぷるぷるさせるデカい牛。

 そうか、キマイラはこいつにとっては天敵。そしてそんな天敵の子どもがいるということは、近くにその親がいるということ。

 どんな相手だろうと臆さないで突進するのかと思っていたが、恐いものは恐いらしい。


「大丈夫、こいつは仲間だ。お前を食わせたりしない」


 そう声を掛けると警戒した様子ではあるものの落ち着きを取り戻し、厳つい頭を押し付けて来る。

 野生だったこともあって臭いが中々キツイ。こいつもぽちたまと一緒に洗ってやるか。

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