第23話 濃霧

「あー、疲れた」


 ぽちとたま、そしてマキナの体を汚していた魔物や魔族の血を洗い終えた頃には、昼を過ぎてしまった。

 これから採掘に行っても良いが、魔族たちは俺の拠点へ向かって来ていたようだし、拠点の強化でもするか。

 ……いや、待て。


「夏月、悪いんだけどマキナとぽちを連れて一緒に採掘して来てくれないか?」


「う、うん……分かった」


「もしも何かあったらすぐ上がって来て良いから。俺は地上拠点をもっとデカくしてるから、なんかあったら来てよ」


「うん」

 

 やはり、テイムされているとはいえ、マキナと一緒に作業をするのは怖いらしい。

 だが、自分よりも弱い相手を怖がり続けてしまうのは困りものだ。今や銃で簡単に殺せるというのに、それすらも怖がっていては前に進めない。

 辛いかもしれないが、今後のためを考えて、ちょっとずつでもマキナには慣れてもらわなければなるまい。

 

 マキナとぽちを連れて地下へ向かって歩いて行く夏月を心配しながら、俺はたまと共に地上へ向かう。

 玄関扉を開けて外の様子を伺ってみると、特に物音などが聞こえて来ることも無ければ、敵影なども見えない。

 たまも敵の存在を感知している様子は無く、気怠そうな欠伸をして尻尾をぷりぷりさせる。


「とっとと増築しちまうかー」


「わうー」


 さっきまで大殺戮を起こしていたとは思えないほどのんびりとした鳴き声を出したたまには見張りを頼んで、木の伐採と整地が完了している土地に、要塞の基礎となる石ブロックを並べる。

 予定としては、およそ二十五メートル四方を壁で囲み、中央にはある程度の高度と広さを持つ塔を建てて、簡易的な要塞を作るつもりだ。

 

 邪魔な木をいくつか伐採しつつ、石を並べ終えたところで、ブロックを積み上げるフェーズに移行した。

 幼い頃に積み木で遊んだことを思い出しながら二段目を積み終え、三段目に取り掛かろうとしたところで、ぞわぞわと気色の悪い感触に体が包まれた。

 

 それはまるで夏場の更衣室を彷彿とするじめっとした空気にそっくりで、その不快感で鳥肌が止まらない。

 しかし暑いわけではない。むしろ、ひんやりとしていて肌寒く、それが感触の悪さを増長させる。

 視界の端でたまが心地良さそうに体を伸ばしているのが見えて、何も感じ取っていないのだろうかと疑問が湧く。

 

 ――霧が出始めたのと、たまが吠え始めたのは、ほとんど同時だった。


「ワンッ! ワンワンッ!」


 急にドスの利いた良い声で威嚇を始め、俺は慌ててアイテムを捨ててAKを手にする。

 たまの見つめる方角、霧が発生していて良く見えないが、何か大きな生物がゆっくりとこちらに近寄って来るのが見え、またオークだろうと察しながら頭と思わしき部分に狙いを定める。

 しかし、よく見れば四足歩行なことに気付き、そしてただぶつかっただけで木がへし折れた。


「グルルル……」


 ゆっくりと近付いて来ながら唸る声。

 動物園で聞いたライオンのそれを更に大きく、そして迫力を付け足したような重低音で体が震えた。

 大きな声で吠えて威嚇していたたまも察した様子で尻尾を垂らし、後ろに下がり始める。


「たま、拠点に戻れ!」


「きゅーん……」


 悔しそうに鼻を鳴らした赤いもふもふは素直に指示を聞いて拠点の中へ戻って行った。

 と、今度は背後で微かに物音が聞こえて振り返れば、慌てて木の陰に隠れた魔族が見えた。

 前後を敵に挟まれている絶望感で脳裏に『死』の文字が浮かび――そして作戦を思い付いた。


「来いよ、化け物!」


 魔物が近付いて来るに従って霧が濃くなるためその全容は見えないが、構わず大声で挑発しながらAKを数発乱射する。


「グルルァァァァ!」


 血が噴き出したのが影となって見えると同時、化け物は地を揺るがすほどの咆哮を放つ。

 恐怖で体が凍り付きそうになるが気合で体を動かし、作ったばかりの石ブロックの背後に隠れ、急いで穴を掘る。

 二ブロック分壊したところで穴に飛び込み、頭上を塞ぐと同時、ガシャーンと石ブロックが破壊される音が鳴った。

 

「ガルルル!」


 俺がいると思っていた場所を壊しても姿が無くて困惑しているのか、すぐ頭上で周囲を見回しているような声が聞こえる。

 よく耳を済ませれば山羊と蛇の鳴き声と思わしきものも混じっていて、俺の中での予想が確信に変わった。

 と、魔族たちが雄たけびを上げながら突っ込んで来て――慌てて後退を始めたのが分かった。


「逃げろー! 化け物だ―!」


「キマイラだ! 撤退するんだー!」


「何であんなのがここにいんだよ! あいつが飼ってんのは犬じゃねえのか!」

 

 魔族たちが大騒ぎしているのが聞こえ、あの化け物をぽちやたまと勘違いしたのだろうと予想が付いた。

 流石、左遷されて来たとあって、俺が思っていた以上に頭が弱いらしい。


「たすけてー!」


「ぎやぁぁっ?!」


 魔族が逃げ回ってくれているおかげで化け物、改めキマイラはそちらを追いかけ回してくれているようで、騒音は時間が経つたびに遠ざかっていく。

 泣きわめく魔族たちはちょっと可哀想だが、俺にはどうすることも出来ない。

 というか、獅子の頭と思わしき部分にも数発当たっていたはずなのだが、ちょっと痛そうに怯んだだけだった。

 ……対戦車用のロケットランチャーなんかも、そろそろ作らねばならないのかもしれない。


「あーあ……死ぬかと思った」


 呟きながら頭上のブロックを壊して外の様子を伺い、何も居ないことを確認して拠点の中へ駆け込んだ。

 階段を下って地下へ入ると、部屋の隅で丸まって震えるたまに困惑した様子の夏月が優しく背中を撫でているのが目に入る。


「あ、大丈夫? なんか、凄い音と悲鳴が聞こえたんだけど……」


「や、やべえ化け物が来たんだよ。そいつを魔族に擦り付けて、その隙に逃げて来たんだ」


 手足がガクガクと震えてしまいながらそう告げた俺は、とにかく休もうとその場に腰掛ける。

 校内放送で呼び出しを喰らった時も同じくらい恐怖したものだが、今の俺だったらきっと動じないだろうなと、どこか冷静な自分が考える。

 と、夏月は心配した様子で隣に腰掛け、優しい手つきで俺の背中を撫でてくれる。


「その化け物ってどんなの……?」


「霧でちゃんと姿は見えなかったんだけどな……キマイラだったらしい」


「えっ……何でそんなのが……」


「【鑑定】出来たら良かったんだけどな……」


 怯える夏月とたまの頭を抱き締めて安心させようと撫で回す。

 魔族も想定していない事態だったようだし、何か前例の無いことが起こっているのかもしれない。

 

「あー、怖かった」


「よしよし、私が傍にいるからねー」


「めっちゃお母さんじゃん」


「早くお母さんになりたいけどね」


 頬を赤らめながらそんなことを言った夏月のせいで、俺の脳みそはキマイラの情報を削除し、その台詞を何重にもコピーして保存した。

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