第3話 魔物
拠点を出たのは妄想癖が火を吹いた二時間後だった。
この世界にやって来た時の時刻が凡そ昼頃だったこともあって、木の葉の隙間から鮮やかな赤い光が差し込んでいる。
俺たちがこの森へ飛ばされる前に、王女は「魔物に食われて死ね」みたいな事を言っていたし、危険生物に対して注意が必要だろう。
……それにしても、そこまでブチギレるのなら、死刑にすることだって出来ただろうに、なぜ頑なに追放しようとしたのだろうか。
可能ならば二度と会いたくないが、もしも彼女と出会う時が来たら殺す前に尋ねてみるとしよう。
ボーッと考え事をしながら道なき道を歩いていると、中村が服を引っ張って。
「大澤君、あれ……人じゃない?」
「え?」
彼女が指差した先へ目を凝らすと、確かに人らしき影が見えた。
かなり大柄ではあるが茶色い服を身にまとっているように見えたし、もしかしたら冒険者というやつかもしれない。
「ちょっと付けてみよう。どっかの王女みたいに話の通じない人だったら困るからな」
片手には何か武器のようなものを持っていたし、念には念を入れて警戒しておいたほうが良いだろう。
……それに、この辺は人が入ってきたような痕跡は見当たらない。人では無い何かの可能性もある。
「……ん?」
近付くに連れて、先を歩いているそれの身長が二メートル以上あることに気がついた。
最低でも俺より三十センチほどは高そうなその大柄な男は、こちらに気付く様子なくズカズカと歩いて行き――急に立ち止まった。
「どうしたんだろう?」
「気付かれたかもな」
少し焦りながら棍棒を片手に握って様子を見ていると、それはゆっくりとこちらを振り返った。
「……マジかよ」
まるで巨漢の頭を猪と取り替えたかのようなその見た目は、漫画でよく見かけるオークと呼ばれる魔物そのもので、中村を守ろうと前に出る。
同人誌ではオークは違う種族の生物だろうと関係なく犯して子孫を残そうとするとんでもない生物だ。
この世界での生態は分からないが、何をしてくるか分からない以上は、中村に近付かせてはならない。
「俺があいつの気を引くから、中村さんは横とか後ろから攻撃して」
「う、うん」
少し怯えているのか声が震えていて、戦わせるのは酷だったかと少し後悔する。
それと同時に、カッコいいところを見せて色々と挽回したい気持ちが湧き上がり、猪頭を睨み付ける。
「ブバァッ!」
オークは豚の鳴き声を低音にしたような叫び声を出しながら駆け出し、俺は迫り来る巨体にビビる。
中村が回り込むような動きを始めたことに気付き、逃げたい気持ちを抑えてオークと目を合わせる。
すると、タックルするような姿勢を取り、チャンスと見た俺はギリギリまで引き付けてサイドステップで回避した。
「ブヒッ?!」
木に激突して尻餅を付いたオークは慌てた様子で立ち上がろうとするが、それよりも先に中村の一撃が脳天に直撃した。
続け様に俺も一撃を入れると動かなくなり、まだ生きている可能性を考えて、もう何度か棍棒を振り下ろす。
棍棒を何度も叩きつけていると手のひらに痛みを覚え始め、それとほぼ同時に頭蓋骨が割れたような感触があった。
ジンジンと痛む手のひらを休ませるべく棍棒を置いた俺は、動かなくなったオークに向けて。
「【鑑定】」
死んでいるかの確認のためスキルを発動させてみると、体力はゼロになっていた。
種族名を見ればしっかりと『オーク』の文字があり、試しにそれをタップしてみると、ウィキペディアが如き長文の説明が表示され、読もうか迷っていると中村が安堵した様子で。
「か、勝てたね……」
「中村さんのおかげだよ、ありがとう」
「大澤君が引き付けてくれたおかげだよー」
「じゃあお互い偉いってことで。……これってさ、肉とか取れたりするのかな」
言いながら石斧を取り出した俺は、頭がボコボコに変形したオークの死骸にそれを振り下ろした。
斧が死骸の肉に突き刺さると同時、インベントリの中に肉や皮、骨、油脂などの素材が大量に入り込んだのが分かる。
食料の確保が出来た安堵に押される形で解体を進めつつ、役立つ情報が無いかと、オークに関する情報の書かれた内容を読み進める。
すると、読み進めていくうちに気になる単語が出て来た。
それは『天獄の森』という物騒な名称で、前後の文脈から俺たちがいるこの森のことのように思える。
有益な情報は無いかとその文字をタップし、森に関する情報を読み進めていくと――想像の十倍危険な場所であった事実に、開いた口が塞がらない。
約二十五万平方キロメートルの巨大過ぎる面積に加え、街を滅ぼせるような強力な魔物が多く生息する地域と、オーク並の弱い魔物が生息する地域があちらこちらに点在しているという。
明日に森を出るつもりだったが、装備などをしっかりと整えない限り、この森からの脱出は不可能かもしれない。
絶望している間に死体が綺麗に消え去り、インベントリには肉が五十個、骨が三十個、皮が十個、油脂が二十三個、そして何に使えるのかは分からない魔石が一つ入手出来た。
「まあ、食料は十分な量……大丈夫?」
「う、うん。大丈夫……」
そうは言うものの彼女の顔色は悪く、少し気分が悪そうだ。
オークの死骸を解体している時、体の断面が見えたりしてしまったし、グロテスクなものに耐性が無かったのかもしれない。
少し離れさせたり、背を向けさせたりすべきだったと反省しながら、その場を一度離れてから休憩を取ることにした。
ちょうど良い大きさの岩に腰掛け、俯いてしまった中村の背中を摩る。
ブラのホックの感触を意識しないように気を付けていると、彼女はか細い声を出す。
「迷惑ばかりかけちゃってごめん」
「急にこんなことになっちゃったんだから仕方ないよ。それに俺だって迷惑かけるかもしれないんだし、気にしないで」
「ありがと」
こちらを向いた彼女の顔色はまだ少し悪いが、表情は少し緩んだように見える。
ドギマギしてしまって思わず目を逸らしてしまいながら、そろそろ出発する事を言って、マップを出しながら再び歩き始める。
と、後ろから袖を掴まれて振り返れば、中村がどこか気恥ずかしそうに俯いていて、俺は勇気を振り絞って彼女の手を握る。
さっきまで冷たい岩の上に着いていたこともあってひんやりとしていて、しかし女の子らしい柔らかさがあり、ずっと握っていたいとすら思ってしまう。
「だ、大丈夫?」
「う、うん……平気」
嫌だったかと不安になって尋ねてみたが目を合わせてくれない。
だが俺の手をしっかりと握る手の感触から嫌では無さそうなのが伝わり、嬉しくて手を握ったまま水場探しを再開した。
手汗が気になりながら道なき道を進むこと二十分。
ようやっと水の流れる音が聞こえ始め、マップの方では青い影が少しだけ映った。
その方向へ進んでみると音は次第に大きくなり、やがてそこそこ大きな川が見えて来た。
透き通った美しい水は川底までクッキリと見え、そのまま口を付けて飲みたいとすら思ってしまう。
「ここの水、そのまま飲めるかな……」
「飲む前に【鑑定】で確かめよう。まあ、どっちにしろ煮沸はした方がいいと思うけどさ」
水には細菌や寄生虫などがうじゃうじゃいると聞いたことがある。
ここは異世界。どんな生物がいるか分からない以上、川の水であっても細心の注意が必要だろう。
「【鑑定】」
川のすぐそばまでやって来たところで、俺は早速スキルを発動させる。
すぐさま現れたパネルには、『水は汚染されていないが、煮沸すべきである』との文字があり、やっぱりかと思いながら、出発前に作った木製の水筒を取り出す。
「やっぱ煮沸しないとダメだってさ。出来るだけたくさん持って帰ろう」
「そっか……ちょっと面倒くさいね」
「仕方ないよ。でも、出来るだけ早く生活の基盤を整えるからさ、そこんところは任せてよ」
「私も手伝うから遠慮無く言ってね」
そう言いながらも水の回収はしっかりと行ってくれる彼女を見て、一緒に来てくれた人がこの子で本当に良かったと、今更ながら心の中でガッツポーズを決める。
もしもスキルが弱いとかで不良たちの誰かや、うるささだけが取り柄の一軍気取りな女子なんかが一緒に来てしまっていたら……そう考えただけでゾッとする。
「……あの影、お魚?」
「え?」
中村の指差した先に目を向ければ、川の中央からこちらに寄ってくる丸い影が見えた。
ゆっくりと、しかし着実に近付くそれが碌でもない何かであることは明白で、俺は中村の手を握って川から離れる。
「ワニ……?」
「分からん……」
ワニが川から上がってくる映像は見たことあるが、言われてみればそれと似ているような気がする。
となると、ワニに似た特徴を持つ生物である可能性が高いか?
「逃げよう。水陸両方行けるタイプだったら殺されるかもしれない」
「う、うん」
明らかに怯えている様子で頷いた中村と共に来た道を駆け出すと、後ろでバチャバチャと水面を叩くような音が聞こえた。
追いかけようとしているーーそう察すると同時に気持ち悪いものを感じ取って体中に悪寒が駆け巡り、死にたくない一心から駆け出す。
薄暗くなって来ているせいで視界は悪いが、火事場の馬鹿力ならぬ、火事場の逃げ足が発動したらしく、一度とて転ばずに、そして自分でも驚くほどの速さで、拠点に逃げ帰った。
中村を先に拠点の中へ入らせ、何も追いかけて来ている者がいない事を確認して、俺も後に続く。
はーはーと呼吸を荒くする彼女の背を摩ってやりながら、アレが何なのか【鑑定】を使うべきだったと少し後悔しながら、真っ暗な拠点真ん中まで移動し、椅子に腰掛ける。
中村もヘトヘトな様子なのが見て取れる歩き方でやって来て、椅子に座り込んだ。
「これから竃とか作って、焼肉とお湯を作るからさ、中村さんはゆっくり休んでてよ」
「て、手伝うよ?」
「ヘトヘトでしょ、無理しなくて良いよ」
相当疲れているのが声から伝わり、俺はなるべく優しい声でそう言った。
すると彼女は申し訳無さそうに頷いたのが雰囲気と影から分かり、中身まで可愛らしい彼女に癒される。
さて、頑張ってくれた中村のためにも、飯と飲料の準備を早いところ済ませてしまおう。
そう考えながら立ち上がった俺は、拠点奥へと進み、クラフトパネルを展開する。
石と土だけで作れる竃を作り出し、床にポンと設置する。
使い方が分からないこともあって手で触れてみると、クラフトパネルとほぼ同じものが現れた。
違うところは作れるアイテムと、燃料を入れる枠があるだけで、その便利さに思わず感嘆の声を漏らす。
「すげえな……」
試しに木材を燃料の枠に入れて、焼肉とお湯をタップしてみると、インベントリから竈の中にアイテムが吸い込まれ、クラフトが始まった。
スキルで直接作る時より制作時間がちょっと長く、焼肉一つが完成するまでに一分、お湯一つに三十秒掛かってしまうらしい。
実際に作ろうとしたらその倍以上は掛かりそうな事を考えると、十分万能と言えるだろう。
しかし、空腹と喉の渇きに襲われている俺としては、十秒程度で完成して欲しいというのが本音である。
竃が光源となったおかげで真っ暗だった拠点が明るく照らされ、テーブルに突っ伏する中村の姿が見えた。
眠たそうな顔がとても愛らしく、この顔を見たのはあの学校で自分だけだと思うと嬉しくて仕方ない。
「……ん?」
ふと、くっきり見える彼女の顔を見ていて気付く。
――この光の発生源、火ではないかと。
「やべっ」
慌てて竃を振り返れば煙がモクモクと上がっていて、俺は慌てて止めようとするが、そのやり方が分からずにあたふたする。
すると、竃から出た煙が顔にかかり、息を止めようとして、臭いが全くしなかったことに気が付いた。
キャンプへ行った時に焚き火をした時、近くにいるだけで臭くて仕方無く、煙を吸い込んだりしたら咳が止まらなくて仕方なかった覚えがある。
「あれ?」
思わず呟きながら竃からもあもあと上がる煙に顔を近付けてみるが、熱気すら感じられず、呼吸も普通に出来る。
違和感を一つ覚えた俺は試しに手で仰いでみるが、大きく揺れ動いたりはせず、作り物くささのあるそれを見てホッと一息吐く。
どうやら演出のようなものだったらしい。
それならそうと書いておいて欲しかったものだ。
「中村さん、出来たよ」
言いながら振り返るとテーブルに突っ伏して眠る中村の姿があり、無防備な寝顔を見ていると保護欲が掻き立てられる。
しかし、ずっと寝かせているわけにもいかない。しっかりと食べさせて体力を付けておかないと危険だ。
悪く思いながら出来上がったお湯とステーキをインベントリに入れた俺は、テーブルにそれを並べながら。
「中村さん、眠いだろうけどしっかり食べて。体力付けないと危ないよ」
「あ……ごめん……」
まだ眠たそうではあるが、そう言って上体を起こした彼女は、欠伸によって溢れた涙を拭い、礼を言いながら俺が差し出した木製のフォークとナイフを受け取る。
「それじゃ、食べよっか」
「うん、頂きます」
そう言って微笑んだ彼女は、上手に肉を切り分けて食べ、その上品さを見ていると良いところのお嬢様なのではと、そんな気がしてしまう。
色々と気になりながら俺も肉に手を付けると、口の中に肉汁が広がり、想像以上の美味しさで変な声が出る。
「お米欲しくなるね」
「ホント、米欲しいよな。明日、米の代わりになりそうなものが無いか探してみようか」
「うん」
コクリと頷いた彼女は美味しそうに肉を口に運び、気付けば互いに笑い合っていた。
この瞬間がずっと続いて欲しいものだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます