間章:蠢く闇

第8話 六英重工業

 魔物は根本的に二種類に分けられる。

 まず、先天的な魔物だ。マイナスがある指向性を持って寄り集まった、自然発生的な災害。基本的に、このタイプの魔物は実力が青天井であり、時に大災害にも匹敵するレベルの実力を持つ者も生まれる。

 第二が後天的な魔物である。強いストレスやマイナスに誘因されたことによって人間から魔物に堕天する。これらの魔物は実力が頭打ちになりやすいものの、元人間故の強みを持っていることも少なくはない。


 深夜。


 欠けた月の下、生まれた魔物は前者であった。


「――う」


 魔物は周囲を眺めた。

 初めてみる外界――しかし、知識がないわけではない。マイナスによって生み出される魔物に取って、人間が持つ情報は広く浅く知っている。そして、自分が人間を害するために存在しているということも。


「腹が減った」


 とにかく。

 腹が減った。


 魔物はゆっくりと一瞥。

 ギラついたネオンが、空高くに見えた。人の気配はない。喰えるものは、どこにもない。それが不服だった。


「初めまして☆」


 ふと、視線を下に向ければそこに女が立っていた。

 真っ白に染め上げられたスカートに、同じく白いスーツを身に纏った女が立っていた。女は薄っぺらい笑みを浮かべたまま、魔物を恐れる様子もなくただそこに立っていた。その姿に魔物は苛立ちを隠せなかった。


「なんだお前。オレが恐ろしくないのか、オレから逃げ惑わないのか」

「恐ろしい? 私に取って貴方とは、金のなる木――改め、良き協力者になれると信じていますもの」

「……」


 魔物は大きな口を開けた。

 女の頭にかぶりつこうとした刹那。気づく。女の背後にいる二匹の異形に。魔物だ。どちらも相当に“強い”。そんな魔物が、黙って人間の女なんかに従っていた。


「おや、その口を閉じないのですか? 賢明なご判断です。私は敵ではありません。どうですか? 牙を私に突き立てるのは話を聞いてからでも遅くはないでしょう?」


 くるりと踵を返して女は魔物に無防備な背を晒した。

 ここで女を食い殺すことは容易い。

 しかし、女が己に持ちかけようとしている話とやらに、多少の興味があった。少なくとも、己ですら強敵だと認識するほどの魔物二匹が何故この女に付き従っているのかは知りたい。


 ――魔物とは、得てして傲慢なものである。


 生まれたばかりの彼も含めて、誰かに従うなどもっての外なのだ。そんな魔物たちが、黙って女に従う。それが異様だった。


「……」


 魔物は、女に従う二匹の魔物を見下した。

 先へ先へ進む女の背を追いかける。二匹は、己の背後に位置取った。


「そう遠くありません。運がよかったですねぇ」

「そうか」

「ええ、ええ。お名前はありますか?」

「……デリス」

「なるほど、デリス様ですね。私はカンパネルラと申す者です。以後お見知りおきを☆」


 一度足を止めて、くるりと振り返ったカンパネルラは深々と頭を下げた。

 その丁寧な所作の一つ一つが、礼儀作法を重んじないデリスに取っては鬱陶しく映る。舌打ちをして、デリスはただそれを眺めた。


「時にデリス様。九割、二週間。これらが示す数字の意味は分かりますか?」

「知らん」

「そうですか。この数字は“野良”の魔物がどの程度生き残るかを示す数字です。つまり、九割の魔物は二週間以内に人の手によって討たれることになるのですわ☆」

「……」


 デリスは信じられなかった。

 人間など、デリスに取っては頭部を人差し指で弾くだけで死ぬ生き物。そんな生き物に――例え、自分たちに対抗できる能力を持つ者がいようとも――だ。

 しかし、女が嘘を吐いているようにも思えない。


「いくら強くても所詮は個。結局、集団の前には敗れてしまいます。そこで、私は提案しましょう」


 女が立ち止まった。

 振り返り、両手を仰々しく広げれば。


「弊社――六英重工業は魔物を個から集へ。人々より集まりが魔物を討つのならば、魔物もまた群れればいいのだと」


 女が広げた手の背後に、巨大なビルが空を突いていた。

 光輝く看板には大きく“六英重工業”という文字が並んでいる。デリスは女の言葉を一笑に付した。


「魔物が人間のように徒党を組み、社会生活を営む……だと?」

「はい。まさしくその通りですわ? 我が社の社員になりません? デリス様」

「……下らん」


 デリスから、底冷えするような声が発せられた。

 マイナスが巻き上がる。魔物とは、本来存在するだけで周囲にマイナスをまき散らす存在なのだ。(最も、すべを覚えれば律することもできるが)

 付き合う必要などなかった。

 デリスはそう結論付けた。要は、ここにいる魔物たちは腑抜け。人などという劣等種を恐れ、人の真似事をする腑抜けだ。


「ぜひ、デリス様には社長に会って頂きたいですわ?」

「何?」


 デリスがまさに、その衝動に任せて女を殺そうとしたその瞬間。

 女から思いも寄らぬ提案が寄越された。デリスは一度、己の衝動をセーブする。社長、詰まる所このふざけた組織のトップだ。

 ならば、とデリスは思案した。

 この腐った組織のトップを己が殺せば――この組織そのものを手にできるはず。そうなればこのむかつく女の臓物を啜るのも。腑抜けた同胞に魔物の誇りを取り戻すことも。思いのままだ。


「はい、ではお二人は自由にしてくださいまし?」


 女は自らボディーガードの魔物を取っ払った。

 愚かしい。自己が肥大化した人間とは、こうも愚かしいのか。デリスは女の背後を歩きつつ、この女をどう喰らうかの算段ばかりを考える。

 女と共に正面玄関からビルへと入って行く。


「ああ、位相をズラしているのでお気になさらず」

「位相?」

「はい。弊社が保有する施設――本社ビル、水族館、遊園地、ショッピングモールなどなど。それらの施設には専任の能力者がいるんですよ☆」

「どういうことだ?」

「本来の空間と同一の空間にありながら、互いに関与のできない異界を作っているということですわ。空間の複製、あるいはタブ増やし、もしくはレイヤー分けとも言えるかもしれませんわ?」

「……」


 女の小難しい説明は全く分からなかったが――ともかく、異空間の社内を歩いているということは理解できた。

 魔物の皆様も通れるように特注した巨大エレベーター、ですわ。と、必要のない解説を挟む女と共にエレベーターに乗り込んで上へ上へと運ばれていく。

 目指すのはどうやら最上階らしい。

 凄まじい速度で到着。


 チン。


 という、安っぽい音と共に扉が開いた。


「さぁ、どうぞ」


 長い、長い大理石の回廊を歩く。

 デリスを出迎えるのは左右それぞれに飾られた彫像たち。奥に見えるのは巨大な扉だった。無数の手が中央の歪な何かへと伸びた気味の悪い扉だ。


「社長の趣味なんです。ご自分で作っていらっしゃるんですけど、きっしょく悪いですよねぇ……作品のタイトルは“原動力”だとか」


 ニコニコとした笑顔のまま、存外に厳しい言葉を女は飛ばしていた。

 女が扉へと近づけば、扉はゆっくりと開いていく。


「助けてぇー!!」

「苦しいよぉ!!」

「もう嫌だぁ!!」


「……」


 扉から発せられるのは、そんな叫び声。

 これは芸術作品ではない。これは……マイナスを生み出す装置だ。デリスは直感的に理解した、この扉の歪さを。この扉のおぞましさを。

 そして、システマティックにマイナスを生み出そうとする――その思考が何よりも気持ち悪いものだった。社長というものは、生物としてひたすらに道を外れている。

 外道だ。

 デリスは魔物だ。人を殺し、人を喰らう、そういう生物だ。だが、これは容認できなかった。ただただ悪趣味。ただただ悪辣。これは生存のためではない、ただ、自分たちがより便利に、より楽に、そういう意図で生み出されたものだ。

 どんな外道だ、どんな外道がそこにいる。その姿を見たならば、今すぐに喰らう。今すぐに殺す。

 そう腹を決めて、デリスは部屋の中へ足を踏み入れた。


「ようこそ。ようこそお出でくださいましタァ! いやァ! 疲れたでしょう?」

「――ッ!」


 瞬間。理解する。


 目の前にいるのは、違う。


 確かに人型だった。

 確かに魔物だった。


 けれど、違う。違うのだ。


 人型に押しとどめただけの――何か。これが人の形を保って、人の言葉を扱っていること、それがなお恐ろしい。そう思わせるほどの暴力的なマイナス。


 それは魔物の臭いを持つだけの――何か。魔物だというのに、自分と同じ存在とはこれっぽっちも思えなかった。いや、これが魔物だというのならば自分が魔物だと宣うのは思い上がりに他ならない。そう思わせるほどの冒涜的なプラス。


 マイナスであるのに、プラス。

 プラスであるのに、マイナス。

 相反する二つを持ち、そこにあった。


 デリスが抱いていた義憤は消え失せていた。そこにあるのは、畏怖。

 自然と、膝が折れた。

 本能が両掌をさらけ出して、それに服従した。


「おヤァ! 丁寧なご挨拶ですネェ?」

「オレを――いや、私を貴方の軍門に」

「ええ、ええ! もちろんですともォ! 何故断りましょうや!」


 その言の葉は、それが放つ圧と違い酷く丁寧で、穏やかなものだった。

 多分、それは圧を出しているとも認識していない。ただ、そこにいるだけで存在規模が違うのだ。山を見上げるが如く。そこにあるだけ。

 デリスは女が平静を保っていることが理解できなかった。余程に鈍感なのだ。そうとしか思えない。


「我輩の人としての名は龍宮寺一郎。どうぞ、表ではそのようにお呼びください。ですが、敢えてこう名乗りましょう! 六英重工業社長――強欲なるグリードです。よろしくお願い致しますネェ? デリス様?」

「ぎょ、御意に――!」


 デリスは、グリードと名乗る怪物に服従を誓う。

 野良の魔物が如く、短命な野心と別れを告げたのだ。



「社長が現場に出て魔物の勧誘をすればいいのでは?」


 デリスが退室した後、カンパネルラがグリードに対して愚痴を入れた。それを聞いたグリードがクックックと、大仰に笑えば。


「では、次回からはそのようにしますガァ? それでいいのですか?」

「――やっぱりナシで。社長が外に出る方が面倒そうですもの☆」

「ワガママですナァ」

「社長にだけは言われたくありませんよ。それで、アンシエ様のことですが」

「敗れたのでしょう?」


 ノートパソコンを立ち上げて、カンパネルラがカタカタとキーボードを入力。

 社長室のモニターに様々な資料が映り始めた。それを見るまでもなく、グリードは事実のみを言い当てる。


「はい。どうしてアンシエ様に助力を用意しなかったのですか? まさか――」

「その方が面白いから以外にあるとでも?」

「あるとでも? じゃないですわ! 大アリです! 無駄な人員を消費していますケド!?」

「今補充したではありませんカァ」

「……ああ言えばこう言う」


 カンパネルラは露骨にため息を吐いて、ガックリと肩を落とす。

 どこの世も、身勝手なトップを持つと苦労するのは下々の者なのだ。


「亜月日々はまだ泳がすということですね?」

「ええ、ええ。そうなりますネェ。カンパネルラ。この件は貴方に一任しましょう」

「それ“放任”の間違いでは? まぁ分かりましたわ。どうせ、エンターテインメント的に遂行しろと仰るのでしょう?」

「もちろん!」

「はぁ……面倒なタスクばかり増やして……。分かりました。分かりましたわ。お任せください。仕事は仕事。社長の暇つぶし、しっかりと遂行致しますわ?」


 ノートパソコンを閉じ、カンパネルラは深々とお辞儀。

 ヒールの音を響かせながら、社長室を退室する。


「さて、確か公王学校に一人野良の能力者がいましたねぇ……。まずは彼を使うとしましょうか☆」


 亜月日々。

 ふと現れた男子高校生が、明確に六英重工業という大企業の敵として認識された瞬間だった。


 間章:蠢く闇<了>

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