第7話 因縁の相手

 満月が空に昇っていた。

 巨大な“自然照明”を肴に、彼女は薄いグラスをくるりと回す。一面がガラス張りとなった豪勢な部屋には、彼女が仕事を熟す上での必要最低限なものしか置かれていない。

 棚に飾られたワイン瓶と、一つのグラスも――彼女に取っては欠かせない仕事道具だった。


 数十万はするであろうオフィスチェアに座り込み、月を見上げるその仕草は文字通りの


 しんとした室内に響くノック音。

 丁寧に二度叩かれたそのノックに手元のリモコンを操作することで返事をする。自動的に開く扉。ずかずかと足を踏み入れるのは大男。一つ気になるのは明らかな異形であったことだ。

 そんな異形が、ビジネススーツに身を包んでいる。さながら、見世物小屋の獅子のように滑稽だった。


「相変わらず、秘書サンはこんなとこで一人酒か。寂しくないんですかい?」

「いえ、全く。この町を一望して月を肴に酒を嗜む。およそ、数分間のリラクゼーションですわ☆」


 椅子をくるりと回転させて、女は異形の方へと身体を向けた。彼女の背後には摩天楼が広がる。

 

 ――ああ、確かに。

 

 異形は納得した。部外者である自分ですら、この景色に感動を覚えるのだ。本来の所有者である彼女が、宝のように愛でるのは当然の摂理。それを誰が否定することができようか。


「俺も手柄を立てればこんな部屋を貰えるんですか?」

「貴方がこれに興味があるのであれば――ですが。貴方の望みはもっとサディスティックで倒錯的でしょう?」

「……」


 ニヤリ。

 異形が不気味に笑った。あらゆる悪徳を秘めていそうな口から、だらだらと涎が零れていく。その醜態を前にしても、女の顔は張り付くように笑顔のままだった。


「さて、無駄話はここまでですわ。この度アンシエ様をお呼びした理由、貴方もご理解なさっているのでは?」

「もちろんだ。遂に来たんだよな、この時が!」

「ええ、ええ」


 こくりと女は首を縦に振った。

 彼女が引き出しから取り出すのは二枚の写真。スッとそれらを広げて、女はアンシエと呼ばれた異形にそれを突きつける。


「不洞ミヨ、彼女の処遇は貴方に一任します。しかし、これは報酬のようなもの。本命はこちら。亜月日々――彼をここまで連れてきてくださります?」

「生死は?」

「もちろん問いませんわ☆」


 今度こそ、アンシエは大笑い。下卑た笑い声が室内に響き渡る。


「もちろんだ。ああ、ついに、ついに! 俺の願いが叶う! 叶うぞぉ!」

「はい。では諸々の手筈は明朝に改めて☆」

「ああ! 任せろ、俺が負けるわけがねぇ!」


 アンシエは振り返り、意気揚々と退室。その背中を見送って、女は経済的微笑を解いた。


「はぁ、魔物というのは……どうしてこうも下賤な御方が多いのでしょうかねぇ?」


 女は目を細めて、涎でびしょびしょとなった絨毯を眺めた。


「この絨毯、結構お気に入りでしたのに……」


 女の深いため息だけが、残った。

 

 ◆


 いつもと同じ通学路。しんしんと降る秋雨がちょっと鬱陶しい。

 ビニール傘越しの黒い空を見上げるオレ。


「どーやって謝ろうかなぁ~……」


 思い返すのは、昨日のこと。

 氷華という配信者の名を出してしまったばかりに、ミヨの怒りを買ってしまった。かなり触れて欲しくない話題らしい。凄まじい静かな怒りだった。灼く宣言もない辺り、マジの方の怒り。

 仲良くなれたと思った矢先の出来事。慣れは怖いというが、実際怖い。


「はぁ~」


 雨も相まって憂うつだ。

 でも、こういうのは先延ばしにする方が憂うつになる。今日の昼休み、しっかり謝ろう。腹を括るオレ。


「ん?」


 バシャバシャ。

 水たまりを踏み抜いて走ってくる人影が見えた。その人影は見覚えしかなくて――。


「ミヨ!? どうしたんだ、そんな走って」

「どうもしないわ!」


 前方から走って来たのは案の定ミヨだ。

 傘も持たずに全力疾走。どうもしないわけがない。最低でも、家に傘を忘れた程度の理由はあるはずだ。(それはあり得ないけど)

 だとすれば、彼女があんなに急いでいる理由は一つ。


「魔物が出たのか?」

「関係ない」

「出たんだな!」


 オレはミヨの隣を走って問い質した。魔物が出たならオレもついてって当然倒さないと。


「着いて来ないで! 足手まといだし!」

「だけど――」

「来ないで!」


 炎が眼前に広がった。

 足を止めるオレ。晴れた炎の先には、右手に橙色の光を燻らせる彼女の姿が見える。


「これは私の戦いなの。誰にも邪魔はさせないわ。日々、お前にも。もし来るなら、灼く――本気で」

「……」


 突き放すようにそう言い放つミヨ。一秒程度の沈黙がオレたちの間に流れた。

 オレがどう返事をするか迷っていると、ミヨは踵を返して疾駆。原力を使った脚力はオレが追いつけるものでは到底なく、凄まじい速度で小さくなっていく彼女の背中を見送ることしかできなかった。


「そんなに怒ることかよ……」


 オレは頭を一掻き、ため息も吐いた。

 折角友達になったと思ったんだけどなぁ。追いかける? でもどこに? 自問自答が増えた。

 ぽつりと、雨の中ぼーっと立っているとポケットが小刻みに振動する。スマホだ、誰かから電話らしい。


「誰だろ」


 手に取った番号は非通知。

 ホントに誰だ? 詐欺とか何かじゃないだろうな。怪しかったら絶対すぐ切ってやる。決意と共にオレはスマホを耳に当てた。


「はい」

「やぁ。聞こえるかい?」

「聞こえるけど、誰だ。アンタ」

「ボクは鳳仙ほうせん。不洞ミヨの協力者――つまるところ情報屋だよ。君は亜月日々クンだね?」

「そうだけど。アンタがミヨの協力者だって証拠はあんのか?」


 胡散臭い声が聞こえた。なんというか、喋り方、声質、間。ありとあらゆるものが嘘っぽい。


「そうだなぁ。君は数日前に恩人である不治坂舞を亡くして以降彼女の武器、斬原刀を片手に魔物を現在二体討伐している。これくらいでどう?」

「……質問の答えになってねぇーし、オレのストーカーでキモそうって印象しか出てこねぇんだが」

「ははは。ミヨちゃんの協力者を証明することは難しくてね。だったら、ボクの情報収集力を信用して貰おうって考えたワケ」

「……」


 確かに、鳳仙という男の情報収集力は気味が悪い。一体、どうやってオレの情報を調べ上げたのだろう。分からないから、ただ流す。


「で、わざわざオレに電話までかけてきて情報自慢か?」

「まさか。君が今ミヨちゃんに振られたことも知ってるよ」

「うわ、マジでやべぇなお前! どこで見てんだよ!」


 オレは周囲を伺うが、当然というべきか鳳仙らしい人物の姿は見えなかった。


「ははは、見えない見えない」


 で、そのオレの行動もこの男には筒抜けらしい。一体どうなってるんだ、これ。


「それで、そんな君に一つ提案があってさ」

「提案?」

「そ。ミヨちゃんの行き先を教えるからさ、彼女を助けてあげてよ。ほら、君ももう薄々分かってると思うけど、彼女結構すぐカッとなりやすいタイプでね。今回は相手が相手。彼女の命が危ないかもしれない」

「……相手っていうのは?」

「因縁の、相手さ」

「……分かった」


 オレは首を縦に振る。


「で、どこにミヨはどこに行ったんだ」

「公王水族館。そこに向かったはずさ。じゃ、任せたよ」

「おい、ちょっと。その魔物について情報――切れやがった」


 一方的に話したいことだけ話して、一方的に電話を切る。本当、ああいうタイプっていうのは自由気ままだ。オレはスマホをポケットへ戻して肩を回す。


「さて、燃やされないように気をつけて行くかぁ~」


 目指すは水族館。最後に行ったのは二年くらい前、マイさんとだ。オレは雨の中、ミヨがそうしていたように駆け出した。


 ◆


「はい、楽しんで来てくださいね-」

「あざっす」


 オレはチケットを貰って水族館へ入館。平日の朝早くということもあって、人の気配はまるでなかった。こんなので経営が成り立つのか、心配なくらい。

 パンフレットを手に取り、館内の構造を把握。

 この公王水族館はそこまで大きな施設ではない。中央にある巨大水槽が目玉で、その水槽を囲うように円状に五つのエリアが作られていた。ちなみに、巨大水槽の上にはショースペースが設けられている。

 入り口から続く小さなお魚エリアは、目玉の大水槽に繋がっていた。


 まずは大水槽そこを目指そう。


 パンフレットを学生鞄に詰め込んで、オレは小さなお魚エリアに足を踏み入れた。


「……」


 なんだか感じる違和感。

 いくら平日の朝だとしても、人がこんなにもいないなんてあり得るのか? 誰もいないなんてことが。

 というか……人も魚もいない。


「メダカちゃんも、ニジマスも、どこにもいねぇ~~じゃん!」


 オレは水槽の下に書かれた紹介ボードの名前を読み上げる。しかし、水槽は空。ただ水がぶくぶく泡を立てているだけ。


「……なんかおかしいなこれ」


 オレは目を細めて引き返した。入り口の店員さんに話を聞こう。


「あのぉ~。水槽に魚が展示されてないんすけ……ど」


 オレを確かに出迎えてくれた受付はもぬけの殻。これは明らかに変だ。冷や汗がオレの背中を撫でていった。

 嫌な予感がしたので、オレはゲートを越えて外に出ようとするのだが――。


「いてっ!」


 ごつん。

 見えない何かにぶつかった。壁がある。オレを通さない、透明の壁がゲートにはあった。


「これはつまり……この水族館に閉じ込められちまったってことか?」


 どうやら、オレは既に敵の術中に嵌っていたらしい。廃商店に居座っていた魔物の持つ能力と似たような能力――ミヨの言葉を借りるなら異界系とやらだ。今度は水族館を支配する能力者かよ……。ますます反則じみて来たな、マジで。

 さて、どうすりゃここから抜け出せるんだ?


「まぁ、一番簡単そうなのは」


 前回と同じ方法で抜け出すのが楽そうだ。


「ここにいる魔物をぶった切る!」


 刀を竹刀袋から取り出して、オレは腰に差し込んだ。

 元々魔物を倒しに来ているオレにとってはどっちにしてもやることは変わらない。ミヨと魔物を探して、魔物を倒して、ここから出る。それだけだ。


「取り敢えず大水槽だなぁ~」


 オレは人どころか魚すら存在しない小さなお魚ゾーンを抜けていき、大水槽エリアへ。

 円柱場に作られた巨大な水槽がオレを出迎える。この水族館の名物でもあった。

 水族館特有の薄暗い照明と、やや青みがかった床がオレの記憶を刺激する。マイさんと来た時のことを思い出してしまう。オレよりもマイさんの方がはしゃいでて、そんなマイさんを見るのがオレは嬉しかった。


「また来たかったな……」


 小さな水槽たちに手を触れて、ぽつりと言葉が漏れた。きっと、展示物がないこんな状況でもマイさんは楽しんでたんだろうなぁ。


「魚がいない水族館なんて、何よりも珍しいじゃないか! とか、言ってそうだなぁ」


 思い出と触れ合っていたら、いつの間にか小さなお魚エリアの出口に差し掛かっていた。エリアが切り替わる合図であるゲートをオレはくぐる。

 巨大な水槽が目前に広がった。


「すげぇー!」


 と、大水槽エリアに足を踏み入れた瞬間。


 ぴしゃん。


 水が跳ねる音、直後感じる嫌な感触。オレの靴に水が侵入。

 地面へ視線を落とす。

 何故か、水たまりがそこにはあった。深さこそ非常に浅いのだが、その規模はエリア全体に及んでいる。オレが踏み込んだことによってさざ波が生まれ、その波は自然とエリア全体へと伝わっていく。


「なんで水たまりがこんなとこに?」


 疑問に思ったのも束の間。

 その揺らぎはどんどんと大きくなっていった。止まるどころか、波は次第に一つの意志を持っているように右へ、左へと蠢いていった。

 最奥に水が引いていったかと思えば。水が宙へと集まり、巨大な魚のような形を作り出す。

 透き通るような液体が、魚型に固まって大きな口を開けて吼えた。

 びりびりと、気迫がオレの耳を打つ。


「マジか」


 水で作られた魚が宙を泳ぎ、オレを睨めつけた。

 目と目があった瞬間、オレも魚も疾走。腰に差した刀を引き抜いてオレは一気に距離を詰める。

 先手必勝。


「三枚卸しにしてやるよ!」


 と、やり方も知らない脅しを叫んで接近。

 デカイが動きはトロい。一気に懐に忍び込み、オレは刀を上へと振り上げる。驚くべきほど容易く、オレは魚の頭を斬り落とした。


「よし、勝った」


 そのまま片手を地面について制動。オレは視線を上げて、不思議生物の水魚を見上げる。頭を落とせば、どんな生物も死ぬ。

 きっと水の身体は地面に落ちて、元の水に戻るはず。そんな期待を込めて視線を遣ったのだが――。


「グォオ!」

「グオォ!」

「ふ、増えやがった……ッ!」


 オレが斬り落としたはずの頭が変形。ぼふん、というような音と共に身体を作った。同じく、頭を失った身体は、ぼふんという音を出して頭部が出現。結果として、巨大な水魚がやや大きな水魚二匹に変わっただけである。

 ――つまり、最悪。


「よし……」


 オレは姿勢を整えて、息も整える。

 こういう時、できることは一つだけ。


「逃げるかぁ~!」


 くるりと身体の向きを逆にして、オレは駆けた。

 だって無理だ! 斬るしかできないオレに、斬撃無効の敵を出してくるのは狡い! 背後を見遣れば、空中を水のように泳いで迫る水魚が二匹。なんで水もないのにそんな速度で泳げるんだよ!


 まぁ、もうこういうのは慣れっこだ。もう突っ込まない。


「どこか、逃げる場所は……」


 きょろきょろ。視線を動かす。あった。スタッフルーム!

 重そうな鉄の扉だ。あれならきっとオレを匿ってくれるはず。オレは渾身の力で地面を蹴って蹴って、蹴った。


「よし、鍵は……かかってないな」


 一気に扉を押し開けて、オレは中へ入り。扉を叩き閉める。そして、鍵をかけた。

 ごん!

 そんな音が響いて扉がガタりと揺れた。流石の怪物も鉄には敵わないか。


「よし、あれが今回の魔物か? あんなのもアリかよ。ミヨの火力なら焼き払えそうだけどなァ……」


 腕を組み、水の怪物に対しての対策を練る。さて、どうしたものか。まずは一休憩。落ち着こう――。


「ん?」


 ぴちゃぴちゃぴちゃ。

 扉の隙間から、水が溢れ始める。


「おい、おい。ちょっと待て、おい、嘘だよなぁ……!」


 ぽちゃぽちゃぽちゃ。

 どっどっどっ。どっどっどっ。

 水の勢いはどんどんと強まっていく。オレは一歩、二歩、後退り。頭の中に嫌な予想が過る。そして、その予想は恐らく当たる。


 溢れた水は独りでに浮かびあがり、集まっていく。


「テメェ! 液体だからってやっていいこととやっちゃダメなことがあるだろうが!」

「グァア!」


 オレの抗議なんてまるで聞いていない新生水魚が吼えた。もううんざりだ。スタッフルームなんてそう広いもんじゃない。大きな口を開けて牙を剥く水魚。オレは更に後退り。

 とん。

 壁にぶつかった。


「まず……!」


 もう目の前にまで迫っている巨大な大口。ギラリと光るサメのような歯。今まさに、もう一歩踏み出して水魚がオレの頭に喰らいつこうと踏み出した瞬間。

 ばしゃん。

 目の前で水魚が弾けた。


「……ん」


 ぼたぼたぼた。

 凄まじい水飛沫がオレの全身とスタッフルームを濡らす。今まで、あれだけ意志を持って動き回っていたのが嘘のように、周囲に散らばった水はピクリともしない。


「た、助かった……のか」


 まずは胸を一撫で。

 何があったかはまるで分からないが、ひとまず自分が助かったことだけは確からしい。マジで何なんだよ、この怪物。

 魔物がこれで死ぬとは思えないし……これも能力の一部、なのだろうか。


「だとすれば、何かの条件で動いて何かの条件で動かなくなったってことだろうな」


 頬についた水を拭って、ペロリと一口。


「うわ、これ海水じゃねぇか!」


 ぺっぺと吐き出す。

 これ髪とかバッサバサになるタイプじゃん。最悪だ。いや、そうじゃないな。海水が動いていたってわけか。


「さて、ここからどうすっかなぁーっと。やっぱミヨを探すか」


 オレじゃ相性が悪すぎる。

 今は運良く助かったけど、二度目もこうなるとは限らない。ミヨの火力なら水そのものを焼き払ってくれるはずだ。ミヨと合流しないとオレに勝機はない。

 で、その肝心のミヨはどこにいるか……。


 壁、天井、地面が揺れ。

 上から巨大な爆音。


「上のイベントスペースか。すげぇ音……」


 分かりやすくて助かるが、一体どんな戦いをしてるんだか。普通に考えれば、ミヨの勝ちは揺るがないと思うんだけど、どうしてか胸騒ぎを抱いていた。急いだ方がよさそうだ。

 扉を押し開けて、オレは動かなくなった水を踏み越えて走る。


 ◆


 水族館二階。大水槽の丁度真上にイベントスペースがあった。

 名物のショーを行うために用意されたスペースは多くの客席と大水槽に直結するステージ一つで構成されていた。丁度、その舞台に人影が二つ見えた。


 一人は人影というにはやや異形すぎる身なり。あれが今回出現した魔物に違いない。もう一方の人影はミヨだ。

 地面に倒れ込んでいるミヨを魔物が見下している構図。状況を見るまでもない、ミヨは敗北したのだ。あの魔物に。


 オレは階段を駆け下りて、飛び上がる。


 両手をついて着地。

 丁度、魔物とミヨの間に降り立った。オレの動きに合わせてぐらぐらと大水槽の水が波立つ。


「ったく。足手まといねぇ……こうなっちゃ世話ねぇよな」


 背後で倒れているミヨを一瞥。

 オレは肩を竦めて正面を見据えた。そこに立つのは半魚人という言葉がよく似合う異形。耳のようなヒレ、皮膚を覆うウロコ、そしてギョロっとした大きな目。オレよりも二回りほど大きい巨大な身体を持つ。

 ビジネススーツを着込んでいるのが滑稽だ。胸元には六角形のロゴマークのようなものが見える。


「あぁ、そういえば忘れてたな。亜月日々。お前のことをよ」


 片手に持った三つ叉の槍をくるりと回して、その切っ先をオレに向ける魔物。

 びりびりと魔物から放たれる圧がオレの皮膚を刺激する。コイツ……強い。

 毎回毎回、相対する魔物の強さが跳ね上がってる気がするんだけど……もうちょっとならして欲しいところだ。明らかに廃商店の魔物よりも強い。


 ミヨの基準に則るなら、勝ち目がないから逃げ出せという強さ。


 そして、オレよりも確実に強いであろうミヨが敗れている。その事実がオレの勝機をより薄いものにしていた。


「何だよ、お前もオレの命を狙ってたのかよ」

「そうだ。どういう理屈かは知らねぇけどよ。俺の上司はお前に夢中らしいぜ?」

「へぇ、気色悪ぃ魔物にモテても欠片も嬉しくねぇや」

「どうだかな?」


 くすりと笑って、魔物は槍を振り降ろして柄で地面を叩く。

 どん。

 どん。

 どん。


「俺の名はアンシエ。別に恨みはねぇが、まぁ殺しは楽しいからバラバラにしてやるよぉ!」

「そうかよ。オレも別に恨みはねぇけどよ――お前みたいなのは見過ごせねぇ」


 オレは仮面を取り出して被り、刀を引き抜いて切っ先をアンシエへと差し向けた。

 変わらずメトロノームのように規則正しいリズムで音を響かせるアンシエ。最後に一際大きな音を響かせれば。

 ぐつぐつぐつと。ステージ下の水が蠢き始めた。

 まさか――。


「唸れ“深海の使者ディープ・シー”!」


 アンシエの背後に巨大な水の壁が立ち上がった。白い飛沫がオレのびちゃびちゃとステージに降り注ぐ。黒い影が、飛沫に遅れてオレを覆った。

 嘘だろ……これ!

 ミヨの炎よりも規模がデカイぞこれ!


「崩れ落ちろ――沖つ白波“大海嘯ザッブーン”!」


 ぐらりと、巨大な水壁が揺らいだと思った次の瞬間――弾けた。

 爆発的に体積を増やしたその津波は、一気にオレへと迫る。最早、オレがそれを認識した時にはオレの身体は吹き飛び、全身を凄まじい痛みが駆け巡っていた。


「がっ!」


 骨の砕ける音。視界がままならない。四肢があり得ない方向に曲がり、口、鼻、目から血が漏れ出た。激流に飲まれ、意識が飛び――。


 ――死んだ。


 今、確実にオレは死んだ。


 意識が戻る。

 超直感ファンブルが発動したらしい。鋭い痛みが身体に残り、気分がすこぶる悪い。


「唸れ“深海の使者ディープ・シー”!」


 なるほど、丁度水壁が立ち上がるところか。

 こりゃ勝てないわ。

 なんか、ここの水族館に来てからというものこんなことばっかりの気もするが――ともかく、ミヨの火力がなければ太刀打ちもできないだろこんなの!


 なみなみと積み上がっていく水を見上げ、オレは迷いなく振り返った。そして駆ける。


「崩れ落ちろ――沖つ白波“大海嘯ザッブーン”!」


 その言葉と共に聞こえてくるのは水が弾ける恐怖の音。オレはミヨを抱えて、無我夢中でジャンプ。

 水面を飛び越えて客席とステージを分ける柵にへばりついて、盾に。客席を無茶苦茶に荒らして、ボロ椅子たちを巻き上げて壁を打ち破り流れていく水。


「や、やっべー……」


 その様が地獄すぎて、むしろ笑いがこみ上げて来た。

 人間が戦う相手じゃねぇだろ。こんな奴。ふざけやがって。んなもん勝てるか! 勝てねぇだろ! こんな奴!

 ふつふつと怒りが湧いてきた。理不尽だ。


「威勢がいい割には、逃げ腰じゃねぇか。お前の言う見過ごさないってのは逃げることだったのか、悪い悪い。勘違いしてたぜ」

「っのやろう……!」


 余裕綽々と上から物を言いやがって。オレもお前みたいな力があったらそりゃそういうだろうけどよぉ!

 とにかく、今はミヨを連れて逃げることだけを考えよう。まずは物量勝負で対等にならないと。ミヨの火力ならあのバ火力にも対抗できるはず。ミヨが負けていたことだけが気がかりだけど。


 立ち上がって、ミヨを抱き上げてオレは階段を駆け上る。


「……無様に逃げる人間を殺すのって、さいっこうに気持ちいいぃんだよなぁ!」


 背後から嫌~な声が聞こえてきた。そりゃ簡単には逃がしてくれないよな。あいつが技を撃つ前に、少しでも距離を稼ぐ!

 背後から聞こえてくるのは、ジェットのような鋭い轟音。

 数秒。

 途端に無音。


「広がれ――水天一碧“大水縮ビッシャーン”!」

「何をしようって……はぁ!?」


 振り返れば、両手を重ねたアンシエの手の中に銀河が広がっていた。いや、そう表現するしかないくらい、その空間は煌めいていたのだ。

 オレがそれに気を取られた刹那――煌めきが拡散。幾本もの水の線がオレを目掛け迫った。


「だから――バカか、コイツ!」


 オレは滑るように客席へ身を潜める。スパン、スパン、という小気味のよい音と共に客席を撃ち抜いていく水のレーザー。圧縮した水を撃ち出す技らしい。

 ふざけた貫通力だ。

 狙いが雑なのが救いだった。オレは立ち上がって、第二波が来る前に逃亡。


「……」


 意外にも、追撃はなし。

 イベントスペースから出て行くオレをアンシエは追うことなく、素直に見送っていった。まぁ、多分――アイツを倒さない限りこの水族館から解放されることはない。それを他でもないアイツが理解しているからだろう。

 それに、アイツが水を扱うというのなら――この水族館はアンシエに取って最高の環境。わざわざ追う必要もない。ただ、待てば勝ちは向こうからやってくる状態なのだから。

 とにかく、休める場所を目指してオレは駆ける。ああ、まずはミヨの応急手当をしないと!


 ◆


「これでいいか……?」


 テーブルの上に置いたスマホと睨めっこして、オレはミヨに巻き付けた包帯を切った。彼女の身体は打ち傷が酷く、その応急処置を調べてやってみた。彼女が納得するかどうかは分からない。


 水族館のフードコートに椅子を並べて、ミヨを寝かせた後にスタッフルームから応急キットを拝借してきた。これで彼女が目覚めてくれたらいいんだけど……。


「しっかし、強かったなァあいつ」


 アンシエと名乗った魔物の力を思い出す。

 水を操る能力者で、規模も破壊力も桁違い。少なくとも今のオレじゃ勝てない強さだ。とはいえ、泣き言ばかり言ってられない。ここで勝てなきゃオレは死ぬまで。無理を通して勝たなければならないのだ。


 そんなオレの僅かな望みが――ミヨ。


 視線をミヨに移して彼女を眺める。


「……ん」


 タイミングよく、彼女がピクリと身体を震わせた。ゆっくりと身体を起こして、周囲を一瞥する彼女の視線と、オレの目が合った。


「あ」

「おう、やっと目覚めたかって、炎を出すなって!」

「言ったでしょ! 来たら本気で灼くって――どうして来てんのよ。日々が!」


 目覚めて早々、立ち上がってオレの首を左手で抑えて右には炎を湛えさせる。


「助けてやったのにその言い草かよ! オレがいなかったら死んでたぞ、お前!」

「誰が助けてって頼んだ? お前たちっていつもそう。勝手に背負わせる!」

「お前“たち”……?」

「……ああ、もう!」


 オレの首から手を離して、ミヨは炎を天井に向かって放つ。紛うこと無き八つ当たり。あれがオレに向けられなかっただけ良しとしよう。黒く穿たれた天井を眺めて、オレは額から零れる冷や汗を拭った。

 オレに背を向けたまま、ミヨは腕を組み貧乏揺すりを始める。苛立ちをこれっぽっちも隠さない彼女らしい仕草だ。


「戦ったんでしょう。あのクソ野郎と」

「ああ、少しだけな」

「もう知ってると思うけど、お前には無理よ」

「だからミヨと一緒に倒そうと――」

「アタシも無理」


 ギュッと腕を握り絞めて、ミヨは声を震わせた。

 いつもの勝ち気な彼女からは想像もできないほどの声色と言葉。オレは聞き間違いかと耳を疑った。


「え?」

「二度も言わせないで。無理なのよ」

「なんでだよ、確かに炎は水に弱いけどさ! ミヨの火力なら――」

「あいつ、能力が増えてたのよ。全然違う能力、二つ目の! しかも、アタシの能力をピンポイントで対策できるような能力を!」


 ミヨが叫んだ。

 その言葉の意味が理解できなかった。だって、今までの敵はどんな奴でも能力は一人一つだった。だというのに、能力が二つ?


「そ、そんなのあり得るのかよ」

「あり得るわけないでしょ! でも持ってたの。勝てない。無理。アタシたちじゃどうしたって無理よ!」

「……だからって諦めてなぶり殺されるのを選ぶのかよ」

「逆に聞くけど、水に自分の原力を混ぜて自由自在に操る能力と炎を無効化する能力を持つ相手に、炎の能力者とよく斬れる刃物を持っただけの高校生がどうやって勝つわけ!?」

「それは、分かんねぇけど……さ。でも、だからって諦めたら何もなんねぇだろ!」

「だから来るなって言ったの! 日々なんて、いてもいなくても一緒じゃない!」


 オレに背を向けたミヨの声が、フードコートに響いた。


「分かった」


 オレは立ち上がって、身体を伸ばす。そして、大水槽を目指して歩み始めた。


「ちょっと、どこへ行くつもり?」

「決まってんだろ。倒しに行くんだよ。アンシエを」

「話を聞いてた!? 勝ち目なんてどこにもないじゃない!」

「ああ、そう信じ切ってる内はそうだろうな。オレはそうは思わないってだけだ」


 かつ、かつ。

 オレたち以外に誰もいないフードコートだと、やけにオレの足音が大きく聞こえた。そんなオレに縋り付くように、ミヨはか細い声を出した。


「待って、ねぇ、待ちなさい! 日々まで、私を残して先にいくの……?」

「……」

「氷華――愛華あいかは、アタシの幼馴染よ」


 オレは足を止めた。この話はどうしてか聞かないといけない気がしたからだ。


「同じ時期に配信者を始めたの。同じくらい伸び始めてね、それで、アタシたちは原力を知ったわ。魔物の存在も」


「アンシエの悪事を止めるために戦った。アタシたちは勝ったけど……油断してた僅かな隙を突いて、奴は能力を使って私を攻撃した。それを庇ったのが愛華よ。そのまま、逃げるアンシエが生みだした波に飲まれて愛華は……」


「アタシなんて、庇わなければ良かったのに。魔物を倒す理由は、愛華を殺したあのクソ野郎を見つけ出してこの手で殺すこと。結果はこのザマだけど」


 自嘲気味に笑ってミヨはため息を吐いた。


「日々が死んだら、あの時と同じじゃない。せめて、アタシに時間を稼がせてよっ! アイツの狙いはアタシ。アタシを嬲ったら、それで満足するかもしれないでしょ……」


 オレは止めた足を再び動かして大水槽エリアを目指す。ミヨの言うその可能性とやらが、どれほど薄いものなのかは、彼女自身もよくよく理解しているはずだ。


「ねえ、なんとか言いなさいよ! 日々っ!」

「オレなんて庇わなけりゃ良かったのに。オレだってそう思ってるよ。でも、あの地獄からオレを助けてくれた人や、オレに最もらしい理由をくれた人がいるからさ。生きることを放棄したくねぇんだ」


 一度外した仮面をもう一度被って。スイッチを入れる。オレに理由をくれた人が、そうしていたように。


「町を守るってのに、ミヨも入ってるし。オレはそもそも、ミヨのために死ぬつもりなんて毛頭ねぇ」

「……何よ、それ。最低な言葉」

「ま、怖いなら見とけよ。オレが守ってやるからさ」


 オレは後ろ手を振って大水槽へ歩を進めていく。

 勝算――ゼロ。

 勝ち筋――見えない。

 でも、勝つしかない。これはそういう戦いだった。


 ◆


「――って、カッコはつけたものの」


 どうやって勝つんだ、これ。

 大水槽を目指す道すがら、オレは腕を組んで首を捻った。まずは相手の能力を整理して見るか。


 ミヨの話を思い返す。


 敵の能力は大きく分けて二つ。一つが水に原力を混ぜて自由自在に操る能力。その言葉から察するに、水は元々あるものを使う必要がありそうだ。

 次の能力が炎を無効化する能力。こっちは詳細が不明だけどオレには何の関係もない。


 オレが対策を考えるべきなのは水を操る能力の方。まず、能力について整理をしよう。


「えーっと……」


 一つ、水は元々用意されている水を使用する必要がある。ミヨみたいに無から炎を生み出すようなタイプではないこと。

 一つ、水を圧縮してレーザーのように放出したり、質量攻撃として扱うこともできる。また、多分ある程度自律させることも可能。

 一つ、何故か突然水魚たちははじけ飛んで、二度と動かなくなった。


 今分かっていることはこれくらいか。

 原力を混ぜるという都合上、あんな大がかりな攻撃をする前には原力を注ぎ込む作業が必要なはず。ただ、オレとの戦いの時はそんな準備、まるで必要としていなかった。


 となると、ミヨとの戦いの際に準備を終えていたと考えるのが自然だな。


「そういや……なんで、ここには水魚がいねぇんだ?」


 歩いていて疑問に思ったことがある。

 フードコートも、スタッフルームも他のエリアも、大水槽周辺を除いて館内に水魚は一匹たりとも存在していない。本当に何でもありな能力なら、どこでも水魚を用意して兵隊として運用するんじゃないだろうか。


「……」


 もしかして、水を自由自在に操る効果範囲があるのでは?

 だとすれば……スタッフルームで突然水魚がはじけ飛んだのは、効果範囲外に少しでも出てしまったから?

 思い返す。

 そういえば、津波は壁まで流れて行ったけど津波で消費した水をアンシエが再び使うことはなかった……はず。あれも効果範囲外を出たから操作不能になったのでは?


 あのステージからオレたちを追いかけなかったのも――。もしかして、効果範囲外だから?

 だとすれば、だとすれば!

 あの能力の範囲は能力者であるアンシエを中心としてではなく、操作する水を起点として考えられているのではないだろうか。じゃあ、あの能力を打破するのに必要なのは――アンシエをあの場から退かすか、水をあの場から移すか。その二択。


「アンシエをあの場から退かすのは自殺志願者がすることだとして、だ。消去法的にオレができるのは水をあの場から移す……ってことだよなァ」


 どうすればあの場から水を移動させることができる?

 ①離れたところからアンシエを煽って無駄打ちをさせまくる。却下、命が持たない。

 ②アンシエに気がつかれないように水をせこせこ汲み上げて運ぶ。却下、時間がないし、どうせバレる。


「……無理じゃん!」


 オレの頭で考えられる方法では、結局どれもこれも無意味だった。何か、こう……ドカーンと一撃で水を大幅に移動させる夢みたいな方法が……。


「あ」


 ふと目をやった水槽。

 ――そうだ。


「大水槽ぶっ壊せばいいじゃん!!」


 ぽんと手を叩いて、舞い降りた天啓をオレは祝福した。そうだ。これなら上手くいけばアンシエに悟られず、短時間で多くの水を奪うことができるぞ!


「で、どうやって水槽を割るんだ?」


 足を止めて、オレはポケットの電子機器を取り出した。水族館、水槽、割り方。文字列を入力していそいそと検索。ヒットする方法を読み上げていく。


「へぇー、水族館の水槽って熱に弱いんだなァ……」


 ◇

 と、いうわけで。

 ◇


「……こんなんでホントに割れるのかよ」


 土産屋から拝借したライターで大水槽の表面を炙ること数分。変色してきたような気もするけど……全然意味がないような。

 オレはライターの炎を消してポケットへ。鞘に入ったままの刀を構えて、今し方熱した場所へ思いっきり突き上げれば。


「割れるわけねぇか!」


 ごん。

 という音がただ空しくこだまするだけ。ぽつんと残されたオレは大水槽を見上げて、ため息を吐くことしかできない。

 いい案だと思ったんだけどな。オレの力じゃこの水槽を壊すことはできない。他の方法を考える必要がある。とはいえ、これ以上の方法なんて――。


「グギャア!」

「おいおい、もしかして」


 ちらりと背後に目を遣れば。

 水魚が四匹。大水槽に現を抜かしていたオレを取り囲んでいた。大きさは一匹一匹がオレと同じ程度。初めて見た巨大な水魚ほどではないが、それでも十分に巨大だ。

 音もなく――まぁ、空中を泳いでるんだから音がないのは当たり前か。油断した。鞘から刀を引き抜いて、オレは切っ先を中央の水魚に向けた。


 どいつもこいつもオレの攻撃がまるで効かない相手だ。嫌気が差す。


「ギィ!」


 金切り声を出して正面の一匹が先行。その突進に合わせて、オレは踏みだしと共に刀を斬り上げる。一刀両断。まずは一匹。


「ってわけにはいかねぇよな!」


 真っ二つにした魚はそれを良いことに分裂。右と左の挟撃。攻撃のタイミングを読んでオレはスライディング。ぶつかり合う水魚たちは混ざり合い、一匹へと戻った様子だ。


「はぁ、ホントクソだな」


 取り敢えず斬り刻んでその隙に逃げるしかないか。前方の三匹に刀を振りかざす。一、二、三。的確に水魚を裂いていく。オレの刀遣いも相当サマになって来た。

 このまま普通の生物みたいに死んでくれたらもっと嬉しいんだけどな! 増殖する一瞬の隙をついて水魚の群れを越える。


「よし、抜けた!」


 後方確認。

 七匹にまで膨れ上がった魚たちは、尾びれをバタリと動かせば一斉に射出。生物とは思えない速度でオレへと迫る。


「はやっ!」


 七匹の同時攻撃。

 防ぐにしても、全ては無理。回避するにしても、全ては無理。ダメージは確定だ。取捨選択。何を捨てて、何を取るか。選択を迫られていた。

 足は絶対にいる。身体は致命傷になるかもしれない。首はもってのほか。なら――片手しかない! 覚悟を決めて、撃ち落とす魚と回避する魚をこの一瞬で選別。オレが迎え撃つ体制を整えた時。


 橙色が水魚たちを呑んでいった。


「何よ、やっぱりダサイじゃない。日々」


 魚たちを丸呑みした焔は、そのまま胡散。薄暗い館内に強烈な閃光をもたらした。水蒸気すら残さず、水魚たちは消失。相変わらず凄まじい火力だった。


「ミヨ!」


 腰に手を当てて、人差し指をオレに向ける彼女の名をオレは呼んだ。


「何をしたいのか、よく分かんないけど――助けてあげましょうか?」


 その言葉は、いつかオレが彼女に言ったそれの意趣返しだった。


 ◆


「なるほどね。大水槽を破壊して水を奪うか――確かにそれはいい考えかも。現実の大水槽に被害が出るかもしれないけど」

「なら、真正面からやり合うか?」

「まさか。市民の命のためなら大水槽の破壊も可愛いものでしょ」

「だなァ」


 巨大水槽に手を当てて、オレはミヨに作戦を話した。


「これを抜くなら……一分ってところかしら」


 一歩、二歩、三歩。

 大水槽から離れたミヨは両脚を大きく開き腰を下ろした。ふぅ、という深呼吸を交えれば。彼女の周囲に火の粉が舞い始めた。


「日々も下がってなさい。そこいたら死ぬわよ」

「分かった」


 一歩、二歩、三歩、四歩。

 彼女よりも下がってオレは周囲に漂う火の粉を眺める。ミヨと初めて戦った魔物に集っていた黒いエネルギーみたいだ。火の粉が彼女の元に集まっては消えていく。


「心変わりしてどうしたんだ?」

「日々だけじゃどうせ負けて終わりでしょ。それに、お前は私のために死なないって言ってたし。それって日々が死んでもアタシの責任じゃないってことでしょ?」

「そりゃあな」

「ホント、傷ついた乙女に言うことじゃないわよね。普通、そういう時ってもっと優しい言葉を――まぁ、その最低な言葉のお陰で気が楽になったわ」


 いつも通りの勝ち気な笑みを浮かべてミヨはぶっきらぼうにそう言った。


「やっぱ、そっちのが似合うぜミヨはさ」

「はいはい。ありがと。その……本当に、ありがと」

「終わったら飯でも奢ってくれよ」

「いいわ――とびっきりの。焼き魚をご馳走してあげる!」


 その言葉に合わせて、ミヨの髪が坂立った。瞬間、彼女の圧が爆発的に増加。

 火の粉が一斉に消え失せた。

 その変わりと言うように彼女の右手に収束するのは、熱。渦巻く熱気が、ぐにゃりと周囲の景色をねじ曲げた。莫大なエネルギーがそこにある。自分に向けられているわけじゃないのに、足が竦むほどの原力が。


「久しぶりの全力! 目に焼き付けなさい“火の鳥フェニックス”!」


 槍投げのような構えを取れば、右手に収束した焔を大水槽に向かって投擲。

 熱風がオレの身体を僅かに吹き飛ばす。熱い。ただ、ひたすらに熱い。水槽に直撃した炎の槍は、見事に水槽を穿った。

 そのまま、炎の槍は水の中を進んでいく。


「弾けろ!」


 ミヨがそう叫べば、水槽に映る火の鳥は瞬間膨張。次の瞬間には炸裂。収束したエネルギーを一気に解き放った。

 凄まじい轟音が響いたかと思えば、飛び散るガラス片。蒸発した水蒸気に混じって未だ残っていた水が熱湯となって全方位へと散らばっていく。


「おい、やりすぎだろミヨ!」

「まだまだ、これからよ」


 両腕に炎を纏わせた彼女はオレを庇うように前に立った。

 オレたちに降り注ぐガラス片が混ざった熱湯の濁流。それに対して、ミヨはいつものように炎を放射。


「失せなさい“炎海フラッシュオーバー”!」


 ミヨから放出される炎が盾となり余波を防ぐことができた。

 館内はボロボロ。大水槽は最早原型を保っていない。水のなくなった水槽が寂しそうに残る。


「はぁ~……スッキリした!」

 

 ミヨは満面の笑みを見せた。

 こんなとんでもない火力を普段は抑えつけて能力を扱っていたのか。改めて、彼女の凄さを認識した。そりゃ強いわ。


「さて、本体のおでましね」

「みたいだな」


 ドン。

 という音と共にアンシエが着地。オレたちに視線を合わせたアンシエは舌打ちと舞い散る水蒸気を払った。


「相変わらずお前の能力はうっぜぇなぁ。不洞ミヨ!」

「どうも」


 アンシエが片手を空へと伸ばし。


「だが、水蒸気も水だ」


 周囲に漂う蒸気がアンシエの頭上に結集。あの大水槽に並々と溜まった水と比べればかなり減った、けれどもなお脅威的な水量を確保していた。


「俺の本気を引き出したことを後悔させてやるよ。上善は水の如し“水中世界ブクブク”」


 球状の水がぐにゃりぐにゃりと姿を変えた。

 アンシエはスーツを力任せに脱ぎ、異形の上半身を晒す。異常発達した筋肉の身体は不気味なほどに脈打っていた。

 水が異形を取り込んだ。

 瞬間、水が蠢き伸びた。丁度、オレたちの目前まで伸びた水。それを認識すると同時に、アンシエが眼前まで迫っていた。

 水の中から槍を突き出して刺突が繰り出された。合わせて、オレはミヨより先んじて踏み込み迎撃。金属と金属がぶつかり合う甲高い音がオレの耳をつんざいた。


「技量が未熟だな」


 アンシエが冷静にそう言うと、槍の持ち手をくるりと回転。三つ叉に広がった穂先に刀が絡め取られた。マズイ、そう思いつつもここで刀を捨てることができないオレは膂力で抵抗。

 魔物の口元が不気味に広がった。

 槍を翻すアンシエ。オレの身体が浮き水中へ引き込まれる。やっばい。


「日々を離し――なさい!」


 水中に引きずり込まれるオレを守るために、ミヨの炎が噴射。それを待ってましたと言わんばかりにアンシエは右手を炎に突き出した。


「飲み込め“忌々しきあの炎よデビルズ・メタ・ファイア”!」


 ミヨの放った炎がアンシエの右手に吸収。


「やっぱり無効化っ」


 だけど、槍が片手になった。オレは強引に刀を引き抜いて、水をカット。原力で出来た水なら、斬るだけなら容易い。

 オレは水中から手を出して、ミヨの名を叫ぶ。


「ミヨ!」

「分かったわ!」


 オレの手を掴んで、ミヨが水中から救出してくれた。息を吐く間もなく、オレたちの頭上に影が広がる。


「堕ちろ、河童の川流れ“大滝壺バッシャーン”!」


 水が堕ちていく。


「ああ、もう!」


 炎で相殺を狙うミヨ。しかし、当然というようにアンシエが炎を右手で受け止め吸収。ミヨのカバーにオレが入り、槍の刺突を刀で受け止め逸らした。


 水は形を変え、凄まじい速度でそのままアンシエを運びまたも空中へ。


「能力とは何事も工夫次第だ。俺の能力がただの質量攻撃しかできないものだと高をくくったか?」

「まぁ、質量攻撃の方が強かったな。今はなんとか勝てそうだ」

「日々、またそれ適当言ってるんじゃないの?」


 オレは肩を竦めた。

 まぁ半分は適当。でも、もう半分は根拠がある。オレは声を潜めてアンシエに聞こえないようにミヨに話す。


「ミヨ、空飛べたよな。次アイツが堕ちてくるタイミングで空へ行って、挟撃をしてくれるか?」

「え、どういう意図よそれ」


「さぁ、第二波だ。まだまだ死んでくれるなよ。河童の川流れ“大滝壺バッシャーン”!」


「来た、頼むぞ!」

「ああ、はいはい。やるわよ!」


 ドン、という音と共にミヨは炎を噴射し空へと駆け上っていく。オレは目一杯深呼吸。腹を括って、刀を構える。

 確かに、アンシエはミヨの攻撃を無効にしていた。しかし、どの攻撃も右手を用いて防いでいた。だとすれば、多分その条件というのが右手で炎に触れること――だろう。挟撃をすれば。


「何度でもやってやるわ。炎海フラッシュオーバー!」

「無駄だ、無駄ァ!」


 オレへと迫るアンシエ。だが、ミヨの炎を意識するばかり、オレから視線を外した。よし、オレは息を整えて。自ら水中に入り刀を構えた。凄まじい激流が身体を打つ。押し流されないようにすることで精一杯。

 でも、それで十分だった。

 アンシエの速度は凄まじい。だが、今回ばかりはその速度が裏目に出た。あの速度では、オレから目を離したその一瞬が命取り。オレはただ、ここで刀を構えて待つだけでいい。


「はははは! 忌々しいお前を無力化するこの快感は最高だなァ!」

「ああ、全くだぜ。調子に乗ってる馬鹿を斬るのもな!」

「な、何ィ!?」


 オレはアンシエの接近に合わせ、斬撃。捉えた!


「――とでも、言うと思ったか? 素人が。お前の一撃など、防ぐことは容易い」

「マジかよっ!」


 槍がオレの刃を阻んでいた。流れて行く水。このままではまたも、アンシエを逃してしまうことになる。なら!

 オレは自ら三つ叉の槍に刃を搦めて固定。全身に力を込め、波に乗り流れて行くアンシエを逃すまいと踏ん張る。


「防がれても、テメェをまな板の上にあげたらいいんだよ、オレはな!」

「バカが、俺が水を意のままに操作できるという事実を忘れたか! 流れず、お前を捕えて窒息死だ」


 ぼふん。

 流水は停止。球状に広がりオレとアンシエを包み込んだ。だが、ヘイトは完全にオレ。チラリと、オレは視線をミヨがいるであろう空へ向ける。

 こんなことは何も言っていない。全部アドリブ。

 でも、ミヨならここで動く。そんな信頼があった。


 空気を切る、鋭い音が頭上で響いた。

 猛る炎を推進力として、重力と推進力を味方にしたミヨがアンシエに繰り出したのは――シンプルな膝蹴り。


「がっ!?」

「能力は工夫次第。アタシの能力がただの質量攻撃しかできない炎だと思った?」

 

 クリーンヒット。

 それでも速度を緩めないミヨはそのまま、炎を噴出してアンシエを水中から突き落とす。もちろん、槍を握ったオレも一緒に。

 しかし、アンシエもただでは転ばない。オレの身体を掴みミヨへ投げることで追撃を阻止。

 着地したアンシエは、僅かにオレたちから距離を取った。


「ナイスヘイト買い!」

「ああ」


 オレたちも体勢を整えてひと言交える。だが、別に事態が好転したわけではない。オレはアンシエに反撃の隙を与えないように接近。刀を胸に突き立てる。


「はっ! 甘い。水平線“大水撃ザッバーン”!」


 滴る水が薄く、薄く伸びていく。それに合わせるように、アンシエが槍を回転させオレへと狙いを定めた。


「どちらを防ぐ?」


 槍の突きと同時に上から水の刃が落下。オレは槍の一撃を刀で弾き刀身を滑らせ一気に懐へ潜り込む。


「はっ! 水の刃に抜かれろ!」

「甘いのは、お前よっ!」


 ミヨが放った炎が水の刃を受け止めた。頭上で行われる炎と水の鍔迫り合い。肉の焼けるような音と共に大量の水蒸気が迸る。

 彼女ならオレのカバーをしてくれると信じていた。

 アンシエは槍の方向を変換。地面に突き立てたかと思えば一気に棒高跳びみたく飛び上がった。

 なるほど、炎を吸収する算段か。そんなこと、オレが許すわけがない。飛び上がったアンシエに合わせて、オレも飛翔。

 炎に向けて伸びた右手をオレは蹴り抜いた。


「おらァ!」

「なっ!」


 右手が触れなければ炎を吸収することはできない。なら、炎に触れさせなければいい。このまま、水を灼き切る。

 その前に、刀で決着がつくかもしれないがな!

 オレは刀を構え、魔物の首を目掛け横一閃。


 甲高い金属音が響けば、アンシエは槍を盾にオレの攻撃を防いでいた。

 オレがもう一度振りかぶって第二撃を加えようとした瞬間、アンシエは槍を手放し左手をフリーに。

 その左手に、炎が燻った。


「まさか――」

「返してやるよぉ! 焼死しやがれ!」


 炎が炸裂。

 視界が極光と橙色に染まった。オレは手放された槍を弾いて炎を斬った。威力は軽減できたが、それでも身体が吹き飛ばされた。


「あーっちぃーなぁ!」


 地面に手を着いて、オレは後退する身体を無理矢理固定。ここで距離を離されたらペースが相手に流れてしまう。そうなると勝機がグッと減ってしまう。

 今、この勢いで押し切らないと――。

 服の焦げた嫌な臭いが鼻を突く。


 着地したアンシエを睨めつける。奴はミヨを目指して進行していた。ミヨが水を止めている今の内に――このまま決着をつける!

 得物を手放した魔物、倒すタイミングとしては絶好だ。オレは最後の力を振り絞って駆け出した。正真正銘、最後のトライ。原力を斬るっていう刀なら、魔物の身体だって簡単に斬れるはず。つまり、どうしたって防ぐことはできない。

 オレは間合いに入り込み、刀を魔物の胴体に据えて振り抜く。


「貰ったァ!」

「チッ! 何もかも――甘ぇんだよォ“一雫ポチャン”」


 瞬間、ミヨと鍔迫り合いを演じていた大量の水が意志をなくしたように崩れ落ちミヨの炎に焼却されていく。アンシエがズボンのポケットから取り出したのは小さなペットボトル。当然、水で満たされていた。

 ペットボトルの中にある水が、圧縮されたかと思えば。一気に広がり、オレの身体に無数の穴を開けていく。


「日々!」

「グッ」


 血が飛ぶ。

 右目が抜かれる。意識が混濁していく。ぐらりと、オレは地面に倒れ込んだ。


 ――戻る意識。

 また、超直感ファンブル。場面は、丁度オレがアンシエに距離を詰めた瞬間だ。だけど、また大金星だ。

 オレは超直感ファンブルで経験したそれを再演した。


「貰ったァ!」

「チッ! 何もかも――甘ぇんだよォ“一雫ポチャン”」


 意志をなくしたように灼かれる水。ズボンのポケットからペットボトルを取り出すアンシエ。オレは刀の軌道をすぐさま変更。先んじて、オレが視た景色へ刀を振り置く。

 オレが刀を振り切れば、丁度、ペットボトルを掴んだアンシエの手首が飛び上がった。


「バカな!」

「返す太刀! 喰らえ――」

「振り抜いたのが余計だったな!」


 腹に蹴りが突き刺さった。こみ上げ、口内を酸と鉄っぽい何かが満たす。追撃の殴打がオレの頭を打ち抜いた。

 回る視界。地面を転がされるオレ。目眩と吐き気、全身が酷く痛む。


「うっ……」

「クソがァ! このオレの腕を落としやがって! だが、先に殺すのは――お前だァ! 不洞ミヨォ!」


 アンシエは飛び上がった。


「どう抵抗するんだァ!?」

「炎に決まってんでしょ!」


 炎の出力が向上。残る水を焼き尽くし、水蒸気が視界を白へと染め上げていった。

 オレは気合いで立ち上がり、アンシエのいるであろう方向を目指す。


「焼き魚にしてあげる“炎海フラッシュオーバー”!」


 白煙が一気に晴れていく。

 彼女の放った炎の熱波が煙を巻き上げ、真っ直ぐにアンシエへ狙いを定めていた。側面に移動しての攻撃。でも、ミヨの炎じゃアンシエを倒すことは――。

 オレがミヨを見遣れば、ミヨはウインク。それで、ミヨの意志が理解できた――気がした。

 オレは駆け、炎に突っ込む。

 肌が灼かれる。制服が焦げる。でも――。


 炎は瞬く間にかき消える。

 アンシエが炎を吸収したのだ。故にオレの身体は焼ききれていない。


「バカが! バカな女だ不洞ミヨ! お前の炎では俺を倒せるわけが――」

「よう」


 炎がかき消えた先にいるオレ。

 ぼとり。


「だから、トドメを譲るのよ!」

 

 魔物の右腕が落ちた――いや、斬り落とした。


「は?」


 炎は目眩まし。オレが魔物との距離を詰めることを隠すための一手に過ぎなかった。だが、アンシエはミヨに対する復讐心と炎に対する警戒心が強すぎた。

 ――だから、こうなる。

 ミヨは、オレに最高のパスを繋いでくれた。


「見せて頂戴。あの時よりも……かっこいい日々を!」

「かっこいいオレ? そんなの――」


「――いつもだろ!」


 残る全ての力をこの一振りに込める。

 刀を大きく、大きく振りかぶって。両手で握る。今、頂点に。


「ま、待て! ミヨ! 俺はお前の必要としている情報を――」

「またねェよ!」


 両断。

 見事に真っ二つになったアンシエは悲鳴すら上げることなく地に伏した。同じく、地面に転がり込むオレ。

 もう指一つすら、動かせそうもなかった。


「三枚卸し、やっぱわっかんねぇや」


 空になった大水槽。その中央に寝っ転がって、オレは呟いた。ステージの隙間から、晴れ間が差し込んでいた。どうやら、雨もあがったらしい。

 勝ったと思ったら、途端にオレの意識は黒に塗れていった。


 ◆


「ん……」


 ぼやけた視界は小刻みに震えていた。

 いつもより、少しだけ低い視界と眼前に広がる茶色の髪で……オレが背負われているのだと気がついた。ん、背負われてる?


「って、ミヨ!」

「ああ、気がついたのね」

「なんでオレを背負ってるんだよ」

「あら、水族館に放置して欲しかったの? そんなボロで?」

「それはそうだけどさぁ……つーか、意識戻ったし降ろしてくれよ」

「どうせ動けないでしょ。黙って背負われてなさいよ」

「……はずいし」

「なんか言った?」

「……分かったよ」


 渋々オレは承諾。

 ミヨが言う通り、オレの身体は石にでもなったように動かなかった。だから、オレはミヨに身体を預ける。(凄く恥ずかしいけど)

 あの水族館からも抜け出せたらしい。水族館と言えば……。


「結局、水族館にオレたちを閉じ込めたのは誰だったんだろうな?」

「さぁ。少なくともアンシエじゃないことは確実ね」

「ってことは、あいつに協力者がいたってことだよな?」

「しかも、加勢もせずに見捨てて能力を解除するような協力者がね」

「……」

「ま、そんなことは今考えても仕方ないわ。今は勝てたことを喜びましょ」

「――だなァ」


 正直、この身体の状態じゃまともな思考だってできそうもない。

 沈黙がオレたちの間に流れた。そうだ、オレはミヨに聞きたいことがあったんだ。


「なぁ、ミヨ。良かったのか?」

「何が?」

「トドメをオレに譲ったことだよ。あんなに倒したいって息巻いてたじゃん」

「――ああ、それね」


 ミヨは穏やかに頷く。その表情は、今までオレが見た彼女の表情の中でも一際優しいもので、憑きものが落ちたみたいだ。


「うん。今までのアタシはさ。ずっと、アンシエをこの手で殺せたら――この胸の痛みも消えると思ってたの。でもさ、やっぱり違うかったよ」


 立ち止まって、ミヨはゆっくりと話し始めた。


「痛いし、悲しいし、後悔だって何一つ消えてない。きっとアタシはアンシエに責任をなすりつけてたんでしょうね。だから、これを機に自分と向き合うことにするわ」

「そっか」

「――っていうのは建前。ホントはね、日々になら仇を取られてもいいなって思えたから。かなぁ」

「どういうことだよ、それ」

「――さぁね」


 ふふ、と笑ってミヨは再び歩き始めた。折角だから、オレはもう一つ質問を続ける。


「目的は達成したんだろ? じゃあ、魔物を狩るのはやめるのか?」

「それなんだけどさ」

「ん?」

「アタシも、日々の理由を貰ってもいいかしら」

「――ったり前だろ」


 オレの返事を聞いてミヨが嬉しそうに首を縦に振った。


「ありがと! 改めてよろしくね! 日々!」

「おう、こっちこそよろしくなミヨ――って、背負われたままじゃカッコつかないなぁ」

「……かっこよかったわよ」

「今、なんてった?」

「なーにーもー!」

「言っただろ、かっこ、なんとかってさぁ~?」

「言ってないわよ、燃やすわよ! 顔を!」


 なんてワーキャー言い合いながら、ミヨはオレを自宅まで送り届けてくれた。

 今日、多分オレは初めての友人を得た。

 それが町を守るっていうことの、報酬にも思えた。


 第1章 炎と刀の魔物退治<了>

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