第4話 座学と座敷

 目を開けたら、見慣れた天井がそこにはあった。

 多分自宅だ。確か、意識を失う前は――炎、魔物、女、子供。断片的に様々な情報が頭を過ぎ去って行った。

 オレは身体を起こして、両腕を伸ばす。痛みは……あんまり残ってない。ちょっとした不自然さを身体に感じはするものの、不調とは言い切れない。そんな感じ。


「つーか、これマイさんの部屋だな」


 オレはベッドから降りる。

 一体誰がオレをここまで運んだんだろうか。そんな当たり前の疑問を抱いたところで、ぐぅ~と腹が鳴った。


「――腹減ったなぁ」


 あまりにも腹が減った。同時に喉が渇いていることにも気づく。

 そうなったら、オレの本能が飲食物を求めてそれ以外の思考をシャットアウト。両脚がもうオレのものではないように動く。

 部屋を出て、階段を降りてリビングを目指した。


「……?」


 リビングの扉に手をかけたところ。

 中から聞こえるはずのないバラエティー番組の音が聞こえてきた。扉を開けようとする手が止まった。


 オレ以外の誰かがこの家にいるはずがない。

 じゃあ、誰が?

 オレの頭の中にあり得もしない可能性が過る。もしかして、マイさん?


「……」


 オレは息を整えた。そんな訳ない。分かっている。でも、期待せずにはいられなかった。いつものようにリビングからは明かりが漏れている。

 家庭の温かさ、というものが多分扉の先にはあった。だから、オレは意を決して扉を押し開ける。リビングから漏れてくるのは料理の香り。

 やっぱり――。


「マイさん――!」

「ん、ようやく起きたのね」

「……」


 リビングで一人座って味噌汁と卵焼き、ハム、白米を食べていたのは炎女だった。

 分かってはいたさ。マイさんはもういないって。でも、ちょっとだけ期待してしまった反動が思いの外大きくて……オレはがっくりと肩を落とした。


「だよなぁ……マイさんが料理なんてできるはずねぇもん」

「ちょっと何、今凄く失礼な人と勘違いされなかった? アタシ」

「つーか、お前が何で家にいるんだよ。朝食も食って、テレビも見て、ホテルかよオレの家!」


 オレは人差し指を向けて炎女を指さした。

 オフィス街で出逢った時とは見た目がやや変わっている。長い真紅の髪は短い茶髪になってるし、派手だった衣装はオレの通う学校と同じ制服になっていた。

 いや、そんな見た目の変化はどうでもよくて。オレが知りたいのは、どうして炎女がここにいるかってことだ。

 炎女は肩を竦めて、露骨にため息を吐いてみせる。


「あのねぇ……誰が倒れたお前をここまで運んで、誰が朝まで介抱したと思ってんのよ。これくらいお駄賃に決まってるじゃない。映え映えスポット巡りも、夜の配信もぜーんぶ捨てて、お前のために時間使ってやったんだからね?」

「……それは、その、ありがとう」


 立ち上がって、一気に詰め寄り箸をかんかんと鳴らす女。

 その勢いに押されてオレはただ感謝の言葉を伝えることしかできなかった。分かればよし、とオレの返事を聞いた彼女が頷いた。


「傷の治りも早くて驚いたけど、元気みたいで何より。あ、アタシは不洞ミヨ」

「ミヨか。オレは亜月日々だ。よろしくな」

「よろしくするかは分からないけどね」


 さらりと踵を返して席に戻るミヨ。

 オレはともかく、喉の渇きを癒やすためにキッチンへ移動。冷蔵庫から水を取り出して、朝食用にと買っていた食パン二枚を手に取った。

 ともかく、今は食べられたら何でもいい。本当は焼いた方が美味しいんだけど、それを待つのもめんど――。

 あ。

 オレはミヨの対面に座って二枚の食パンを彼女に突き出した。


「なぁ、ミヨの炎で食パンを焼いてくれよ。カリカリに」

「まずはお前の顔を灼き切ってあげようかしら……。そもそも、アタシが燃やしたら灰になるけど、それでいいの?」

「あー、じゃあいいや」


 いい案だと思ったんだけどな。

 と、オレは食パンを食べて水で押し流していく。うん、旨い。


「そうだ。色々聞きたいことあるんだけど」

「でしょうね。アタシも日々に色々と話したいことがあったのよ」


 ミヨは人差し指をぴんと立てる。

 真っ直ぐとオレを見据えたミヨ。妙に緊迫した空気がオレたちの間に流れた。


「そもそも、日々は何も知らなさすぎるわ。どういう経緯で野良になったの?」

「野良?」

「そこからかー……」


 首を傾けてオウム返し。呆れたようにミヨがため息を吐いた。


「基本的にアタシたちみたいな――まぁ、不思議な力を使える人は二種類に分けられる。まず、私たち人間」

「うん」

「次に、異形の者たち――魔物」


 人差し指と中指を立てるミヨ。

 彼女の説明をオレは素直に聞き続ける。


「で、人間の能力者は大抵一つの組織に所属してるの」

「組織?」

「そう。スミタ民間警備会社――通称、スミケイ。名前くらいは聞いたことあるでしょ?」

「ああ、CMもバンバン出してる大企業だよな」


 そう。と、ミヨが頷く。

 そんな大企業の名前が出てくるとは思わなかった。オレはミヨの次の言葉を待つ。


「――表向きは文字通り民間の警備会社だけど、裏は国と協力して魔物を狩る能力者の警察みたいなもんよ」

「あ」


 合点がいった。

 マイさんはスミケイに所属してたんだ。あー、だから政府の仕事って言っていたし、黒福はマイさんのことを警備長って言っていたのか。


「あ? ……まぁいいわ。そのスミケイに所属していない人間の能力者を野良って言うの」

「ミヨは?」

「アタシは野良よ。もちろんね」

「なんでミヨは野良なんだよ。大企業なんだろ? スミケイってさ」


 警備長らしいマイさんはこんないい生活ができるくらいだし、きっと給料も良いはずだ。能力者とやらなら、所属しない理由なんてない。


「アタシは首輪なんてまっぴらごめん。それにアタシ、めっちゃ強いもの」

「負けかけてた癖に――」

「ぐっ、それは日々もでしょ……!」


 ともかく、とかぶりを振ってミヨが話を戻した。


「アタシも日々も野良。ここまではいい?」

「まぁ、うん」

「じゃあ、次、本題よ。どうせ、プラスとマイナスも知らないんでしょ」

「電気の話か? 流石にし――」

「あったり前に違うわよ。そんな古典的なボケ、次やったら灼くわ。顔」

「……」


 ミヨの手から僅かに炎が燻った。

 それを出されるとオレはもうなんとも言えなくなってしまうな。黙って彼女の話に耳を傾けた。でも、古典的なボケだったのか、今の。


「まず、こういう能力を成立させている“原力げんりき”というエネルギーについてね」

「原力?」

「心の原動力。楽しい、嬉しい、苦しい、悲しい。そういう人や生き物が持っている想いのこと」

「へぇー」

「アタシたちは誰でも持ってるし、気づかない内にそれを使って他人に作用を与えることもある。能力者たちはこのエネルギーを意図的に扱うことができるってわけ」

「なるほどなぁ」


「基本的に原力は三種類あるとされてるわ。まず無。これは、ただのエネルギーね。パワースポットとかあるじゃない? ああいう場所は無のエネルギーを振りまいてるし、何気なく世界を巡っているものでもある」

「まずは無」

「次にプラス。楽しい、嬉しいっていうプラスの感情や想いによって引き起こされる原力。人間の能力者は基本的に無とプラスを用いて色々なことをしていくことになるわ」

「プラス」

「最後にマイナス。苦しい、辛い、悲しい。そういうマイナスの原力ね。魔物が扱うのは基本的にこれ」


 オレは頷いた。

 つまり、人間のオレたちからするとマイナスだけが仲間外れってことだな。


「人間のアタシたちは個人差があるんだけど――マイナスに耐えられる限界量がある」

「限界量を越えると?」

「体調不良から心身の異常、でも最も恐ろしいのは――堕天」

「堕天」


 確か、ミヨと初めて会った時も言っていた単語だ。


「後天的に魔物に変異してしまうことよ。昨日戦った魔物がいい例ね」

「オレたちもマイナスってのを摂取しすぎたら魔物になるのか?」

「そ。常人よりは負荷量が高いけれどね」

「マジかよ……」

「ま、そうそうなることないから安心なさい」


 そこまで話して一段落。

 オレは頭の中でミヨから伝えられた情報を整理する。原力、マイナス、プラス、魔物、堕天。初出の単語で溢れるが、なんとか飲み込めそうだった。


「それで、ミヨの炎を出すっていうのも原力を使ってやってるわけだよな?」

「そうよ。能力名を“遠き過去の灯火バックファイア”っていう能力」

「能力名……」

「別にアタシが厨二病だから! とかじゃないからね、これ! 能力名や技名があった方がイメージしやすいのよ、文句ある!?」

「い、いや、何も言ってねぇじゃん……」

「思ってたでしょ!」


 ま、まぁ。

 若干漫画とかゲームっぽいなぁって思ったけど。ノーコメントを貫いて置こう。


「原力の細かいことについては追々ね。基礎知識としてはこれくらいでいいかしら」

「そうだな、一気に色々話されてもついてけねぇーし。あんがとな」

「いいわよ。無知すぎるし、日々は」

「もう一つ、ついでに頼みたいことがあるんだけどよ」

「何?」


 オレは立ち上がって手を突き出す。


「オレと組もうぜミヨ!」

「……え?」

「あの戦い、オレもミヨも一人だとヤバかったろ? 同じ高校なんだし、協力した方がいいと思うんだよオレ」

「そ、そうではあるけど……」


 腕を組み、うーんと悩んだ様子のミヨ。彼女の実力も、知識も、オレには必要なものに思えた。だから、彼女と協力したい。


「な? いいだろ?」

「足手まといと思ったら、すぐに切り捨てるから。いい?」

「ああ、お互い様だな」

「どこがよ!」


 オレが突き出した手をミヨが叩いて交渉成立。

 丁度、テレビから八時半を伝える時報が鳴り響いた。


「あっ! もうこんな時間じゃない。今日の門番は確か桜井桜子先生だし、遅刻はできないわ!」

「現国の桜井先生か? うわ、マジか……。でも、間に合わないだろ」

「原力を使うと、身体能力も向上するのよ。っていうわけで、アタシはよゆー。んじゃ、反省文頑張りなさい」

「え、ズリー!」


 オレの抗議なんてまるで聞かず、ミヨはそそくさと家から出て行った。後片付けもオレに押付けやがった!

 遅刻はほぼ確定したが、全力で走ればワンチャンあるかもしれないのでオレも速やかに準備を整えて家を出た。


 ◆


「亜月日々くん。遅刻です」

「だ、だよなぁ……」


 両膝に手をついて、オレは浅い呼吸を繰り返した。

 全力で走ったけど、間に合うわけがない。ぴしゃりとオレに現実を突きつけた桜井先生を見上げる。

 やや蒼い髪を一纏めに結んだ、真面目な先生だ。四角い黒縁眼鏡がその真面目な雰囲気により磨きをかけている。


「ちょ、ちょっと色々あったんすけど……」

「言い訳は認められませんよ。放課後、反省文を提出してください」

「だよなぁー……」


 がっくりと肩を落として、オレは校門を通る。

 桜井先生、全然融通が利かない先生で有名だし、だからみんなあの人が門番の時はきっちり時間を守るんだけど……。


「反省文面倒臭いからなぁ」


 靴箱に靴を突っ込んで、スリッパと履き替え。

 自分の教室を目指す。そうだ、ミヨに聞きたいことがまだあった。彼女は魔物の出現位置を特定していたみたいだけど、どうやって場所を探したのだろう。

 その方法を聞いておかないと、自力で魔物が発見できない。昼休みに聞きにいくかぁ。そう考えて、オレは自分の教室に足を踏み入れる。


 キーンコンカンコーン。


 昼休みを告げるチャイムが鳴り響けば、一時間弱縛られた生徒たちが解き放たれる。

 あれほど静かだった教室には瞬く間に喧噪が満ちた。オレは財布を片手に、ミヨがいるクラスを目指した。


「あ」


 そういえば、あいつがどこのクラスにいるか知らなかった。

 オレは廊下を歩く生徒に声をかける。知っているかは分からないがダメ元だ。


「なぁ、不洞ミヨって生徒がどこのクラスかって知ってる?」

「あー、あいつか。2-3だったぜ」

「お、ありがとな」


 2-3か。上の階だな。

 真っ直ぐに階段を目指すオレ、背中からクラスの場所を教えてくれた男子生徒たちの会話が聞こえてきた。


「陰キャの日々があのヤンキーに何の用なんだろうな」

「もしかして虐められてたりして」

「ありえそー。まぁ不洞って怖いし関わらんとこ……」

「だーから、聞こえてるっつの」


 またも陰口を聞くオレ。

 しかも今回はミヨの陰口のオマケ付き。アイツ、ヤンキーか何かだと思われてるのか。まぁ、うん、目つきは悪いし態度は悪いし、炎は出るし……事実かもしれないな。

 なんて考えてる内に教室に到着。

 オレは中に入って一瞥。丁度、最後列の窓際に陣取っているミヨの姿が見えた。ヘッドフォンをして、両手をポケットに突っ込んで窓の外を眺める彼女の姿はまさしくヤンキー。周囲のクラスメイトと机の距離がうんと離れて居るのも頷ける。


 オレはそんな彼女の前に立って、机をノック。

 気怠げにオレに視線を合わせたミヨは慌てた様子でヘッドフォンを外して。


「なにしに来たのよ……」

「聞きたいことがな。いいじゃねぇーか、ぼっちで暇そうじゃん」

「暇じゃないっての。夜の配信のこと考えて――ああ、屋上行くわよ。ここじゃ話難いったらありゃしないわ」


 席からすくりと立ち上がって、ミヨはずかずかと教室を出て行ってしまった。

 呆気に取られるオレとクラスメイトたち。クラスメイトの多くがミヨに道を譲っていたあたり、あいつがクラスで避けられているのは紛うこと無き事実らしい。

 怖いもんな。気持ちはちょっと分かる。


「で、何を聞きたいのよ」


 屋上、本来なら施錠されて入れないはずなのだが入れてしまった。(多分、ミヨが細工をしているのだろう)

 賑わうグラウンドを見下ろす。楽しげな喧噪を聞き、オレはミヨに疑問を放り投げた。


「配信って何だ?」

「ぜーったいそれじゃないでしょ。聞きたいこと」

「でも気になっちまったんだ。仕方ないだろ?」

「あー、原力がマイナス、プラスに分類されるって話は覚えてるわよね」


 こうやって、凄く嫌な顔をしながらも話すのがミヨという人間だった。多分、というか絶対悪い奴じゃない。

 オレは首を縦に振って、彼女に話しの続きを促す。


「マイナスを過剰に摂取すると堕天が起きる。マイナスはストレスを溜めたり、多くの人から疎まれることでため込んでしまうことが多いわ。じゃあ、逆にプラスをため込むには?」

「マイナスの逆で多くの人からいい感情を持って貰う……?」

「そ! 多くの人に好かれたり、憧れられたり、そういうことでプラスを集めることができるの。アタシはそうやって原力を獲得してるのよ」

「それが配信ってことか」

「カグツチ焔って知ってる?」

「……なんか、有名な配信者だっけ」

「それがアタシ」

「……」

「……」


 沈黙。

 確か、カグツチ焔と言えば動画サイトでチャンネル登録者数が五十万人以上はいるらしい。(クラスメイトの話を聞いた)

 そんな凄い配信者が――ミヨ?


「嘘だろ?」

「ホントよ! 声聞いて見なさい。声!」

「……ちょっと待ってろ」


 オレはスマホを取り出して動画サイトを開く。検索して、適当な動画をタップ。


『やっほのお! カグツチ焔のゲームチャンネルへようこそ! 今日もたっぷり二時間、ゲーム配信をしていくからみんなちゃーんと萌えてってね!』

「いや、声――え?」


 オレの視線はミヨとスマホの反復横跳び。

 目の前にいるミヨはこんな可愛い声を出してはいない。でも、スマホに映る彼女の姿は確かに炎を操っている時のミヨの姿に酷似していた。


「カグツチ焔のゲームチャンネルへようこそ!」

「うわ、本物だ」

「だーかーらー! そうだって言ってんでしょ! 言っとくけど、誰にも言わないでよ」

「こんなに凄いのに?」

「こんなに凄いのに! バーチャルはリアルを隠すものなの――言ったらマジに燃やすわ。顔」

「なんでそんなに顔を燃やそうとするんだよ!」

「殺さずに一番ダメージが大きそうな場所だからよ」

「……」


 こわ。

 まぁ心配せずともオレにはミヨが配信者のカグツチ焔だって話す相手がいない。オレもしっかりぼっちだからな。


「で、本題は何?」

「あ、そうだ。魔物の見つけ方を知りたかったんだよ」

「あー……。アタシは情報屋がいるの」

「情報屋か~。オレにも紹介してくれよ」

「嫌に決まってるじゃない。情報は大切なものなんだから」

「……」

「そんな顔しなくても、連絡が来たら日々にも教えるわよ」

「さっすが!」

「そんなことよりも魔物の――」


 と、ミヨの声を遮って彼女の懐から電子音が流れた。取るわよ、と宣言してスマホを確認するミヨ。


「丁度、その情報屋からだわ」


 と、ひと言呟いてスマホを耳にあてがった。


「はい。え? 元気だけど……お昼ご飯なんてどうでもいいでしょ。何しにかけて来たのよ。はい、はい。もう切るわよ。ほんと、どうでもいいことで――それを最初に言いなさいよ! 分かったわ、場所は送って――もう!」


 スマホをポケットに突っ込んだミヨ。

 どうやら情報屋との会話は結構神経をすり減らすようだった。苛立ちを隠さない彼女の態度からそれが分かる。


「魔物が出たわ。アタシは討伐に行くけど、日々はどうする?」

「え、つっても学校は?」

「そんなことよりも魔物討伐の方が大事よ。アタシはね。別に来なくたっていいけど」


 昼休み中に学校を抜け出したのがバレたら反省文の量が増えるし、成績も悪くなる。でも――オレの生きる理由は町を守ること。

 だったら。


「もちろんオレだって」

「なら行くわよ。公王商店街の廃商店にね」


 そう言ってミヨは飛び上がったかと思えば。

 炎が彼女の身体を包み込み変身。髪は真っ赤な長いものに。制服は煌びやかなドレスに、そしてヤンキーっぽい圧が、熱気を伴った圧へ。


 そのまま、彼女は両脚から炎を噴出しさながらジェット機のように空を駆けて行った。


「え」


 もちろん……オレを置いて。


「おーい! 待てよ!」


 オレの声が届くわけもなく。オレは駆け足で階段を駆け下りていった。


 ◆


「ごめん、ごめん。そういえば日々は空飛べなかったわね」

「オレ“は”じゃなくて、普通“は”飛べねぇんだよ。普通は」

「謝ってるんだからいいじゃない。細かい男はモテないわよ?」

「大きなお世話だ」


 あの後、スマホで連絡を取ってミヨを呼び戻した。悪びれた様子もない彼女は、あははと笑みを浮かべて肩を竦める。

 オレたちが目指しているのは学校から徒歩十五分の商店街だ。公王商店街――今はもうシャッター街となった一本道。商店街を通ること自体、久しぶりだった。


「そういえば、情報屋から連絡が来る前は何を言うつもりだったんだ?」

「ああ、それね。魔物のランク付けなんて日々が知ってるわけないわよね」

「まぁそうだけど」


 魔物のランク付けなんて事実知らないけど、なんか決めつけられてるのが癪に障る。そんなオレの不満そうな雰囲気を察したのか、ミヨが茶色の髪を掻き上げて笑った。(商店街を歩くために、一度変身は解いたらしい)


「魔物にはそれぞれ一つ星から五つ星までのランクが与えられているわ。星が多くなるほど危険な魔物になるの」

「昨日倒した魔物は?」

「そうね、強く見積もっても二つ星――かしら」

「あれで?」

「そう、あれで」


 一番弱い奴と一つしか変わらないのか。あれでも相当キツかったのに……。というか。


「オレたちはその二つ星に負けかけたのか」

「アタシが含まれてるのは納得いかないけど、そういうことになるわね。とはいえ、どんなランクの魔物が相手だって、油断したらすぐに寝首をかかれちゃうわよ?」

「まぁ、それもそうか」


 魔物のランク分けについて理解したオレが、次に気になったのは今回戦う魔物について。


「そういう魔物のランクを見分ける方法はあるのか?」

「基本的には勘」

「勘かよ! アテになんねぇー!」

「そうでもないわ。日々は昨日戦った魔物を基準にすればいいじゃない」

「あいつを?」

「そう。もし、アタシがいない状態で魔物と相対した時――あいつより弱そうなら多分日々一人でも勝てる。もし同じくらいに見えるならちょっと怪しいわ。それで、あいつより強そうなら……」

「強そうなら?」

「絶対に勝てないから、逃げなさい」

「……善処はするよ」


 オレが逃げるかは時と場合による。

 そもそも、オレが絶対に勝てない相手を前にして逃げられるほどの隙を作ることができるのかが怪しい。

 だから、ミヨの忠告を素直には聞けなかった。


「……まぁいいわ」


 ジトーっとした視線がオレに突き刺さる。少しの居心地の悪さをオレが感じていると、ミヨがふと足を止めた。


「ここよ」


 彼女が見据えるのは、古びた廃商店。看板は風化しきっており、商店という二つの単語が辛うじて読めそうだった。

 白いテープか何かであらゆる窓が塞がれており、中を覗くことはできない。(覗きたくもないが)

 そんな不気味な商店を前にして、ミヨは一切躊躇することなく扉を蹴り飛ばした。


「さて、サクッと倒すわよ」


 なんて彼女が商店の中に入り込んだ瞬間。

 ミヨの姿が暗闇に飲み込まれて消えた。オレの目の前から途端に、消失したのだ。オレは数秒の沈黙の後、目を擦ってもう一度前を見る。


 ミヨの手によって豪快に蹴り飛ばされた扉と、その先に見える暗闇。


 じーっと見つめてもミヨの姿が浮かびあがることもない。

 彼女は消えてしまったのだ。忽然と。


「……マジかよ」


 明らかに魔物の仕業だ。

 そうでもなければ人が消えるわけがない。オレは竹刀袋に入れた刀を取り出して腰に突き刺した。

 ゆっくりと、息を整えて腹を括る。一歩、暗黒の中にオレは足を踏み入れた。


「……」


 瞬間、目の前の黒が切り替わり――和室のような場所にオレは居た。


「なるほどなァ、今度はこういう“能力”ってわけか」


 ぐるりと部屋を一瞥。

 およそ十畳。(畳が敷き詰められている)シミだらけの壁や天井は随分と年季が入っていた。


「クツクツクツ。ワシの居城へようこそ」


 目の前にそれが現れた。

 左右にそれぞれ三本の腕。不気味なほどに長い首。人の倍ほどはあろう身の丈の頂点にむき身の頭蓋が見え、そこから白い白い髭が寂しい頭部の代わりと言わんばかりに地面へと伸びる。

 身体は驚くほどに貧相。

 痩せぎすの身体の上から黄ばみが目立つ和服を纏う老人――否、異形。


「久方振りの客人じゃ。歓迎しよう」


 声は枯れ、小鳥のさえずりのようにか細いものだった。


 総じて吹けば飛ぶような魔物。


「……」


 でも、不思議なことにオレの頬を冷や汗が流れていった。

 その異形を下から上へ眺めてつい数分前、ミヨに言われた言葉がフラッシュバック。


「あいつより強そうなら」


 その魔物が放つ黒く、粘っこいマイナスは昨日の魔物とは比べものにならないほどの凶悪さを孕んでいた。


「絶対に勝てないから、逃げなさい」


 こいつは――強い。昨日の魔物よりも。


「なぁに遠慮はせんでよい。駄賃はその命じゃ、精々楽しんで逝け」


 六本の腕がそれぞれ別の意思を持つように動き、広がる。

 オレは刀を引き抜いて仮面を被った。自分の中でのスイッチを入れる行為。そして、魔物のペースに飲まれるように吼える。


「はっ、オレの命を支払うにしては――シケた歓迎だなァ!」


 先手必勝。

 地面を蹴って、オレは駆けた。

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