第3話 いい奴
「テメェがその魔物ってことでいいんだなァ!」
「な、な、何なんだよ、お前……アタシが魔物とか、ムチャクチャなこと言って……あー病む、Bad入るわ、マジ」
刀の切っ先を向けて、オレは女を問い質した。
露骨な舌打ち。女の鋭い視線が向けられる。女はオレの持つ刀に視線を移し、肩を竦めた。
「それがお前の能力かしら?」
「能力?」
「……は? あー、まぁそっかそっか。アタシのことを魔物なんていうような奴が、マトモなワケもないわ」
腕を組み、苛立ちを隠す様子もない女。自己解決したらしいけど、オレが小馬鹿にされてることはよく分かった。
「退いてなさい――雑魚。次は本気で灼くわよ。どーせ、アタシが魔物じゃないっつっても信じないでしょ?」
「何度やっても全部斬り伏せてやるよ。炎を出せるような奴が魔物じゃないなら、逆に誰が魔物なんだって話だろーが」
「だーかーらー……あー、もういいや」
女は両脚を広げ、両腕を開き、姿勢を落とした。
「死なない程度に灼いたげる」
女の両腕に炎が迸る。
来る!
そう思った瞬間。
ふらりと男性が立ち上がった。
「あー、もうやってらんねぇよ」
オレの隣から声が聞こえた。
絡みつくような悪寒がオレを襲う。まるで、魂そのものに悪影響を及ぼすような何か。
「なんで休日に出勤なんだよ……。ふざけんじゃねぇよ……」
「ん? どうしたんだアンタ」
「もう、こんなクソな社会が許せねぇ……。こんなゴミ会社許せねぇ……。許せねぇ、許せねぇ、許せねぇ、許せねぇ!」
「あーあ」
女の投げやりな声が混じる。
ブツブツと呪詛を振りまく男。臨戦態勢に入った女を前にしても、男に余所見をしてしまった。
男の身体はもうそこにはなかった。
いや、より精確に表現すると――男は覆われていた。何に? 黒にだ。
さっきからずっと男に集っていた黒い何か。それがもう隙間すらなく男を包み込んでいた。おびただしい数の蠅に群がれている様にも見える。
「そうだ。全部、ぶっ壊せばいいんだ」
「――っ!」
瞬間、男に集まった黒が炸裂。
視界が一気に黒に塗り替えられた。咄嗟に刀を振り上げるオレ。黒は裂ける、けれど手応えがない。
黒が過ぎ去った先に、男の姿はなかった。
「なんだ、今の」
「なんだ、じゃないわよ。ホント何なのお前! 魔物も堕天もロクに知らない素人!?」
「お前、魔物じゃないのかよ」
「最初からそうだって言ってんでしょーが!」
女の怒声に呼応して彼女の右手から炎が噴き出した。
こんな不思議な力を操る奴が人間だと思わないだろ……普通。
というか――。
「じゃあなんで最初に攻撃してきたんだよ!」
「邪魔だからじゃない! 止まれ、離れろ、アタシが何度警告してやったと思ってんのよ、あーもう病む。ホント病むわお前!」
「勝手に病んでろ」
オレは踵を返す。
あの男性が魔物となれば、オレがやるべきことは一つ。魔物をさっさと捕まえて、この手で斬り殺すことだ。
「ちょっと、どこ行くつもり?」
「追いかけるんだよ魔物を」
「あー、そう。やっぱお前――ここで死なない程度に灼いとくわ」
「は?」
女の言葉に嫌な予感がして振り返れば、視界は既に橙色に染まっていた。
オレは刀を振り上げて炎を切り裂く。真っ二つに割れる炎。しかし、炎の火力は最初のそれよりも明らかに高い。
過ぎ去って行く炎が確かにオレの肌を焼いた。
「おい、一応確認するけどよ。オレも魔物じゃねぇーぞ」
「知ってるわよ。お前が魔物じゃないことくらい」
「じゃあなんで攻撃すんだよ、もう邪魔でもねぇだろ!」
「邪魔よ、邪魔。素人が首を突っ込むんじゃないわ」
女は右の手のひらをオレへと向ける。
また炎が来る!
オレは駆けた。あの火力、まともにやりあったらオレのジリ貧は確実。なら、一気に距離を詰めて叩くしかない!
アスファルトの地面を踏み締め、オレは迷いを捨てた。
この女は魔物じゃない。
だけど、町を守ることの障害になるなら――それが誰であろうと排除する。
「何も分からねぇけど、邪魔するなら斬るぞ!」
「斬って見なさい。
女の言葉に従って、水がさざめくように女の背後から炎が溢れ出た。
ジェット音を思わせる排気音と共に炎の壁が目の前に形成される。ここは路地裏だ。こんな狭い場所じゃ、逃げ場はなかった。
炎の明るさが目に眩しい。
「しゃらくせぇ!」
オレは刀を構えて、横振り一閃。
壁を破り、生みだした隙間に滑り込むように飛び上がった。
「だと思ったわよ」
目一杯距離を詰めたオレ。
しかし、そんなオレの行動を読んでいたかのように両手を重ねた女がそこにいた。手のひらの示す先はもちろんオレ。
「かっ飛ばしなさい!
「やっば――」
置かれていた。
炎の壁はただの目眩まし。あれで自分の姿を隠すことで次の行動を悟らせないようにしていた。完全に、オレがそれを突き破って出てくることを読んでの行動。
これはマズイ。
そう思った時には既に遅く。女から発せられた灼熱はオレを捉え、そのまま吹き飛ばす。
「死にはしないでしょ。まぁ、駆け引きもできないようなダッサイ雑魚、いくら死んでも構わないけどね」
炎に呑まれて吹き飛ぶオレを見送って、女は捨て台詞を残していった。
女の姿が見えなくなる。
肌が焼かれるような感覚があった。けれど、致命傷ではない。あの瞬間、刀を構えて中心に持ったことが功を奏した。
「ぐあ!」
壁に叩きつけられて、オレは地面に落ちる。
アスファルトの焼ける臭いが妙に鼻についた。痛い。背中もそうだし、四肢が痛かった。
中心は刀で庇えたらしいが、末端はそうもいかなかったらしい。
――とはいえ。
「炎でやられた割には軽いな」
もっと酷い火傷になるかと思ったけど、そんなことは全然なかった。
「……」
どうにも、オレはあの女に加減をされていたらしい。
口ではああ言っていたが、オレが死なないように、大怪我をしないよう、精一杯気を遣ってくれたようだった。
それが。
「余計にむかつくよなぁ……」
腹が立った。
オレのことを歯牙にもかけない態度もそうだ。何よりあの反則じみた炎! 何なんだあれは。あんなの振り回されたら、誰だって勝てないだろ。
「あー、クソ」
空を見上げる。
鬱陶しいくらいに晴れ渡った空。身体が痛くて動かせる気がしない。
「まぁでも」
「町を守らなきゃなぁ……」
オレの生きる意味はそれなのだから。逆説的に町を守れないオレに生きる意味はないってことになる。
「あーでも、身体動かせねぇ。ちょっと息整えてからリベンジすっかー……」
訳が分からないくらい痛かった。
あの女……絶対一発くらいはぶん殴ってやる。顔を殴るのはちょっとアレだから、腹だ。腹を殴る。
そう思うことで、どうにかこうにか痛みをやり過ごそうとした。
「覚悟ってのは、こういうことを言ってたのかなぁ。黒福の奴」
ぼーっと空を見て、オレは黒福の言葉を思い返していた。
だんだんと痛みが落ち着いてきて、身体も少しずつ動きそうになっていく。オレはゆっくりと身体を起こす。そして、両脚に力を込めて立ち上がった。
「次は最初から――気合い入れて行くか!」
オレは仮面を手に取って、それを着用する。
こうすることで、オレは自分が修羅になれるような気がした。これを付けていたマイさんが、修羅だったからだ。そんな単純な理由でも、なんとなしに……スイッチが入ると思い込めた。
ともかく、まずは魔物を見つけるところからだな。
オレは路地裏から一歩踏み出す。
◆
「――ったく、手間取らせてくれたわね、あのバカ」
女はオフィスビルの大通りを闊歩していた。
彼女の名前は不洞ミヨ。十七歳の女子高生だった。
彼女の身につけた露出度の高すぎる赤と白のドレスが、人の注目を浴びすぎることは分かっていた。けれど、魔物を追うに当たっては避けては通れぬ道なのだ。故に歩く。
幸いにも、休日のオフィスビルは人通りが少なく――その数少ない通り人ですら、スマホとの睨めっこに夢中。
自分の珍妙な姿を他人に見られることも鬱陶しいが、今彼女を苛立たせていたのはつい数分前まで自分の手を煩わせていた意味の分からない男だった。
「あれがいなきゃ、こんな面倒なことしてないってのに……」
彼女は魔物の残した黒いエネルギー――マイナスの残り香を追うことで魔物の居場所を特定していようとした。
頭の切れる魔物になってくると、こういった痕跡をかき消す術を学習するのだが――堕天したばかりの魔物にはそういう知恵がない。
「でも」
ミヨには一つ気になることがあった。
あの男性が堕天する際、纏ったマイナスを放出して目眩ましをしていたが――。あの場で自分から逃げ切れるなんて、それだけでは説明ができなかった。
「あの一瞬の目眩ましで完全に姿を消すなんて」
とんでもない身体スペックの持ち主か、何らかの能力か。多分、後者だ。
あの場からの離脱を可能にする能力が働いた、そう考えるのが丸い。ならミヨが考えるべきなのは、相手がどういう能力を持っているのか……ということ。
「それは考えてもしかたがないことよね」
むしろ、相手の姿を想像して変な思い込みを抱いてしまうことの方が恐ろしかった。
ここでの正解はフラット。
憶測も、推測もしない。ただ、相手への警戒は怠らない。相手が堕天したばかりの――言わば赤ん坊のような相手だとしても、確実に仕留める。その心意気で十分だった。
「さてと、どうやらここに逃げてきたらしいわね」
新鮮で濃いマイナスがオフィスビルの地下、駐車場から燻っていた。確実に魔物はここにいる。
ミヨは右手に炎を宿らせて、臨戦態勢に入る。
「さてと、さっさとボコって流行りのカフェに行かなくちゃね」
カフェは十三時に閉店してしまうんだもの、と続けてスロープを降りていく。本来なら関係車両しか入ることのできない場所だが、知ったことではなかった。
「……暗いわね」
かつん。
かつん。
響くのは彼女の足音と、明かり代わりに灯した右手の炎が燃える音のみ。
コンクリートに囲まれた無機質な駐車場。休日だからか、だだっ広いスペースを無駄にしていた。
およそ、中心地にそれはいた。
生まれたばかりだからか、その見目は人間だった頃と大差はない。しかし、その肌の色は紫色に染まっている。堕天として、典型的な見た目とも言える。
内包するマイナスはそこまで。
その実力も大したことはないだろう。
「やーっと見つけたわよ」
「まずはこのクソ会社からだ――ここのクソ社長をぶっ殺して――」
「はぁ……病む。今日は無視される日なのかよ」
ミヨは腰に両手を当てる。仁王立ちの後、ため息。
まぁ相手は魔物なのだから対話をする必要はないか。ミヨはそう結論付けた。視線をチラリと右手に向ける。己の右手に宿る灯火を汲み上げていく。
ぼんっ!
というと音と共に右手に宿る火力が上がった。
「魔物が相手なら、手加減なしで楽よね。ちょっと可哀想だけど、骨も残さず灼いたげる!」
「お前も、俺をバカにしてるのか?」
魔物の首“だけ”がぐるりと回転。ミヨを見据えた。
ミヨは魔物の問いかけに否定も肯定もしなかった。その問答に意味はない。ミヨにとって大切なのは、目の前の魔物が被害を出す前に消し飛ばすことのみ。
「なら、まずは――お前で予行練習してやるよォ!」
「……」
魔物がそう猛った刹那――魔物の姿が消失した。桁違いの敏捷から目で追えなくなったわけではない。
比喩ではなく、事実としての消失。
確実に姿を消した。これが魔物の能力か。雑魚っぽい割にはいい能力を得たものだと、ミヨは密かに感心していた。
右手を強く握り締める。
感心すると同時に一つ確かなことがある。
この魔物は“ここで”確実に殺さなければならない。姿を消す能力。これがより凶悪に成長すれば――その被害は想定できなかった。
「まぁ元々、逃がすつもりはないけど」
そう呟き、ミヨは目を細めた。
能力を見極める必要がある。まず、魔物の能力は十中八九自分自身を透明化する能力だ。自分の目を盗んで、路地裏から逃げ切ったことも頷けた。ただ透明になって逃げ出しただけだったのだ。
問題は、透明の適応範囲。
音、臭い、あるいはマイナスの残り香。
それらを消すことはできるか? もし消すことができるのならば、それなりに厄介だ。
だからこそ冷静に周囲を観察した。
足音は――聞こえる。
息遣いも――聞こえる。
神経を尖らせ、待つ。魔物が自分を攻撃するその瞬間を。
ひた、ひた。
「そこね。
右手に宿った炎を切り離し、球状にして放つ。速度はそこまで。しかし、バカ正直に接近している魔物を捉えることは容易い。
虚空に炎の玉が当たったかと思えば、瞬間、爆発。爆炎に呑まれながら、魔物が再び姿を現した。当てる場所は少しズレてしまったか。
「がぁ!!!」
吹き飛び、地面を転がる魔物。
「能力は大したものだけど、活かし方がまるでなってないわね」
一歩だけ歩み寄り、ミヨは右の手のひらを魔物へと向ける。
これで王手。
この魔物が自分の能力を使い熟す前に倒せてよかった。なんて、安堵と共にミヨは自身のエネルギーを高めた。
「……クソが! バカにしやがって、許せねぇ、許せねぇ、許せねぇ!」
魔物の周囲にマイナスが溢れ始めた。
鬱陶しく醜い蠅じみたエネルギーが、瞬く間に魔物へと集っていく。
「これはマズそうね……ちゃっちゃと灼くわ!」
左手も突き出して、両手を重ねて自身の内側へと命じる。ミヨの前方の炎の波が生まれた。
バチバチと。
音と熱気が地下駐車場に満ちた。
「吹き飛びなさい――
「殺してやる、クソ女がァ!」
「
魔物の姿が消失した。
今前方を炎で埋め尽くせば、きっと魔物を殺せるはず。しかし、困ったことがある。一つが、もし魔物が前方にいなかった場合範囲攻撃を外した隙はやや致命的。そして二つ目、これが問題なのだが――魔物の能力が死んでも継続するのか、死んだら解除されるのか分からない。
この魔物の能力は厄介だ。
そうでなくても、魔物を取り逃がすなんてことは避けるべきである。
しかし、この一撃でミヨが仕損じた場合。魔物の死体をどうやって確認する?
能力は使い手が死ねば、解除されるパターンと使い手が死んでも解除されないパターンがある。魔物の能力がどちらか、彼女は全く分からなかった。
ここで死体を確認できなかった場合、ミヨはこの魔物が生きているかもしれないという可能性を抱かなければならない。
なら、一度ここは溜めておき……。魔物を確実に仕留めたと言える状態で魔物を消し飛ばすのが最適解。
ミヨのこの、ある意味悠長な判断は“あの程度の魔物であれば、今殺さなくても脅威たり得ない”という舐めた態度がかなり含まれていたことは否定できない。
それもそのはずで、ミヨの能力と魔物の能力はかなり相性がよかった。極論、魔物がどれだけ透明になろうとも、彼女の範囲攻撃で吹き飛ばせばそれで終わり。
ただ、今彼女がそれをしないのは確実に殺したという証拠が欲しいということと、周囲への物的被害を慮ってのことだった。
「……」
先程と同じように神経を尖らせて周囲を観察。
音を聞き、風の流れを感じ、些細な変化に注目した。しかし、どれだけ周囲を見ても、まるで変化は訪れない。
「まさか」
あの一瞬で、さらに能力が変異したというのか。
ああ、もう。
能力の成長なんて、漫画の主人公だけで十分だっていうのに! なんて、苛立ちと共に視線を右往左往。
がしゃん。
窓硝子が割れる鋭い音が耳をついたかと思えば、次いで聞こえてくるのは車のブザー音。次々に多くの車が割られ、ブザー音が何重にもなって駐車場にこだました。
「うっざい……!」
耳が効かない。
足音や、息遣いがこれでは聞こえない。魔物の狙いは、多分それ。
「ケヒャヒャヒャ! これで俺の位置を特定できねぇ! だろうが!」
「うっさいわね! もういいわ、ここの車の持ち主たちには悪いけど――全部まとめてぶっ飛ばすッ!」
加減も一切なく。ミヨは自分の中に燻る炎を全てぶつける勢いで汲み上げていく。
心の中の炎が、より苛烈に、より激烈に燃ゆる。
彼女が自身の炎に身を委ねる度に、駐車場の温度が僅かに上昇していく錯覚を誰もが覚えた。
「いいのかよぉ~~! そんなことしてなぁ~~! 確かに、俺も殺せるかもしれねぇけどなぁ~~!! このガキが!!! どうなっても! いいのかよ!」
「……コイツ」
魔物は片手に子供を握っていた。
マイナスに中てられて意識を失っているらしい。ミヨの熱が、急激に冷めていく。それは、膨らんだ風船が一気に萎むような勢いで……駐車場の温度そのものが落ちていった。
「あー! この衝動に身を任せる感覚……気持ち良すぎる! 女、お前は俺の身体に傷をつけた罰として、たっぷりなぶり殺してやるからなァ!」
魔物の心的醜さが露わになる度に、その身体もまた悪しきものに変化していった。
幾本もの爪が現れ、その身体は強固な鱗のようなものに覆われていく。
そんなしょぼい形態変化如き、ミヨが本領を発揮することができれば何の脅威にだってなりはしない。
けれど、ミヨが本領を発揮すればあの子供を巻き込んでしまう。
あの魔物にダメージを与える火力は、もう既に子供を殺してしまう火力。そもそも、ミヨの能力は手加減に向いていない。ピンポイント攻撃も彼女の技術では未だできなかった。
彼女の取れる選択は二つ。
子供を見捨てて、魔物を殺すか。自分の命を差し出すか。
彼女が選んだのは――。
「分かった……わ。でも、私を殺したならその子供は解放しなさい。その子は何も悪くないでしょ」
「どうだろうなァ~~。このガキも俺を使い潰したこのクソ会社に所属してる誰かのガキだろうからなァ~~! 殺さなきゃ、気が済まねぇけど、まぁお前が俺を愉しませてくれたら、考えねぇこともねぇな」
「……」
ホント、病む。
どうしてあそこで余裕ぶってしまったのだろうか。ミヨの敗因はただ一つ、侮ったこと。
この魔物が、自分を殺したからとて子供を逃がすとは考えられなかった。でも、だからといって子供を焼き殺すことなんて、ミヨにはできるわけもない。
彼女ができることと言えば、可能な限り長くあの魔物を愉しませて満足させること。魔物の言葉が遵守されるように祈ることくらい。
「はぁ……」
ため息が出た。
のそのそと、勝ちを確信した魔物はミヨに近づく。その下卑た笑みが、鬱陶しい。
既に人間ではない歪な右腕がミヨの頭上に位置した。彼女は、これから起きる最悪を覚悟して、ただその時を待つ。
「なんだ、いい奴じゃん。お前」
鳴り響く車の音に紛れて、一人の男の声が駐車場に響いた。
ミヨも、魔物もそこへ視線を集める。
そこにいたのは、西洋の騎士を思わせるような黒い仮面を被った男。丁度、先程ミヨが吹き飛ばした男と同じ服装、同じ刀を持っていた。
「よく分かんねぇけど、助けてやろーか?」
刀の切っ先を魔物へと向ける。そんな男の姿は、ミヨよりも遙かに弱いはずなのになぜか頼もしく見えた。
◆
「なんだ、いい奴じゃん。お前」
あの後、炎女と魔物をオレは探した。
ちょっとした聞き込みと(その時は流石に仮面は外した)予想でオフィス街を歩いていた時、通りがかったビルの駐車場から凄まじいブザーの音が聞こえてきた。
絶対ここだと確信したオレはスロープを降りた。そしたら案の定、炎女と魔物がいた。
大体の状況は理解できた。
炎女の攻撃は、多分あの子供を巻き込んでしまうのだろう。
だから炎女は魔物を攻撃することができないんだ。そして、魔物はそれを良いことに炎女を嬲ろうとしてる……ってところか。
まぁ、だったら。
「よく分かんねぇけど、助けてやろーか?」
刀を引き抜いて、オレは魔物へと向ける。
「なんでここにいんのよ、お前!」
「なんでって、町を守るのがオレの役目なんだよ。つーか、負けそうになってる奴に言われたくねぇ」
「状況を見なさい!」
「……」
オレは魔物、子供、炎女を見回して肩を竦めた。
状況は見た。
「状況を見たから、オレが助けてやろうかって言ってんだろーが!」
「ケヒャヒャヒャ! 自分から殺されにくるなんて殊勝なガキだなァ! おい、お前、これ以上動いたら、このガキ殺すぞ」
「ん、そうか」
オレは魔物の言葉を意に介さず一歩、二歩と踏み出して魔物へと迫っていく。
「ちょ、ちょっとお前、止まりなさいよ!」
炎女が焦ったようにオレを静止する。けれど、それも無視。
三歩、四歩、五歩。
次いで魔物が困惑したように、声を出した。
「お、お前! 俺の話聞いてたのかァ!? バカかお前、子供を殺すっつってんだぞ!」
「バカなのはテメェだろクソ野郎。殺せるもんなら殺してみろ。怒りに燃える女から、どうやってお前は身を守るんだよ」
「……ッ!」
子供を盾に命を保ってるクソ野郎。そんな簡単なことも気がつけていなかったのは呆れてしまう。
人質か、盾か。
二者択一だ。魔物が自分の命を省みず、オレと炎女に一矢報いたいと思っている場合はそうじゃないけど――命可愛さにああしている奴が、自分の生存権を自ら手放すようには思えなかった。
まぁ、どっちにしろ。
「オレは別にどっちでも構わねぇ。テメェが子供を殺そうが、オレはテメェを斬る」
「……」
オレは魔物を見据えた。
六歩、七歩、八歩。
「お前が生き延びるためにはその子供を盾にしたまま、オレとのサシで勝って、その後に女を殺すことだろーが」
「な、な、舐めやがってガキが! お望み通り、ぶっ殺してやるよォ! お前みたいなガキ一人、殺すことなんてわけねぇ!」
「やってみろよ」
九歩、十歩。
刀の間合いに入って、オレは刀を振り構えた。一歩、さらに踏み込んで刀を振り下げようとした瞬間。
魔物の姿が消えた。
「え」
「その魔物は透明化の能力を持ってるのよ! まさか、知らなかったの!?」
「……透明化!? そんなのズルだろーが!」
「音か何かを聞き分けて、対応しなさいよ!」
炎女のアドバイスが飛ぶ。
車のブザー音がノイズとなって、音なんて何一つ頼りになりはしない。
「んなことできるか!」
オレは視線を右へ左へ。
どれだけ目を凝らしても、魔物の姿なんて見えない。本当に透明化してやがる。
気を張りつめて、周囲を伺っているオレの横腹に重い何かが当たった。両脚が浮かんで、痛みを脳が感じた所で身体が勢いよく吹き飛ぶ。
「が……!」
なんとか、刀を地面に擦り付けて制動。
血が口から零れた。
「い、いてぇ……」
「ケヒャヒャヒャ! 口ほどにもねぇよなぁ!」
虚空から魔物の声が聞こえた。あークソ。狡い。透明化とか、普通ならもっと大ボスとかが持つような能力だろ……。
なんで、こんな初めての戦いで戦う奴が透明化なんだよ。
痛む横腹を押さえてオレは、前を見据えた。
一撃貰っただけで、かなり効く。
「二発目ェ!」
次は後ろから。
全く対応できず、オレは地面に倒れ込んでしまった。視界がグラつく。意識が薄れる。あーマジで、ヤバいなこりゃ。
「今ならまだ間に合う、逃げなさい!」
炎女の声が聞こえた。
逃げる、逃げるかぁ。そうは言っても、もう満足に身体を動かせそうにない。こういう時に、超直感があればいいのにさぁ。
こういう時に限って、全然出てこないんだ。
なら、自分の力でどうにかするしかない。
多分、マイさんならこんなところで音を上げない。それに諦めない。だから、オレは最後の力を振り絞って身体に力を込める。
この状況を覆す冴えたやり方が一つだけ思いついた。
「オレ、火はちょっと嫌いなんだけどよォ」
ふらりと立ち上がって、オレは逃げる。
けれど、方向は出口じゃない。壁際へ走る、走る、走る。
「ちょっと出口は逆よ!」
「お前の炎もさ、熱いし、ムチャクチャだし、理不尽だしよぉ……」
オレは立ち止まる。
目の前には壁。くるりと振り返って、正面を見据えた。
「ケヒャヒャ! 意味のない鬼ごっこは終いだなァ! これでトドメを刺してやるよォ!」
「でも、不思議と嫌いじゃなかった。んで、子供を守ろうとする姿を見て確信した」
オレは息を吐いて、その時を待つ。
「根が優しい炎だったからだ。嫌いになれなかったのはさ!」
腹に突き刺さる一撃。オレの身体は吹き飛ぶ――が、背後は壁。
「透明で見えないならよ! 攻撃に合わせてやり返すしかねぇよなァ!」
オレの身体に打たれた透明の何かを掴む。片手に握った刀をその先へ向けて構える。
「こ、コイツ、無駄なことをォ! そんなの、意味ねぇだろうが!」
オレの横腹に(恐らく)蹴りが突き刺さり、横方向へと吹き飛ばされた。刀が落ちる。身体が吹き飛ぶ。
「浅知恵、浅知恵なんだよ! ボロボロの身体で俺に致命傷なんて与えられるわけねぇじゃん!」
「だなァ」
地面に転がって、オレは魔物を見上げる。
魔物の言葉はごもっともだった。正論も正論。でも、一つ間違ってることがあるとすれば――。
「だから、トドメは譲るんだ」
ぼとり。
魔物の右腕が落ちた。
「は?」
魔物は右腕で子供を持っていた。
二度の攻撃は拳を使った打撃だった。――必然的に左腕での攻撃。
壁際へ逃げたのは背後から攻撃される可能性を消すため、そして壁に身体を受け止めて欲しかったから。
全ては、右腕で捕まえていた子供を奪い返すためだ。
オレは魔物から奪い返した子供を抱いて。炎女に最高のパスを繋いだ。
「見せてくれよ、優しさのない炎をさ」
「何よ、ちょっとかっこいいじゃない」
「――なら、望み通り見せたげるっ!」
今までの比ではないほど――熱気が渦巻く。
急激な温度の差によって生み出された風がオレの頬を撫ぜて、女の元へ集まっていく。
全ての熱気が、瞬く間に圧縮。
「ま、ま、ま! 待て! お、俺が悪かったよ。全部、全部あやま――」
「もう遅いっての……
一点に極まった炎が、煌めいた。
次の瞬間には弾けた炎が魔物を包み込み、駐車場の壁をも焼き尽くす。とんでもない火力。あんなの、人に向けたら灰すら残るか怪しい。
オレはその輝きを見届けて――初めての戦いが辛勝に終わったことを確信。流石に無理が祟ったか、オレの意識は微睡みの中へと溶けて行く。
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