閑話休題
僕の周りではよく人が死んでいる。それは僕も感じている。このエッセイがあまりに嘘っぽいのは僕の曖昧な記憶と主観で書かれているのと、死んだ人間についてばかり語っているからだ。前者は仕方ないにしろ、後者はあまり気持ちのいいことではない。
それに友人も好きな人も死んでしまってどうしてそう平気そうに生きていられるか。憤慨する正義の代弁者のような慈しみにあふれた読者もいるだろう。
でも考えてほしい。人は死ぬものだ。死んだ人はそれ以上時間が進むことはないけれど、僕たち生者には今もこれからもある。ひとときも止まることはない時間が流れ続ける。どれだけ悲しんでいてもその間ですら待ってはくれない。だから僕の周りでは死ぬまで人は死ぬ。そして死ぬまで悲しみに暮れる時間がある。
僕にとって本当に人が死ぬ時とは、生きている人間が誰もその人のことをわからなくなった時だ。どんな性格で背丈がどれくらいで、といろんなことを思い出せるようにしておけばそれで満足かと言われるとそれもまた違うけれど、忘れられるのって本当に怖いことだと思う。昔の人だってきっとそうだった。だからあんなに大きなお墓を建てた。
だからまだ死んでないから悲しくない、とは言わない。幾晩も泣いたし僕も連れて言ってくれと錯乱したこともあった。でも、僕の人生が人並みの寿命分あるのならば残りのたくさんある時間のどこかで僕の心が癒えるまで、二人には向き合うことを待っていてほしい。
僕みたいな浅学の学生が説法じみたことを言うのはお角違いだけど、僕が二人のことをどんな気持ちで書き残したのか、少しでも伝わっていれば嬉しい。
太田裕貴 黒川魁 @sakigake_sense
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。太田裕貴の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます