友人の死

朝家を出れば三時間。


そう言って僕を誘った友人は僕の前で足を滑らせて消えた。


 書いて字のごとく僕の視界からは“消えてしまった”ようにしかみえなかった。


 裏山、と呼ぶにふさわしい規模の山。ばんそうこうに少しの菓子とペットボトルを一本ずつリュックサックに詰めた僕と友人は談笑しながら順調に登っていた。


 僕にとっては久々の外出で日差しは肌を焼き、湿った土のひんやりとした感覚は安らぎを与えた。


 夏休みが終わってから一度も学校に来ていない僕にわざわざ訪ねてきた彼は小学校からの所謂腐れ縁だ。僕からは彼を遊びに誘ったことはないが彼は事あるごとに僕を誘う。彼曰く「お前がいっちゃん馬が合う。ほかは接待してる気分でなんもおもんない」そうで。かといって僕も彼に気を遣ったことはないし遣われた記憶もない。むしろ二人でお菓子を食べれば彼のほうが多く食べるし列に並べば必ず僕が後ろだ。でも、嫌な気分はちっともしない。かえって安心させてくれる。


そんな彼は今日も今日とて僕の前を歩いた。そして、僕の手の届かないところへ行ってしまった。比喩ではない。


正確には死角になっていた窪み、崖のような穴に落ちてしまっていた。人為的でないかと思うほど、注意が散漫になっていれば誰も気が付かなさそうな穴だった。咄嗟にリュックから取り出した絆創膏を握りしめ穴を覗き込んだがすぐに掌からは力が抜け、絆創膏は友人のからだの上にひらひらと落ちていった。覗き込んでももう助からなさそう、としか思えない不自然に折れ曲がった首。僕に目を合わせてくる友人の訴えかけてくる言葉は、落ちてしまう直前まで話していた「妹の大会での活躍」を自慢するもののままのようで少し綻んだままの下がった目じりが僕の心に植え付けるトラウマを軽くさせてくれた。


 ダメもとでかけた電話はあっさり警察に繋がって、僕と友人はあっさり家に帰ることができた。いや、友人は“救助”されてからしばらく警察のもとから帰れなかったらしいが一週間もしないうちに葬式があり、僕も焼香をあげた。その時には当人は少し血色のいい顔で眠っていた。首の向きも自然な曲がり方でこちらを向いている。彼の父の影響で喘息持ちだったのだから、そんなに煙を送ったら今頃きっと噎せ返っているだろうに、と無為なことを考えていればふとその父親に話しかけられた。


「雄太は、どんな死に方をしたんだ」


「足を滑らせました」


「どうしてお前は無事なのに」


「僕は雄太くんの後ろを歩いていたので」


 さんざほかの大人たちに聞かれたことだし、この父親にはとりわけ何度も聞かれている。正直くどい。僕の答えがどうであるかは関係ないのだ。ただ、受け入れきれない息子の死を誰よりも近くで見ていた僕に事実として突きつけられてその痛みとともに心に刻み込もうとしたがっているだけ。可哀そうな人だとは思うが所詮他人だ、という気持ちのほうが強い。友達への申しわけなさを抱えつつ曖昧にあしらい最後の別れを終えた。


 その日、夢枕に立った友人は葬式で見た安らかそうな作り笑顔なんかじゃなく、僕の脳に焼き付けられた半開きの口と目尻の垂れさがった柔和そうな、しかし打ち上げられた深海魚のように少し飛び出しそうになっている眼(なまこ)で僕を見つめていた。あの時の続きでも話そうとしているように口をパクパク動かしているが何も聞こえない。


 僕の体は俗に言う金縛りで、指先がかろうじて動かせる程度だった。苦しいのは彼のせいなのか、僕の心に染み付いたいわれのない罪悪感のせいなのか。僕にはわからなかったが胸が潰されるように苦しく段々呼吸が浅くなっていくのを感じながら彼の声なき言葉に耳を傾けていた。


 不思議なもので彼の言葉は目を閉じれば自然と頭に入ってくる。だから、言葉通り耳を傾けた。


「ごめんなぁ。どうしてもおまえに見せたかったんだよ。あのさ、あの山のてっぺんってさ、ここらでいっちゃん高いだろ。だから見えると思って」


 なにを、と聞こうとしたが声が出ない。というか、唇も触れたり離れたりする以上うごかない。なお続く言葉はやがてろれつが回らなくなっているようで何を言っているのか聞き取りにくい。


「あー、見るら、うまう喋れらい。もうおわりらな。えんきれやれよ」


 ふ、とこわばっていた手足から力が抜けた。金縛りが解けたのだろう。彼はもう目の前にはいないのだろうが体から苦しさが抜けない。


 一晩、開くことのできなかった両目からはぼたぼたと枯れない涙がこぼれていた。


次の日、担任に連絡を入れて放課後にそっと学校に行くと彼の机に貼ってあったはずの学籍番号が僕の机に貼られていた。


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