最終話 僕が呼ぶだけじゃ

「僕もヒートって呼ばれるのが、ずっと当たり前なんだって思ってる。地元のみんなもそう。それにね、あだ名なんてあって当たり前だと思ってるよ。なぁ、クェインツル?」


「……」


 クェインツルは、ヒートの言葉にただ首を横に振った。


「そっか」


 また、無言の空間が生まれた。耳の中にパチパチと羽音が鳴っている気がする。


 焚き火はまだ勢いを失わず、パチパチと音を立てていた。すごいねと、ヒートは感心を言葉にする。さっきまでの雰囲気から逃げるように、間を開けずに、自分の首飾りを焚き火に放る。ジッと焚き火を見つめると、やがてパチパチと火が騒ぎだした。


「この音が止んだら、くべるんだってね」


「知ってるよ。その後、首飾りかけたまま町長の所へ行って、報告。神官に祝福を貰って終りだ」


 クェインツルはポケットから紙を取り出した。

 祝福という言葉に引っかかったのか苦笑している。名前が書かれた紙をじっと見つめている。感慨がないわけない。その名が嫌いなわけじゃないはずだから。

 意味を見つけることに疲れてしまったんだろう。そんなこと、する必要ないのに。


 ……パチ。

 音の間隔がゆっくり、広くなってきた。ムワッとした炎の熱気を感じる。この炎が、クェインツルを変える。なんてあっけない。ゆっくりと、クェインツルは紙を炎へと運ぼうとした。


 ヒートは無意識にその腕を掴んでいた。


「……なに?」


 驚いた様子のクェインツルに、自身も驚いた表情で応じる。そしてヒートは、泣きたい気持ちに襲われた。もう、泣いているのかも知れない。熱気でかいた汗なのか、涙なのか、判断できなかった。

 あの、並んでパンを食べた日。君が灯してくれたくれた気持ちを伝えなくては。

 ヒートはまっすぐにクェインツルを見つめる。


「ねえ」


「なに?」


 クェインツルの反応は冷たい。そうするとこちらが諦めると頑なに信じているみたいだ。ヒートは唇を噛んだ。しかし、キッと視線を返した。


「ダメなのか? クェインツル」


「だから、なにが?」


「僕が呼ぶだけじゃ」


 ヒートの、クェインツルの腕を掴む指の力が強くなる。


「ただ無闇に邪魔してるわけじゃない。さっき、ヒートって呼ばれるのが当たり前って言ったけど、そう思わせてくれたのは、この街でそう思っていられたのは君のお陰なんだよ」


「だから? 紙を取り上げる? 破り捨てる?」


「いや……しない。できない」


「そう」


 ヒートは指の力を緩めた。


「だから、呼ぶよ。クェインツル、クェインツル。クェインツル!」


 一つ、パチッと焚き火がはぜた。

 ヒートはただ、彼の名前を呼んだ。何度も。何度も。

 

「ねぇ、クェインツル……」


 張り上げた声が、最後は情けないほどに小さくなった。掴んだ手の力も抜け、力なく落ち、クェインツルが少し腕を引くだけで離れる。

 そのことに胸が痛み、縋るようにヒートは彼の顔を見た。けれど、視線はそれでも交わらなかった。


 ……パチ。

 一瞬大きくなる炎がクェインツルの顔を照らした。ハッキリと意志を刻んだその横顔に流れるのは、汗ではなかった。


「ウルサイよ。ヒルルシャント」


 口に出したのはヒートのもう一つの名。再会してから彼はそう呼ぶようになっていた。けれど解る、それは彼自身が揺れないため。


「ゴメン。遅くなってゴメンよ、クェインツル。もっと早くまたこの街に来たら良かった。そしたら早く気づけたかも知れないのに……」


 指が震える。言ったって仕方がないことが情けなく言葉になる。クェインツルの涙の伝う横顔。ヒートは謝らずにはいられなかった。赤い赤い炎が、彼の心をどうか溶かしますようにと。


 音はとっくに止んでいた。


「……ハァ」


 震えるような溜息。クェインツルは頭を掻き、ヒートに顔を向け、困ったように笑った。


「なぁ、ヒルルシャント。今日パチパチ蜂食べちゃってさ、音が止まないんだ。うるさくてしょうがないよ。いつ、この紙をくべたら良いんだろうな?」


「クェインツル……」


 クェインツルは首飾りを高く放り投げた。


「もっと祭りを見ないといけなかったろうに……。バカだなぁ、ヒート」


 クェインツルはそう言って、ヒートを抱きしめ、静かに泣いた。


 ◇


 また、炎は騒がしくなっていた。

 出店をしていた住民が順番に自分の首飾りを焚き火にくべたからだ。

 その音にもかき消されない距離で、ヒートはクェインツルと焚き火の前に座り、話し続けていた。


「手紙、書いていたんだ。でも出せなかった」


「うん」


「ヒートが会えて良かったって言った時、お前は何も変わってなくて、自分が馬鹿みたいでさ……」


「うん」


 クェインツルは、今までヒートが知っていた彼とは違う弱々しい声で、まとまりもなく言葉を紡いだ。そんな彼に、ヒートは短く、しっかりと聞こえるように相槌を打った。


 手紙にも書いてあった取材団が、あれからも何回か来たこと。

 その度にうちに食事に来たこと。

 その後、パチパチ蜂のことで国から規制が入り、街を上げての反対運動の剣幕に、おばさんが落ち込んでいたこと。

 町長が外の文化を発信し出したこと。

 みんながそれに対して反発しなかったこと。

 周りの変化に、そして周りの変化に対する柔軟さに、自分だけが取り残されている気がしたこと。

 

 思いついた順番のままの彼の記憶。その一つ一つに、ヒートは相槌を打った。やがて空は段々と暗くなり、焚き火も小さくなっていった。

 そして夜になり、出店もすっかり片付けが終わった後、ヒートとクェインツルは泣き腫らした目に笑顔を作って、パールおばさんたちの待つレストランに帰った。

 そこにはおばさんとおじさんだけではなく、チナツ、そしてヨフ神父が待っていた。


 いま、クェインツルの気持ちは、落ち着いたように感じられる。今はヒートもそう信じられた。顔を見合わせて笑う彼の瞳には、柔らかな光が宿っている。

 けれど街が変化し営まれるように、彼もまた変化を生きていく。

 だから、これからまたきっと繰り返す。いまここで辞めても。辞めなくても。この友人はきっと自分の価値を求める時がくるだろう。

 きっと意味を探す。きっと迷う。きっと捨てたくなる。


 クェインツルは紙をヨフ神父に渡す前に、そっと胸元に当てた。

 その時何を想ったのか、本当のところはヒートには分からない。

 ただ、来年はあの花壇に、今年よりも真っ直ぐ高い大輪のヒマワリが咲くといいと、ヒートは改めて願う。

 誰も自分を疑うことなく、毎年その種を賑やかに炎に踊らせることを祈った。


 ヒートは誓う。

 また、手紙を書こう。

 そしてまた、この街に戻ってこよう。


 太陽がまた散ル頃に。


 君に会いに来よう。

 

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