第11話 あの神父
――改名の儀式。
――呼ばれない名前の意味。
二つのキーワードが反芻される。
クェインツルに、自分に何ができるのか。それは見えてこない。
教会の宿舎は、元々外来の客の宿泊を目的とした、二階建ての建物だった。小さいアパートみたいにヒートには見える。扉が八つあるから部屋は八つということだろう。中央には更に大きな扉があり、共用スペースとの行き来もできる施設のような造りにもなっていた。
町長宅で荷物を受け取り、ヒートはチナツに案内されて宿舎に着いた。教会のすぐ裏で、自分も神父もここに住んでいると彼女は説明した。
「掃除なんていまからやってたら朝になるから、今日はアタシんとこ泊まりなよ」
突然の申し出を慌てて断ろうとしたが、チナツはヒートの着替えが入っているバッグを奪い取って、自分の部屋に投げ込んだ。二階の一番左端の部屋だ。
「片づけてるから、その間にパパに挨拶しておいでよ」
「パパ……ああ、神父さんか。掃除手伝いましょうか?」
「イ・ヤ」
掌をヒラヒラとしてヒートを追い払うチナツは、もうすっかり調子を取り戻しているようだった。何を言っても聞いてもらえないだろうと判断し、ヒートは教会に向かう。
教会に入ると、タイミング良く奥の祭壇に神父が見えた。扉が開いたのに気付いた彼は、来客を迎えようとこちらに歩み寄ってくる。
今日何度目かの挨拶を口にして、神父もそれに応えた。彼はヒートが名乗るとすぐに納得した様子で、
「立派になったね」
と、皺の刻まれた日焼け顔で柔かな笑顔を作った。簡単な挨拶だけで、夕食の時にまた話そうということになった。
時間はチナツと別れてから五分程度しか過ぎていない。彼女の都合も考慮して、まだ戻るわけにもいかず、話題を探す。
「神父さん、ええと……」
「ヨフでいいよ、ヒート君」
「すみません、ヨフさんはチナツさんとどういう繋がりなんですか? パールさんの紹介だと、親子ではないと思うのですが」
「あの子はね、親が二人とも小さい時に早死にしてしまってね。私が引き取ったんだよ」
「そうなんですか……」
「明るくて良い子だろう? 幼いといったって、独り身の私が実の親ではないことなんて分かっているだろうに、今は父と呼んでくれる」
ますますヨフ神父は柔らかい表情を作り、チナツのことを語る。その雰囲気に、先ほどまでの心のモヤモヤをほぐしてもらえる気がした。
「ヨフさんは、最近のこの街をどう思いますか?」
「キミはどう感じているんだい?」
やんわりとした口調で、ヨフ神父は切り返す。ヒートの中の迷いが見透かされているようだった。
「僕……僕は、変化することが悪いとは思っていません。人は緩やかな変化の中に生きているものですから。
父は民俗学の研究で、段々と変わっていく文化や習慣を保存することが目的なのではなく、そこに籠められた意志や意味を汲み取ることを目的としています。尊敬してもいますから」
「ふむ、素晴らしいじゃないか。ならどうして迷った顔をしているんだい?
ヒート君の言うように、変化は必ず起こるもので、この街だって例外じゃない。私が子どもの時は、祭りはもっと厳粛で出店なんかなかった。
それにこの街だって、街自体が生まれる瞬間があったんだ。感じたままに動きなさい。若いんだから大丈夫さ」
「ヨフさん……」
すごく温かいものを受け取り、ヒートの胸は熱くなった。
「それにね、神の洗礼の儀式で赤毛の子どもを泣かせてしまってから、私はこの街の変化は必然だと感じているんだよ。
赤子なら泣いて当たり前だが、加護の祈りでああも嫌がる子どもを見ると、その風習に疑問を持ってしまうものだ。一度きりの事だったんだけれどね」
困ったような声音で、ヨフ神父はまた笑顔をつくった。赤毛の子どもというのは、恐らくヒート自身のことだろう。
「今思えば、あの時は父が儀式を実際に見るために、僕が十歳になる前に越して来たんだと、そう思いますよ。ひどい話ですよね」
「そうなのかい? なら私もキミのお父さんから一つ学んだことになるね」
愉快そうに笑うヨフ神父に、ヒートはなんだか少しだけ申し訳ない気がした。
「あと、ヨフさん…宿舎に泊めていただけるという話なんですが…」
「ああ、町長から聞いたんだね? 気にしなくて構わない。ちょっとした、君に対するお詫びみたいなものだよ」
「いえ…それはとても有難いのですが……」
「なんだい?」
「その…、チナツさんが、宿舎の片付けにはもう遅いからと、僕の荷物を自分の部屋に…」
「………………ヒート君」
「……ハイ」
「宿舎の共用スペースがある。夕食はそこで。先に待っていなさい……」
「……ハイ」
張り付いたように動かなくなった笑顔のまま、神父はそうヒートに告げ、足早に礼拝場をあとにした。
チナツには申し訳ないが、今夜が緊張で眠れないなんてことは、もうなさそうだった。
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