Type-One→チョコっとビターなオランジェ 〈後編〉


 文月の高校生活が始まって一週間ほど経った。


 例の二代目聖女こと尾崎青嵐おざきせいらんは親につけられた〝青嵐〟の部分を堅苦しく思っているようで、自らを『ブルー』と呼ぶように強要してくる。文月はブルーをいずれ『シックスティーンアイス』に連れてこようとしているが、ブルーには「お部屋に連れ込むなんてはしたないですわ! 仲を深めてからにしてくださいまし!」と勘違いされていた。


「おじいちゃんおかえりぃー。遅かったねぇ」


 今日も祖母と夕食を済まし、文月は七階のリビングで宿題を解いている。

 普段ならば夕食の途中で閉店作業を終えた祖父が上がってきて、夕食に参加するので、文月の言う通り今日は


「はあー」


 見ればまだピエロの衣装のままだ。その姿のままで、深くため息をつく。白塗りされた顔では真の表情は窺い知れないが、帰ってきて早々にため息をつくなんて相当だ。台所で食器を洗っていた祖母も「どうしたの?」と手を止めてリビングへ戻ってきた。


「入学式の日に、男の子にアイスを渡したろ?」

「オレンジ色の目の子?」

「そうそう」


 文月の隣に座りながら、ピエロは頭の上に乗せた帽子をテーブルの上に置く。文月はチラリと祖母のほうを振り向いた。祖母と目が合う。財政部門の担当である祖母は、祖父がその場の判断で子どもにアイスをで渡してしまう悪癖をよしと思ってない。そりゃあそうだ、売り物なのだから。その視線は「またか」と語っていた。


「昨日まで、あの子が開店時間に来てたんだよ」

「昨日まで、毎日?」


 また文月は祖母を見てしまう。何か言いたげに唇を尖らせて、うんうんと頷いてから台所に引っ込んでいった。祖父のために取り分けておいた夕食の準備に取り掛かるようだ。文月が下の階に帰った後で、祖父は叱られるのだろう。


「土日は来なかったね」


 平日は十四時に開店して二十時には店仕舞いする『シックスティーンアイス』だが、長期休み中――特に外の気温が上がる夏休み中は稼ぎどき――と土曜日曜は十時から営業している。平日の常連さんからは「ランチタイムにもやってほしい」の声も寄せられているものの、なにぶん轟源次とどろきげんじが仕入から仕込みまで一人でおこなっているので「ワンオペ経営だと厳しいねー」と断っていた。


「今日はおとうさんと一緒に、閉店間際に来たんだ」

「へえ、おとうさん」


 母親が子どもを連れて――塾や習い事の帰りだったり、夕食後のちょっとしたデザートとしてだったりで――来店することは多い。休日ならいないこともないが、平日の夜に父親と子どもの組み合わせでアイス屋さん。珍しい。父親だけなら、家で帰宅を待つ家族へのお土産として購入されることもある。子どもが小学生ならまだしも、男子中学生で男親と二人か。


「それで、そのおとうさんが『この参宮拓三さんぐうたくみに余計なを与えないでください』って言うんだよ」

「おじいちゃんのアイスを!?」


 文月が声を大きくして、祖父も「だから僕は『なんですって!』と怒ってしまったよね」と拳を震わせる。

 その対応、接客業としては赤点だろうよ。


「うちのアイスのこだわりを言って聞かせてやったら、あちらさん鼻で笑い飛ばしてさ。一万円札を投げてよこしてきたんだ」

「うわあ……信じらんない……」

「突き返そうとしたら『お代ですよ。拓三が食べたぶんのね』って言って、受け取らせようとして……その子になんか耳打ちしてさ」

「拓三くんもなんか言ってよぉ」

「何も言わずに、。ドライアイスとは比べものになんないような、冷たい目で。ブルっとしちゃったね」

「え、誰が?」

がだよ」


 祖父を?


 文月は自分の耳の穴をかっぽじってから「なんで? ……おじいちゃんはアイスをくれたなのに?」と言った。オレも我が耳を疑ったよ。


「僕にも理由はわからない。でも、僕は嫌われてしまったようだから、もう二度と来てくれないんだろうな」

「どこの学校の子だろう。詰襟で、この辺の中学だよね?」


 学校名を推理しようと、文月はケータイをいじり始める。実家との連絡のために、高校合格のタイミングで父親が買い与えたものだ。もっとも文月が連絡を取らなくとも、何かあれば祖父母から実家へ一報入れるよう、取り決められてはいるのだが。


「いや、いいよ」


 祖父は立ち上がり「よその家の教育方針に、赤の他人の僕がとやかく言えるような立場じゃないしね。専門家じゃあるまいし」と言って、ピエロの衣装を脱ぎ始めた。ピエロは文月の母親と、文月から見たら叔父の二人を育てた親ではあるが、教育専門家ではない。


「でも」


 食い下がろうとする文月を「ご夕飯の準備、できましたよ」と祖母の声が遮った。祖母には一万円のくだり、聞こえていただろうか。ワンスクープの値段を鑑みると、一万円だとお釣りが出る。拓三がおかわりしていたとしてもだ。


「切り替えていこう。な」


 ピエロの衣装を畳んで、祖父は文月の頭を撫でる。

 参宮拓三さんぐうたくみに関する話題は、ここでおしまい。



***



 オレの身の上話をしてもいいか?


 ――なあに、読み飛ばしてもらってもいいんすよ。

 本編の添え物ぐらいに思ってくれ。


 オレの名前は香春隆文。現在はこの通り、白い毛皮に包まれたでっかいオオカミの姿をしている。元々は人間、っていうか、狼男の【変身】だ。理由わけあって、オオカミの姿がデフォルトとなった。文月からは「もふもふさん」という、なんとも不名誉なあだ名をつけられてしまっているし、オオカミだって言ってんのに犬扱いされている。


 霜降伊代そうこういよに騙されて悪い研究者たちに捕まったオレの前に、気まぐれな女神が現れた。ソイツ自身が女神を名乗ったわけじゃあないけど、ちょこっと読んだことのある転生モノによく出てくる女神に似ていたから、オレの中で女神ってことにしている。


 ソイツはオレに「徳を積んだら、人生をやり直させてあげましょう」と持ちかけてきた。

 徳を積め、と言われてもオレは首輪をはめられて監視されてるのにどうすりゃいいんだよな。


「あなたは悪人正機あくにんしょうきという言葉を知っていますか?」

「なんだ、それ」

「悪人こそ、善人よりも救われるべきなのです。あなたにチャンスを与えます」


 女神曰く、天国のほうでの試験的な取り組みの対象者としてオレが選ばれたんだそうだ。オレの魂を別の世界に【移動】させて、その世界でいいことをたくさんしたら、これまでの罪は帳消しとして、自由の身にしてくれる。白羽の矢が立ったってやつだ。


 オレが何をしたって、色々――盗みもしたし、人も殺したし、いちいち覚えていないぐらい――ある。常識的に考えたら、捕まって当然。この姿に【変身】すると、破壊衝動が目を覚ますというか、どうしようもない怒りがこみ上げてくるんだ。しかも、のおまけつき。ちょっとのケガなら一瞬で治る。高いところから落ちようが、跳ね飛ばされようが無事。首と胴体が切り離されても、くっつく。


 おまけが、悪い研究者たちの研究対象となっていた。この治癒力なり再生力なりを、医療方面に転用したいんだと。お前らのほうがよっぽどひどいよ。薬のたぐいは下から排出されてしまって麻酔が効かないからって、好き放題しやがって。


「どこで何をすればいい?」

「チャレンジするのですか?」

「ここにいても、あいつらはオレを手放さないだろうしな」


 オレの返事を聞いて、女神はにっこりと笑う。

 おおよそ女神とは思えないような、下卑た笑いにも見えた。


 ミッションは至極簡単で『鏡文月かがみふづきを十八歳になるまで見守る』ことだ。みたいなものだと思ってほしい。あるいはイマジナリーフレンド。基本的には文月の左肩に手のひらサイズで座っている。二〇一二年、積み上がった徳のおかげか自分の意志で実体化できるようになった。実体化したときの大きさは、元の姿と変わらない。体長一八〇センチメートルのオオカミ。


 オレが送り込まれたのは、鏡文月が十歳の頃。

 文月の祖父、轟源次が『シックスティーンアイス』を開業させた直後になる。


 文月は最初、オレのことをだと思ってしまった。オレは女神の説明不足を恨んだ。小学校の同級生に「もふもふさんだよ!」と紹介して、友だちの輪から外されてしまう。


 学校で孤立する文月を救ったのが祖父のアイスだ。アイス屋の知名度が上がるにつれて、文月の立場も回復していった。文月が祖父になつくわけである。


 高校一年生。

 文月は十六歳になる。


 ブルーの『侵略者討伐部』で、オレの徳も積めるんじゃないかな。戦いならばオレに任せてほしい。オレがいるかぎり、文月にも不死身の回復力がある。


 天網恢々てんもうかいかいにして漏らさず。

 ――この力は、己が自由のため。

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不死身のオオカミちゃん! 秋乃晃 @EM_Akino

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