第4話 学校一の美少女から、個室で誘惑されている…⁉

 二人は、とある場所まで移動していた。


 二人というのは、玄と夕のことである。




 今ここには、幼馴染の七野加奈ななの/かなの姿はない。

 そもそも、加奈とは、ハンバーガー店で別れたのだ。


 加奈は帰り際に何かを話したがっていたが、何も伝えることなく、少々駆け足で立ち去って行った。


 彼女は振り返ることもなかったのだ。


 最後に何を言いたかったのだろうか?


 気にはなるが、何も知らない方がいいかもしれない。


 そんなことを鈴里玄すずり/くろは思う。


 そして今、有村夕ありむら/ゆうと共に別の場所に訪れていたのだ。


 現在、街中の一角にあるカラオケ店にいる。

 学生であれば、よく訪れる場所だろう。

 定番ではあるものの、学校一の美少女と一緒に来られただけでも、内心、嬉しかったりする。


 そんなことを思い、彼女と共にソファに座っていた玄は、ここのカラオケ店内の個室に入る前に、事前に持ってきたジュースを飲む。


 喉もだが、同時に心も癒されるようだった。


 もう少し、この時間が続いてほしいとさえ思う。




「ねえ、次は何を歌いたい?」

「歌いたい曲?」

「うん、そうだよ」


 玄は手にしていた、ジュースが入っているコップをテーブル上に置く。

 そして、近くにあった電子端末を手にした。


 その端末とは、個室に設置されたテレビへ、歌いたい曲を送信するための機器である。


 玄は何を歌おうかと考え込みながら、電子端末を操作していた。


 けど、今のところ、歌いたい気分ではない。


「……ちょっと、すぐには決められないし。もう少し、歌っていてもいいよ」

「えー、私が三回連続? まあ、別にいいけど。でも、クロが歌っているところも見たいかも」


 と、夕は玄に寄り添ってくる。


 距離が近い。

 そもそも六人くらいが入ることのできる個室。


 夕の体の匂いまでもが、玄の鼻孔をくすぐるのだった。

 軽い感じの香水の香りである。


 やばいだろ……。


 こんな経験をしてもいいのか?


 学校内で玄は陰キャなのだ。

 教室ですら、女の子と、ここまで密着したシチュエーションを体感したことがなかった。

 先ほどから心臓の鼓動が高まっている。

 まだ何も歌っていないのに、胸の内が熱くなっていたのだ。




 それにしても、夕は歌うのが上手かった。


 魅力的というか。

 学校での音楽の時間も、彼女の歌声を聞いたことはあった。

 その上、学校から離れているからこそ、ちょっとした色気まで感じさせるほどだ。


 夕は学校では見せない姿を晒してくれている。


 近距離で彼女とのやり取りをしながら、彼女の話し声を耳にしていた。

 ここまで幸せなことなんてない。


 横暴な幼馴染なんかより、何倍もいい。

 いや、むしろ、何千倍もいいとさえ思う。


 もっと、夕の歌声を聞いていたい。

 だから、今はまだ自分は歌わないのだ。


 本当は、歌い曲はあるが、そこは秘密のままにしていた。


「しょうがないね。じゃ、私がもう一回歌うね」


 ちょっとばかし溜息声でいうと、ソファに座っていた夕は、玄が手にしている電子端末を覗き込んできた。


「えっとね……じゃあ、この曲にしよっかな」


 夕は歌いたい曲を入力し、テレビへと送信していた。


 距離が近いって……。


 彼女が密着したまま曲を選ぶものだから、玄のドキドキ具合が収まることはなかった。


 夕が選んだ曲は今はやりの歌である。

 クラスで人気な彼女らしいと思った。






「やっぱり、加奈とは仲良くなれそうにない感じ?」


 夕は歌を終えるなり、ソファに座り直し、玄に問いかけてきた。


「それは……そうだな」


 玄はボソッと呟いていた。


 幼馴染と仲良くなるとか難しい。

 そもそも、今更、あんな意味不明な奴とよりを戻したところで、どうなるのだろうかと思う。

 もういいやと感じていた。


「あいつとは、もういいんだ。今更、どうにかなるわけじゃないしさ」


 玄は諦めた感じに言う。

 内心、面倒になっていた。


「そんなことでもいいの?」


 隣にいる彼女からの問いかけに、一瞬、ドキッとする。


「だって、昔っからの幼馴染なんでしょ? 本当にいいの?」

「……ああ」


 玄は言った。


 多少、言葉に間があったものの、頷くように返答したのだ。


もはや、加奈のことなんてどうだっていい。


 今は、そんな幼馴染よりも、夕の方へと意識がいっていた。


 しかし、このタイミングではそんなことを夕に言えるわけもなく。玄は迷い、押し黙っていた。


 今抱いている、この好きという感情はどこへ向ければいいのだろうか?


「ねえ、じゃあ、気分転換に、私と付き合ってくれない?」

「え?」


 ふと、顔を上げた。


 一瞬、何を言われたのかわからなかったからだ。


 まさか過ぎる彼女の発言に戸惑いつつ、玄は目を白黒させていた。




「付き合ってって言ったの」

「付き合う? ……有村さんと……?」

「言葉のとおりよ。ダメ?」


 夕は首を傾げていた。


 いや、ダメなわけなんてない。

 むしろ、嬉しいくらいだ。


 今は、彼女の思いを一心に受け取りたいと思っていた。


「私ね、クロと付き合ってみたいと思っていたの」

「そ、そうなんだ……」

「うん。そうだよ」


 夕は迷うことなく頷いてくれていた。


 こんなにも可愛らしい子が、こんな自分と付き合いたいだなんて。

 夢でも見ているのではないかと思う。


 それほど衝撃的。


 玄は一旦、心の中で深呼吸をしたのち、再び隣にいる彼女の方を向いた。


 夕の瞳を見ると嘘なんてない。

 透き通った眼差しをしているのだ。


 彼女は、嘘をついていないと思う。

 多分。


 陰キャな自分からしたら、そのように見えてしまったのだ。


 嘘かどうかもわからないが、これはチャンスだと思い、玄の心は高ぶっている最中だった。




 まさか、学校一の美少女と付き合えるようになるとは思ってもみなかった。


 これは運命の巡り合わせだろう。


 ほとんどモテることなく生活してきた自分からしたら、とんでもない転機である。


 これは絶対に逃がせない。


「というか、私ね……あの子より、いっぱい、クロのことを楽しませられると思うから♡」


 夕は甘い口調で言ってきた。


 彼女はさらに距離を詰めてくる。


 夕の体が、玄の方へと近づく。

 彼女の胸の膨らみが、迷うことなく接触するのだ。


 これはやばいって……。


 玄はどぎまぎしていた。


「ねえ、恋人らしいことしよ?」


 突然のことで、動揺している。

 それゆえ、ハッキリと聞き取れていなかった。


「だから、そういうことよ。恋人らしいことをするってこと。私の口から何度も言わせないでよね」


 夕は頬を紅潮させたまま、意味深な口調になっていた。


 距離感が近いことで、彼女の心と一体感が生まれているようである。


 如何わしいことだと、玄は妄想してしまう。


 ここが個室だからこそ余計に意識してしまうのだ。


 でも、ようやく好きな子と心を共有できたような気がした。

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