「私達は恩恵おんけいを拒絶する代わりに、永い命を与えられたの。でも太陽の元に出てしまえばの恩恵を得る瞬間に、得ていた命を世界に返さなくてはならない」


 だから燃え尽きるように灰になって、世界の一部にかえるのよ。


 そうささやいて彼にえていた手を空にかざした。

 地平線の近くの雲が、ふちからあかく染まっていく。

 それがあまりにもまばゆくて、指先を通して見えた空をそれ以上見ることが出来なかった。


 星が輝く群青の世界に、だんだんと重なる桃色のカーテン。

 別れをいろどる空の端には、人々が動き出す気配がする。


 私は鐘塔カンパニーネの端に立ち、朝焼けの冷えた空気を胸一杯に吸い込んだ。まるで身体の中から洗われるようで、その爽快な感覚に胸をおさえた手もかすかに震える。

 その反対側の手を握って側に立っていたユードが、そんな私を引き寄せた。私は口元を引き結んだまま、彼に少しだけ不満げに眉根を寄せてみせる。でも険しい顔を隠さないユードは、言葉にあせりの色を浮かべて太陽とは反対の空を指さした。


「今なら皆さん油断して、すきがうまれることでしょう。見つかる前に、早く逃げなさい!」

「そんなことをしたらユードはきっと、ヒトからうらまれてしまうわよ? だからと言って、本当に吸血鬼になって生きる決意も無いでしょう」


 私の言葉を聞いた彼が、目を大きく見開いて言葉を無くして押し黙る。

 見つめ合ったまま視線をユードと同じにした私は、彼の大きな手を包み込んだ。そのままじっとのぞいていると、彼はすみません、とつぶやく。


 ああ。

 何てきれいな緑の目スマラグドゥス

 の元で見ることが出来たなら、どんなに嬉しかったことか。

 それが私と同じ灰色になってしまうなんて、

 どうして耐えられることができるでしょう?

 貴方が神父として生きることに救いと安寧あんねいを見つけたのに、

 それを取り上げてしまうなんて。


「愛しているわ、ユード」


 まるで洗礼の儀式のように。

 彼の額に口づけを。


「たとえ貴方が、私を愛さないと知っていても」


 彼のたくましい腕が私を捕らえようとくうをきった。ドレスストラすそでそれを軽くあしらうと、私は逃げるように塔の端へと足を移す。


 地平線がキラキラと輝きだし、燃えるような空の色が私を包む。

「私はずっと、夜明けを貴方と見たかった」


 カンパーナんだ音が、朝焼けに燃える町に響く。

 その音は風に乗って、遥か遠くまで染み渡っていった。

 私に気がついた町のヒトが、しらせるために鳴らしたのだ。あまりにも大きなその音に、ユードは思わず両手で耳をおさえてうずくまる。


「僕は、あなたも助けたいんだ、エヴァ!」

 全てをかき消すような音に、歯を食いしばりながらユードは叫ぶ。ヒトの耳では、ここにいるだけでもつらいだろうに。私は彼の耳を両手で包み込みながら、口元をきゅっと引き結んで微笑んで見せた。


「ユードは優しすぎるのよ。だから私に好かれてしまうの。貴方の愛は神に向けられているとわかっていても、どうしても……諦められなかった……」


 私の口元を見ていたユードの瞳に、微かに哀しみの色が宿る。

 それが彼の答えだと、私はとうに知っていたの。

 神父サマとして生きる彼は、絶対に吸血鬼を愛せない。


「どうせなら、私はユードに退されたい。そうしたら、貴方の心を私が一番められるもの」


 空に金色が一筋、流れる。

 私は彼を力一杯、突き飛ばすことでその場にとどめた。

 その反動で、私は夜明けの空へと踊り出す。

 彼から奪った十字架クルクスを自分の胸にいだきながら。


父と子とイン ノミネ パトリス、エ フィリ、 精霊のみ名においてエ スピリトゥス サンクティ。もし、もしも生まれ変われるのならば。今度こその元できっと貴方に会いに行く」


 射し込むような陽の光に、全身が焼かれて崩れる感覚に襲われても。

 それでも最期の瞬間まで、ユードから目を離したくはなかった。


「愛しているわ」

 その言葉すら、燃えて流れて、消えていく。


 彼の伸ばした腕の奥で、揺れる瞳に映し出された自分の泣き顔は、彼と一緒。

 彼の記憶メモリアに刻まれながら、私は世界の一部にかえれる。


「愛しているわ。だから、ごめんね」








 朝日が照らした瞬間に、目の前で、エヴァは風に溶けた。


 その泣き顔にひざから力が抜け落ちて、彼女を救うことが出来なかった両手で、強く鐘塔の手すりをつかんだ。鐘の音はいつの間にか止んでいて、代わりに人々がここへ上がってくる足音が響く。


「好きだと伝えてしまったら、君が悲しむと思ったんだ」


 この教会に配属された日に、月の光に満たされた教会で讃美歌ヒュムヌスを捧げていた彼女。驚いて十字架クルクスかかげた僕に、少し困ったように口元を引き結んで笑って見せた。

吸血鬼ラミアでも、貴方のように神を慕うことが出来るの。その自由だけは、神父サマでも奪うことはさせないわ』

 そう言いきってみせたエヴァは、僕にはまぶしく見えたんだ。



(神父としてあり続ける僕を、君は望んでくれていたから)

 切れてしまった十字架の鎖を握りしめながら、彼女の最期を胸に刻む。目をつぶれば口元を引き結んで笑う彼女が脳裏に浮かび、その姿に背中を押されるような感覚に包まれた。


 光に誘われ顔を上げると、彼女が望んだ朝焼けの空。

 金の帯が射すように、空の世界を塗り替える。

 その消え行く星たちに、自分と彼女の願いを祈った。


「あなたがを願うなら、僕は必ず叶えてみせる」


 自分を迎えに来た人々が、鐘塔の下で集まって口々に自分の無事を喜んだ。

 だが遠巻きに見てくる者たちは自分に疑いの眼差しを向けて、糾弾の機会をうかがっているように見える。その者たちの足元には、エヴァの最期を共にした十字架がポツンと転がっていた。それを確認して周りの人々にうなずきかえしながら、その場にいる全員に届くように宣言した。


 その十字架を指差して。

 狂おしいほどの哀しみを心の中で押さえつけ、

 いつかまたこの場所で、会える時を迎えるために。



「吸血鬼は、僕が倒しました」



                  ー完ー

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夜明けの星に約束を 織香 @oruka-yuno

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