【一巡目】 (ルスside )
木の実やきのこを採取しているうちに、かなり山の下の方まで降りてきてしまっていた。
昼を過ぎ、そろそろ戻ろうかと考えていたところに聞き慣れない音がした。金属の当たる音だ。それから複数人の足音。
こんな山奥に何の用だ?
怪しげな音はこちらに向かっている。
逃げなきゃ。でも、このまま山を登ってきたら?
その躊躇いが仇となった。
「おぉ!まさか本当にこんな場所に<魔女殺しの英雄>がいるとは!」
見つかった!
バッと後ろを振り向くと、そこには何やらキラキラした豪華な服を着た壮年の男とその周りを囲む厳つい服を着た数人の青年がいた。
「あれだ。」
たった一言壮年の男が小声で言うと、青年たちが僕を囲んだ。
まずい、完全に逃げ遅れた。ここから無事に逃げられる?
カゴをぎゅっと抱え、青年を睨み付ける。
「あぁ、どうかそんなに警戒しないでほしい。私たちはただ君を迎えに来ただけなんだ。」
にっこりと胡散臭い笑みを浮かべる壮年の男。
迎えに来た?何の話?かあさんはそんな話一度もしたことない。そんなのデタラメだ。
いっそう不信感が高まり、今度はその男を睨んだ。
「そうだ、まだ自己紹介をしていなかったね。私はアストジアム・サディトリアル。サディトリアル公爵家の当主だ。君の名前を教えてくれるかい?」
僕の様子なんて気にせず、男は淡々と話し続ける。
そんな奴は知らない。かあさんからそんな名前聞いたことがない。
ずっと黙っていると、男の作り笑いが少しひきつった。
(ルスとサディトリアル家当主のやりとりが続く。その間、ルスはどうしたらここから逃げられるか考えていた。ルスが失礼な態度を取り続けたことで、当主はとうとう堪忍袋の緒が切れた。)
「……もういい。無駄な会話は終わりにしよう。」
ワントーン下がった声。
「やれ。」
その途端、僕を囲んでいた青年たちが一斉に僕に向かってきた。
伸ばされる手を何とかかわして逃げようとした瞬間、グイッと腕を強く掴まれて引っ張られた。
「痛っ!」
そのまま取り押さえられる。暴れようとするが、びくともしない。
「まったく手こずらせおって……。これだからガキは嫌いだ。これが本当に<魔女殺しの英雄>でなければ、すぐにでも殺したんだがな。」
冷徹な目で僕を見下す。その表情には、当初の穏やかな雰囲気など微塵も残っていなかった。
男の豹変ぶりにゾッとした。
「連れていけ。ただし、傷はつけるな。」
男は身を
このまま拉致されてたまるか。
僕を拘束している青年が歩き出した時を見計らって、体を大きく動かした。
僅かに青年の力が緩んだ一瞬だけ、腕が自由になる。僕は全速力で前にいた青年に体当たりした。
「何をする!」
再び腕を掴まれる。さっきよりも痛い。
僕は必死に抵抗し、その最中にその人の剣の持ち手の部分にくくりつけられていた飾りを引きちぎり、地面に落とした。
僕が逃げきるのは無理でも、きっとかあさんが助けに来てくれる。
これで、かあさんに手掛かりを残せたはずだ。
後頭部に衝撃が来た後、プッツリと意識が途切れた。
ルスが目を覚ますと、馬車の中にいた。
このまま二度宿に泊まり、三日目にサディトリアル家の本邸に着く。因みに宿では警備が厳しくて逃げ出せなかった。
イルニアの家よりも何十倍も豪華な部屋に案内される。そこは今後ルスが使う部屋だと当主は言う。
ルスはサディトリアル家の養子にされ、<魔女殺しの英雄>としてそれに相応しい力を身につけるよう言われる。
状況が全く飲み込めないルス。
<魔女殺しの英雄>とは、一般人よりも魔法の耐性があり特に殺しに長けた能力がある人間のことだ。
そんなこと知りたくもなかったし、そもそも本当かどうかも怪しい。
当主は他にも教会への所属だとか様々なことを本人抜きで進めていった。
当主が部屋を出ていってから、なんとか情報を整理して紙に書き出した。
(あと養子になることで新しい名前をつけられる。名前未定。ルスはその名前が大嫌い。便宜上ここではルス表記のまま。)
サディトリアル家は穢狩りや魔女狩りの精鋭を排出する名家。さるところから掴んだ情報によりルスが<魔女殺しの英雄>だと知り、邪悪な魔女に対抗するために彼を保護してこの家で教育する。ルスはサディトリアル家の養子とする。十五歳からは教会の魔女狩り部隊に所属し、いずれ依頼される魔女討伐の為に日々鍛練する。
ルスはイルニアの助けを待ちながら、どうにか自分でもこの家から出られないか考える。
家に返せと散々喚いているが、全く相手にされない。何度か窓から脱出を試みるが、全て失敗する。
僕が逃げ出す可能性があるからか、この部屋から出られないようになった。ドアには鍵がかかり、毎日三食の食事とお風呂(体を濡れた布で拭く程度)の時に使用人が入室する時だけ開いている。
真っ暗な部屋、大きなベッドに一人きり。ルスは寂しかった。イルニアが恋しくなり、毎晩泣いた。
「いつかかあさんが助けに来てくれる。」
ルスはそう信じていた。
しかし、待てども待てどもイルニアは来ない。
「きっとかあさんが助けてくれる。」
それはいつしか希望になり、徐々に自分に言い聞かせるようになった。
数日間経過。
ある日、当主が知らない男を連れて部屋に入ってきた。ルスの家庭教師だ。紹介だけして当主はさっさと出ていく。教師はにこやかに挨拶した。
そいつは一般教養や穢、魔女について教える。
ルスは教師を拒絶する。
僕はずっとここにいるつもりはないから、あなたの授業は必要ない。早く家に帰りたい。そう何度も訴えるが、教師は笑顔を張り付けたまま、言う。
「貴方が『使命』を果たせば、すぐにでも帰れますよ。」
『使命』。それは<魔女殺しの英雄>として魔女を殺すこと。
誰かを殺すなんて怖いしやりたくない。
でも、この『使命』を果たさないとかあさんの所に帰れない。
ずっと拒絶してきたが、ほんの少し心が揺らいだ。
「でも、魔女なんて知らない。」
「えぇ。ですから、
教師は『使命』を果たさせるよりも、まずはルスに授業を受けてもらって穢や魔女に悪感情を持たせようとした。そうすれば、自然と『使命』を果たそうという気持ちになるだろう。そう考えていた。
それから、ルスは授業で様々なことを学ぶようになった。
当主は今まで反発していたルスがようやくサディトリアル家に従うようになったのだと喜んだ。
かあさんの助けは来ない。だったら僕が早くここから出て、かあさんの所に帰ればいい。
いつしかそう思うようになっていった。
かあさんが来ないのには、きっと何か事情があるのかも。
ルスは自分に言い聞かせる。そうでないと、自分はかあさんに捨てられたんだという疑念に駆られるからだ。
かあさんは決して自分を捨てたりしない。
ルスはイルニアを信じたかった。
母への愛、信頼、希望。そして疑念、失望。
相反する感情がルスを取り巻いていた。
また、教師は慎重に、そして着実にルスに穢や魔女への嫌悪感を植え付けていった。
(そして、ここで特大の疑問が生まれる。
穢や魔女の最たる特徴として挙げられる、赤い目。
ルスはイルニアが赤い目だと知っていながら、何故か彼女が穢(魔女)だと気づかない。完全におかしい。
さて、ここの調整をどうするか……。)
しばらくすると、座学だけでなく剣術も習うようになった。ルスは剣術の授業の方が楽しかった。センスが良く、技術の習得や飲み込みも人一倍早かった。
そして、十五歳。
ルスは教会の魔女狩りの部隊に所属するが、完全に孤立している。
理由、一。
ルスは教会派筆頭貴族サディトリアル公爵家の養子であり、元平民であること。
身分社会であるセリシアン王国において、その身分はかなり微妙。
教会に所属する貴族の子息は元平民のルスが貴族でいるのが気に食わず、彼を貶したいと常々考えている。しかし養子となった彼は自分たちよりも高位の貴族であり、しかも自分の家が所属する派閥のトップである。その為下手なことはできず、ルスへの不満などをなかなかぶつけられない。
逆に平民の人たちは、下剋上を果たしたルスを羨んだり妬んだりしている。特に、養子になれた理由が<魔女殺しの英雄>であったというだけ。ただの偶然で平民から貴族になった。その事実が妬みの元になっている。
理由、二。
ルスが<魔女殺しの英雄>であること。
穢狩りや魔女狩りの部隊において、戦闘の才能は部隊内の上下関係にかなり関わってくる。その為、戦闘能力などが人一倍高い<魔女殺しの英雄>の肩書きを持つ人間は貴賤問わず妬まれる。
理由、三。
ルスが無愛想。
ルスは望んでここに来たわけではなく、『使命』を仕方なく果たすために部隊に所属した。『使命』を果たして早く(イルニアと暮らした)家に帰ることだけを考えており、教会での人間関係は殆ど気にしていない。
むしろ、何かと突っかかってきたり自分に良い印象を持っていない人しかいない為、他の人たちを嫌っている節すらある。
……そりゃあ孤立するわ。
そして十八歳になったある日、ルスに空間の魔女の単独討伐の命令が下された。
魔女の名前は伏せられた。
教会はルスの育て親が空間の魔女イルニアだと知っているから。この情報はサディトリアル家からもたらされた。教会はルスが自分の討伐対象が母親だと知ったら絶対に拒否すると考えていたから、あえて名前は伝えず。
ルスが命令を放棄しないように監視役も後からつけさせる。
酷なことをさせるよね、教会は。
何故ルスにイルニアを討伐させるのか。
答えは簡単。それがイルニアに最もダメージを与えるからだ。
人でなし!!
十五歳からのルスのイルニアへの感情がまだ確定していない。
思慕はある。これは絶対に外せない。
しかし、自分を助けに来てくれなかったことへの失望、疑念も残っている。
複雑な感情が入り乱れる。
感情が、もっと単純なものだったら良かったのに。
ルスはただ、今も昔のような幸せな生活を送りたいと思っている。
ただ、「幸せな」生活なのか「イルニアとの」生活なのかは自分でもわからない。
昔の自分はイルニアと過ごすことが幸せだった。何よりも彼女がただただ大好きだったから。
でも、今は?
勿論、今でもかあさんは好きだ。しかし、彼女に失望している自分もいる。ルスはもう無邪気に母を求める子供ではなくなった。
早くイルニアに会いたいと思う反面、それを怖く感じる。
イルニアに会ってしまったら、自分が完全に変わってしまったのだという事実を叩きつけられる気がする。まだ名前のない、心のそこにある靄のかかった感情がはっきりしてしまう気がする。
それが、とても怖い。
期待と不安が混ざりあって、変になりそうだ。
もう、昔の幸せは手に入らない。
僕は変わってしまったから。
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