ルスside

イルニアは装置に横たわり、精霊の力を制御していた。

装置は、ある意味彼女の延命装置だった。

彼女は装置の一部として馴染んでしまった。

もともと身体がボロボロだったこともあり、装置から外れれば一月ひとつきももたないだろう、と捕らえられた教皇は言った。

それでも、とルスたちは装置を破壊してイルニアを解放した。彼女はあの時僕らだけを逃がした時点で自分の死を覚悟していたから、もう楽にさせたい、と。


長きに渡る教会との戦いが終わり、ルスたちはイルニアを連れて家に戻ってきた。丘の上の、あの小さな家に。

一室のベッドにイルニアを寝かせると、ルスはしばらく二人にしてくれと頼んだ。

生気のない顔。全く動かない体。微かな寝息だけが、彼女の生きている証拠だった。

教皇は、もって一月と言っていた。でも、実際の終わりがもっと早かったら?このまま一度も目を覚まさなかったら?

ゾッと悪寒がした。あり得なくはない話だ。

一度浮かんだ想像はなかなか消えず、不安と焦りばかりが大きくなっていく。

かあさん。かあさんは、僕が眠っていた時こんな気持ちだったのだろうか。どうか、目を開けてほしい。話さなきゃいけないことがたくさんあるんだ。


雷の魔女も訪れた。魔女は驚き、悲しんだ。イルニアの頬に手を添えて彼女の名前を呟く魔女は、まさしく母親のようだった。

彼女が装置から解放された十日後、青少女がイルニアの様子を見に来たとき、彼女はゆっくり目を覚ました。

青少女は驚いてすぐにルスたちを呼びに部屋を出た。

(本当はイルニアの相手をするべきなんだろうけどね。気が動転してたしイルニアのそばを離れてたのも数十秒だから、まぁいいでしょう。多分。)


ルスたちが揃う。その顔には安堵や喜色が見てとれる。

イルニアはぼんやりと辺りを見回し、ぽつりと言った。


「ここは……。あなた達は……どなた?」


一瞬にして凍りつく空気。イルニアは精霊の力の制御という長年の負荷により記憶を失っていた。

最もショックが大きかったのはルスだった。黄青年が震える声で状況を整理するなか、ルスはいつの間にかいなくなっていた。

イルニアはすっかり身体が弱くなり、普段は車椅子を使って生活するようになった。さらにイルニアの魔力は全て無くなり、ただの人間となった。


(装置は保存の魔法が組み込まれていたが実のところそれは不完全であった。身体の老化やコントロールする力は「保存」という形でこれ以上酷くならないようにしていたが、新たな負荷に対する処置は何も考えられていなかったのだ。そのため、装置(魔法)から解放された時に今まで蓄積されてきた負荷が一気にイルニアを襲った。)


ルスは、イルニアの前に姿を見せなくなってしまった。


彼らは穏やかに暮らす。どこか寂しさを感じながら。


しばらくすると、イルニアは元の彼女らしさを取り戻していった。彼らも、全て忘れてしまったイルニアに慣れつつあった。ただ一人、ルスを除いて。

ルスだけはどうしても今の彼女を受け入れられず、イルニアから逃げてしまっていた。

ある夜、イルニアは夕食を作った。野菜がたっぷり入ったスープだった。このスープはなんだか作りやすくてね、と彼女は笑った。そして、一つだけ空いた席を見る。ルスの席だ。ルスを心配するイルニア。赤青年はルスのフォローをしつつ様子を見てくると言って途中退席。イルニアは二人の食事をとっておいた。

全員の食事が終わって夜も深くなる頃、ルスが夕食を食べに現れた。誰もいないキッチンで夕食の準備をしていると、「よう。」と声をかけられた。

驚いて振り向くと、赤青年が壁に寄りかかり呆れ顔でルスを見ていた。

「何?」

「俺もこれから晩飯なんだ。一緒に食べようぜ。」

「珍しいね。(赤青年の名前)がこんな時間に夕食なんて。」

「誰のせいだと思ってやがる。」

「誰だろうね。」

「テメエ……。……ま、いいけどよ。そんな軽口が叩けんなら。……お前が一度も姿を見せないもんだから、イルニアが心配してたぜ。もういい加減に受け入れようや。」

「……。」

黙り込むルスを横目にため息をつく赤青年。

イルニアがとっておいてくれた夕食を温め、席につく二人。

静かな食卓だった。お互い一言も話さず、ただ黙々と食べ続けた。

ルスは野菜スープに手につけた。

黄金色のスープに、色とりどりの野菜が浮かんでいる。

野菜スープ。僕の好きなもの。……かあさんがよく作ってくれた、思い出の味。

一匙すくって、口に含んだ。

……懐かしい味がした。記憶の中のスープと同じ味だった。

涙が溢れる。老夫婦のものとも、教会で食べたものとも、自分で作ったものとも違う。僕のかあさんの味だ……。

一口、また一口と食べていく。

「本当は、僕だって避けたいわけじゃないんだ。」

スープが残り半分をきった頃、不意にルスが言った。赤青年は口元が緩んだ。

「でも、どんな顔をして会えばいいかわからない。かあさん……いや、今はイルニアと呼ぶべきか。あの人には僕たちとは知り合いだったとだけ教えて、逆行のことを伝えてないだろ?説明が複雑だし、何より話が突飛すぎて信じてもらえない可能性があるから。」

「まあな。こればっかりは仕方がない。」

「ただの知り合いとして接すればいいだけなのに、どうしてもそれができないんだ。」

それからルスはイルニアに対する思いをぽつぽつと吐露していった。赤青年も残りの夕食を食べながら、彼に付き合った。


イルニアが装置から解放されて約二十日ほど経った頃、彼女は次第に眠る時間が多くなってきた。彼女は最期が近づいているのだとわかっていた。また、体を動かしづらくなった。最近は読書ばかりしている。


ある時、ルスは家でイルニアと二人きりになった。

他の人は皆外出していた。

二人はばったり会う。気まずいルスはすぐに逃げようとするが、イルニアが呼び止める。

「ルス。」

その声は、記憶の中の彼女の声と似ていた。

思わず立ち止まるルス。イルニアは再び声をかけた。

「しっかりお話ししましょう。あなたが私を避けているのはわかっているけど、私たちは一度話し合うべきよ。どうしてあなたは私を避けるのか。私はそれが知りたい。あなただって、ずっとこのままではけないと思っているのでしょう?」

ルスは唇を噛み、バツの悪そうな顔をする。

イルニアは申し訳なさそうに眉尻を下げ、小さくため息をついた。

「きっと私の失っていた記憶が関係するのでしょう?」

「それは……。」

口ごもって顔をそらすルス。

あぁ、やっぱりそうなのね。

イルニアは一呼吸おいて話し続けた。

「読んだの。自分の手記を。」

ルスはハッとイルニアを見る。

息を呑んだ。まさか、と言わんばかりの表情である。

驚きと期待、そして少しの恐怖が垣間見えた。

かあさんがあの手記を?もしかしたら、それで記憶が戻っていないだろうか?でも、もし……手記の内容を信じなかったら?

イルニアは手記を読み、僅かではあるが記憶が戻ったことを伝える。

ルスは話を聞きながら、いつの間にか涙を流していた。

イルニアは床に膝をついて泣くルスの頭を撫でた。

「良かった……。良かった……。」と小さな声で繰り返し、イルニアが眠っていた時から積もっていた想いを打ち明けた。

イルニアはルスを撫でながら静かに聞き、「ありがとう。ごめんなさいね。」と言った。

しばらくの間、ルスの嗚咽だけが聞こえた。

それから程なくして青少女たちが帰ってきた。二人の様子に驚き、イルニアから一部の記憶が戻ったことを伝えられると皆二人のもとに集まり、泣いたり喜んだり様々な反応を見せた。


そして、幸せな最後の一週間が始まった。


ルスたちはイルニアに彼女の野菜スープの作り方を教わった。軽口を叩き合いながら楽しそうに料理をする彼らを見て、イルニアは自然と笑みが零れた。

イルニアはルスたちが笑顔でいてくれて幸せだった。だから、自分の死がきっと彼らを悲しませてしまうのが辛かった。


ある晩、眠りから覚めたイルニア。月の綺麗な夜だった。そこにルスが入ってくる。ルスは夕食を下げに来たという。サイドテーブルに目をやると、そこには冷めきった夕食があった。食べようとするが、ルスに止められる。温め直すために食事を取ろうとルスがベッド近くに来たとき、ふとイルニアは訊いた。

「ルス。あなたは幸せ?」

ルスは目を見開き、すぐに穏やかな表情になった。

「うん……すごく幸せだよ。かあさん。」

そして、ルスはイルニアのベッド脇のスツールに腰掛ける。

「だから……。」

イルニアの両手をそっと手に取り、祈るように自分の額に当てる。



「だから、どうか逝かないで。」



ピクリと、イルニアの手が反応する。

「やっと、やっと、またかあさんと暮らせたんだ。これからじゃないか。みんなで、これからも……。」

涙声でそう呟く。

「ルス。」

「わかってる。」

ルスはイルニアの声に被せて言った。

「わかってる。わかってるんだよ。もうかあさんの身体がもたないことも、かあさんだって、本当はもっと……。」

これ以上、ルスは言葉を紡げなかった。胸がいっぱいで、ただ、「いかないで。」と懇願することしかできなかった。

イルニアはルスへの想いを話す。覚えている限りの記憶も、手記のことも。

ルスはそれを聞き、今度は自分のことを話した。一巡目の記憶から、今に至るまでの全てを。

二人の話は深夜まで続いた。

一度だけ青少女が二階に行ったきり降りてこないルスを呼びに行ったが、扉の奥から聞こえる話し声ににっこり笑い、静かに降りていった。



二日後。

イルニアは最後の眠りについた。

雪はすっかり溶け、柔らかい風が優しく肌を撫でる。

色とりどりの花が咲き乱れ、鳥たちは楽しそうにさえずる。

そんな、暖かい春のことだった。



────────────────────────

これで終わりです!!

ここまで読んで下さりありがとうございました!!

次にオマケ程度にルスたちが今後どんな人生を送るかがちょっぴり書かれているので、もし宜しければそちらも是非!!


いつから三人称視点になったんだろう……?( ´~`)

まあ、三人称視点はだいたいメモやね。

そして同じフレーズが何度も出てくる……。

我がボキャブラリーの貧弱さよ……。

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