第7話 ジェンダーの話を少し

 そこで伊藤氏がほんの少し間を開けると、ショーンが割り込んだ。


「その他に、宇宙ステーション滞在をすっ飛ばして直接移住惑星へ送られる人がいるという噂があるけど、誰か聞いたことないかな。」


「ああ、それは北チャイナの前の、何とかいう。なんだっけ。」と、伊藤氏は誰ともなく見回した。英語での正式な国名が思い出せないらしい。圭も思い出そうとしてみたが、出て来なかった。


「私もわからない。もう、略称でいいわよ。」とエレンが言った。


「うん。チャイナが解体した時に、凄く沢山死人が出たの、知ってるかな。

 あの時に宇宙連合の緊急避難制度のようなものが一時的にできて、何千万人も宇宙へ逃げたんだ。

 ステーション全部でも全く足りないほど膨大な数だったから、もう順化期間は省略して、じかに改造惑星へワープさせたっていう話だ。」


「それ本当?中国人の大量移住は知ってたけど、直接ワープしたなんて。」


「そういう噂だ。真実かどうかは確認のしようがない。実際にワープした人が戻ってきて証言しない限りはね。


 地球から何千万人も出て行ったこと自体は、映像で記録が残ってるけど。」


 伊藤氏の言う映像はひとつだけではなく、無数に残っていて、いろいろなアーカイブに保存されていた。

 ネット上でも見ることができる。大半はUFOが空に点々と浮いている映像と、地上に降りているUFOに向かって押し寄せる群衆の映像だ。

 撮影の仕方によってかなり違う印象があり、遠くから群衆とUFOの群れとを両方フレームに入れた映像では少し変わった航空祭のように見え、ズームで撮った映像では人々がかなりダイナミックに叫んだり、争い合う姿が映し出されていた。


 ふと気づくと、女性たちがいつの間にか揃ってキッチンに入っていた。何か新しいつまみが出てくるようだと楽しみに待っていると、大きなケーキが出てきた。


「ナナイモバーか。」とショーンが嬉しそうに言った。


「美味しそうだな。これは大作だ。作るのに時間がかかっただろう。」


「そうよ。午後いっぱいかけて、娘と一緒に作ったの。」


 女性たちが子供らの分を切り分けて、隣の部屋へ持っていこうとしているのを見て、圭は先ほどの人形のことを思い出した。


「ちょっと息子たちの様子を見てくる。」と断って立ち上がり、ケーキの皿を持った瑠香に続いて子供たちのいる部屋へ入った。


 リアに二人が悪さをしていないか尋ね、子守をしてくれていることを労った。


 昴を見ると、後ろに何か隠しているように見えた。


「何持ってるの。」


 かがんで彼の手を前に出させようとしたが、後ずさって見せようとしない。

 瑠香も歩み寄って来て中腰になり、先ほどの人形を思い出したとみえて、少し厳しい声を出した。


「見せなさい。お姉ちゃんの物を持ってるんだったら、返しなさい。」


 ママの怖い顔を見て泣きそうになった昴は、後ろに回していた手を前へ出し、キラキラ光る髪留めを見せた。

 瑠香はそれをひったくるようにして取り上げた。


「今の日本語よね。かっこいい。」とリアがのん気に言った。


「え、ええ。これ、返すね。」


 瑠香が言ったが、動揺のために「これ」までを日本語で言ってしまい、また慌てて英語で言い直した。


「もし彼がリアのものを勝手にいじったら、怒ってかまわないよ。それか、私を呼んで。」


「いいの、貸してあげたんだから。スバルは奇麗で可愛いものが好きなんだよ。」


 やっぱりそうなのか、と圭は動揺した。

 しかし何も言えずに途方に暮れていると、瑠香が言った。


「ええ、でも、この子たちは男の子でしょ。」


「ああ、そういうこと。」とリアは初めて気が付いたかのように言った。そして大人のような訳知り顔になって、請け合った。


「いいよ。ボードゲームもあるし、女の子の遊びはもうしないから、安心して。」


 リビングへ戻っても、圭は内心穏やかではなかった。


 自分はそういったことに偏見はない。

 と、それまでは思っていた。


 芸能人では定番になっているオネエに偏見はないし、動画や映画を見ている時に同性愛の登場人物が出て来ても特に嫌悪感を感じる事もない。


 日本には何百年も前から歌舞伎の女形のように、女装して女らしく振舞う男性が社会に受け入れられてきたし、その伝統を受け継いでいるかどうかは怪しいが、21世紀になってからも女装っ子だの男の娘だのと呼ばれる男性たちが常に存在していて、圭は彼等を拒否したり嫌悪したり排斥したことはない。それは確かだ。

 だが、自分の息子となると…


 うちへ帰ったら昴とよく話してみなければ。


 考え込んでいるように見えたのか、エレンが「どうかしたの。」と話しかけてきた。


「なんでもない。」


「子供たちのこと? 気になることがあったら言ってみて。」


「いや、いや、オーケーだよ。リアが遊んでくれているから。」


 いったんそう言ってから、圭はこの場に居るみんなに意見を聞いてみたらどうか、と思いついた。

 色々な国の人がいて、考え方も色々だから、彼らの視点からはどう見えるのか聞いてみれば…

 俯瞰、そう、俯瞰で見れるようになるかもしれない。


「ただ、昴が。長男のほうが、時々、女の子の遊びに興味があるような素振りを見せることがあって、ちょっと心配なんだ。」


 リアのせい、のような言い方にならないように、注意深く言った。


「よくあることだ。男の子でも、きらきらしたものに興味を持つことはある。」と伊藤氏が言った。さっきの髪飾りを見ていたらしい。


「男の子は光輝くロボットや乗り物が大好きだからね。きらきらした部品が好きなあまりに、機械工学のほうへ進むんだよ。」


 ショーンが安心させようとするかのようにそう言った。


「女の子の遊びに興味があっても、同時に男の子のおもちゃも好きなら、問題ないですよ。」と馬場さんも言ってくれたが、エレンは意見が違うようだ。


「あゆみが言うように、異性の玩具にちょっと目移りしているだけ、という可能性が大きいけど、でも、仮に本当に女の子風のものが好きで男の子の玩具が嫌いだったとしても、それを無理に変えさせるのは良くないと思う。」


 正論だ、と圭は思ったが、納得できない。


「自宅ではロボットのフィギュアかなんかで遊んでるんだろう。」と伊藤氏が言い、圭は反射的に肯定しようとしたが、できなかった。

 そんな、いかにも男の子という玩具があったかどうか、思い出せなかった。


「どうだったかな。」


「ゲームは。」


「ゲームはまだ与えていない。」


「賢いわ。ニンテンドーの類いは、運動しなくなってしまうから、小さいうちは買ってあげてはいけないのよ。」


 話がそれてきた。


 みんな口々になぐさめたり、助言をしてくれるが、なるほどと思えることを言ってくれる人はいないようだ。


 この話題を切り上げようとした時、フィルが話し始めた。


「俺も子供の頃、姉貴のお人形で遊んでた。男の子の玩具は嫌いだった。乗り物のおもちゃも、ヒーローや兵隊や戦車も嫌いだったね。」


 英語風の相槌を惰性でうってしまってから、圭は思わずフィルを凝視した。


 これってカミングアウトなんだろうか、と困惑していると、ショーンがずばりと言った。


「君は、つまり、第三の性というやつなんだね。」


「違うよ。」と、フィルは苦笑いしながら首を横に振った。


「性同一障害とか、間違った体に入ってるとか、そういうのじゃない。

 俺の場合は、かっこいいものが好きなだけなんだ。

 いかにも『これが男らしさなのだ。』みたいな、おっさん趣味の押し付けがいやなだけ。」


「ええと」とショーンは戸惑ったような様子になった。


「おっさんの押し付けって意味がよく分らないんだけど。」


「俺の美意識に特に合わないのは、色だね。黒、茶、カーキ、迷彩色。

 あんな鬱陶しい色合いばかり見てたら、うつ病になっちゃうよ。どうしてもっと鮮やかな色を使わないんだろう。」


「サッカーや何かのユニフォームは、鮮やかな色が多いだろう。」


「ああ、そっちはね。


 だけどスポーツになると、今度は、なんて言うのかな、コンセプトのダサさがあるじゃない。」


 tackyという単語は圭は良く知っていた。隣人たちが時々使っているので、最初の週に意味を教えてもらって覚えた。


「ワイルドとか、野獣のような、とか。あのプレゼンテーションがダサイよねえ。何も考えないでプレイしてる時は格好良いのにさ。」


「ああ、なるほど。本人が意識していない時に自然ににじみ出る男らしさが良いってことかな。」


「そう、かな。」


 フィルは首をかしげて考え込んだ。自分で言ってることなのに、分らなくなってしまったらしい。


「同じわざとらしさでも、女らしさを強調するっていうのは、いいんだよなあ。」と、考えながら、また話し始める。


「だってさ、金髪のロングヘアの美人の姉ちゃんは、わざとらしくこんなポーズつけてても、かっこいいだろ。」


 そう言いながら、フィルが長い脚を交差させて、映画祭などで女優がよくやるようなポーズの真似をすると、一同はくすくすと笑い始め、圭も思わずにやっとした。

 彼はさっきから座らずに立ったまま、猪口を持っていたが、それをシャンパングラスに見立て、手首を反らせて女性らしく持って見せたのだが、それがまた可笑しかった。

 そして彼がそのポーズを解いて、


「男はだめだね。男が男らしさをわざとらしくプレゼンテーションしてると、忌まわしいだけなんだよ。」と言うと、みんなどっと爆笑した。


「わかった、わかった。フィルは女性が好きすぎて、男が嫌いなんだ。男らしさまでもが嫌いなんだな。」


「んー、いや、男らしさとはどういうことかっていう定義が、さ。

 

 世間一般の男らしさというものに納得できない。もっと多様で良いと思うんだよ。


 女らしさだって、そうだろ。花柄のドレスもあれば、男性の服を真似したスーツもある。女性ファッションの方がずっと幅広くて多様だ。」


「男も多様性があってもいいという意見には賛成だけど、俺は花柄は着ないよ。」


「アロハシャツは、どう。」


「ああ、そうか。」


 ショーンは額に手を当て、やられた、という顔つきになった。


「ほら、そんなもんだろう。

 男の嗜好と女の嗜好の区別なんて、曖昧な部分が大きいんだ。

 それなのに、不自然に『らしさ』の範囲を狭めてしまうのがいけないんだ。」


「いいこと言うじゃないか。」とショーンが笑いながら言った。そして


「で、君はデザイナーかスタイリストなのかな。」と質問した。


「技術屋。農業生産の機械を開発する仕事をしている。」


「あれっ、そうなんだ。ファッション関係かと思った。」


「ファッションにもうるさいよ。高校の時はモデルやってたから。」


「幅広い才能だなあ。」と、圭は感心のあまり、つい口に出して言った。


 フィルはちらっとこちらを見て、ほめてくれて有難うと言わんばかりに、にこっとした。

 あるいは、ずっとショーンばかり話しかけてきたのに、やっと日本人が話しかけてきた、という意味合いだったのかもしれない。

 が、言葉では圭には答えず、視線をショーンに戻すと、こう言って話を締めくくった。


「お人形遊びの影響が残ってるとしたら、それだけだね。」




 その夜、帰宅したのは午前1時近くだった。


 帰る道すがら、子供たちは夫婦二人の背中で一人づつ眠っていた。

 重いほうの昴をおぶって歩きながら、圭は反省していた。


「もっと早く帰らないといけなかったな。つい話に気を取られて、時間を見てなかった。」


「仕方ないよ。あたしも、23時頃かな、なんて思ってたら、とっくに0時を過ぎてて、びっくりしちゃった。」


 何事も日本の常識とは違う。

 エレンが招待してくれた時に告げた開始時間は8時だったのに、ちゃんと始まったのは9時を回ってからだった。

 それからようやく本格的に盛り上がったのだから、午前様になるのは当然といえば当然だ。


 しかし、盛り上がっているからといってだらだらと長引くこともなく、真夜中を過ぎたところで奇麗に終わったのも、日本とは違う。


 おそらく、男性たちには女性の家にあまり遅くまで邪魔するのは失礼だという暗黙の了解があったのだろう、ショーンもフィルも「もう0時を過ぎている。」という声とともに申し合わせたように立ち上がり、皿洗いを始めた。


 圭も手伝った方がいいかと思ったが、伊藤氏に先を越された。小さなキッチンに男3人がひしめいているのを見て、割り込むのをやめ、リアのおもちゃの片づけをした。

 リアはすでに自分の寝室に引っこんで寝てしまっていて、散乱したおもちゃを片付ければ、いくらかは子守のお礼になるだろうと思った。


 瑠香と馬場さんはリビングをモップで掃き清めた。そうやってみんなで後片付けをしてから退出した。

 これが日本でのホームパーティーなどだったら、シンクからはみ出すほどの汚れた食器の山を、皆が帰った後で主催者が洗わなくてはならない。


「なんかさ、始まるまでが長くて、始まったと思ったらすぐ終わったね。」と瑠香が言った。


「だな。始まったのも遅かったしな。日本だったら、6時か7時開始で、みんな時間通りに来るよね。」


「あと、あのケーキ。」


「あれは甘かったなあ。」


「クリームも、たぶん本物だよ。」


「いや、クリームよりも、何か脂肪が凄かったぞ。バターなのか、何なのか知らないけど。」


「ああ」と瑠香はため息をついた。


 最初の出産後に太ってから、ずっとカロリーを気にしているから、今日のケーキは食べたくなかったのだろう。だからといって人が一生懸命作ってくれたものを拒絶するような失礼な真似は出来ない。


「これから移住するところも、こんな感じだったら、どうする。」


「うん?いや、別に。かえって、だらだらといつまでも飲んでいるより、良いんじゃないか。」


「そうじゃなくて、飲み会とかパーティーだけの話じゃなくて、生活の全てが日本と違うんでしょう。」


「いや、それはないだろう。本物の日本よりは開放的だけど、基本は日本人のまちだって言ってたから。」


「それが気になるんだよね。基本は、っていう表現が。」


 玄関の鍵を開けて中へ入りながら、瑠香はそう言った。


 スイッチを押す必要はなく、人感センサーの天井灯が点く。真夜中過ぎの照明が目に突き刺さるような気がした。


 ドアの前に日本のような靴脱ぎのスペースがないので、代わりに小さなラグを置いて玄関としている。そこで子供たちの靴を脱がせた。


 リビングのソファがわりの大きなクッションに座り、改めて自分たちの居住スペースを見回してみると、雑然としている。

 エレンの小奇麗に片付いた趣味の良いリビングと、いったい何が違うのだろう、と考え始める。


「なあ、うちって片付いてないよな。」


 何気なくそう言うと、それが瑠香の気に障ってしまった。


「そりゃそうでしょ、脱いだものをそこらへんに投げておくんだもん。あたしがみんなの後を追いかけまわして全部片付けないと、片付かないよ、当然。」


「いや、そういう意味で言ったんじゃなくてさ。何か他に原因があるんじゃないかと思って。家具の置き方とか。」


「そう思うんだったら、自分で気が済むように片づけてよ。」


 瑠香の物言いに少し腹が立ってしまい、言い返そうとして振り返ると、彼女の足に大地がしがみついていた。母親の片方のくるぶしを両腕で抱え込み、体は床に転がったまま、半分眠っていた。

 慌てて駆け寄り、あくまで眠っていようとする次男の重たい体を抱き上げた。


 そうだ、こんな手の焼ける男の子が2人もいる家と、女二人だけの家とを比べてもしようがない。


 圭はまた反省しながら、大地に歯を磨かせるために洗面所へ抱えて行った。

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