第6話 エレンのパーティー(後半)
そこでエレンは鬚の男性を他の人たちに紹介した。エレンと同じカナダ人であり、ショーンという名前だった。年齢はお互いに尋ねないのが礼儀だ。
ショーンは自分のことを「故郷ではホームレスだった。」と、何かのついでのように言った。
彼の軽い言い方に対し、日本人たちは全員が戸惑いを隠せなかった。
「アメリカで働いていたのよね。その会社が倒産してしまって。」とエレンが説明した。
「そう、僕は職を失って、離婚もして、子供も取られてしまった。
我ながらふがいないが、精神的なダメージに押しつぶされて、何もかもがどうでもよくなっていたんだ。」
「どのくらいの間ホームレスだったの。」と圭は尋ねた。
「半年くらいかな。
半年も道路で寝てるとね、もうその生活スタイルが絶対に変わらないような気がして来るんだ。」
「それを変えるために宇宙移住をしたんだね。」
「いいや。寒くなって来たからだ。」
聞いていた人たちは噴き出したり、口元を押さえて笑いを隠したりした。
しかし、エレンは真面目な顔で言った。
「カナダの冬は厳しいから、毎年凍死する人が出るの。宇宙連合の移住制度が始まってからは、道路で死ぬ人がいなくなったの。良いことよね。」
笑ってしまったのを反省しながら、圭はうなずいた。
「でも、申請するのに時間かかるだろう。書類をいろいろ用意するから。」
伊藤氏がそう言った。
「いや、緊急保護を利用したから、書類は何も要らなかった。」
ショーンがそう答えた時、圭は自分の耳が聞き取った英語に疑問を感じた。
書類が何も要らなかった?
そんなはずはないと思うが… 聞き間違いか?
エレンが続けて何かしゃべったが、圭はショーンの話が気になって、耳に入らなくなってしまった。エレンを遮らないように少し待ってから、質問した。
「緊急保護って、どういうシステムになってるの。」
「僕の場合は、銀色のボックスが近くに現れたから、寒さをしのぐために中へ入ったら、それが緊急保護のシェルターみたいなものだったんだ。
中へ入ってびっくりしたよ。外側はただのボックスなのに、中はものすごく奥行きがあって、一番奥に宇宙船の発着場のような巨大なホールがあった。」
ショーンはその時のことを思い出したのか、黙り込んでしまい、伊藤氏が続きを促した。
「現れた、としか言いようがない。
前日まで何もなかったところに、いや、その日の昼間は何もなかったところに、暗くなってからその銀色の立方体が立ってたんだ。色が全体にマットな銀色でなかったら、見過ごしていたかもしれない。
で、その中へ入って行くと、長い長い廊下になっていた。
外側から見るとエレベーターくらいの大きさの四角いボックスにすぎないんだよ。
なのに、中はどこまでも真っ直ぐ続く廊下があってさ…
その廊下も変な感じなんだ。
薄暗くて、照明がおかしいんだ。
視界が全体にぼんやりとしていて、霧がかかったようになっていて、物がはっきり見えない。
その廊下の突き当りのホールも、もの凄かった。
サッカーのスタジアムより大きいんじゃないかな。視界がはっきりしなかったけど、少なくともそのくらいの大きさはあったと思うよ。
そこに迷い込んだら、急に床が光り出して、移住希望者はこの中に立ってくれ、ってアナウンスが響いて、驚いて逃げてしまった。」
「え、逃げたの。」
「うん、その夜は何か、びびっちまって、入って来た方へただ走って逃げたんだ。
でも外へ出たら氷点下だ。他に入れるところがなかったから、また中へ入って、廊下を戻って、入口からの冷たい風が届かないところで寝ちまった。
中はかなり暖かかったんだよ。15℃くらいあったんじゃないかな。
次の夜は、他のホームレスが入って来て、そいつと一緒にまた大ホールへ行った。
また床が光ってアナウンスが聞こえたら、そいつも飛び上がってたよ。
でも俺は一晩考えた後だったから、床の四角の中へ入ったんだ。」
「床の四角って?」
「大ホールの床に、このくらいの大きさの」と話しながら、ショーンは長い両腕をまっすぐ横へ伸ばし、リビングの隅から、反対側の隅を指し示した。
「縦がこのくらいで、横はもう少し短い四角形が、光の線で描かれるんだ。」
それを聞いて、圭はようやく、大ホールの床全体が光ったのではなく、上からの光源か、あるいは床に埋め込まれた光源によって四角形が描かれたらしい、と理解できた。
「その四角形の中へ入れば、宇宙ステーションへ脱出できる、ということだよ。」
「つまり、それは、物質転送装置っていうこと?」
伊藤氏が上ずった声で言った。
「うーん、そうなのかな。」
「そうだよ。だって、その四角の光の中に入ったら、ここへ来たんだろう。」
「ここじゃなくて、第3ステーションだった。第3は難民用なんだ。」
伊藤氏はなおも「驚いたなあ」とか「本当だったんだ」などと独り語のように言った。
「その銀色のボックスの他にも、ホームレスが移住してくるルートがあるようだ。」とショーンの話が続いた。
「第3ステーションの住人には、俺みたいな都会のホームレスが多かったんで、挨拶代わりにどうやって来たのか訊いていた。
俺の聞いた限りでは、銀のボックスの他には、ボランティアの人や通りがかりの人が警察の代わりに宇宙連合の救急隊を呼んでくれた場合と、ホームレス用のシェルターの中には難民枠の移住申請をできるところがあって、そこから来るという、だいたいその3つのどれかだったな。」
「じゃ、何も証明書類を出さなくても移住できるんだね。」と瑠香が一瞬の沈黙を捉えて言った。
圭もまだどこかで、自分たちが税務署の証明やら何やらを発行してもらうのに時間をかけた一方で、手ぶらで好きな時に入って来れる人間がいることに納得できないでいた。
「まあね。証明書なんか、出したくても発行してもらえないしね。」とショーンが答えた。
まるで自分の考えを見透かされたような気がして、圭はまた、自分の寛容の無さを恥じた。
「ただ、犯罪歴だけは調べられたようだ。
それと、今でも俺がどこかで借金を踏み倒しているんじゃないかという調査をしているようだ。」
「それ、聞いたことがあります。」と、馬場あゆみが初めて口を開いた。
「銀行や金融業者から時々問い合わせがあるから、その時だけ該当者が移住して来ていないか調べるんですって。
個人からの問い合わせにも答えているらしいですよ。
でも、移住希望者が全員必ず調べられるわけではないみたいです。」
「個人、ということは、俺が何年か前に知り合いに貸してやった50ドルも、調べてもらえるのかな。」
「うーん、そのくらいの金額だと、どうでしょうね。
例えば、何かの事業の保証人になったけど、相手が逃げてしまって、莫大な借金を肩代わりする羽目になったとか、そういうケースだったら、宇宙連合が調べてくれるんじゃないかな。」
馬場さんは難しいことをすらすら英語で言えるんだな、と感心していると、インターフォンが鳴った。
エレンが「気にしないで話を続けてね。」と言いながら立ち上がった。
そうは言われても、新たなゲストにどうしても気を取られてしまう。
ふと視界の隅の、子供たちの部屋の入口に誰かが映ったので、そちらを見ると、リアが玄関の方を見ようとして、ドア枠に両手を斜めにかけて身を乗り出していた。
その後ろに、床に座り込んで絵本を見ている大地と、さらにその向こうにベッドのふちにお行儀よくまっすぐ座っている昴が見えた。
二人とも大人しくしていることを確認して視線を玄関に戻したが、何か引っかかるものがあって、また息子たちを見た。
大地はいいが、昴が持っているのは着せ替え人形だった。
サマードレスを着た髪の長い人形で、彼はその髪を三つ編みにするのに没頭していた。
「おい」とささやきながら瑠香の腕を肘でつつく。なあに、という顔で振り向く妻に、視線だけで子供たちを見るように促した。
数秒経って瑠香は人形に気づき、目を丸くしてこちらを見た。
その時、その夜の最後のゲストがリビングへ入って来て、我が家の長男の傾向について妻に確認する機会を失った。
しかもそのゲストがはっとするほど容姿の良い黒人だったので、圭の注意は完全にそちらへ逸れてしまった。
黒人と言うより、黒人の血が入った西洋人だ。かなり明るい褐色の肌をしていて、アフリカとヨーロッパの良いところだけ取り出したような顔立ちをしている。スリムで手足の長い体格も、しなやかな動作も、全てが素晴らしかった。
圭は感嘆の念をもって彼を見つめた。ちらりと横を見ると、瑠香だけでなくその場の全員が彼に見とれていた。
ヨーロッパかアメリカの移民の子孫だろうと思っていたら、その通りだった。カナダ生まれのカナダ育ちで、祖父母の代にフランスから移住してきた家系だ。
アフリカ大陸の血が入ったのはフランス時代のことで、何代前のことか、本人も知らないという。
ヨーロッパには何世代にもわたってアフリカ大陸のいたるところから移民が流れ込み、EU圏内の移動も自由だったから、いつ、どの国から来たか、もう分らないのだそうだ。
名前はフランス風で、発音が難しく、圭は聞いたそばから忘れてしまった。
しかし、フィルというファーストネームだけは覚たから、大丈夫だろう。
ステーションへ来てからというもの、苗字を呼び合うことはほとんどない。今のところ、苗字で呼んでいるのは馬場さんと伊藤氏だけだ。
全員揃ったところで改めて乾杯、と日本ならやるところだが、カナダにはそういう風習はないらしい。フィルだけ盃をもらって日本酒を注いでもらい、他の人たちは談話の続きに入った。
エレンは招待主なので、フィルを話の輪に入れようと気を使い、みんなの会話の内容を説明していた。
「今、ここへ来た方法について話してたところ。」
「方法って。」
「申請して許可をもらって来たのか、直接来たのか。」
「ああ、そうか。」
ショーンがその2人も引き入れようとして、話しかけた。
「フィルは、ここへはどうやって来たの。」
「僕?僕は申請書を出して、許可をもらったよ。パスポートを申請する役所に宇宙移住の窓口があるから、そこで。
過去に重大な犯罪を犯していない証明と税金の清算を済ませた証明を出して、貯金を振り込んで。
みんなも同じじゃないの。他に方法があるの。」
「ショーンは、転送装置で送られて来たのよ。」
「え、じゃあ、何、君は。」とフィルは言いにくそうに言葉を詰まらせた。
「中東出身?」
「いや、カナダ人だ。ホームレスだった。
道路で寝ていられないほど寒くなったんで、夜間でもドアが開け放しになっていたところを見つけて、入ったんだ。少しでも寒さがしのげればと思って。
それは小さい銀色のボックスだが、偶然にも、宇宙連合の転送装置だったというわけだ。」
「そうか。」
フィルがほっとしたような笑顔を浮かべた。
圭は半ば無意識に一瞬目を逸らせた。
宇宙ステーションへ来て様々な国の人たちと隣り合って暮らすようになり、同じような場面に何度か出くわした。
世界中に圭の知らない政治問題があり、それらが引き起こした紛争があり、過去も現在も含めて幾つとも知れない紛争地域があった。
フィルも、何らかの過去の紛争を思い描いてそう言ったのだろう。
それがどの戦争の事だったのか、圭には分からないが、それを確認するのはやめた方がいい、と思った。
特に政治問題や戦争のことを立ち入って訊こうとするのはやめた方がいい。
それはこのステーションにやって来てから何度か目撃した言い争いから学んでいた。
例えば過去にヨーロッパの紛争地域で大変な思いをした人がその経験を語り始めたとする。たまたまその場にアフリカや中東など、やはり紛争が多かった国々からから来た人がいると、その程度の紛争なんか日常だった、世界は欧州とアメリカ大陸以外には興味がないんだ、等と皮肉り始めたりする。
ヨーロッパ人同士の争いも見たことがある。
中東らしき人同士の口論も目撃した。
圭がそんなことに思いを馳せたのは、しかし、一瞬だった。
すぐにその場の会話の流れに乗って意識も移ろって行った。
「一般の移住は最後に解禁されたからね。
本来は宇宙人が受け入れるのは、地球で生きていけなくなった人たちだった。
戦乱のせいで住み家を失った難民や、貧困から抜け出す手段のない経済難民や。」と伊藤氏が言った。
「戦争しているところで巻き込まれて怪我した民間人もそうよね。」とエレンが補足し、次に馬場さんが言った。
「救急隊に救助された場合は、治療だけで、治ったら帰って来るんでしょう。」
すると今度はフィルが口を開いた。会話が一座の中を縦横に飛び交う。
「その場合も、治った時に、移住したいって言えば、移住できるらしいよ。
アフリカのどこだったか、暴動が起きて、けっこう死者が出た時に、連合の救命艇が降りて来て何十人も連れてって、帰って来たのは半分もいなかったんだって。」
「テレビか何かで見たの、それ。」
「うん。ユーラシア放送だったかな。」
「ユーラシアなら、フェイクではないね。」
「いまどきのテレビでフェイクをやるところなんか、北チャイナだけだよ。昔は世界中の報道が北チャイナだったけど。」とフィルが言い、皆が笑った。
伊藤氏だけは笑顔が若干気まずそうだった。
大手報道機関やテレビ局が、特定の政党やスポンサーの言いなりになって、政治的な誘導や、扇動まで行っていた時代があった。
しかも立派な民主国家であるはずのアメリカやヨーロッパで最も盛んに行われ、日本でも独特の印象操作が当然のように横行していた。
その「昔」と、圭やフィルの年代が言う時代は、伊藤氏にとってはリアルタイムなのだ。
だが、彼もすぐに気を取り直し、再び会話に加わった。
「地球を出る方法には何通りかあるけど、その先の、移住枠に認められる方法は二通りということだね。
いろんな証明書を出して審査を受けるのが一つ、
二つ目は緊急に身一つでステーションへ来て、あとから略式の手続きをする。」
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