第4話 ステーションでの生活
有料の品物を買ったり、サービスを利用した時には、支払はポイントで行われる。
宇宙連合の地球人移住惑星には通貨が存在せず、地球人の経済活動は全てポイントで表されるのだ。
また、銀行などの金融機関は存在するが、個人の預金口座というものはない。ポイントは直接、各人の個人情報の中に、ポイント残高という一項目として記録される。
地球を出てくる前に宇宙連合の口座に振り込んだ浅井夫婦の全財産も、一定のレートでポイントに換算され、それぞれの個人情報の中に書き込まれていた。
個人情報はDNA情報をベースにしており、指紋や虹彩などの登録とも連動していて、偽造や改ざんや成り済ましは不可能である。
ポイントを消費する時には虹彩や指紋を提示して、本人証明と同時に引き落としてもらう。
貨幣を使わず、本人証明によって口座から引き落とすという仕組みは、地球のクレジットカードとよく似ている。ただ口座の在りかが銀行ではないというだけの違いだ。
店で品物を購入する時は、レジの横の手の平大のパネルに片眼を近づけるか、指紋をパネルに押し付けて生体認証をする。すると全財産が入っている個人情報の残額から代金が引き落とされる。
カードの類は存在しない。慣れないうちは財布もカードも持たずに買い物に出かけるのは変な感じだった。
レジには品物の代金だけが表示され、個人口座の情報は一切見られない。
残高や明細を見たい時は、アパートのキッチンのパネルか、あらかじめ登録しておいたIT機器で、やはり生体認証をする事で見ることが出来た。
DNAや指紋や虹彩の登録が移住の条件であり、DNA登録を拒否する者は移住できないという点については、宇宙連合のホームページに特別に章を割いて説明がされていた。
時折テレビやラジオでも広報され、一般に知られていたので、浅井夫妻は移住を考え始めた最初の頃から納得づくだった。
しかし、宇宙ステーションには、DNA登録を拒絶する人たちもいる。
最初の申請の時には了承しておいて、申請が受け入れられ、移住が確定したと思ったとたんに「DNA採取は犯罪者扱いである。」と言いだす人がいると聞いて、圭は最初、ずるい人たちだ、と不愉快になった。
ズルをしてまで移住民になろうとするなど、どうせ真っ当な人間ではない、そう思っていたが、いろいろな人に話を聞くうちに、そんな単純なことではないということが分かってきた。
彼らの中には確かに犯罪歴を隠していたり、身分証明を偽造した人もいたが、何も隠しごとのない善良な人たちが抗議をしているケースも多いのだ。
この人たちは、完全管理のもとに置かれるのは自律性という人間の一番大事な自由を奪われることだ、と主張し、DNAを渡すのも地球へ戻るのも拒否していた。
宇宙連合は彼らを持て余しているように見えた。
不正があってDNA登録を拒否した地球人はさっさと送り帰してしまうが、彼らのことはそうせず、かといって移住先へ送るでもなく、ずっと宇宙ステーションに滞在させていた。
「DNAは個人情報の究極の形だ。DNAによる個人の管理とは、地球人にとっては奴隷のように足に鎖をつけられているに等しい。」という彼らの主張には一理あると思わざるを得ない。
彼らは、宇宙人たちが地球人を救いたいというのは嘘ではないと思うが、移住プロジェクトを進めるにあたって利便性だけしか考慮しておらず、また地球人の精神性をよく分かっていない、と言い、彼らに分かってもらうために主張しなくてはならないが、地球でいくら主張しても届かないから、ここまで来たのだと言う。
それはそうかもしれない、と、これも納得せざるを得ない。
地球で生活していると、宇宙連合との接点はほとんど無い。
普通の地球人にとって、宇宙連合との唯一の接点が移住の申請であり、それ以前の情報は全て地球のメディアが介在して発信されたものだ。それは一方的な発信であり、こちらからの問いかけなどは宇宙連合には届かない。
宇宙連合の事務所も移住申請の受付だけしか扱わない。職員は普通の日本人なので、人権思想などという全く関係ない質問をすると露骨に嫌な顔をされる。
ややこしい質問は「質問票があるので書きこんでおいてください。回答は数日後にメールでいたします。」という答えしか返って来ない。
ネットのホームページにも直接質問を書き込める欄があり、実は圭も、その質問欄からいくつか質問したことがある。
質問した事には全てちゃんと答えが返って来たけれど、圭は手続きの細かい点や、移住先での生活上の疑問についてなど、具体的な質問しかしなかった。
DNA採取についての是非などという、手続きとは関係ないことは問いかけたことはない。
圭は窓の手すりにもたれかかり、アパート群を見降ろした。時計を見ると、もう7時を過ぎていた。
瑠香は朝食の支度をしている。今朝はレトルトの食材を使わずに作ると言って早起きして、小さなキッチンで調理をしていた。
彼女が今日は手伝わなくてもいいと言うので、圭は朝の身支度を終えて、のんびりと外を眺めていたのだった。
ようやく出来上がったようだ。片付けは圭の仕事になるが、食洗機に入れるだけだから苦にならない。
アパートのキッチンは大きさも装備もミニマムなのに、食洗機が付いていて便利だ。
瑠香は食洗器なんか要らないから洗濯機と取り換えてほしいと言ってるが…
この食洗機も宇宙連合の製品であり、手洗いの十分の一以下の分量の水で、手洗いよりもきれいに洗える。
コンロはしかし、単純な電熱式のようだ。調理台にメーカー名も製品名も型番も表示されていないから、本当のところはわからないが。
コンロの下には、昔の動画や写真に出てくるような魚用グリルに似た、平たいオーブントースターが付いていた。内部は普通のオーブンとは違い、突出部も継ぎ目も無くのっぺりしているので、掃除が簡単だ。
この平たいトースターのことは、欧米の移住民はピザ用だと思っている人が多く、アジアやインドからの移住民は平たいパンを焼く専用オーブンだと思っていた。高齢の日本人はもちろん焼き魚用だと思っているに違いない。
普通の大きさのオーブンは付属しておらず、必要な場合は申し出れば貸し出してもらえる。
しかし、瑠香は子供たちを連れて隣の棟にある共用スペースへ行き、そこにあるオーブンを利用していた。
隣の棟の共用スペースは、コミュニティセンターと呼ばれるひときわ大きな共同スペースであり、各フロアの共同キューブの何倍も大きかった。
10棟に一つの割合で設置されていて、住民たちが気軽に集まれる場所になっていた。
会議室があり、広いサロンも隣接していて、誰でも使用することができる。
会議室では自治会の会合や有志の勉強会などが行われたり、個人で習い事の教室を開くこともできる。
サロンにはチェスや将棋、マージャン、トランプなどのクラシックな遊具があり、常にゲームに興じる人達が座っていた。
一人で来ても、ゲームをやっている人達の近くに少しの間立っていれば、誰かしら声をかけてくれ、参加することができる。
ステーションの人達はオープンな傾向が強い。
皆、元々属していた社会やコミュニティから離れて来ていて、等しく異郷への移住者だから、特定の集団に強く結びついていない。
あるいは単に故郷から遠く離れて頼りなく感じているからか。
ここの人達は知り合いでなくても気軽に話しかけてくる。
コミュニティセンターには他に、大きなキッチンや、寝具も洗える大型洗濯機のあるランドリールームもあり、ずらりと並ぶそれら大型機器を目当てに来る人達は女性だけではなく、男性もたくさん混じっていた。
その日も瑠香はそこへ行くつもりらしい。3歳の大地に野菜を食べさせようと苦心しながら、
「お野菜食べたら、あとでお菓子作りにつれてってあげる。」と言った。
5歳の昴はそれを聞くと、「僕も食べる。」と叫んだ。
お前はもう食べただろう、と言おうとして、瑠香に目配せで止められる。すでに自分のノルマを果たしている昴だが、母と弟の会話につられて勘違いをして、野菜のお代わりを何の疑いもなく食べ始めた。
「一緒に行く?」と瑠香がこちらを向いて言った。
「いや、今日はまた、あれだから。就職相談。」
「そうか。あたしも行っておいたほうがいいのよね。」
「うん。本当は二人で行ったほうがいいんだけどね。」
「子供たちを預かってくれる人がいないから、しようがないね。」
他に日本から来た移住者が近くに住んでいたら、子供たちを預かってもらえたかもしれないが、日本人にはあまり会う機会がなかった。
移住先の星では出身国別に居住区が分かれているそうだが、宇宙ステーションでは逆に同じ国籍の人ばかり固まらないようになっていた。
各国出身者のばらつきが均等になるように住居を割り振っているから、数の少ない日本人はかなり距離を置いて配置されている。
瑠香がお菓子を作りに行く共同のキッチンには、他に1人だけ日本の女性が来るというが、彼女も住んでいるのはもっと遠くだ。自分の居住区の共用キッチンが満員で入れないことが多く、半時間ほど歩いてこの地区まで来ているそうだ。
ショッピングエリアへ行けば他の日本人を見かけることも多いのだが、個人的な付き合いのできる日本人は今のところ、この女性だけだった。
圭の住む住居の同じフロアには他に6家族が住んでいる。その人たちの国籍は、インド、マレーシア、スウェーデン、スペイン、ドイツ、オーストラリアと、見事にばらばらである。
上の階も下の階も同じように7世帯全てが違う国出身なので、故意に違う国の世帯を隣同士にしているのは明らかだ。
圭はほぼ毎日、英語で隣人たちと挨拶やちょっとしたおしゃべりをした。みんな宇宙ステーションでは待機しているだけで仕事をしていないので、通路でよくおしゃべりをしていた。
そういう時によく聞くのは、アパートが狭いという愚痴だ。日本人や他のアジア人には充分だが、アメリカやカナダ、オーストラリアなどから来た人たちは狭いとこぼしていた。上の階にいるアメリカ人も、狭さをネタにしたジョークを毎日言っている。
確かに狭いかもしれないが、限られた宇宙ステーションの内部空間に何万人も滞在するのだから、仕方がない。
キューブの間をつなぐ通路や階段や、外の遊歩道や緑地は、日本の古い団地などに比べるとむしろ余裕があるくらいだ。
しかし、戸建てが一軒もなく、全ての住居が高層アパートであるうえに、地球の都市ならば数区画ごとに走っている車道がここにはなく、その空間の欠如が狭苦しさの一因かもしれない。
個々の住まいが十分な広さに作られていても、住まいと住まいの間の空間が足りないのだ。
数週間の我慢と割り切って、昼間はなるべく開放的な場所へ出て行くしかない。ショッピングエリアの他にも、比較的広い公共の空間があちこちにある。
玄関を出ると、通路でスウェーデン人一家の奥さんとドイツの母子家庭のお母さんがドイツ語でおしゃべりしていた。圭を見ると、二人そろって英語で挨拶をしてきた。
挨拶を返しながら、彼女たちがお互いに子供を預け合っていることを思い出し、少し羨ましくなった。
だが、瑠香も圭も出会ってたった二週間にしかならない外国人に「子供を預かって下さい。」と頼む勇気はない。
緑の多い遊歩道を10分ほど歩いて相談所に到着する。
相談所は管理局の建物の中にあり、その建物はキューブ棟の並ぶ中で一つだけ違う形をしている。かなりの高さがあり、上から下まで真っすぐな立方体で、窓が等間隔に並んでいる。
要するに東京などではいくらでも見かけるような、ごく普通のビルだ。
色も、地球上の都市だったら目立たない薄い灰色だが、パステルカラーのキューブの群れの中ではくっきりと際立って見える。
管理局の建物はどれもそうだが、建物の前が広場になっていて、空間に余裕がある。
ここの広場には人口の小川や小さな噴水池などがあった。流れる水の音を聞くのはいいものだ。
入口をはいると、中にも広い空間がある。
相談室は二階から上の階にあり、その日は5階の部屋だった。エレベーターに乗る前に受付に名前を言うと、部屋の番号を教えてくれる。
それから先は、終わって出てくるまで一人だ。相談室の中でも一人なのである。
相談室には大きな立体映像モニターがあり、相談員が映っていた。
彼らは精神心理学を修めたカウンセリングのプロであり、同時に宇宙連合と地球人とのパイプ役でもあった。
各宇宙ステーションにそれぞれ数十人づつ常駐し、専用のオフィスから動かずに全ての相談をモニター越しに行っていた。
毎回同じ相談員と話すのが原則だが、都合が合わないと別の人になる時もある。
圭は今のところ、初回からずっと同じ人に担当してもらっていた。かなり白髪の多い白人男性だ。日本語を話すので、おそらく他の日本人移住者も彼に担当してもらっているだろう。
このところ、面談と面談の間の日々は自分で管理局のデータベースを検索して仕事を探し、その結果を面談の日に相談するという形になっていた。
圭は最初は仕事を優先して、移住先を就職先に合わせるつもりだった。
しかし、地球人用に改造された惑星は天の川銀河だけで300以上もあり、地球300個分の求人データーベースから探すと、条件をかなり絞っても数万のヒットがある。
それだけあると、先に居住環境という条件で絞ってからでも十分に幅のある選択ができる。
だから、まずどの惑星に移住するかを決めてから仕事を探すことにしたのだった。
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