第3話 宇宙ステーション

 やがて搭乗時間になり、最後の別れの挨拶を交わしながら、一家は宇宙船の待つ通路へと入って行った。

 圭も瑠香も、それぞれの両親が並んでいる姿を何度か振り返りながら、見えなくなるまで手を振った。

 子供たちはまだこの別れの意味が分かっていないらしく、手を振るのが楽しくてたまらない様子で、両手を振る従姉妹に向かって「バイバイ」と何度も叫んでいた。


 宇宙船は、一般の飛行機と同じように飛行場に横向きになっていた。


 外観は宇宙船には見えない。大きな輸送機だ。普通の飛行機より胴体が太く、昔アメリカが造っていたスペースシャトルに似ていた。


 搭乗方法も普通の飛行機と全く同じだった。空港ビル二階にある搭乗口からボーディングブリッジが伸びていて、その中を歩いて行くと、普通の飛行機と全く同じに見える入り口に到達する。

 ドアの前に制服姿のCAさんが立っていて、感じの良い笑顔で迎えてくれるのも、普通の旅客機と同じだ。

 宇宙へ行くから、種子島で打ち上げているロケットのようなものに乗って行くのだろうと思っていたのが、予想外に平凡なものだったので、内心がっかりしていた。


 機内も特に変わった様子は無い。普通の旅客機と大差ない。

 違いといえば座席が一回り大きいくらいだ。座って見ると、かなり厚いクッションの中にふわりと体が沈み込んだ。


 手荷物を頭の上のキャビネットに入れるのも旅客機と同じ。


 席に座り、シートベルトを締める。


 入口に立っていた人と同じ制服を着たCAらしき人が、前の方で注意事項を述べ始めた。それを聞きながら、圭は窓を開けようとした。


 が、窓は開かない仕様になっていた。窓の形の枠はあるのだが、その縁に指をかけて上に上げようとしても動かない。


「窓は開けられませんので、よろしくお願いします。」とCAの声が飛んで来て、圭はビクッとして手を引っ込めた。


「あの、こちらは一応、宇宙船ですので、有害な宇宙線…あ、宇宙の船ではなくて、あの、センの方ですね…」

 CAが発音の全く同じ船と線を区別する表現方法が分からなくて、中途半端な笑みを浮かべたまま困惑しているのを見ると、圭は思わず笑いがこみあげて来た。他にも同じに思った客がいて、機内から何人かの笑い声が起こった。


 やがてCAは横に真っ直ぐに「線」を引く動作で宇宙線を表現し、有害な宇宙線を防ぐために窓を無くした、と説明した。


 それからすぐに機体がゆっくりと動き出した。

 飛行機には何度か乗ったことがあるが、未だにこの動き出す感覚と、日常の音の範囲外にある轟音には緊張してしまう。


 輸送機は普通の飛行機と同じように離陸し、日本政府と協議して決められたルートを通り、日本領海上空で大気圏から脱した。

 窓が無かったので、小さくなっていく地上の風景や青い地球の眺めなどは見えなかった。 

 

 途中でエンジン音の質が急に変わったから、たぶんその時に航空機のジェットエンジンから宇宙航行用のロケットエンジンか何かに切り替えたのだろう。

 輸送機の形は地球の大型航空機と似ているが、エンジンは宇宙連合製であり、未知の原理で動いていた。

 最初は普通の航空機と同じく空気の浮力で上昇し、大気が薄くなって浮力が得られなくなるとロケットの推進力を使って地球の重力の影響圏から脱出する。


 全体で3時間弱の飛行中は座ったまま、チューブ入りの飲み物をもらって飲んだりなどしていた。

 機内には他にも移住する人たちが座っていて、

「地球人が初めて月へ行った時よりも何十倍も早い速度で航行している。」

 などと話しているのが聞こえていた。


 到着前に減速が始まると、無重力状態になる瞬間が何度かあり、無重力というものを初めて体感した。残念ながらシートベルトをしっかり締めて座っていたので、ただふわりと浮く感じがしただけで、遊泳は経験できなかった。


 到着した時のことは、圭はあまり覚えていない。調布のポートで見た、羽田空港とそっくりな荷物用のベルトコンベアや、大きな輸送機や、それに乗り込んだ時の印象の方が強い。輸送機に窓がなく、宇宙空間に浮くステーションの光景を見ていなかったのも一因だろう。

 到着ポートも、シンプルな内装や照明の感じが地球のどこにでもある空港や大きな駅に似ていて、宇宙へ来たという感覚が無かった。




 この二週間のあいだに、四人はステーションの生活にだいぶ慣れてきた。人工照明の昼と夜に慣れ、日本を出てきた時の季節を忘れた。


 ステーションには世界中から移住者が来るから、特定の国の気候や季節に合わせることはない。

 昼と夜の長さはちょうど12時間づつ、日の出は6時と決まっていて、季節によって変えたりはしない。


 その代り、天候の変化を模してランダムに明るさが変わる。


 気温は18度から25度のあいだをやはりランダムに上下するが、それより低温にも高温にもならない。過ごしやすくて良いが、寒い国から来た人たちは、頬をぴりっと刺す寒さがないのは物足りないと言う人が多かった。


 浅井家が滞在する第7ステーションは、他のステーションのような、怪我人専用の医療基地だとか、難民専用などの特殊な目的のない、一般移住用だ。

 この一般移住ステーションは他に3つあり、一つだけイスラム教徒優先になっていること以外は4つともほぼ同じだ。世界中から移住希望者がやって来て、順化のために最長一年の期間を過ごす。


 移住者たちが寝泊まりしているのは、大きなキューブの角を丸くしたような外観のアパートである。

 キューブの大きさには何種類かあった。

 圭たちの住居になっているキューブは、一辺が10メートルほど、高さはその半分くらいの、平たい立方体だ。5人まで入居できるので、ほとんどの家族がこのタイプのキューブで暮らしている。

 もう少し大きなキューブもあり、幅は同じ10メートルで、奥行きがやや長くなっており、6人以上の世帯が入居している。

 それ以上大きなキューブは無いようだ。3世代同居などの人数の多い家族は二つの隣り合ったキューブに分かれて住んでいる。

 一人または二人世帯には、もっとコンパクトなアパートが二種類用意されている。一つは日本のワンルームアパートに相当する完全に一人用の住居、もう一つはシェアハウスを想定した4LDKだ。4LDKの方にはシャワー室とトイレが二つづつあり、家族ではない人達が争わずに同居できるように配慮されている。


 それらの何種類かのキューブを適当に混ぜて組み合わせ、フロアを作り、フロアを重ねて5階から10階建てのアパートに組み立てた棟が、広大なステーションの内部にずらりと並んでいた。

 組み立て方を変えることで、棟全体の形や内部の通路や階段の形が変わり、変化のある空間を作り出している。


 例えば5人世帯用のキューブを主に組み合わせたフロアと、二人までの小さなキューブを主体にしたフロアでは、かなり構造が変わる。

 小型キューブには子供の居ない人しか入居しないから、極端に言うと学生寮や独身寮のようにしても差し支えない。多数のキューブをくっつけて、真ん中だけに階段やエレベータなど共有スペースを作れば足りる。

 しかし、未成年の居るフロアでは、空間に余裕を持たせる必要がある。キューブ当たりの人数も多くなるから、玄関ドアが隣とあまり近くならないように工夫したり、階段の数を増やして共有スペースの面積を多めに取ったりなどしている。


 アパートの形や向きを統一すると効率的に空間を使えるが、あまり整然と直線的に揃いすぎても住環境としては良くないので、基本は幾何学的に、しかし適度な不規則性をもたせてある。


 また、各棟の高さを統一しないことによって遊歩道に高低をつけ、坂や階段をあちこちに作って、住人たちの運動量を確保するように工夫されていた。



 アパートの内部は地球の家の内装に似せて作られている。

 内壁は、表面は合成樹脂のような、僅かに弾力のある手触りだが、磁器のように滑らかだ。つるつるなのに光沢が無く、照明の光の反射がない。


 そして無垢材の板のように釘やネジがしっかり打てる。作りつけの収納がたくさんあるので、自分で追加の棚を取り付ける必要はないが、小さなフックを取り付けたり、ピンでちょっとした物を止めたりはしている。


 この壁のことは、圭は入居したその日から不思議でしかたなかった。フックのネジ穴をあらかじめ細く開けた時に、ネジの入って行く感触が滑らかで、硬いとも柔らかいとも言えない妙な感じだったからだ。

 石膏ボードではないし、木材でもない。壁紙が貼ってある様子もない。


 どういう構造なのか見たくなり、ネジをいったん全部入れてから、取り外して中を覗いてみた。

 壁紙は貼られておらず、懐中電灯で照らして見える限りは表面も中も同じ材質だった。ネジ穴が1センチほどの深さだったから、少なくとも表面から1センチは異素材の重ね張りではなく、同一の素材だ。

 しかしチップボードともカーボン系の板とも違う。強いて言えば、硬い厚いゴム板に近い。


 あちこちに見慣れない素材や構造があるけれど、住み心地は悪くない。

 日本の家から持ってきた家具は、大部分はステーションの外壁に沿って並んでいる倉庫にしまってあるので、アパートの中は広々としている。数週間したら再びコンテナに詰め込むので、わざわざパッキングをほどいて全てをここまで運び込むことはせず、日常使うキッチンの道具や寝具などだけ運び込んだ。


 空調はダクトを通じて行われているというが、ダクトの開口部はどこにも見あたらなかった。どこにあるのか知らないが、知らなくても不便なことは今のところない。常時空気の循環が行われていて、湿度も調整されている。


 風呂場にバスタブがなく、シャワーだけなのが唯一の不満だが、それにも慣れてきた。

 いわゆるユニットバスではなく、トイレは別になっている。

 風呂場の内側に水温の他に室温も調節できるパネルがあり、床暖房もある。ボタンを押して数秒待つだけで、暖かいシャーワルームで快適にシャワーを浴びることができる。もっと室温を上げてサウナのようにすることもできる。


 妻の瑠香は今の住居に一つだけ不満を持っていた。それは、洗濯機が個々のアパートに付いておらず、共用の洗濯機を使わなければならないことだ。

 各階に人の住んでいない共用のキューブが一個づつあり、管理人が使う道具や住民が皆で使うものなどが置いてある。そこに宇宙連合製の洗濯機も何台か並んでいた。


 地上と同じく水で洗うが、非常に少ない水で洗える。見慣れない円柱の形をしていて、上から入れる方式だ。普通用のと、毛布も洗える大型のものがあり、普通の方は容量が小さく、4人分の洗濯物を入れるとふちまで一杯になる。説明書には、上からギュッと押した状態で上の方にある目盛まで入れて大丈夫だと書いてあり、その通りにしているが、何となく良く洗えていない感じがする。洗剤を自分で入れない方式なのも、物足りない感じがする原因なのだろう。


 洗濯物を入れ、洗剤の種類を選んでスイッチをオンにすると、内部のカートリッジから自動的に適量の洗剤が出てきて洗濯が始まる。圭は時々洗濯を頼まれ、何も考えずにこの円筒形洗濯機を使っていたが、瑠香はいつまで経っても首をかしげながら洗濯していた。

 作動中はシュシュシュという、空気とも水ともつかない音がかすかにするだけで、震動はほとんどない。普通の汚れなら30分で終わる。


 洗濯機の横には、やはり宇宙連合が貸し出している乾燥機が並んでいる。この乾燥機も内部が小さく、中が見える窓が付いていないので、初めて使う人はきちんと乾くかどうか不安になるが、使ってみると地球の乾燥機よりも優秀だ。


 キッチンは狭い。一時的に滞在するためのアパートだからというのもあるが、宇宙ステーションでは食糧は大半が加工済みで、あまり手をかけずに食べられるからだろう。


 食料や日用品は、配達もしてもらえる。キッチンの壁に取り付けられたコンピューターから注文しておくと、その日のうちに届く。


 驚いたことに、食糧と一部の日用品は無料配布である。配給ではなく、配布であって、一人分の量が決まっているわけではなく、自分の好きなだけもらうことができる。

 注文画面を開くと、それぞれの品物の欄に無料の品と有料の品とが並んで表示され、どちらでも好きなほうを選ぶことができる。節約したかったら、1日の食事を全て無料の食品で作ることができるし、少し変わった、あるいは贅沢な食材が欲しい時には有料の品ぞろえから選べる。配達はどちらも無料だ。


 この制度は、到着したばかりの時には有り難かった。パネルを操作するだけで必要な食品や日用品が注文でき、支払いはその同じ画面で即時に済み、1時間から2時間の内に届けられる。

 慣れない環境の中でいろいろな手続きや、健康診断や説明会などがあって忙しく、買い物へ行こうにもどこに何があるのかわからない状態だったから、本当に助かった。

 配達が自走ロボットなのにはちょっとがっかりしたが… ドローンも今はあまり目新しくも無いが、それよりさらに前の世代の地上走行ロボットというのは、例えるなら今どきのオフィスの中で昔懐かしい液晶モニターに出会った時のような、懐かしくも物悲しい感じがした。


 今はようやく余裕ができ、巨大なチューブの中に作られた街をあちこち見て回っている。


 ステーションの中は地球の街と変わらない。地球と同じようなスーパーや小売店がある。東京近郊に比べると店舗の数はかなり少ないので、見かけるとつい入ってみたくなる。


 店頭の品物にも無料のものと有料のものがあり、値札の色で見分けるようになっていた。無料のものだからといって床に近い棚に押しやられているということはなく、堂々と並んでいる。


 少し足を延ばせばショッピングエリアもあり、そこは首都圏の大型商業施設にも負けない規模だ。



 

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