NIGHT OF FIRE 中

 ファミレスでの再会から数日後、私とサイトウさんは○○県を訪れていました。


 幸いな事にすぐに連休があったので強行軍という事にはならず、無人の幽霊自動車が出るという深夜になる前に、日中の明るい内に前もって問題の××峠を試走しておく事ができたくらいです。


 季節は秋といっても紅葉の季節にはまだ早く、峠道特有のカーブやアップダウンの連続に私は愛車FTOを飛ばす事もできずに退屈を持て余してサイトウさんに何か今回の件について進展はないか尋ねていました。


「いんやサッパリ。尻尾を掴めないっていうか、取り付く島がないっていうか。とりあえず師匠んとこに来たヤツは結界の中に入ってるから無事だけどよ……」


 サイトウさんはバツの悪そうな顔をしながらああだこうだと言いわけめいた言葉を並べ立てていましたが、曰く「ウチだけじゃなくてお寺さんに駆けこんだ被害者も同じだから師匠が能無しってわけじゃない」とか「一応、結界の中にいる間は被害者も落ち着いている」だの。


 正直、私としては霊能力者とかお寺とかそういうとこで何ともならないんだったら、もう精神科医を受診させてみたらどうだろう? と考えていたくらいだったのですが、すでに“そっち”の業界に入っているサイトウさんに口に出して言う事は躊躇われていました。


「それに私らだって、何も手をこまねいているだけじゃねぇ」

「まっ、そういうわけで今日の夜にその幽霊自動車ってのを見てみましょうって話だからな」

「そういうこった。頼んだぜ?」

「……うん?」


 峠を一通り往復したくらいで夕方となり、私たちは深夜の本番に備えて峠を離れガソリンの給油と食事のために近隣の街へと向かったのです。


 ガソリン代もサイトウさんとこの師匠さんが持ってくれるという事もあってFTOにタンクから溢れる寸前までたっぷりと給油し、今は無きサークルKサンクスで買ったコンビニ飯で腹ごしらえを済ませてから社内でしばし仮眠。

 頃合いを見て私たちは道の駅の駐車場でストレッチをして体を解してからカフェインの錠剤をキメて再び××峠へと向かう事にしたのです。


「……ところでよ。聞き忘れてたんだけど、幽霊自動車の車種とかって分かるか?」


 もうそろそろ××峠に着くという頃、ふと気になった事を私は尋ねました。


 そりゃ、向こうの行動パターン的に後ろから煽ってきて公道レースを仕掛けてくるってくらいですから、そういう車が来たらそうだと思っておけばいいのかもしれませんが、それでも間違いがあってはいけませんし、暴走族文化なんてめっきり廃れた東北地方でも個人単位で馬鹿みたいな真似をしている輩はいるのですから人違いならぬ車違いだってありえる話です。


「いや~、ハッキリと車種までは特定できてねぇんだけど……」

「だけど……?」

「なんでもスープラのドライバーとランエボの同乗者がいうには『お買い物車』とか『その辺にいくらでもいそうなオバちゃんの乗ってそうな車』だそうな」

「はぁ?」


 車種の特定はできていないと言いながら言い淀むサイトウさんに続きを促すと、彼女の口から飛び出したのは私が予想だにしない事だったのです。


 スープラにランエボはジャンルこそ違えど一流のスポーツカー。180SXは純然たるスポーツカーではないのでしょうが、それでも日産車らしい味付けの後輪駆動車で、随分と楽しいハンドリングカーだと認識していました。


 それが峠道でオバちゃんが乗ってるようなお買い物車に煽られて、ブッチぎられる?


「えと、『お買い物車』って事はハッチバックって事か?」

「はっち……、何じゃそりゃ?」

「ああ、後部ドアがハッチ、つまり後ろから車内に乗り込めるようになってる車で、ステーションワゴンとかSUVとか他のジャンルの車じゃないヤツ?」

「えすゆ~ぶい?」

「ああ、もう。ヴィッツとかスターレットとかロゴとかマーチみたいな車だよ!」


 私が思い付いた可能性の1つとして、幽霊自動車はいわゆるスポーツカータイプのハッチバック、つまりホットハッチと呼ばれるタイプの車種なのではないかという事でした。


 もう1つの可能性としては、都市伝説に語られる「ターボババア」やそれに類する怪異と同種の現象。

 老婆が時速100kmやそれ以上の高速度で走るのと同様に、心霊現象に理屈を求めても無駄という可能性。


 ところがサイトウさんはハッチバックだとかそういう分類などはまるで分かっておらず、私はどうすれば彼女に私の考えを理解してもらえるのだろうかと頭を抱えそうになった辺りで日中に見かけた無人販売所を見かけて××峠への入り口に近付いている事に気付いたのです。


「おっと、そんな事よりもそろそろ準備の方を……」

「準備って何が?」

「何がって……。そりゃ、そっちが専門でしょうに。そろそろ峠で時間もバッチシ。いつ例の幽霊自動車に出くわすか分かったもんじゃないんだ。数珠とか御札とか、なんか防御用のアイテムとかあんだろ?」

「ないよ」

「はあ!?」


 時刻は深夜2時。

 夏という季節が終わって秋となり道路脇の植物たちはその生命力に翳りが見えていて、車内の冷え込んだ空気はまるで外の暗闇が身近に迫ってきているようで原始的な本能を掻き立てるほどに不気味でした。


 峠道には街灯なんてなく、FTOのヘッドライトに照らされていない周囲の全てのどこに何が潜んでいるか分かったものじゃありません。


 ただでさえそんな愛車が灯すヘッドライトだけが頼りといった中で、サイトウさんは爆弾発言をブチかましてくれたのです。


「そういうのあったら、ザッシュに甘えが出るだろうからな! あえて持ってこなかった」

「はあ!?」

「師匠にも言ってない話だけど、無人の幽霊自動車に負けたら憑りつかれるって事だとして、逆にこっちが勝ったらどうなんだろってな! なあに被害者は何も知らなかった。でもお前は何があるか知ってる。FTOコイツでお買い物車なんてブッチぎってやれ!」


 無知は罪とはこのような状況を指すのでしょうか?

 私はあっけらかんと笑うサイトウさんの顔をチラリと見て開いた口が塞がりませんでした。


 確かに私のFTOは見てくれはいかにもなスポーツカーです。

 車高も低く、小型で、2ドアのクーペボディ。オマケに排気量2,000ccながらV6エンジンの奏でるサウンドはいかにも頼もしげです。


 しかしながら最高出力は180馬力で、しかもそれはカタログスペック。

 中古の私の愛車はどれほどの性能を発揮しうるか私だって分かりませんでしたし、そもそもFTOは前輪駆動FF車と運動性能には不安があります。


 いえ、経年劣化による出力低下だとか、駆動形式がFFだとか、そんな事よりももっとも問題なのはドライバーでしょう。


 なにせ私はただのオタク趣味のパンピーで、そもそもスポーツ走行だとか公道レースだとか微塵も興味もないし、そんな経験あるわけもありません。


 ですが、サイトウさんにその事を説明しようと思った時にはもう遅かったのです。


 最初に気付いたのは青白い光でした。

 前方、いえ、それは後方の車のヘッドライトがバックミラーに反射したもの。


「……チィ!」

「アレか? ……確かにその辺のスーパーや病院の駐車場にいくらでも停まってそうな車だな」


 いつの間にか現れた後続車は少しずつFTOに接近しながらゆっくりと蛇行運転していました。

 さらに後ろを振り返ったサイトウさんの頭が見えたせいで、こちらが気付いたと分かったのでしょうか、それから数度ヘッドライトをパッシングさせたり、ハザードランプを付けてみたりとこちらにプレッシャーをかけてきます。


「あれで間違いないのか!?」

「ほれ、窓ガラスを開けてみても向こうさんの音なんて聞こえないだろ?」

「ああ、もう!!!! とっとと窓、閉めろ!!」


 サイトウさんのプランに乗ったわけでもないのに強制的に対幽霊自動車戦の幕は開けられてしまっていたのです。


 わずかな空気抵抗ですら惜しいと窓を閉めさせましたが、その直前まで私はFTOのエンジンサウンドとロードノイズの他に後続車の音を、どんな些細なものでも良いと思いながら耳で探していましたが、やはり聞こえません。

 音だけならば、深夜の峠道をFTOが1輌で走っているのと変わらないのです。


 救いといえば、チラリチラリとバックミラー越しに見る後続車は事前情報通りにごく普通の5ナンバーサイズのハッチバックにしか見えない事でした。


 白いハッチバック。ヘッドライトは色温度の高い物に換えられているのか随分と青白いものではありましたが、それ以外は確かにお買い物車と呼ぶのがピッタリ。


「お~、お~! ホントに運転席も助手席も誰も座ってないぞ!?」

「随分とノンキな事を!」

「いや、ちょっと離したみたいだし」

「アクセル踏むだけなら誰でも出来るっての!!」


 それは霊能力者として修業中であるサイトウさんとしても珍しい存在だったのでしょう。

 彼女は後ろへ顔を向けっぱなしで、その頭がバックミラーを塞いで邪魔だったのですが、それでも確かに私がアクセルを踏み込むと僅かに後続車を引き離したようだったのです。


 それはこんな状況では朗報といってもいいような事でしたが、それでも私は「おや?」と思わざるをえませんでした。


 いくら油断があったとしてスープラやらランエボやらがFTOに引き離されるようなお買い物車に遅れを取るだろうか?


 ですが、それからすぐにさしかかった急カーブで私の希望は砕かれ、代わりに疑問は氷解する事となったのです。


「来た、来た! もっと飛ばせ、追い付かれるぞ!?」

「やってる!! 向こうの加速が早いんだ!!」


 カーブに入る前に距離を詰められていたのは私のブレーキングが早かったせい。つまりはドライバーの問題だったのでしょうが、カーブを抜けた後の加速についてはそれだけではありません。


 いえ、シフトチェンジがヘボというのは認めますが、向こうの加速の早さはそれだけではありません。


 焦った私はバックミラーで向こうの車種を確かめようとしましたが、見た事あるような車種ではありますが、焦った心理状態では記憶を手繰るのも一苦労です。


 左右のヘッドライトの下部に銀色の装飾があったのが見えたために、まずパッと思い付いた「HONDA CIVIC TYPE R」ではないという事は確認できましたが、それが何になるというのでしょう?


 私は右手でハンドルを握り、左手はシフトレバーを握ったままという状態で、そんな状態で道路の小石をタイヤが踏んで軽く跳ねたりすると火照った顔が一気に冷たくなるといった有り様でしたが、そんな中でもサイトウさんはまだ余裕がありそうでふと何か思いついたようでした。


「あ~……。あれ、何年か前に市原悦子がCMに出てた車じゃね?」

「うん? ああ、TOYOTAのデュエットか?」

「ああ、そう、確かそうだ」


 その言葉を聞いて私もバックミラーに視線をやると、確かにデュエットに良くにていました。


 デュエットには確かスポーツグレードなんて無かったハズ。


 つまり純粋にドライバーの能力差だけで追いつめられている?

 いや、それとも向こうは幽霊だからって実車じゃ不可能な挙動をするという事か?


 新たに湧いて出た疑問に答えを見出す前に再び私たちの前にカーブが現れました。


 先ほどの二の舞を避けるため、ギリギリまでブレーキを遅らせようと踏ん張りますが、生憎と私たちはまだ生きているのです。いきなり限界ギリギリを攻めろだなんてどだい無理な話です。


 今度のカーブは先ほどのカーブよりも緩いものではありましたが、それでもタイヤがアスファルトをグリップしきれずに滑る悲鳴にも似た音を聞いて私はブレーキを踏み込んでしまっていました。


「あ、おい! 抜かれんぞ!?」


 1つ目のカーブの時よりも距離が詰められた状態での2つ目のカーブ。

 無人の幽霊デュエットは私を嘲笑うかのように悠然と外回りで私を追い越そうとしてきました。


 その時に私の目に入ったのは車体側面の「X4」という文字。

 そして後塵を拝してしまった後にはTOYOTAのものではなく、ダイハツのエンブレム。


「クッッッソ!! デュエットじゃねぇ! ストーリアだ! ストーリアX4だ!!」


 これまでの幾つかの疑問が溶けて形となった瞬間、思わず私は叫んでいました。


 ストーリアをデュエットと誤認していたのは、そもそもダイハツから発売されたストーリアをTOYOTAへOEM供給されて発売されたのがデュエットだからなのです。

 両者の外見上の違いは、少なくとも正面からはエンブレムくらいのものでしょう。


 そしてストーリアにはデュエットには無かったスポーツグレードが存在するのです。


「くろすふぉ~……?」

「ある意味じゃ随分と頭のイカれた車だよッ!!」


 ベース車のストーリアが1リッターのエンジンを搭載しているのに対し、ストーリアX4の排気量は713cc。


 これは軽自動車用のエンジンをボアアップした物で、これにターボを搭載して120馬力を発揮するものですが、軽自動車用のエンジンを搭載した車を買うのなら素直にミラターボなり買っておけば税金関係も随分と安くなるというのに、ストーリアX4を買おうとは酔狂な買い手も、それで採算が立つと判断した売る方もイカれてると言って問題はないと思います。


「もっかい追い越せばセーフだったりするのか……?」

「さあ? でも、やるしかないんじゃない?」

上等ジョートーだよ……」


 私のFTOを追い越し、さらに次のコーナーへと入っていたストーリアは私に車体側面を見せています。

 先ほどは気付きませんでしたが、ストーリアの明らかに社外品のアルミホイールの隙間から赤く塗られたブレーキキャリバーが見えました。こちらもきっと社外品の高性能の物。


 FTOのヘッドライトの照射範囲から抜けかかると、キャリバーから火花が飛び散っているのすら見えたくらいです。


 ですが私はまだ諦めてはいませんでした。


 実は私、夏休みの宿題は最終日にやるタイプ。

 本気を出すのはとことん追い込まれてからなのです。


 まあ、追い込まれてそのまま押し切られる事だって多いのですが……。

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