沖縄の離島、とある一族の怪 転
翌週の土曜日。
早朝から私たちはカシキさんの小さな漁船に揺られていました。
前日、金曜の課業終了後に嘉手納から那覇へと来ていてネットカフェで一泊していたマイクとエドと私が合流したのは午前9時頃。
それからマクドナルドのドライブスルーで朝食を購入して、車の中で食べながら糸満市へと移動。
漁港で1週間ぶりに再会したカシキさんは私たちにやけに陽気に挨拶して「道に迷わなかった?」「船酔いとか大丈夫?」なんて気を使ったような事を口にしていましたが、その節々に私たちに逃げられなくて良かったという安堵の色を覗かせていたのです。
さて、その日の私といえば自分から厄ネタに飛び込んでいくストレスからろくに寝る事もできずに睡眠不足の状態。
そんな状態で船に乗ったものですから、すぐに船酔いにかかってしまいました。
その日の天候は晴れてはいるものの、陽光によって海から蒸気が上がっているせいでしょうか雲の多い沖縄らしい気候。
別に波が高かったというわけでもないのですが、それでも小さな漁船は良く揺れて、魚臭さと汗臭さが染みついた漁船で日光に焙られていろとなれば睡眠不足とか関係無く船酔いから逃れられなかったのかもしれません。
ですがマイクとエドはこんな小さな漁船ですら何かしかのアトラクションぐらいにしか考えていなかったのでしょう。
船が揺れるたび操船するカシキさんに向かって歓声を上げ、それにカシキさんもニコニコと愛想笑いを浮かべていました。
「Hey! Hey、Hey!! 見ろよ! 魚が飛んでいるぜ!?」
「……ああ、アレな。トビウオか。俺も初めて見たわ」
「トビウオ! すっげ! 安直ゥ~~~!! Hooo!!」
マイクは確かアメリカ南部の内陸の州出身というだけ海が珍しかったのかもしれません。エドがどこの出身だったかは聞いた覚えがありませんが2人してこれだけはしゃいでいたという事は彼も似たような出身であったのでしょうか?
そもそもが私だって秋田の山奥出身なのです。
那覇に配属されてから毎日のように海を見る機会はありましたが、それでも大きなヒレを翼のようにして海面スレスレを滑空していくトビウオなんて見た事ありませんでしたから、それがおもいきり身を乗り出して手を伸ばせば手が届きそうな場所を飛んでいるだなんて船酔いを忘れて見惚れてしまうほどだったのです。
それほどに沖縄の陽光を受けて輝くトビウオは宝石や貴金属のように美しく、それでいて海の生き物特有のヌメリを感じさせるその光の反射は生命の神秘に触れた感動と食欲を刺激された感覚を覚えたものです。
「そういや前に3人で行った回転寿司のメニューにもトビウオってあったっけな?」
「ウッソ!? 食べれるの! アレ!?」
「食えんだろ? 毒があるわけじゃあるまいし……。どうなんスかね、美味いんスかね?」
「生でもイケるよ~! あとはやっぱ良い出汁が出るもんだからね~! 君らも知らん内に口にしてるかもよ~!」
さすがは本職の漁師だけあって私が急に振った質問にもカシキさんはすぐに答えてくれました。
私としてはイワシにサンマ、アジにサバなど、青魚の刺身とか寿司が大好物なもので、それを聞いて近い内にトビウオを食べにいこうと思っていたくらいなのですが、逆にマイクとエドは何故か尻込みしています。
どうやら海面スレスレといえど宙を飛ぶ魚に何か食用に適さない成分でも含まれているのではないかと疑っているようでした。
「おいおい。10万円のためにゴーストバスターズしに行くマイクさんとエドさんにしちゃあ随分と臆病じゃない?」
「いや。別にやっつける必要は無いんでしょ?」
「ていうかさ、エドもザッシュ君もゴーストとかマジで信じてんの?」
私の中では、こんなオカルティックなバイトを引き受けるだけあって、マイクとエドは2人とも幽霊だなんてまるっきり信じていないものかと思っていたのですが、それは少々、違っていたようです。
マイクは私の想像通りに心霊だなんて信じておらず今回のバイトもボロい商売くらいにしか思っていないようなのですが、エドは完全な否定派というわけでもないようなのでした。
「チィっ……」
「いやいや、俺だってそんな馬鹿みたいに信じてるわけじゃねぇよ!? それでもさ、もしかしたらとは思うよ?」
ニヨニヨと茶化すような笑顔を私とエドへ交互に向けてくるマイクに対して、私はこれまでの自身の霊体験を語る事がなんだか弱みを見せるようで躊躇われ、舌打ちしてそっぽを向いてしまいましたが、一方のエドはなんだか早口になって釈明しています。
それがエドでなければ顔を真っ赤にしていたのかもしれませんが、生憎と彼は黒人。
それに白人のマイクも黄色人種の私も照れがどうとか以前に陽光によって皮膚を真っ赤にしていたのですからどのみち意味のない事であったのかもしれません。
「でもよ。だったら何でまたエドは今回のバイトに乗り気だったんだ? そりゃパチンコで大負けしたのは痛いだろうけど、言っちゃなんだけどそこまで追い詰められたってわけじゃないだろ?」
「いや~……。僕としてはそら今月のお小遣いが厳しいってくらいだけどさ。僕たちの付き合いでパチンコ屋に来たザッシュ君まで負けちゃって申し訳なくてさ……。それに僕にはグランマから貰ったお守りがあるしね!」
私はこの時ほど情け容赦無い沖縄の陽光をありがたいと思った事はありませんでした。
ついさっき、マイクに「幽霊なんて信じてるのか?」と茶化されていた時は随分と照れ隠しに必死になって早口になっていたエドが、今回のバイトを受けたのは自分のためだけではなく私のためでもあると言うその表情には一切の照れなんかなくて、逆にそんな日本人なら小っ恥かしくなるような事を真正面から言われた私はとっくに陽光に焼かれていなければ耳まで真っ赤にして照れてしまっていたでしょうから。
そんなわけで、その時の私は友人のまっすぐな瞳を受け止めきれずに少し目を反らしてしまっていたがために、彼が言う「グランマから貰ったお守り」とやらが入っているらしいウエストポーチをポンポンと軽く叩いてみせた時にどのような顔をしていたかを見る事はなかったのでした。
やがて漁船が糸満市の漁港を出港して1時間弱。
いくつかの小さな島が見えてきた頃に漁船は大きく舵を取り、その内の1つの島へ進路を変えたのです。
〇〇島。
敢えてこの場では島の名は隠させて頂きますが、事前に聞いていたとおり、いや、それ以上に小さな島に私は思えました。
島自体の小ささもさることながら、平な地形はほとんど無く、島そのものが小さな山のような険しい地形はとてもカシキさんが言っていたように「かつてはそれなりに栄えていた」だなんて思えないようなもの。
当然、そのような島の船着き場も立派な設備なんてあるわけもなく、そこからはすぐにアスファルト敷の道路が続いて山肌を切り開いて作られた住宅地へと伸びていきます。
島の小ささから考えば、錆が所々に浮いてはいたもののガードレールまでしっかりと整備された道路やら、船着き場に赤と白の清涼飲料水の自販機まであるのに感心したくらいでした。
「お~! ウチの連中も君たちをお待ちかねだよ!」
船着き場には軽トラックと軽ワゴン車が止まっていて、その前に2人の男女がこちらへ手を大きく振っています。
カシキさんも馴れたもので、漁船をコンクリートの岸壁にビタ付けすると私たちを待っていた男性の方が板を渡して私たちが降りやすいようにしてくれます。
「お待ちしておりました。カシキの伯父です」
「これはどうも」
「ええと? 貴方がザッシュさんで?」
親戚筋という事だけあってカシキさんの伯父もニッコニコの笑顔で私たちを出迎えてくれました。
私は挨拶しながら頭髪なんて1本もない伯父さんの頭蓋の中はどうして陽光でボイルされないのか心配したくらいに彼の頭はテカっていたのをよく覚えています。
「そう。俺がザッシュ。こっちの白……、赤いのがマイクで、黒いのがエド。一応、カシキさんから大雑把に仕事の話は聞いてるからさ、変なモンと変な縁ができないようにフルネームの自己紹介は控えさせてもらうよ」
「はえ~……」
一応、以前に高校の時の同級生から聞いた事がある自己防衛策で私は自己紹介を敢えて雑にしていました。なんなら偽名を使いたかったくらいなのですが、すでにカシキさんに名を名乗ってしまっている以上、フルネームを教えないくらいの事しかできなかったのです。
先手を打った形で私がこれ以上の名は教えないと言うと、伯父さんはポカンと口を開けてこちらを見ていました。
ですが……。
「マイケル・××××××××です。よろしくお願いします」
「エドワード・××××××。お嬢さんのお名前は?」
「カシキの娘でナミといいます。こちらこそよろしくお願いします」
マイクとエドの野郎は私の考えなど完全に無視して伯父さんの隣に立っていた少女へとぐいぐい迫って丁寧な挨拶を交わしていました。
まあ、アメ公に“縁”だのなんだの言っても無駄な話なのでしょうが、それでも私は怒りでコメカミがピキピキと痙攣したように動くのを抑える事ができないでいると、伯父さんとナミさんの方から私へフォローを入れてきます。
「…………」
「あ、え、えと。私は分かりますよ。なんかマンガとかで読んだ事があるような? 縁が繋がるとどうのこうのとか? そういう事ですよね?」
「うん。こっちが変な話で君たちを呼んだんだから、そんな事で君の事を失礼だとか思わないから気にしないで。うん。ただのヌチシンターよりかはよほど良い!」
2人はチラチラと私の顔色を窺いながらも馴れない船旅で来た私たちを案じて荷物を受け取って軽ワゴン車の方へと乗せていきました。
ナミさんは少し芋っぽい感じはあるものの、それでも健康的に黄金色に焼けた沖縄県民らしい可愛らしい少女で、彼女の顔に浮かんでいるのがカシキさんやその伯父さんと同様の愛想笑いだとしても私は気を良くして促されるままにエアコンの効いた軽ワゴン車へと乗り込んだのです。
マイクとエドも私に続いて車に乗り込み、ナミさんが運転席に座ると彼女はカシキさんと伯父さんに手を振ってから車を発進させました。
カシキさんと伯父さんは漁船の係留作業をしてから軽トラで来るらしく、私はナミさんが車を運転できるような歳だとは思ってはおらずにそれは意外な事でありました。
「あら? ナミさんって何歳なの?」
「18です。今年の春に高校を卒業しました。あっ! ちゃんと免許は持ってますよ!?」
「あ、そうなんだ。もっと若いかと思ってたわ。ゴメン、ゴメン」
「まあ、もっと前から島じゃ運転してましたけどね」
「って、おい!!」
「アハハハ!」
まあ、私もツッコミは入れたものの、この小さな島のような環境じゃナミさんのような不良でもない子供でも普通に無免許運転上等なのかもしれないと、それ以上の追求は止め、それよりも私は思ったよりもナミさんが話し易い闊達な子であったため先ほどから気になっていた事を聞いてみる事にしたのです。
「……ところでさ。さっき伯父さんが言っていた『ヌチシンター』だっけ? アレってどういう意味? 俺って
「ああ。ええと、『ヌチシンター』ってのは『命知らず』って意味ですよ!」
「うん……?」
確かに私の記憶が定かなら沖縄の方言で「命は宝」を「ヌチ・ドゥ・タカラ」と言うのを覚えていたので「命=ヌチ」の図式は成立していましたが、それよりも私たちがヌチシンター、即ち命知らずとはどういう意味なのでしょうか?
「ちょっと大袈裟じゃない?」
「そうですかね?」
「カシキさんから聞いたけど、前回の守り役の人は命に別状はなかったって話じゃ?」
「え……!? 父からはそれだけですか!?」
「というと……?」
まだ免許は取り立てとはいえ、無免時代も入れれば随分と車の運転には慣れているふうの自信を見せていたナミさんの表情がサッと陰ったのを私は見逃しませんでした。
やがてキツい登坂を上がってすぐに大きな古民家が見えてきた頃に助手席からの疑念の視線に耐えきれなくなったのか、逡巡していたナミさんは口を開きました。
「確かに前回の守り役は心を病んだくらいで済んだって聞いてますけど……。その前、大正時代の守り役の人は死んだって聞いてますけど……」
「……もちろん、それは儀式の後で数十年経ってから死んだって意味じゃないよね?」
「はい。儀式の夜。守り役を任された夜に……」
大正時代。
確かに古い時代ではありますが、それでも江戸時代やそれ以前とは違って文明開化の後の時代。
その時代の記録ならばそれなりに信憑性がありそうな話です。
というか、そもそも戦後まもなくの頃だったという前回の守り役だって、心を病んだだなんて一言も聞いてはいませんでした。
私たちの高額バイトは現場に到着したばかりだというのにすでに暗雲が立ち込めていたのです。
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