沖縄の離島、とある一族の怪 承

 パチンコ店の休憩室で私たちに話しかけてきた中年男性。

 彼に誘われて私たちはタクシーで繁華街の居酒屋へと場所を移しました。


 道すがら男性は名乗ってくれたのですが、ここでは彼の名を仮にカシキさんとしておきましょう。


 さて、あまりのカシキさんの不審ぶりに私は可能性の1つとしてボッタクリ系のお店にでも連れていかれるのではないかと勘繰っていたのですが、連れていかれたのはモノレールの旭橋近くの何の変哲もない居酒屋でした。


 土曜日という事もあってか、まだ空も夜の帳もおりきっていない内から数組の客が騒ぐ喧騒。どこからどう考えても極々普通の居酒屋です。


「ま、ま、話は後からにして、まずは喉も乾いただろうから、ね?」


 カシキさんは席に通されてすぐにメニューを広げ、全員分の飲み物を聞いて店員さんに注文し、最初の1杯が運ばれてくるまでにも色々と私たちにこれはどうだ、これは食えるかだの聞いて、どんどん注文していきした。


「ザッシュ君、ハナから泡盛だなんてお酒強いね~!」

「いや、ビールが苦手なだけなんで……」

「マイク君とエド君も生魚イケるなんて、こっち来て長いの?」

「僕が3年目で、エドは1年早いです」

「でも、アメリカでもスシレストランとかあったんで」


 乾杯を済ませ、続々と運ばれてくる料理を食べながらカシキさんは本題に前に幾つも私たちに質問をしてきます。


 彼の表情はまるで張り付いたようにニッコニコの笑顔を崩そうとはしませんでしたが、私もただの馬鹿ではありません。そのお面のような表情の裏で何かを探っている事は分かっていました。


 それでもパチンコで大負けした友人2人が食事で活力を取り戻していくのに水を差す気にもならず、それに3対1、それもこちらは自衛官と米軍人です。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の諺ではありませんがいざという時には何とでもなるだろうと軽く考えていたのです。


 4人で食べるにはいささかオーバーサイズに思える刺身の船盛に、グルクンの唐揚げ、冷やしトマト、チキンステーキ、もずく酢、キムチチャーハン。

 他にも10年以上経った今では思い出しきれないような多種多様な居酒屋メシでテーブルは覆い尽くされ、私たちは中々に本題に入らないカシキさんと適当な世間話をしながら食べ進めていました。


 テーブルの上の料理が半分ほど消えかかった頃でしょうか?


 その頃にはマイクとエドはいったい何杯のお酒を飲んでいた事やら。カシキさんもお酒に強い沖縄の人ですから外人2人に負けず劣らず。


 あまりお酒に強くない私ですら昼間の酷暑に火照った喉をたっぷりの氷でキンキンに冷えた泡盛の水割りが通り過ぎていく快感には抗い難く、ついつい杯を重ねていました。


「さて……、それでなんだけど……」


 それまで務めて陽気に振舞っていたカシキさんの表情が曇り、やっと本題に入るのかと私は泡盛を呷りながら注意深く彼の顔色を探ります。


 マイクとエドもお腹が膨れてアルコールが入った事でパチンコの敗戦からやっと立ち直りかけて生来の陽気さを取り戻していましたので、恩返しとばかりに前のめりとなってカシキさんの話を聞こうとしていました。


「君たち、パチンコで負けてお金、困ってない? 良いバイトがあるんだけど……」

「前置きは良いや。おっさん、俺たちに何をやらせたいんだ? まさかタタキとか言ったら叩かれるのはアンタだぜ?」

「はぇ? た、たたき……?」


 正直、その頃には2人の友人を立ち直らせてくれたカシキさんには内心ながら感謝していたので、彼が悪事に誘ってくるのならばそれを制してやろうと私は前もって釘を刺しておく事にしました。


「タタキ」というのは「強盗」をさす隠語でしたが、カシキさんはそれを聞いてもポカンとした顔で私を見てきます。

 もしかすると彼は「タタキ」とか言われて「鰹のタタキ」みたいな料理でも思い浮かべていたのかもしれません。


「……分かんないならいいや。でも俺は自衛官、公務員だし、コイツらも似たようなもんだ。悪い事には手は貸せないよ?」

「え!? いや、大丈夫、大丈夫! そういうんじゃないから! 全然!!」


 私が言いだした事があまりに意外であったのか、カシキさんはさも心外だとばかりに両手を振って否定します。

 あまりに芝居がかった塩梅で両手を振るものですから右手に持ったグラスからお酒が零れたくらいでした。


「まあ、でも急にそんな事を言われてそう思うのも無理はないよ。でも、そういう法に触れるような事じゃないから安心して。もちろん日本の法でも、アメリカの法でも」

「そんな仕事でホントに儲かるの?」

「もちろん! 来週の土日、その2日間の拘束で君たちにはそれぞれ10万ずつ渡そう。ああ、もちろんドルじゃなくて円でだけどね」

「10万!?」


 10万円という言葉にマイクとエドは顔を見合わせて既に乗り気になっています。


 そんな2人の様子に私はこれはマズいと思っていました。


 最初は何事もないような事から少しずつずるずると悪の道に引きずりこまれるだなんて、ありふれた話です。


 私は友人たちを悪の道へと行かせないため、未だ全容が明かされないバイトとやらの正体を探ろうと独り気焔を吐いていました。


「いやいや2人とも正気か? おっさんの話がホントなら、俺たち3人に30万払っても利益が出せる計算でいるって事だぜ?」

「いやね。僕たちには利益なんて1円たりとも出ないよ。それだけの金額を出すのはそれだけ困ってるって事……」

「……僕たち?」


 なるほど。確かに困っているから割高な報酬を用意してでも手を貸してもらいたい。


 それは理屈が通っているように思えます。


 ですが、私にはそんな事よりもカシキさんが口にした「僕たち」という言葉が妙に引っかかったのでした。


「そうそう。僕はなんていうの? 使い走りのようなもんでさ。この話を受けてくれる人を探しに本島まで出張ってきたんだよねぇ。いや~、でも向いてないわ、こういうの……。僕も10年くらい前まで本島で仕事してたからって人を探してくる役を任されたんだけど……」


 私の猜疑心に気付いていたのでしょう。


 カシキさんはお酒の入っていた事もあって饒舌に語っていました。


「それじゃカシキさんにその仕事を任せたのって?」

「そりゃウチの一家の……、あ、いやいや! “一家”だなんて言ってもヤクザとかそういうのじゃないよ! “一族”なんて言ったら大仰じゃん!?」


 カシキさん本人が自分の事を使い走りだと言い、人を探してくる事を任されたというのですからマイクでなくともそれを彼に任せたのは誰かというのは気になるでしょう。


 そして規模こそ極めて小さいものの、武闘派なんて言われるヤクザがいる沖縄県での事ですから私が「一家」という語を聞いて警戒を強めたとしても無理はない事だったのです。


 そんな私の視線に気付いたカシキさんはわざとらしく明るくその辺りの事情を説明しはじめました。


「さっき、本島なんて言ったから察しは付いているかもしれないけれど、僕たちは離島の人間でね。今回の件はその本家からの話なんだ。離島とはいっても本島から漁船ですぐの、そんな離れたとこじゃないよ」


 それからカシキさんが語るには彼は今日、漁船で那覇市の南にある糸満市の漁港まで来たのだとか。


 そこから昔、本島で働いていた時の伝手で車で那覇まで来ていたそうなのです。


「でも、こっちに知り合いがいるならさ。そんな割の良い仕事がクリーンなもんだったら、その知り合いに振ってやって恩でも売っておけばいいじゃない?」


 その仕事とやらの内容がまだはっきりしていないので何ともいえませんが、その知人が日程の都合だとか、あるいは体力的な問題とかで受けられないとしても、知人から誰かを誘ってもらうくらいできそうなものです。


 土日2日間で10万円という破格の報酬ならば引く手あまたですぐに決まりそうなもの。

 仮に知人とやらが10万円程度では気を引かれないようなセレブであったとしても、そういう人なら若いの2、3人くらいすぐに都合を付けられそうなものでしょう。


 カシキさんが夕暮れ時のパチンコ店で負け犬を誘った現状はあまりにも不自然に思えました。


「それが僕の知り合いには断られちゃってね……。関わるのもゴメンだって……」

「はぁ?」

「……えと、君たちはシンレー系とか、信じてる?」


 カシキさんの知り合いは関わるのもゴメンだという。それを聞いて私はついに馬脚を露したのかと思いました。


 ですが、彼が続けて言った言葉は私の思いもよらない事だったのです。


 その瞬間、私がじっとりと掻いていた汗が一気に冷えたような気がしました。


「おいおい。聞いたか? おっさん、ゴーストが怖いから兵隊さんに助けて欲しいってよ!!」


 私が感じた嫌な予感。

 それは高校の時の同級生いわく零感体質の私ですから第六感のようなものではなかったのでしょう。


 それはそれまでに数度のその手の体験によって刻み込まれた確かな実感であったのです。


 犯罪とか違法行為などとはベクトルが異なるものの、同じくらいに関わりあいになりたくない話。


 それでも私は友人たちがいる手前、わざと茶目っ気を出して洋画の吹き替えのような芝居がかった口調でマイクとエドの方を見ますと、意外にも2人はどこかホッとしたような顔をしています。


「ゴースト? お化け?」

「幽霊が怖いから事情を知らない身内以外の人を探してるって事?」

「そうそう! 早い話がそんなとこなんだよね!」

「……お前ら、マジかよ」


 既に痛い目を見た事がある私は世の中には触れるべきではないものなんて幾らでもあるなんて実感として理解していましたが、2人からすれば幽霊だとか迷信めいたものに付き合うだけで1人当たり10万円の報酬は落ちている金を拾うような容易い事に思えていたのでしょう。


 そして2人が乗り気になったのを見て、ついにカシキさんがバイトの話の本題へと入っていきます。


「ウチの一族ってのは昔から……、〇〇島って知ってる? その離島で栄えていた一族なんだけどさ。古い家系だけに色々と因習みたいなものがあってね。昔は鳥の肉は食べないなんてものもあったみたいだけど、これは今じゃ完全に形骸化していてね、ほら」


 そういうとカシキさんは追加注文した若鶏の唐揚げをひょいと箸で摘まんで口の中へと放り込んでみせました。


「でも今から君たちに言う風習は今でも忠実に守られているんだ。これは本家の代替わりの際にずっと続けられている儀式なんだけどさ……」


 曰く、〇〇という離島のとある一族、とはいってもその離島にはそもそもそんな人口がいるわけでもなく、現代においては離島の不便な生活を嫌って離島から離れ沖縄本島やその他の地域へと移住する者が後を絶たずに限界集落のような様相なのだそうですが、そういうわけでその島では住民の大半がその一族の者。


 かつての繁栄の名残とでもいうのでしょうか?

 一族の本家では今でも立派な屋敷に住んで、島の有力者という立ち位置にいるらしいのです。


 その本家では当主の代替わりの際に長らく続けられてきた儀式めいた事があるらしく、私たちに頼みたいのはその儀式が終わった後の夜の事だと。


「その儀式の際に祭壇を設置するんだけどさ。夜の間、祭壇に祀る壺を守って欲しいんだよね」

「……壺?」

「そう。儀式自体は来週の土曜日に行われて、翌日の日曜日には壺は御嶽ウタキに戻すから土曜日の晩の話だね。まあ、土日2日間の拘束ってのは生き帰りの移動を含めての話だと思ってもらって構わないよ!」


 御嶽ウタキというのは沖縄独特の宗教的な場所の事です。

 内地の人間ないちゃ~である私には観念的に理解しきれているとはいえないのですが、私の感覚からすればそういう場所には神社なり祠を設けて宗教的施設となるのでしょう。


 ですが沖縄の御嶽の場合は人工物を設けるのは最低限で、岩や泉、川など、時には島まるごとを御嶽として信仰の対象、儀式を行う目印としているようなのです。


 どうやらカシキさんの話では祭壇に祀られる壺は普段は御嶽の中の祠か洞穴か、そんな所に安置されているらしいのですが、儀式の時だけ御嶽から持ち出されて本家の屋敷へと移されるそうな。


 カシキさんは実労働時間が土曜から日曜にかけての夜間のみである事をさもこの仕事のウリのように語っていますが、ようするにそのような短時間の仕事で大金を得られるという事はよほど危険か、よほど怖い体験をするかの2択にしか思えません。


「……その壺の中には何が?」

「ごめん。それは僕にも分からないんだ。何せ、絶対に開けてはいけないっていう物らしくてね。そもそも前の代替わりは戦後すぐだったらしくて、僕はその壺自体を見た事が無いんだ」

「何か言い伝えとかもないんですか?」

「ん~……。どうなんだろうね? いや、本家の当主とか、当主に近しい人ならどうかは分かんないけど、少なくとも僕には知らされていないね。多分、儀式の夜の守り番にも伝えられないんじゃないかな?」


 それが演技かどうかは今もって分かりかねますが、少なくともその時の私にはカシキさんの顔に浮かんだ困惑の色は本心からのように思えました。


 そら、そんな厄ネタを引き受けてくれる人間を探してこいと言われて、それなのに自分にもその詳しい内容を聞かされていないのではそう思いたくもなるでしょう。


「で、なんだけど。前回の、その戦後すぐの時の代替わりの儀式の時は島の若いのの中で引き受けてくれた者がいたみたいで、なんとかなったみたいなんだけどね。その時の守り番が随分と怖い目を見たらしくて、それで半世紀経った今でも島の中じゃ引き受け手が見つからなくて困ってしまってね……」


 なるほど、と私は思いました。


 そこまでで分かった事が2つほど。

 まず先ほどからカシキさんの口の端に出ているように夜間に壺を守る役はそのまま「やく」と呼ばれている事。

 そして前回の守り役が「怖い目を見た」という事から命には別条がないという事。


 まあ、前回の守り役の引き受け手があったというのは、離島の、それも小さな島での話ですから多くの島民は漁業に従事しているのでしょうし、「漁師=荒くれ者」みたいなイメージのある私からすればありえそうな事です。


 ただ1つ気になっていたのは、代替わりの儀式に付随したサブイベントのようなものなのに、何故、新たな当主が守り役を任されないのかという事です。


 私からすれば、命に関わらないような事ならば、ちょっとやそっとの恐怖体験くらい新当主就任の通過儀礼的なものとして当主にやらせそうなものだと思えたのでした。


 意味合いは違うのですが、バヌアツの一地方で今も成人の通過儀礼として行われているバンジージャンプを思えば少し不自然に思えていたのです。


 つまりは「ちょっとやそっとの……」なんて形容詞にはとても収まらないような目にあうという事ではないでしょうか?


「で、1つ聞きたいんだけど、それって3人じゃなきゃ駄目? つまり俺以外の2人で……」

「いや~……。僕としてはこんなに日本語が上手いんだしマイク君とエド君の2人でも良いと思うんだけどね。ほら、年寄り連中を納得させるにはやっぱザッシュ君もいた方が良いんじゃないかなって」


 マイクとエドの哀れみを誘う視線が私に突き刺さります。


 それはまるで「俺たちを見捨てるのか!?」とか「この儲け話が流れたらお前のせいだぞ!?」とでも言わんばかりで、パチンコ屋に行きたいというのを強く止めなかった手前、なんとも断り辛い雰囲気が作り出されていました。




(あとがき)

最初は「前、中、後」の3回の予定でしたが、4回になりそうだったので「起、承、転、結」にしました。

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