令和の人形怪談 後編

 喫茶店を出た私たちは私の車をサイトウさんが運転していく事になりました。


「しばらく睡眠不足の奴の運転なんて怖くて乗ってられねぇし、かといって私の車じゃ事故に巻き込まれたら嫌だし」


 この手の仕事を生業としているだけあって、その辺の判断は手慣れたものです。


 私の話を聞いて、フィギュアに憑りついている霊は手強いものではないだろうと予想は付けていても油断しないあたり大の男である私も頼もしく感じてしまっていました。


 昼食を摂った喫茶店の近くにある大型スーパーにサイトウさんの車を置かせてもらって私たちは私の自宅へと向かいました。


 それから20分ほど。

 私の道案内で自宅に到着すると、そこが自分の家だというのに私はなんだか嫌な雰囲気を感じ取っていました。


 両親の車が無い事から2人とも仕事なのでしょう。

 鳥の囀り声も、風にそよいで揺れる周囲の木々も、そして自宅自体にも別に何も変わった事はありません。


 そりゃあ車の冷房で涼んでいた体が夏のじめっとした蒸し暑さに晒されるのは不快ではありましたが、そんなものは毎日の事です。


 なのにその日ばかりはよく分からない嫌な気配があるのです。


「とりま、案内してくれる?」

「お、おう……」


 サイトウさんも何かに気付いているのか車から降りてしばらく私の自宅を眺めていましたが、大きく深呼吸をして私へ中へ入るよう促してきます。


 私にはサイトウさんが自分の車から持ってきた仕事用だというハンドバッグをまだ開けていないという事だけが救いでした。


 今はどうだか知りませんが、20代の頃は仕事用のバッグには蝋燭やら短冊やら携行用の書道セットのような物、そして力がある石だというよく分からない鉱物が入っていたハズです。


 その鞄のファスナーが閉じられたままだという事はそれが必要な事態にはまだなっていないという事。


 私は自分にそう言い聞かせながら自宅の鍵を開けてサイトウさんを招きました。


「いるなぁ……。お前の部屋は2階だろ?」

「……おう」


 両目を閉じた状態で眉間の前に指を持ってきた時のような妙な圧迫感。


 それが玄関から見える階段の上から感じられて私は半ば混乱していました。


 いつもなら私の部屋で怪奇現象が起きるのは深夜だけのハズ。

 深夜から夜が白み始めるまでだけの女の泣き声。

 それがこの日に限ってはまだ午後の2時にもなっていないのに明確な存在感を放っているのです。


 当然、サイトウさんもその気配には気付かないハズもありません。


 靴も脱がずに玄関先で階段の上を睨みつけていたかと思うと、意を決したように「邪魔するよ」とだけ言って脱いだ靴を揃える事もせずにとっとと階段を上がっていきます。


 それはまるで武道の達人が演舞の際に目まぐるしく体を動かしながら決して相手から視線を外さない様子のようでもありました。

 そのために靴を脱いだままにしているのです。


 ですが、まだ鞄は開けられていない。


 それを確認して私は彼女の後に続いていきました。


「お前の部屋、ここだろ?」

「おう。開けていいか?」


 階段を上がるとサイトウさんは階段の右にある私の部屋の前で私が上がってくるのを待っています。


 そして私がドアを開けていいか確認を取ると、その答えを言わずに彼女は自分でドアノブを回して私の部屋へと入っていきました。

 そのまま勝手に部屋の電灯を点け、唸るような声を幾度となく上げました。


「おお……、おお……、おおぅ……」


 思わず声を上げてしまうほどに酷い状況なのか?

 私は思わず唾を飲み込みます。

 ですが、彼女の声の原因は私の部屋に巣食う霊の仕業ではなかったようです。


「いや、話には聞いていたけどドン引きだよ! 初めて見るけどエロフィギュアってマジモロ出しじゃん!?」

「うん、そうだね……」

「もしかして、このエヴァンゲリオンのフィギュアとかも脱がせられるの!?」

「いや、これはコンビニのくじで当てた奴だからそういうのじゃないよ……」


 振り返った彼女の顔を見て私はホッと一安心したのを覚えています。


 目尻には小皺ができていて、加齢のせいで陽に当たっても綺麗に焼けない黒い肌ではありましたが、そこにあったのは高校時代を彷彿とさせる屈託のない笑顔でした。


 ですが彼女と同じように歳を経て、打算的になってしまった私には女性に笑顔を向けられても昔のように素直に喜ぶ事はできず、ただ喫緊に迫った危険は無いと受け取っていたのです。


 それからひとしきり彼女はパソコン周りやら、その横の棚に並べられたフィギュアへ物珍しい目を向けておりました。


「あ、このケース、背面が鏡になってんだ! おっぱいもケツも両方見たいとかスケベかよ!?」

「いやぁ~……、そもそもスケベな人以外はこういうの買わないと思うよ? ところで……」

「つか、こんなんどこで買うわけ? こんなん売ってるの見た事ねぇよ!」

「え? そりゃ通販で……、って、サイトウさん?」


 しばらく続く心霊現象の現場で、それも自身でもそれが嘘や勘違いではないと感じているであろうにこのはしゃぎよう。さすがとしか言えません。


 ですが当時の私は長く続く睡眠不足のせいもあってか精神状態に余裕が無く、つい彼女を急かせていました。


「ああ、悪い、悪い。とりあえず残念なお知らせだ」

「え……?」

「ここには零感野郎でも感じ取れるような力の強い奴はいないよ!」

「『自分より強い奴に会いに行く』って奴でも自分の部屋にはいてほしくないだろうよ……」


 冗談めかしてサイトウさんは笑うものの、私にとっては冗談ではありません。


 私と彼女の予想通り、私の部屋にいる女は強くない。

 つまり、それは二者択一の残る1つ、私に恨みを持っているという事を意味しているのですから。


 私は腹部に鉛でも詰め込められたかのように重くなっていくのを感じていました。


「そう心配すんなよ。例の女は確かにいるんだけど、力が弱すぎてどれに入っているか探すのに苦労するくらいなんだ」

「はあ……」

「でも、確かにこんなに五月蠅く泣かれてたら寝不足にもなるわな」

「聞こえるの?」

「ああ、お前はまだ聞こえないか」


 サイトウさんが言うには彼女には夜ごと私を悩ませてきた女の泣き声がこうしている今も聞こえているというのです。

 彼女は「ウッウッウッみたいな?」だとか「しゃくりあげるような泣き声」とか言うのですから間違いないでしょう。


 さりとて日のある時間、陰陽でいうところの陽の時間という事もあってか私の耳にはサッパリ。


 私自身が苦しめられていたというのにこの時ばかりはどこか現実感が無かったのです。


「泣き声の主がどれに憑いているか何か特定できそうなヒントとかはないの?」

「さぁ? 泣き声の他にはなんかよく分からん事ばかりで……」

「え?」


 さすがはこの手の事でメシを食っているだけあってかサイトウさんには泣き声意外の声が聞こえているというのです。


 霊というものは話ができるかと思っても生前の事や死ぬ直前の事を繰り返すばかりで会話が成立しないのも多いと聞いた事がありました。


 私は泣き声の主もその手の類なのだろうかと思いました。

 毎夜毎夜、飽きずに泣き続けているのですからありえそうな話です。


 ですがサイトウさんが続けた言葉に私は驚愕させられる事となりました。


「ん~、なんか『股間に変なモノがある』とか言ってんだよね……」

「あっ……!」


 その言葉を聞いて私はサイトウさんを押しのけるようにして1体のフィギュアに手を伸ばしていました。


「あ……。それだわ……」


 サイトウさんは口をあんぐりと半開きにさせながら苦笑しています。


 ここで私から皆さんに謝らなければならない事があります。

 こう書いたら「この話を聞いた者にも私と同じ怪異が訪れます」というのが定番なのでしょうが、そんな事はありませんのでご安心を。


 この話の中で何度か私は「美少女フィギュア」という言葉を使ってきましたが、それは誤りなのです。

 少なくとも泣き声の主である女の霊が憑りついていたのは美少女フィギュアではなかったという事です。


「え? 何それ? フタナリって奴?」

「いや、胸が無いだろ? これは『男の娘』って奴だよ」


 そのフィギュアの顔は可愛らしいものではありましたが、胸には女性特有の膨らみが一切無く、代わりに股間には立派なモノがありました。


 いわゆる「男の娘」というジャンルが定番化して久しい昨今においてもアダルトフィギュアという界隈においては商品化の機会は少なく、私の部屋にあったその手のフィギュアはその1体だけであったのです。


「あのさぁ……。こういう商売してる私がこの言葉を安易に使いたくはないんだけどさぁ……。業が深すぎない?」

「いやいや、これは人気絵師さんのイラストを立体化したもので、メーカーだってそれなりの量が捌けると思ったらから商品化したわけで……」

「おうっふ。メッチャ早口……。まあ、いいや……」


 私から件のフィギュアを受け取るとサイトウさんは座椅子に座ってパソコンデスクに向かい、仕事用の鞄から硯と墨、半紙に水の入ったボトルを取り出すと墨を摺り始めました。


「その辺のフィギュアかガンプラか、なんか持って帰ってもいいのない?」

「何でもいいのか?」

「人の形してるやつなら何でも」

「なら、このリックドムⅡでもいい? 塗装しくった奴なんだけど……」

「いいよ、別に。チXコ付いてなければ……」


 真剣な仕事モードの顔になった彼女に対して「それじゃレプラカーンは駄目か!」とは言いだせませんでした。


 それから墨を摺りながら彼女が教えてくれたところによると、やはり件の霊は特に力の強い霊というわけではなく、むしろ弱いぐらいのものなのだとか。


 昔から言われているように人の形をした人形などには入り込む事も多く、それでも大抵の場合には何もおかしい事はおこらずに気が付かない人がほとんどなのだそうです。


 今回、私の身に起きた不幸の原因はいわゆる浮遊霊の女性が気付かずに男の娘フィギュアに入り込んでしまった事だろうとこの事。


 私のような生きている者からすれば「そんなん入る前に見りゃ分かるじゃねぇか」とも思うのですが、その辺はやはり死者には死者の言い分があるという事なのでしょうか?


 女の霊からしてみればせっかくの依り代を見つけたと思ったら股間にはイキりたった逸物が。というわけで私に対して「お前、なんちゅうモンを飾っとんのじゃ!?」と恨みを抱いていたそうで、さりとて力の無い霊ゆえに何もする事ができずにただ毎日を泣き暮らしていたそうなのです。


 そして、それが深夜の陰気な時間帯にだけ私に聞こえていたというわけみたいでした。

 今日に限って日中から変な雰囲気を出していたのも、話を聞いてもらえそうな人が来たと感じたからだそうで。


 そしてサイトウさんは男の娘フィギュアからガンプラへと霊を移して持って帰り、職場で供養してくれるとの事。


「ついで仕事だし、帰りのタクシー代含めて1万でいいよ」

「あ、そうか。車はスーパーだよな。送ってこうか?」

「いいよ、とっとと風呂入って寝たら?」


 その場で私は財布から一万円札を取り出して硯の横へと置くと、サイトウさんは墨を摺りながらペコリと頭を下げました。


 これまで長く続いた怪異の因果関係も解き明かされ一気に解決。

 それも1万円と塗装をしくじったプラモデル1体で済むのですからお安いものです。


 緊張、抑圧状態からの解放故でしょうか?


 私の精神状態は一気に緩んで、よせばいいのに軽口を叩いてサイトウさんへと話しかけていたのです。


「いや~、ホントに助かったよ。俺1人だったらいつまで悩んでいたかなんて分かったもんじゃない」

「私に電話したら済む話だろ。遠慮でもしてたのか?」

「それがもう何年も前にケータイ水没させちゃって連絡先の移行ができなかったんだよね」

「ああ、そういう事」


 サイトウさんが墨を摺り終わり、半紙に何やら神社で売っているような御札みたいなものを書き始めても私は構わずに話しかけていました。


 私だって良い歳こいた大人ですから普段ならこんな事はしません。

 ですが長く続いた怪異からこれでオサラバできるのですから気が大きくなっても仕方のない事かもしれません。……余計な事さえ口にしなければ。


「それにしても災難だったよな! まさかこんなにフィギュアやらある中で入ったのが女の子じゃなくて男の娘だったなんてな!」

「うん……?」

「あ、いや、待てよ? このフィギュア、男の子なのに女の魂が入ってるって事はこれは『メス堕ち』ってヤツ!?」

「……お前なぁ」


 サイトウさんも昔はいわゆるオタクといわれるような人種であったのですが「男性向け」の「アダルト」なジャンルには疎かったのでしょうか?

 まあ、アラフォーになってもその手のジャンルにどっぷり浸かっている私の方がおかしいのかもしれませんが。


 ふと口にした「メス堕ち」という言葉に対して彼女は筆を置いてギロリと私を睨みつけていました。


「女をメスって言うのもそうだけど、女になるのを『墜ち』ってどういう事? 女を下に見てるって事?」

「え、あ、ゴメン。そういうつもり……は……」


 その瞬間、私の全身に鳥肌が立ったのはサイトウさんの睨みつける視線のせいではありませんでした。


 背中に掻いていたジットリとした汗が一瞬で冷えたかのような錯覚。

 肺も、横隔膜も、心臓すらも動きを止めてしまったかのような急激な全身の硬直。


 私を一瞬にして戦慄させていたモノ。


 それはサイトウさんが座るパソコンデスク周りやらその隣の棚に飾ってあった多数のフィギュアたち。


 数十体のフィギュアたちがサイトウさんと一緒になって私を睨みつけているのに気付いてしまったからなのです。


 いや~。サイトウさんの説明を聞いていた時にちらっと「他にいくらでもフィギュアがあるんだから別のに移ればいいじゃん?」とは思ったのですが、それができない理由があったとは……。


 男の娘フィギュアに入ってしまった女の霊が後から他のに移ろうと思っても、他のフィギュアは全部もう別の霊が入っていたんですね……。


 その後、私は大勢の霊の気に当てられてしまい放心状態になってしまったのでしょうか?


 それからしばらくの記憶は曖昧で、気が付いた時には私は自分の部屋に独りで、何故かサイトウさんが持って帰る予定のリックドムⅡは棚に飾られたままで、その代わりにお気に入りのドム・トローペンが無くなっていたのです。






(あとがき)

第二夜の投稿は未定!


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