令和の人形怪談 中編
季節が夏へと移ろいでいっても私の部屋で毎夜おこる怪現象は続いています。
北東北の某県とはいえ、近年の猛暑のせいか夜になってもなかなか気温が下がるという事もなく寝苦しい夜が続いていました。
深夜に謎の女の霊の泣き声に起こされてしまうのならばとっとと寝てしまえと思われるかもしれませんが夏の熱がこもった夜のせいでそう簡単に寝付けなかったんですね。
「ううっ……うっ……うう……う……」
そしてやっと眠る事ができたかと思えば例の女の泣き声で起こされ、それが夜が明けるまで続くのですから当然、私は慢性的な寝不足へと陥ってしまっていました。
これもいわゆる霊障というやつなんでしょうか?
別によく巷にある怪談話にあるような「いつの間にか首に絞められた痕や足首を掴まれた痕ができていた」とか「原因不明の高熱やらの病気」のような事があったわけではありません。
ただただ純粋に安眠妨害による睡眠不足なのです。
そのせいか通勤退勤の際に事故を起こしそうになってしまったり、また精神的な余裕が無くなってしまったせいでしょうか同僚との仲が険悪になりそうにもなっていました。
当然、私も休日の前日には隣の市にあるネットカフェのナイトパックを利用してそこで寝たり、また地元の道の駅の駐車場で車中泊という事も試してみました。
ですがやはりネカフェや自動車の中では熟睡する事はできてもどうしても翌日に疲れが残ってしまい、かといってビジネスホテルに泊まるというのも金銭的な余裕が無いためにできないのです。
そりゃ私もアラフォーおじさんですから数日くらいならホテルに泊まるという事もできるでしょう。
でも例の女の泣き声がいつまで続くか分からない以上、お金を使ってホテル泊という選択肢は取り辛かったのです。
ホテル泊でお金を擦り減らした後で解決策が分かった時にそれに必要なだけの金額が無ければ話になりませんからね。
結局、私には自室でフィギュアに憑りついた女の霊に安眠を邪魔されるか、ネカフェや車の中で浅い眠りに甘んじるしかなかったのです。
ですが、2つだけ分かった事がありました。
1つ目は外泊の時には女の泣き声は聞こえないという事。
やはり霊が憑りついているのは私ではなく、私の部屋にあるフィギュアのどれかという事なのでしょう。
もう1つ。
女の泣き声が聞こえるようになってからしばらく。睡眠不足に耐えかね恥を忍んでというか頭がおかしくなったのか疑われるのを覚悟で同居の両親に尋ねてみましたのですが、女の泣き声を聞いていたのは私だけであったようでした。
私の部屋と両親の寝室は隣り合っていて、自宅は古い木造住宅。両親が寝室でクシャミをすれば自室にいる私の部屋にも聞こえるくらいなわけで、毎夜の女の泣き声は私にしか聞こえないものであると考えるのが自然でしょう。
それが分かったからといって何か対策が打てるというわけではないですし、むしろそれは私にとって事態が厄介なものだとハッキリと突き付けられるものでありました。
前回、私は「霊感の無い、いわゆる零感」と書きましたが、それは私が勝手にそう思っているわけではなく、いわゆる霊感持ちの人にそう言われていたからなのです。
それも2名に。
とても繋がりがあるとは思えないような別々に知り合った2人から同じような事を言われたのです。
別に盲目的に信じようとも思いませんが、それでもある程度は頭の片隅に入れておいても良さそうだとは思いませんか?
さらに2人が言った同じような事には続きがあり、「ここまで霊感というものが無いのに見えたり感じたら、それは向こうがよっぽど強いか、もしくはお前に強い恨みがあるという事」だそうです。
今回の場合を考えてみるとどうでしょう?
女の霊はただ夜ごとすすり泣くだけ。変な夢を見るわけでもありませんし、他に何かあるわけでもありません。
私にはフィギュアに憑りついている女の霊が零感の私にも作用するほどに強力なモノとはとても思えませんでした。
いや、むしろそちらの方が都合が良かったのかもしれませんね。
それはつまり女の霊は私に強い怨嗟を向けているという事になるのですから。
かといって彼女いない歴10年の私にはそんな女性に恨まれるような覚えなんかありませんし、10年以上前にいた彼女だって先方から私が振られる形で分かれたわけで、しかもけっこうドライな感じに。
解決策無し。
因果関係分からず。
オマケにアダルトフィギュアに霊が憑りついているんじゃないかって事で誰かに相談する事もできず。
まあ、こんな感じにただイタズラに時は流れていったわけですよ。
事が動いたのは8月になってからでした。
ウチの職場は官公庁との付き合いも多いせいかしっかりと盆休みが貰えるのですが、まとまった休みとなっても日頃の寝不足のせいか何もやる気のしない日々が続いていました。
その前日は道の駅で車中泊をし、後部座席を倒してスペースを広げた硬い荷台に薄い寝袋で寝ていたせいか起きた時には体は強張り、睡眠時間は取れたハズなのにまったく疲労が抜けた気がしなかったのを覚えています。
オマケに朝っぱらから陽射しは強く、私の弱った体を痛めつけてくるのに辟易させられていました。
その頃には私もすっかりと精神的に荒んでいまして、じっとりと寝汗をかいていたのにシャワーを浴びに自宅へ帰る事もなくTシャツだけ替えて、そのままパチンコ屋へと向かったのでした。
もはややけっぱちであったのでしょう。
気持ち的にはリストカットとか自傷に近かったのかもしれません。
久しぶりに入ったパチンコ屋を適当に歩いて適当に目に入った「CR ダンバイン」を打ちはじめ、釘が悪いとすぐに気付いてもそのまま撃ち続けていました。
今、これを書きながらちょっと調べてみたのですが2015年導入の撤去間近の台だったのですから釘も渋いのも当然ですね。
オマケに時期もお盆期間中というパチ屋からしてみれば稼ぎ時。
そんなんで勝てるわけもなし。
仮に当たりを引いたとしても負ける公算の高い勝負であったといえるでしょう。
ただ単に家に帰りたくない、ムシャクシャした気分をどうにかしたいとどうにもならないのを承知で打ち続けていただけです。
「よう。ヒデえもんだな!」
不意に頬に冷たい物が当てられて、慌てて振り向くとそこには見知った顔がありました。
面長で、長い髪を適当に後ろで束ねた地黒の女性。
仮に名をサイトウさんとでもしておきましょう。
数年振りに再会した旧友が私の頬に冷たい缶コーヒーを押し付けていたのです。
「うん、ああ、久しぶり……」
「……ホントにヒッデぇ
懐かしさを感じる口の悪さに私の頬は久しぶりに緩んでぎこちなく笑みを浮かべていました。
サイトウさんとは高校時代の同級生。
今でもそうですが、高校時代から私はいわゆるチーズ牛丼とか好きそうな人であり、彼女もその手の人種という事もあってかそれなりに仲の良い友人でありました。
そして私を零感だと言った2人の霊感持ちの内の1人だったのです。
「……どうせ出ねぇんだ。飯でも奢れよ」
「そっちは良いのかい?」
「好きな台が1パチコーナーに島流しで打つ気しねぇよ」
そして、その時も彼女は目ざとく何かを感じ取ったのか眉間に皺を寄せてから私をパチ屋の騒音の中から連れ出したのです。
それが私の勘違いではないと言わんばかりに彼女はパチ屋の駐車場の一画にあるラーメン屋ではなく、わざわざ少し離れた古い喫茶店へと連れ込んだのでした。
古いが冷房の効きは程よく、先ほどまでのけたたましい騒音から一転してムーディーなジャズが控えめな音量で流れる喫茶店に入ると私はえもいわれぬ開放感に満たされていました。
「で、いったい何があったんだ? 前にも言ったけど、ザッシュに何かできる“あっち”の奴なんて滅多にいねぇハズだぞ?」
既に限界ギリギリまですり減っていた精神状態で懐かしい顔に再会した私は心地良い喫茶店の雰囲気もあってか、自身に起きている事を打ち明けてもいいのではないだろうかと思いだしていました。
ですが物が物です。
いくらなんでも「部屋に飾ってあるアダルトフィギュアに女の霊が憑りついて難儀している。しかもその手の物が部屋にはわんさとあって一体どれに憑りついているものだか見当も付かない」だなんて女性には言い難いものですよね。
そういうわけで中々に本題に踏み込めないまま私たちは口数少なく昼食を摂る事となっていました。
喫茶店特有の湯で置きの麺を使ったナポリタンをフォークに絡ませながら旧友を眺めていると、黙々とサンドイッチに食らいつくサイトウさんはまるで昔のままのように思えました。
いえ、容姿だけならむしろ実年齢に対して老けて見えるくらいです。
昔から地黒であった肌はあまり手入れがされていないのかあまり綺麗には焼けておらず、薄化粧がのった肌のキメも悪いように思えました。
ですが、口数少なく鋭い視線を向けてくる肌の黒い女性は高校時代や20代の時のままのように思えたのです。
高校時代に初めて彼女と出あって友人となり、その時に零感体質故のアドバイスを貰い。
社会人になって20代の頃に再会した時には仕事の合間に彼女からその手の仕事のアルバイトを頼まれたり。
私が今回の事件の解決のためにお金を温存していたのにはその当時の彼女に斡旋されたアルバイトの経験でその手の事の解決には大金が必要な時もあると知っていたからなのです。
パスタを食べ進める内に私は当時の事を思い出して「彼女以外に私の身に起こっている事態を解決できる者はいないのではないか?」と思い始めていました。
それにこのまま私が何も喋らなければ彼女は食事を終えてそこでサヨウナラと店を出ていってしまうのではないかという不安も出てきて、ついに私は夜ごとの女の泣き声についてサイトウさんに話す事を決意したのです。
「なるほどね。でもおかしいな……」
ジャズに混ざって遠くからモーター音が響いてくる中でもサイトウさんの鋭い眼差しは私から離れる事はありませんでした。
私が話を切り出すと彼女はミックスジュースを追加注文し、まだ何切れか残っていたサンドイッチを放っておいて真剣に私の話を聞いてくれていたのです。
話の途中、私が霊が憑りついているのではと疑っている物が美少フィギュア、それもアダルトフィギュアだと聞いた時にはさすがに彼女も自分のコメカミをトントンと指で突つきながら「お前、
サイトウさんはすぐに続きを促し、私はこれまでの一切合切を彼女へと打ち明けていました。
話を聞き終えた後、運ばれてきた柑橘類やらパインにバナナやらの香りの混じったジュースを飲みながらサイトウさんは何とも不思議そうに頭を傾げています。
「昔も言ったけどよ。お前に感知できるような霊なんて2つに1つだぞ?」
「ああ、だから私もわけが分からなくてな」
敵は「よっぽど強力なモノ」か「私に強い恨みを抱いているモノ」の2つに1つ。
サイトウさんが悩んでいたのも私が以前から考えていたものと同様であったようです。
私のこの手の知識だなんてサイトウさんから教えられたものがほとんどなのですから当然といえば当然かもしれませんね。
「おんなじ家に住んでる両親にはその女の声は聞こえないし、精神的なもんでも肉体的なもんでも障りと呼べるようなものは無し……」
「ああ、少なくとも私が知っている限りでは」
「お前自身にも
彼女の推察もほぼ私と同様のものでした。
サイトウさんには私の部屋にいる女の霊が力の強いものとは思えないとのこと。
「かといって女に恨まれるような覚えはないぞ?」
「ホントか?」
「サイトウさんには私が近づく女を意識せずにヤケドさせちゃうような色男に見えるかい?」
「冗談だ。まっ、お前にゃそんな事ぁ、無理だろうね」
どこまで本気かは分かりませんが、サイトウさんも私が恨みを持っているモノに心当たりがないというのは信じてくれたようです。
「まっ、とりあえず現場を見てみねぇ事には分かんねぇわ」
「ホントに行くの……?」
もうサンドイッチには手を付けるつもりがないのか彼女は私に伝票を押し付けると立ち上がり私に店を出ようと促します。
私は霊的なものは彼女の専門ですのでそっちの心配はさておき、私の部屋に仮にも女性であるサイトウさんを招く事に対する躊躇いはありましたが、彼女の刺すような視線に結局は抗う事もできずに残っていたアイスコーヒーを啜ってから立ち上がりレジへと向かう事となったのでした。
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