花も花なれ 人も人なれ

 女三人寄ればかしましい。それでは、四人では?

 こっくりと濃厚な深緑を爪に広げてから、遥香が悩まし気な吐息を漏らした。

永遠とわのため息」なんて名前のネイルポリッシュを塗るからだ。さっき、遥香の恋の悩みとやらを散々聞かされたばかりで、しかもそれは悩みとは名ばかりの「本人だけが気付いていないお断り常套句」だったもので、溜息を吐きたいのは正直こっちのほう。私は心持ち広めに窓を開けてみる。


「寒ーい」

「換気だよ」


 非難の声をかわし、窓枠から身を乗り出して西の空を仰ぎ見れば、木星と金星が仲良く輝いているのが見える。まるで天幕に開いた穴みたい。いや、深海から見上げる水面の光、っぽい? 口から洩れた息は、海の底から立ち昇る泡のようにとろとろと緩慢で、とても白く、眠たそうだ。

 視線を少し落とすと交差点がある。アパートの二階から見下ろす地面は黒々と濡れたように深い色合いをしている。青から黄、少しして赤と目まぐるしく変わる信号機の光が、誰もいない道路を延々と静かに装飾し続けていた。



 暖房の効いた室内では、夏帆が鼻歌まじりでキッチンに立つ。とは言えだいぶ薄着のように思える。とぎれとぎれに聴こえる黒猫のタンゴの合間を縫って、冷蔵庫を開け閉めする音と、水道を使う音と、コンロに火を着ける音がした。「旅行に行きたいなぁ」と、現実味のない声で遥香がつぶやくのを拾い上げる。


「例えば何処に?」

「トルコ!」

「あ、私も行きたい。あのね、カッパドキアの洞窟」

「それってアレでしょ? 隠れキリシタンみたいな人たちが居たところ」


 振り返った夏帆がおかしなことを言うので、遥香と私は思わず顔を見合わせる。このちょっとずれた所が夏帆の魅力でもあり、残念な所でもあり。私たちはそんな夏帆が大好きだ。


「……トルコの話だよ」

「アレ、違った? じゃ忍者の隠れ里か」

「だ~か~ら~! トルコだってば」

「つーか、また変なピアス。それどこで買ったの?」


 夏帆の耳たぶには金色の粒が光っている。よく見ればそれはモアイ像の形をしていて、彼女の恋人が遺跡発掘のアルバイトをしていることを差し引いても、やっぱり妙ちきりんだ。

 どうでも良い情報だが、そのピアスが国立博物館の売店で売っていることを実は把握している私も、友達としては相当年季が入ってきたんだと思う。あそこには埴輪模様の万年筆だって、縄文式土器模様のネクタイだって売っている。



「やぁだ、これじゃ鍋焼きうどんじゃなくて、地獄の業火から招かれし闇鍋やないの。煮詰まりすぎ!」


 キッチンで何事かに集中していた千秋が、コンロで湯気を上げ続けている鍋焼きうどんの状態に気付いて声をあげた。大変けたたましい。ほんの少し関西訛りの入った千秋の声はよく通る。おまけによく喋る。「あたし前世は関西のおばちゃんやから」というのが口癖なだけある。


「そう?」

「そう! って言うか唐辛子入りすぎ! これちょっと薄めようよ〜。料理酒どこ? 日本酒でも可。あっ、ねぇ、紅茶飲む人いない?」


 隣で熱心に仕上げコート剤を塗っていた遥香がすいと手を挙げた。その横顔があっちを向いている隙を狙って、手元の缶からハイボールをあおる。


「あ、私飲むよ」

「助かる〜」


 飲むと答えた遥香は「今夜は飲んじゃうよ~」などと続けて呟いたので、これはきっと勘違いしているなと気付きつつも放置だ。私は再び窓の外を見上げて、ひしゃくの形をした北斗七星の姿を探し始める。



 遥香が乾きかけのネイルをひっかけないよう慎重にマグカップを受け取る姿は、どこか子供じみていて可愛らしい。サイコキネシスが使えたらいいのに、なんてますます子供っぽく唇を尖らせる。


「え、なんで紅茶? 日本酒じゃなくて?」

「えー? 私のとっておきの茶葉ことディンブラで淹れたチャイだよぉ!」

「だって日本酒って聞こえたからぁ!」

「んもう! スパイスミックス増し増し~の、おろし生姜ピリピリ~の、飲めばぽかぽかに暖ま~る、甘くてマイルド、且つスパイシーな……とにかく飲んでよね!」


 文句たらたらでマグカップの中身をひとくち舐めた遥香が「おいしー!」と上機嫌になる様子は、何度見ても予想の範囲内。不文律。お約束。恋多きというか、惚れっぽいというか、すぐに誰かに熱をあげて駆け出して行ったかと思えば、しょんぼりと戻ってくるのが遥香で、それを温かく迎え入れるのが我ら三人の定例イベントにもなりつつある。

 でも、失恋から立ち直るまでがワンセットだったら、遥香の恋が叶う日は果たしてくるのだろうか。


「う〜〜〜ん、うん。一句、できました!」


 いい加減、酔いの回ってきた頭で部屋の中を見渡し、立ち上がり、挙手をする。おお、出たな歌人・燈子殿。やんやと悪友たちが騒ぎ始める中で目を瞑り、そして大きく息を吸う。集中、集中。私は歌人。ここは舞台。空想上の舞台では豪奢な刺繍の施された緞帳が幕を開け、スポットライトがしんと静まりかえったホールに灯る。……詠みます。


 君が為め尽くす心は水の泡 消えにし後は空腹なりけり


「あんた岡田以蔵に斬られるよ!」

「ってか辞世の句じゃん」

「水の泡って酷くなーい?」

「ねー、いい加減お腹すいたー!」

「それな」

「それでは、恐怖・火鍋うどんの宴、開催と相成りました!」

「鍋焼きうどん、どこ行った」


 バレリーナのカーテンコールみたいに大仰な仕草でお辞儀をして締めくくるのを他所に、千秋が旗振りを再開する。けたたましい。やかましい。そうやって落ち込む暇など与えないのが、私たちなりの慰め方なのだ。たぶん。

 煮えたぎる鍋からぐてぐてに煮込まれたうどんを掬いあげ、遥香が「わはは」と笑い声をこぼす。


「ねぇ、楽しいね」

「だね」

「私たち、おばあちゃんになってもこうやって馬鹿騒ぎできたらいいよね」

「そうしよ! 約束!」


 指切りげんまん、の声がひときわ大きく弾け出して、それがこれ以上外に流れ出ていかないように、私は慌てて窓を閉めにかかる。ちらりと見えた夜空はさっきまで輝いていた木星と金星が姿を隠し、その代わりに、真っ白い月が煌々と街を照らしていた。私は声にならない声で、やっぱり泡のように白い息を燻らせる。

 さよなら、おやすみ、またあした。



(本文の文字数:2,484字)

(使用したお題:「永遠」「鍋焼きうどん」「ニンジャ」「河童」「黒猫」「うた」「日本酒」「モアイ像」「ひしゃく」「念力」「万年筆」「ピアス」「カーテンコール」「紅茶」「深海」「赤信号」《和歌or俳句の使用》)

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