スローステップをあなたと

 お皿に残った焦茶色のソースを真っ白なパンの欠片で掬い取る。きれいに拭い終えると左側から手が伸びてきて、失礼致します、とお皿を回収して行く。

 最初に出てきたカリフラワーのポタージュスープなんて、鍋から直に柄杓で掬って飲みたいくらいに絶品だった。それこそ永遠に飲んでいたいと思うほど。

 あらためて、このお店のお料理は本当に美味しいなぁと思いながらグラスの中のペリエとやらを飲んでいると、次のお料理が差し出され、目を細めた私はさっそくフォークとナイフを握り直す。


「美味しそうに召し上がりますね」

「よく言われます」


 正面の椅子にゆったりと腰掛けてサラダをつついている男性は名前を篠崎さんといって、私のお見合い相手である。

 我々は目下二回目のデートの最中になる訳だけど、正直なところ、私には結婚するというビジョンが全く持てず、ただただ親の顔を潰さないためにここにやって来ただけである。あと、食事。私は美味しいご飯が大好きだ。

 さっきのお魚も美味しかったけれど、この牛タンときのこの包み蒸しとやらも大変美味しい。ふわりと蒸し上げられた牛タンに、きのこの食感が心地よい。

 お肉の味を消さないようにか、味付けのお塩はごく少量に抑えられている。その分レモンを搾って酸味を補うのだけど、少し難しい。恐る恐るだとあまり果汁が出てこないし、かと言って力を入れすぎると種が出てしまう。いっそ念力でも使えたら、適量をきれいに搾れるのに。

 そんな事を考えながら、ナイフとフォークで一口大に切り分けた分厚いお肉を頬張る。とろり、とろける。口の中に静かに広がる旨みのハーモニーに私の頬はまた緩んでしまう。


「お酒はあまり飲まないんですが……これは、日本酒に合わせても良さそうです」


 篠崎さんが言うのをふむふむと聞きながら、付け合わせのグリーンレタスと何か珍しいお野菜をフォークで刺す。なんだろう、これ。味はあんまりしないけどパリパリしてて悪くない。


「ビーツです、それ」

「へぇ、これが」


 ビーツと言えば、ボルシチも食べてみたいな。なんて思いながら、薄くて紅い輪っかをもうひと切れ口にする。そうしながら、こっそり篠崎さんの様子を伺うと、こちらを見ているのと視線が合わさる。きれいな黒目がちのアーモンドアイ。少し慌てて俯けば、薄い唇が静かに弧を描くのがわかった。

 篠崎さんは何だかちょっと掴みどころがない。まるで黒い猫みたいに。



 篠崎さんから二度目の食事の打診があったと両親から聞いた時、はっきり言って意味がわからなかった。

 私にとって篠崎さんは八人目のお見合い相手だ。それまでは私なりに相手に気に入られようと頑張っていたものの、気を遣えば遣うほど、頑張れば頑張るほどに相手との距離が遠のくようで、もうだんだん自分が何故お見合いなんかしているのか分からなくてなってきた所だった。

 お見合いは窮屈だ。

 何しろ張り切った母が着物など着せるものだから、美味しそうな懐石料理は半分も入れば良いほうで、後半は緊張と疲労が相まって、とてもではないがご飯を美味しく食べるなんてことは不可能になる。

 冷めていくご飯。冷えていく場の空気。そんなことで良いのか。いや、良くない。

 そうして開き直って、せめてご飯は美味しく食べようと帯の緩め方を教わり、挑んだ席に居たのが篠崎さんだった。


 今日はフレンチと聞いていたので、ウエストに負担のないワンピースで来ている。

 通された窓際のテーブルはきちんと予約がしてあって、美しく磨き上げられたグラスたちは陽の光を反射している。私の前に座った篠崎さんは、気持ちの良い食欲でコース料理を軽く平らげて、先ほどまで食後のコーヒーを美味しそうに傾けていた。


「薫子さんは、着物もワンピースもよく似合いますね」

「はぁ、ありがとうございます」

「それで、これも薫子さんに似合うんじゃないかと思いまして」


 食事があらかた済んだテーブルの上に、白い小箱が乗せられた。華奢な箔押しが施された小さな箱には唐草模様というのか、蔓と葉のデザインが描かれている。

 少し迷ってから小箱に手を伸ばし、蓋を開けてみた。

 光沢のあるサテン生地の上には一対のピアス。よく見れば、精巧な細工のそれは苺の形をしている。


「わぁ、美味しそう!」


 思わず出てしまった感想に、篠崎さんは微笑んだ。それから「やっぱり」と言う。


「薫子さんならそう言ってくれると思ってました」

「は……い、あの、なんかすみません」

「いいんですよ。それに、好きなんです、食事を美味しそうに食べる女性が」


 さすがに反省したものの、篠崎さんは歌うように言い切ってから手を挙げて店員さんを呼ぶ。お会計だ。気付いた私はカバンの中からおおよその代金を入れておいた封筒を取り出したけれど、篠崎さんはそれを受け取るそぶりは見せない。


「それは次回に取っておきましょう」

「次回?」

「そのピアスを付けて、苺狩りに行きませんか?」


 苺狩り! なんて素敵な単語なんだろう。苺のピアスを付けて苺狩り。すごい。完璧だ。

 篠崎さんは、胸元のポケットから取り出した万年筆で支払い伝票にさらりとサインを書きつける。

 どうやらこのお見合いは成功に向かっているのかも知れない。いや、ぬか喜びになったら悲しいから、そう思うのは時期尚早。もう少し話が進んでからにしよう。

 とは言え自然と緩んでしまう口元を隠すために、もう一度、炭酸水の入ったグラスを手に取った。



(本文の文字数:2,180字)

(使用したお題:「永遠」「黒猫」「うた」「日本酒」「ひしゃく」《飯テロ要素の使用》「念力」「万年筆」「ピアス」)

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