第7話 メロメロメロンパン
「美羽ちゃんのおうち、アパートなんだねえー」
うちは一戸建てだからなーと、くるみののんびりした調子で言う。さっきの屋上での真顔とは打って変わった様子だ。
わたしはメロンパンとくるみと一緒に、谷崎家があるアパート前まで戻ってきていた。
雨足はますます強くなっており、ひゅんひゅんと冷たい風が吹き付けてくる。こうなる前に衰弱したメロンパンを保護できて本当に良かった。
安堵の反面、わたしの心は複雑だった。焦燥のような不安のような。まるでお腹の中でぶんぶん小虫が飛び回ってるんじゃないかってくらい気持ちが落ち着かない。
――これから、メロンパンを家に連れて帰るのだ。
――両親に、野生のメロンパンという生き物のことを見せることになるのだ。
両親の許しさえ出れば、わたしはメロンパンが元気になるまで面倒を見る気でいる。
こっそり隠して世話をしようかとも考えたのだが、わたしが学校に行くなどして不在の折に、うっかりばれてしまったら気まずいではすまない。
だったら先に話してしまって、だめだったらその時また考えようということが、わたしとくるみの計画になっている。
うちの親はおおらかな人だし、衰弱した野生パン相手に不躾なまねをする人間じゃない。自分の親というひいき目を抜きにして、そこは確かな信頼がある。
だけど、だからこそ、怖い。
「……わたし、今まで受け身でいることが多かったから。親にもあんまり、頼み事とかしたことがないの。だから、いきなりこんなことして驚かれないかな……」
どのくらい受け身だったかといえば、小学校で仲の良かった子はみんな、親同士がママ友だったおかげで一緒にいるきっかけができて向こうから話しかけてくれたとかだし。
部活もしてなければ進んで勉強に励む意欲もなく、家の手伝いもしていない。ただ誰かの世話になっているのを享受しているだけだ。
そんなことでへたれてうつむいていると、くるみがえへんと咳払いをした。
「親だって人間なんだから、驚いたりもするよー」
「それは、そうだけど」
「それに親御さんがどう反応しようが、わたしは美羽ちゃんの助けをする。だからだいじょうぶ」
「くるみ……」
早くしないと、雨でメロンパン濡れちゃうよー、わたしも風に飛ばされちゃうよーとも言われ。
わたしはくるみの励ましと助けに背を押されて(実際玄関に入る時に背中を押された)どきどきしながらメロンパンを連れ帰宅した。
「こんにちはー、浜松くるみですー」
くるみが玄関先でのんびり挨拶すると、すぐ母さんがでてきた。お昼の準備をしているのか、台所からいい匂いが漂ってくる。
「あらあら、初めまして。美羽の母です」
母さんはくるみの姿を認めると、軽く一礼してにっこり笑った。わたしが友人を連れてきたのが嬉しいんだと思う。小学校を卒業するくらいまでは、よく女子グループ数人で家でも遊んだりしてたんだけどね。
「すみません、突然来てしまって」
「いいのいいの、飲み物でも出すからあがっていって……っ?」
母さんの目線がくるみからわたしの手のひらに移った。
しわくちゃメロンパンがか細く「きゅうぅ」と鳴く。
思わず心臓がどきんと跳ねるけど、ここはきちんと対処せねばならない。
「ええと、やせいの子、かしら?」
どきどき、どきどき、どきどき。胸の奥がしつこくあらぶってしまう。
反応に困っている母さんのためにも、助けになってくれるというくるみのためにも。ここできちんと意思表示する必要がある。意を決して、口を開いた。
「母さん、一時的にこの子、メロンパンの面倒を見たいの。今とても弱っているから、ほっとけないの。元気になったら、もといた場所に戻してあげるから」
数分後、わたしとくるみは暖房のついたリビングで母さんのお手製ホットレモネードを飲んでいた。いわゆるウエルカムドリンクである。
メロンパンはというと、こっちはメイドオブ父さんのオムライスをむしゃむしゃ食べていた。お腹をすかせて体調を崩してるのではという母さんの意見から、お昼用に作っていたものをそのままメロンパンにあげた。
母さんが正しかったのか、メロンパンはオムライスにがっついている。温かいものが欲しかったのかもしれない。
「美味しそうに食べるねー。このレモネードもいいお味だし。クリスマスパーティーとかに良さそうな感じ」
くるみはウエルカムドリンク片手に、ご満悦の様子だ。
この光景からもわかるとおり、母さんも父さんもメロンパンを受け入れてくれた。心配していたのが馬鹿みたいなほどゆったりした空気が流れている。
うちのアパートはペット可だし、野生パンに接するのはわたしより母さんたちのほうが慣れている。
「あなたが野生パン初心者なら、毎日スーパーで野生パンの接客をしてる私は中の上級者よ」
なんて笑って言って。
それでこのゆっくりした時間を過ごせているのだけど、わたしはどうしても腑に落ちないことがあった。
「……母さん、ほんとにいいの? わたしが言い出したことだけど……本当にメロンパンがうちにいて平気? 一応連れ帰ったことには驚いてるんじゃない?」
矢継ぎ早に尋ねると、母さんは余裕たっぷりのオトナの笑みを浮かべた。
台所からは、父さんがわたしとくるみの分だというオムライスを追加で作る調理の音が聞こえてくる。土曜の不思議な昼下がり。
「そりゃあ、驚きはするわよ。美羽は音のこととかでも大変だし、自分が大変なだけ他人に気を遣うのもわかる。けど私は美羽より長く生きているし、それだけ激動とか驚愕といえるできごとも経験したわ。でもね、人間ってどんなこともその後に生かしていけるものなのよ。それに私は弱った誰かを助けるってことなら、命がかかってる分どうにかしてあげたいと思うな」
「そうなの?」
「そうよ」
母さんという大人の台詞には、一切の迷いがなかった。それを事無げに言い切るのだから嘘ではないということがわかる。
「母さん、ありがとう」
わたしがお礼を言い、母さんはいいのいいのと片手をひらひら振った。
「せっかくなんだし、その子に名前でもつけてあげたら? もし別の野生のメロンパンちゃんと知り合ったらややこしいでしょう?」
「いいねー、お名前つけよっか-」
母さんの命名してあげたらという提案に、くるみが乗っかってくる。わたしは悩んだ。
「どんな名前にすればいいのかな」
「ふふ。野生パンには名前付けないで一緒に暮らす人も多いからねー。でも実はわたし、もう有力候補決めてるんだよ?」
さすがくるみだ。マイペースに仕事が早い。
「どんなの?」
件のメロンパンは、オムライスを完食してうたたねしている。
「前に美羽ちゃん言ってたよね。恋かもって思う程度にメロンパンさんが気になるって」
「う、うん」
そんな恥ずかしいこと言ってたのかと、顔が熱くなるのを感じた。
くるみは続けて、真剣な面持ちでこう言った。
「美羽ちゃんはメロンパンにメロメロなんだなって思ったの。だから、メロンパンのメロってどうかなっ」
「メロ。メロンパンのメロ」
一見猫のタマ並に簡単なネーミング。だけどくるみが本気で考えたことだけは、表情から伝わってくる。
「うんっ。メロ、いいと思う」
わたしがそう返すと、母さんも頷いた。
カーペットの上でうたたねしていた「メロ」に近づくと、ぴくっとメロが動き出した。
「メロンパンさん、今日から元気になるまで一緒に暮らす谷崎美羽です。よろしくね」
こわごわ声をかけると、メロは「きゅうぅっ」と不思議そうに鳴いた。くすんでいた体色が、少し良くなった気がする。
「これからメロンパンさんのこと、メロって呼んでもいいかな?」
「きゅうっ!」
ぺこりとメロがお辞儀をした。初めて目にする可愛らしい仕草に、わたしは目を細める。
「あら、いい香りね」
母さんが部屋を見渡して言った。
あたりいっぱいにメロンの爽やかで甘ーい香りが充満していた。
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