第4話 これでいいの?
野生のメロンパンとの衝撃的対面から数日後。
中学生らしく学校で学業に励んでいたはずのわたしは、保健室で休ませてもらっていた。
ここ数日の授業は、十二月らしく先日終わった定期テストの答案返却が続いている。
それでさっきは、今回一番難しかった数学のテスト返却だった。
学年平均点が六十点。いわゆる赤点を取ってしまい、血相を変えて悲鳴をあげる人も少数ながらいた。
「お母様になんて報告しようかしら!」と甲高く叫ぶ男子、前回より大幅点数ダウンしたショックで笑い出す女子も。なんていうか、答案に赤く記された数字ひとつで人ってこんなに騒げるんだなって感じ。テスト後の見直しも大事なんだけどね。
で、阿鼻叫喚の嵐に飲み込まれた谷崎美羽さんは、めでたく頭痛が発生したので教室を脱出した、というわけだ。
先生方は事情を分かってくれていることもあって、わたしが保健室に行くというと数学の先生は、
「こんなお祭り騒ぎじゃ、聴覚過敏にはキツイわよね~」
と苦笑しつつ送り出してくれた。この状況が生まれたのは、先生お手製のテストが難しかったからですよなんて、野暮な突っ込みをしてはいけない。一歩間違えればわたしも悲鳴を上げる一人になっていたかもなんて気にしてはいけないのである。
ちなみに聴覚過敏というのは些細な音でも敏感に察知してしまう、簡単に言えばわたしのように「音」に敏感すぎて不調をきたすこともある症状のことだ。
昨今は様々な理由で、聴覚過敏の人が増えているとのこと。精神的不調による後天的な場合もあれば、わたしと同じく生まれつきそういう気質として先天的な聴覚過敏の人も結構いるようだ。
言葉自体が有名になってきたこともあり、基本わたしが自分の「音」のことを他人に説明する際は、この聴覚過敏というワードを使っている。
……え、わたしのテスト結果? 幸いわたしは平均プラス五点取れた。数学は得意でも苦手でもないからまあいいのかな。できればもうちょいいきたかったけど、まあいいよね?
保健室ではベッドでなく座って休ませてもらい、保健の先生と軽く昨日の晩ご飯とか好きな歌とかの他愛ない話をした。本当に恵まれた環境にいさせてもらっている。
きっと多少の不調では、ひどい話だけど我慢して教室にいさせられるような学校もあるだろうに。それで不登校にならざるを得なかったケースも聞いたことがある。
もしそんな場所にいたら、わたしは学校という枠組みからドロップアウトしていただろうに。だけど今は、みんなにわかってもらえている。他のみんなと違うことを。
すると胸の奥にもやっとしたものが湧き上がって、灰色の渦を巻きだした。
――これで、いいのかな。ずっと甘えっぱなしで。
心の声に被さるようにして、授業終了のチャイムが鳴る。誰が何を思おうと、わたしが何に悩もうと、時間だけは万物平等に過ぎていく。地球という惑星が始まってから永久不変であろう時間という概念は、いくら時代を重ねてもずっとそのままだ。たとえ革命が起きようが、恐竜が絶滅しようが、野生のパンがふにふに現れようと。
「美羽ちゃん、具合どう?」
友人の浜松くるみが顔を出し、わたしのもやもやタイムは一時的に終了した。
時間はお昼休み。うちの中学は給食制だから、本来なら教室に戻ったほうが良いのだろうが。
「給食運んでもらっちゃった。先生が、冷めないうちに持ってってやれって」
くるみの後ろに、給食着姿の男子がいる。彼は両手にひとつずつ、二人分の給食のトレーを持っていた。今日の給食は、プリンが付いているようだ。
「タニザキ、量これでいい?」
あまり話したことのない男子が、緊張混じりに言いながらわたしの前にトレーを静かに置く。向かいの席に、もうひとつのトレーも降ろす。
「ありがとう。これで大丈夫だよ」
わたしもやや緊張しながら返すと、男子ははにかみがちに笑ってくれたのでほっとした。 うう、もっと男の子と話すのにも慣れたいなあ。
そう思うわたしの前で、くるみがのほほんと「これ、お礼ねー。ありがとー」と、向かい側のトレーから男子にプリンを渡す。
「サンキュー、テスト微妙だったからこれで立ち直れるわ」
「じゃあ、私は午後の授業には戻るから。美羽ちゃんがどうするかはわたしがその時言うねー」
「わかった、一応担任にもう一度言っておくわ。じゃあオレはこれで」
じゃ、と片手をあげて男子はすたこら教室へ戻っていった。ほんとに良い奴だ。
くるみのコミュ力に見とれていると、
「先生にはオッケーもらってきたから。いっしょに食べよ」
と当たり前のようにわたしの向かい側に座った。くるみは一見のんびりしてるだけのようで、羨ましい行動力の持ち主だ。
保健の先生の許可も得て、いただきますと言ってお昼にする。
コッペパンをかじっていると、くるみがじっと見つめてくる。
「どうしたの?」
「ううん、この前野生パンと会った話してたから。詳しく聞きたいなって」
「パン食べてる時にその話題振るとは、くるみも勇者だね。まあいいけど」
わたしにはあの子――野生のメロンパンや、いつぞ踏みつけそうになった食パンは文字通りの「生き物」食べるパンとはまったくの別物に見えた。
だからパンを食べながら野生パンの話をすることは、わたしはノープロブレム。人によってはNGの場合も多くあるので、注意は必要だ。
「メロンパンっていっても、黄緑色のまんまるなの。実際にメロンのクリームや果汁が入ってるようなタイプだと思う。鳴き声が甘かったし」
「どんな風に鳴くの?」
「きゅうううぅって。あー、わたしじゃ真似できないなあ。もっと甘い声」
わたしの下手っぴな鳴き真似に、くるみはスプーンを手にくすくす笑う。笑いに合わせて、紺色のリボンで可愛らしく結ばれたツインテールがゆらゆら揺れた。
どんなに忙しそうでも、くるみは毎日きっちりツインテールをセットしていてすごいと思う。わたしはそういう髪の手入れが面倒なこともあって、小さな頃からボブショートを維持している。本当なら、わたしもリボンで結わえたりしたいんだけど……。
「ねえ美羽ちゃん、そのメロンパンさんてどこに住んでいるの?」
美羽の質問に不意を突かれる形で、わたしの意識は美羽の髪からメロンパンに戻った。
「住んでる場所……、か」
それは考えたことがなかった。
「野生だけど、デパートの近くに住めそうな場所あったかなあ」
なんせわたしは野生パンに対する知識が乏しい。今の時代、インターネットか関連書籍を開けばいくらでも情報は手にできるだろう。
するとくるみが、どこか気遣わしげに言った。
「その子、ジェラート好きなんだよね? 意外とデパートの中に間借りしてるのかもって思ったんだけど。……ほら、もう冬じゃない? 野生のパンは寒さに弱い個体が種類問わず多いって聞いたことあるから、外だと風邪引いちゃうんじゃないかって。冷たいものが好きなパンは体も冷えやすいから。わたしもうまく説明できないんだけどね」
途切れ途切れでゴメンというくるみの説明を、わたしなりに解釈してみる。
「寒さに弱い野生パンが、あったかいデパートに住んだ。けど冷たくて美味しいジェラートを見つけてしまって結局体を冷やしてしまう。てことかな? だとしたら本末転倒じゃない」
「そうなの。最近野生パンが人間と暮らす例が増えてるのは、パンが外での生活に限界を感じているからともいわれてるんだよね。だからかはわからないけど、人間に懐くパンも増えたんだってー」
「そうなんだ……」
パンのセカイもいろいろあるんだなと思った次の瞬間、わたしの背筋がぞくりと震えた。
「あの子……。大丈夫かな」
「心配なの?」
「ん、まあね。ずっとメロンパンがふにふにしてるのが、頭から離れないっていうか」
それを聞いたくるみは「そっか」と淡い笑みを浮かべた。
「そのメロンパンさんのこと、美羽ちゃんは気になってるの?」
「うん……。恋かもって思う程度には」
一見ふざけたような言動にも、くるみは真剣に頷いてくれた。
続けて。
「わたしもそのメロンパンに会いたいなー。ねえ、どこのデパートだっけ?」
その週末、わたしはくるみと一緒にメロンパンに会いに行くことになった。
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