第2話 メロンパンにジェラートを、わたしに静寂を。

 どうやらメロンパンがジェラートを食べたがっているらしい。

 数年前のわたしだったら意味不明としか思えない現象が、目の前で起きている。


 けど周りにいる人たちは慣れた様子でメロンパンを見守っている。よくあることなんだろうか。

 近くにいるシルバーヘアのご夫婦に至っては、「パンにどうやってジェラート売ればいいのかしらねえ」「メロンパンは冷たいもん食べて、腹壊さないんかなあ」なんてにこにこ平和な会話をしている。

 

 すると。

「お客様、ご注文は苺のジェラートでよろしいでしょうか?」

 美人な売り子のお姉さんが、なんとメロンパンに向かってごく当たり前のように話しかけたのだ。


「きゅううう」

 するとメロンパンが、甘ったるい声で応じる。多分「それでお願いします」と言っているのだと思う。多分。


 顔があんぐりとなったわたしに対し、周りにいる他のお客様や店員さんの顔に動揺の色は見られない。お姉さんがスマイルで続けた。


「お求めいただきありがとうございます。野生のメロンパンさんは苺が好物とおうかがいしております。当店の商品が野生のパンの皆様のあいだでご好評だということを、わたくしたちも嬉しく思っております」


 苺がメロンパンの好物?

 このジェラート屋が野生パンのあいだで好評って?


 つまりメロンパンは苺のジェラートがお気に入りで、かつ他にも野生パンがこの店に来ることがあって、野生パンたちの間で大好評ということ、だよね……。


 野生のパンって人を警戒する子が多いはずだから、このデパート近くは人慣れしたパンたちも多少なり生息しているのだろうか。


 なんというか、世界はわたしの知らないことだらけだ。


 お会計をどうするのかが気になったが、お姉さんはレジでどこかのボタンをぴっと押す。野生パン専用の会計ボタンでも付いてるのかもしれない。

 そのあいだに別の売り子の気前よさそうなおじさんが、手慣れた様子でミニサイズのコーンに苺ジェラートを盛り付け、どうぞこちらをとメロンパンに渡した。


「きゅう!」

 

 クリームとソースとフルーツが一杯盛られたパンケーキみたいな声(自分でもなんでこんな例えになるのかわからない)をあげて多分お礼であろう声を上げ、背中にジェラートを背負ったメロンパンは、ダチョウ並の俊足でその場を後にした。ジェラート落とさないよね……?


 やっぱ、野生パンは足が速い。どこに足があるかは謎だけど。


 メロンパンが立ち去った後も、その場にいた人々は平然としていた。

 奈良のほうじゃ鹿が人々の生活に溶け込んでいると聞いたことがあるけれど、鹿はお店で店員さんとやり取りなんてしないし、ジェラートも食べない。 


 わたしも野生パン自体は何回も直接目にしたり踏みそうになったりしたけど、こういう誰かとコミュニケーションをとるようなのは初めて見た。


 なんていうか、今見たあの子、メロンパンはとても自由そうだ。


「いいな、わたしも自由になりたい……」


 自分の口からふと、心の声が漏れた。

 焦って口を手で覆うけど、誰もわたしが声を出したことにも気づかないようだ。


 内心ほっとしながら、わたしはコツコツと靴音をたててその場を去り、デパートを出た。

 外は眩しい快晴だった。雲ひとつ無い空で元気に輝く太陽に、目を眇めて歩き出す。


 本当はわたしも、苺のジェラートが食べたくてあのお店の前に行ったんだけどね。


 

 駅前のデパートから家に着くするまでには、路線バスで約二十五分だ。今日はバスも道も空いていたから、気持ち早めに帰宅できた。


 わたしは人混みが苦手だ。といっても家族や友達といった信頼できる人と一緒なら、よっぽど治安が不安定な場所でもない限り大丈夫。


 でも一人で不特定多数の人がひしめく中に行くと、音が気になってしまう。人の話す声や駅のアナウンスだとかお店の呼び込みだとかの至って普通の街の音。


 まるで人の声が、耳を突き刺してくるように感じてしまうのだ。


 同じ学校でも、気を許せる人が教室にいないと不安になってしまう。


 友達としゃべってた時は気にならなかったちょっとした物音、ドアの開く音や廊下を誰かが走る音、ついでに廊下は歩けよと咎める先生のあきれて諭す声までもがちょっと怖く感じる。全部何気ない日常の一コマである風景なのに。


 いつからこう音に敏感なのかと聞かれると、あいにく生まれつきですとしか答えようがない。わたしは部屋に一人ぼっちにされると、すぐさまわあわあ泣き出す赤ちゃんだったらしいから。


 今日は一人でデパートに行った。わたしが行くデパートは音量も人数も比較的他のお出かけスポットより落ち着いている。わたしからすれば、ショッピングモールやアウトレットに行くよかずっと「安全スポット」だ。


 ……休日のおもな外出先が駅前デパートっていう中学二年女子、わたしの他にいるんだろうか。まあ、あのメロンパンだってジェラート屋の常連さんみたいだし。別に問題はないよね。


 それでも今日は催事でもあったのか、いつもよりデパートは混んでいた。十二月だし、年末商戦とかクリスマス商戦とかも大いに関係ありだろう。


 お客さんの賑わいも店員さんのかけ声も、店内BGMも迷子のお知らせもいつもより一オクターブテンション高くて、すっかり疲れ切ってしまった。


 なんていうか、テンション高いのがわたしの耳にそのまま一束になって突っ込んでくる感覚。連れに誰かいれば、それだけで安心できたとは思うけど。


 だからちょっとジェラートでも食べて気分転換したかったんだけど、メロンパンの件があって「もういいや」となってしまった。元からウインドーショッピングの予定だったから、早めに切り上げていい外出だったし。


 だからわたしは、音の恐怖から自由になりたい。


 メロンパンがふにふに苺ジェラートを欲しがったみたいに、わたしは静寂を欲していた。

 ……また同じ場所に行ければ、またあの子に会えるのかな。

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