やせいのメロンパン Lost Child
七草かなえ
第1話 ガール・ミーツ・メロンパン
夏休みのデパートにて、わたしは野生のメロンパンと出会った。
何を言ってるんだと思われそうだけど、野生のメロンパンはわたしの目の前にちゃんと存在している。
まるでメロンソーダは緑色だというのが当たり前だというのと同じテンションで、野生のメロンパンはふにふにと動いている。
混乱しているのかなぜかメロンソーダが出てきちゃったところで、野生のパンとはなんぞやについて説明しよう。
もうだいぶ前、といっても数えてみればほんの二年半の話。世界どころか全宇宙が衝撃を受けそうな大事件が発生した。
事件現場は、日本国内の製パン工場やベーカリー。
事件内容は、ざっと言えば製造されてから出荷・販売される前のパンたちに心や魂らしきものが宿り、自我が発現したというもの。
つまり食用だったパンが、生きて動きだしたってことだ。
自我が目覚めちゃった彼らパンたち、は工場やお店から大脱走。いろんな騒ぎを経たのちに、野生化してわたしたち人間の身近に住み着くようになったのだ。
……これは全部、ぜんぶ本当のことだ。
不思議すぎて、正直わたしもなにがどうなっているのかよくわかっていない。
だって野生化したのは、正真正銘の食べるためのパンだ。パンの形をした小動物とかでは決してない。あんぱんとかカレーパンのような食卓やおやつでおなじみのやつが生きて動いてるのだ。
人間も人間で、数年たたないうちによくもまあこんな珍事に慣れたなとわたしは思う。
そんなアンビリーバブルな事件があった直後から、国内外のあらゆる専門家が、野生化したパンの研究を進めてくれている。国連始めとした国際機関、各国政府も専門家チームを組んでことにあたっているとのこと。
特に野生パンたちが世界へ与える影響、安全性についての研究調査は特に急がれた。
当初は宇宙人だか地底人だかが送り込んできたナニカとか、生物兵器だとの物騒な説も支持されていたし、多種多様な立場の人たちが多種多様の苦労をしたはず。
ちなみにわたしは当時小学生だった。子ども心にバイオテロ説を力説する昼のワイドショーに怯えてがたがた震えては、見かねた母さんにチャンネルを変えられたものだ。
幸い野生パンたちが、人間や生態系に悪影響を及ぼす可能性は低いであろうことは早い段階で解明された。
現在は彼らの生態と「心」がどこから来たのかについての研究が期待されているらしい。
そういえばあの頃、同じ小学校でフランスパンと正面衝突してすっころんだ男子がいたとの話を聞いたけど、あれは事件事故ではどういう扱いになるんだろう……?
……まあ今この瞬間も、あらゆる分野の研究者が頑張ってくれているんだろうなと思う。お昼のワイドショーも野生パンについて取り扱わなくなった。あの手の番組で視聴率稼ぎになるショッキングなネタがなかったからだろう。
それからなんと、野生パンといっしょに暮らす人々も現れ増えていった。
わたしからすれば、パンが動き回っていること以上に人と家族や友人として共生するというできごとのほうがパンチが効いたニュースだった。
もともと人が製造したパンだから人慣れした個体も多いのだろうし、人が野生パンに慣れるのも割と早かった。今や法律で野生パンの保護や飼育について制定されているほど。
すっかり野生パンたちは、わたしたちの生活に馴染みきっている。
とはいえ基本的に野生パンは警戒心が強い子が圧倒的多数らしく、人慣れした子を除けば、ほとんどのパンは人間が近づくと脱兎のごとく逃げ出してしまう。ニュースのネタにしにくいのは、野生パンを直で取材したり、カメラに納めることが難しいからでもある。あまりやりすぎると虐待につながりかねないし。
かくいうわたしも野生の食パンっぽいのを道路で踏んづけそうになってしまい、脱兎どころかチーターと張り合えるんじゃないかってスピードで逃げ出されたことがある。あれは本気でびびりました。
悪いのはうっかり踏みそうになったわたしなんですけどね……。
と、いろいろ騒動があったけど、結局世界中で野生のパン人気は高まっていく一方だった。
野生化現象自体は日本国内限定の現象なのだけど、おかげで海外ではネオクールジャパンとか言われて盛り上がっているらしい。
さて、そんなことより……、わたしは目の前にいるメロンパンをどうにかしなきゃ。
ここはデパ地下のジェラートコーナー。
とりどりの味のジェラートが食欲をそそるクーラーボックスに、やせいのメロンパンが張り付いているのだ。
ふにふにまあるい体を動かして、クーラーボックスのガラス面をこつこつと小突いている。
「きゅうう」
どこか切なげな鳴き声は砂糖っけある甘さを感じさせる。メロンパンだからだろうか。
この子はどうやら、お腹をすかせているようだ。
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