第3話 ともだち
「みゅー、みゅーん!」
「くーくーぅ」
人間では理解不能な会話が、目の前で繰り広げられている。アップルパイが何かとぴょんぴょん落ち着きないので、またどこかに体当たりしないか、俺は気が気でなかった。
するとカレーパンが、俺の方へひょこひょこと寄ってきた。
「くー」
「どうした?」
「くくー」
「?」
カレーパンが冷蔵庫をよじ登りだす。ちょうど冷凍食品が入ってるあたりで動きを止め、「くー」と鳴いた。
「開けてほしいのか」
俺が冷凍庫の引き出しを開けると、カレーパンが冷気に当たり、震えだした。
慌てて俺が手を伸ばす前に、カレーパンはすとんとアップルパイの上に落ちてしまった。
「アップルちゃん、受け止めてあげたの?」
結衣さんのおっとりした問いに、アップルパイは嬉しそうに身体をピンとさせた。
「そうか、ありがとな」
俺はアップルパイに礼を言った。とりあえず、中の冷凍ミートソースパスタを取り出してみる。弟の好物の品だったことと、母さんがよく週末に手作りしてくれたことを思い出す。
今親父と弟は、母さんの病院近くのアパートに住んでいる。親父も弟も、俺に懸命に一緒に住もうと説得してくれたが、俺は拒んだ。俺は両親と弟と暮らし、結依さんたちが訪ねてすごしたこの家を離れたくなかった。今までの思いでが、消えてしまいそうで怖かったのだ。
親父に率直に伝えると、ポツリと「そうか」と答え、弟を説得してくれた。
――お兄ちゃんは、母さんが帰る場所を守りたいんだよ。
まあどんな理由であれ、俺・森川瞬は家族と別居状態、になるわけだ。
どっさ。
何をどうやったのか、大振りアップルパイが俺の腕に張り付いている。
「あ、ごめんな。腹減ってるなら、このパスタあっためるぞ?」
放心から立ち直った俺を、カレーパンは静かに見つめていた。
「はい。ミートソースはけっこう汚れるから、気をつけろよ」
少年が、ほかほかと湯気のたつパスタを2枚の白いお皿に分けて持ってきた。
隣では、アップルパイがもしゃもしゃソースまみれになりながら、パスタをがっついている。結衣という女の人が、それをご機嫌そうに眺めていた。
カレーパンは、瞬という少年の顔をうかがった。さっき彼が、顔を青白くしてすくんでいたからだ。
「はは、外いたんだから腹減ってるだろ? 冷めないうちにおあがり」
瞬の言葉に促され、カレーパンももにゅもにゅとパスタを食べ始めた。温かい食べ物は、いつ以来だろうか。
カレーパンは「特製甘口ビーフカレーパン」として物心ついた時にパン工場を飛び出してから、そもそもあまりものを食べていない。野生のカレーパンというものは、もともと小食なのだ。
だからこのあったかパスタは、カレーパンの身体によくしみた。
カレーパンが瞬を見やると、彼は日溜まりみたく優しい目で、カレーパン(と、盛大にソースまみれになっているアップルパイ)を見つめていた。
「おいしいか?」
「くぅー!」
「そうか、良かった」
いつまで瞬と一緒にいられるかはわからない。
けどやせいのカレーパンは、今は確かに、瞬のカレーパンだった。
パスタにはしゃぐパン二体を見ながら、人間の俺は由衣さん持参のマカロニグラタンを食べていた。
食事くらい自分で用意できますと、いつも言ってはいる。けど結衣さんのおっとり笑顔で「またお湯三分ので済まそうとしてたんでしょう?」とにっこりされては反論できない。
結衣さん側の言い分としては、「家で母さんが作りすぎちゃったのよ」とのこと。その真偽はともかくとしてありがたくいただくのが礼儀というものだろう。それにおいしいし。
――もしかして、単に誰かの手料理を味わいたいだけかもしれないけど。
パンと俺の食事が終わり、由衣さんを見送る。
「帰り、暗いので気をつけてください」
相手が女性だけに、俺は心配の言葉をかける。
「ふふ、いつもありがとうね」
「みゅーん」
「……アップルパイも、また遊びに来ていいからな」
アップルパイは「みゅー!」とうれしそうに大きくジャンプした。
今日は、久しぶりににぎやかだった。いろいろと楽しかったので、それはいい。
「けど宿題は、やんなきゃな」
面倒だが、学校に通う以上ホームワークはこなさなきゃならない。
俺はカレーパンを再びソファで眠らせ、隣で学生の本分に取りかかった。すぴすぴした寝息に、思わず顔がほころんだ。
「おまえ、ここが安心するならいていいからな。アップルパイもまた来るだろうし」
そうつぶやいた後、俺はあることに気づいてしまった。
カレーパンのことを、親と弟にどう話そうかと。
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