十二話

「……」


 知らない天井、知らない部屋。


「……ふぅ」


 今日初めて会った人の家に泊まるなんて行儀がなってない、と怒られそう。そこまで考えて、怒る人はここにはいないのだと、アイリスは思い直す。


「あのまま森の中にいたら、空腹で倒れるか、寒さにやられるか、魔物に食べられたかも知れないもの」


 お母様も許して下さる、と灯りの消えた空間に言葉が溶ける。

 夜になり、ブランゼンから温かな食事を貰った。ベッドに横になって、後は眠気が来れば良い。


「浄化……全身を包むなんて」


 寝る前に「綺麗にしましょう」と掛けられた魔法を思い出し、またアイリスの頭が冴える。


「すっきりしたけれど、何をどうやってるのかしら……?」


 まだ少し怪我の違和感が残る足を曲げ、体勢を変える。窓へ向くと、レースのカーテンが外の風で揺らめいていた。


「……」


 月明かりがカーテンを染める。アイリスはゆっくり起き上がり、吸い寄せられるようにベッドから窓枠へと近付こうと────


「……あっ」


 床に着ける直前で足を止め、靴を履いてから立ち上がる。


「…………夜の、竜の都」


 カーテンを開けて広がる景色は、想像以上に鮮やかだった。

 月光に染まる深い色合いの家々は、囁くように煌めく。少し遠くの方ではまだ灯りも多く、歌や楽の音が風に乗って届いた。


「……目覚めたら、また森の中だったりするかしら」


 涼やかな風がアイリスの頬を撫でる。


「それとも、家のベッドの上かしら。そしたら、また」


 窓枠を握る手に知らず力が入り、アイリスの呼吸が一瞬浅くなる。


「…………森の方が、良いなあ」


 詰めた息を細く長く吐ききり、瞼を臥せる。俯いたままアイリスは、ベッドへと戻り頭まで掛布を被った。



   ◆



「……ゆめじゃ、ない……」


 起き上がったアイリスは、おもむろに頬をつねった。


「……やっひゃりゆえひゃあい……」


 窓越しに差し込むまだ柔らかい光を受け、部屋全体が淡く色付く。アイリスは呆けた表情かおになりながら、つねった頬を撫で、


「……あ。着替えなくちゃ」


 靴を履いて、扉横の壁へと近付く。


「この辺りだったかしら」


 コンコン、と軽く叩く。すると壁が滑らかに──


「……?」


 開かない。


「あ、あれ? ここじゃなかった?」


 アイリスは少しずつ位置をずらしながら壁を叩いていく。壁はうんともすんとも言わない。


「…………あれぇ?」


 本当なら壁が開き、クローゼットが現れるはず。昨日ブランゼンは実際にアイリスのワンピースを仕舞っていたし、アイリスもそう教わったのだ。


「んんん?」


 何か思い違いがあったろうか。アイリスは腕を組んで壁を凝視する。


「おはようアイリス。起きてる? 開けていいかしら」


 そこに、ノックの音と共にブランゼンの声が届いた。


「あっはい、起きてます。大丈夫です」


 扉へ振り向くと、少し眉尻を下げた顔でブランゼンが入ってきた。


「おはよう。朝食は出来てるけど……どうしたの?」


 下げた眉を持ち上げ、壁を睨むアイリスに首を傾げる。


「おはようございます、ブランゼンさん。……クローゼットが上手く開けられなくて」

「叩いても開かなかった?」

「はい。この辺り全面やってみたんですけど」


 アイリスはさっきやったように、また壁を叩く。


「本当。調子悪いのかしら……」


 言いながらブランゼンもコンコン、と叩く。


「あっ」

「ちゃんと開くわね」


 壁は音もなく開き、奥行きのあるクローゼットが現れた。


「少し調子が悪かったみたい。はい、ワンピース」

「ありがとうございます」


 アイリスはシミや汚れが無くなり綺麗になったグレーのワンピースを受け取る。


「足は……その感じだと大丈夫そうね」

「はい」

「良かった。じゃあ着替えて……」


 言いかけ、ブランゼンの目がほんの少し泳ぐ。


「? ……何か……」

「いえ、朝の支度をしてから食べましょう。ヘイルがいるけど気にしないでね」

「はい。……?」


(ヘイルさんも?)


 ここは、ブランゼンの家では無かったか。


「それと、一応と思って洗面の道具を持ってきたの」


 ブランゼンの後ろから、諸々を載せた華奢なワゴンが部屋に入ってきた。ふわふわと、空中を進んで。


「…………あ、ありがとうございます」

「終わったら案内するから、外で待ってるわね」


 そう言って、目を丸くするアイリスを残し、ブランゼンは部屋を出る。


「これも、まほう…………」


 壁に沿って着地したワゴンを暫し見つめ、


「………………あっ支度、しなきゃ」


 アイリスは着替え始めた。



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