第6話 日常-5
部屋の広さは居間と同じくらい。右には、難しそうな本がみっちりと詰め込まれた本棚が連なっている。左の壁には空のウォーターサーバーや、コンセントが抜かれた冷蔵庫。煙草好きだったからか、空気清浄機が三台も置いてある。
床の上には棚からあふれ出した本が散らばっており、部屋の中央にはドーム型の謎の機械が、蛸のように配線を広げて鎮座している。
「なにも変わってないな……ここは」
奥には、窓を背にする形で置かれた黒いデスク。デスクの上には斜めに配置された薄型モニタ。床に散らばる本を避けつつ部屋を横断する……はずが、うっかり本の角を踏んで体制を崩した。
よろめいた拍子に、本棚に肩をぶつけ、落下してきた辞典のような厚さの参考書が頭部に直撃する。
「いってぇー……」
頭を摩りながらデスクへと歩み寄る。モニタと反対側の角には、家族で撮った写真が置いてあった。
日焼けしてすっかりセピア色になった写真には、小学生の流星とベビーカーの上で気持ちよさそうに眠る陽詩。若い父さんと、首に赤い宝石のついたネックレスを下げて微笑えむ母さんが映っている。近所の海に散歩に行った時の写真だ。
引き出しの中にはキーボード。机の下のデスク・ワゴンは鍵がかかっており開かない。デスク上に薄く積もった埃を一撫でして、黒い革張りのワーキング・チェアに腰かける。部屋が一望できて、まるで社長にでもなったような気分だ。
事実、母さんは社長だった。正確には個人事業主。斬新で画期的なアプリケーションを開発し続け、仕事仲間からはまことしやかに天才と揶揄された人だった。
気象工学、遺伝子工学、人工知能。地理に歴史に民俗学。様々な分野の知識を持ち、電脳空間で効率的に作業ができる環境を作る創造主。父さんはデバッカーで、母さんのプログラムがちゃんと動作するか、どこが悪いかを調べるのが仕事だった。
本棚に詰め込まれた本も、もちろん一番多いのはプログラミングに関する本だが、あらゆる分野の参考書や論文が詰め込まれている。
幼い頃は手狭に感じたこの部屋が、いまは寒気がするほど広く感じた。
「大きすぎたんだよ、母さんはさ」
古い写真の若い母に、そっと告げた。
ふと、視界の端に入り込むドーム型の装置が気になった。
「なんだこれ」
流星は好奇心に促され、謎の機械へと歩み寄る。
大きさは半径一メートル前後。高さは流星の胸くらいなので、だいたい一メートル五十センチ。表面は、黒い鉄板の
機械の脇に台座が置いてあり、本体から気だるげに垂れ下がるコードが、台座の上のヘッドセットに繋がっている。
デスクに向かうようにモニタとキーボードが備え付けられており、モニタの上には「CHITORON」と
「ち、と……いや、シトロン、か?」
コンセントらしきものは見当たらない。
たぶん、家庭用の電源とは別の電源を引いてあるのだろう。
流星は、モニタの右角に見つけた電源ボタンを押下した。
コチッ、と指が沈むと、モニタが白く光を放ち、中央でレモンの輪切りのようなロゴマークがくるくると回りだす。
輪切りの下に表示された横長のインジケータが、灰色から青へと変わっていく。緩急をつけて左端から右端へと青で埋め尽くされると、画面が暗転した。
「あれ、落ちた?」
「こんばんは! アドミニスター!」
「うわあ!?」
唐突に溌溂とした少女の声が聞こえて心臓が跳ね上がる。
肋骨の下で暴れる心臓を抑えながら周囲を見回すが、当然、部屋の中には誰もいない。
気のせいだと思い始めた頃、黒く塗りつぶされていた画面に、またしても光が灯った。
「ややや、驚かせてしまい申し訳ありません。久々の起動だったので、つい舞い上がってしまいました」
レモンのロゴマークの後ろ。白い背景の中で、無数のインジケータが少女の声に合わせて伸びたり縮んだりを繰り返す。
「ひ、久々の起動? えと、君(?)は、この機械なのか?」
「イエスです、アドミニスター! わたくしの名はシトロン! 十七夜月
山と谷を作りながら元気よく答えるシトロン。
流星は画面を見つめたまま呆然と立ち尽くす。
久々に聞いた母さんの名前に、微かな懐かしさを感じながら。
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