第4話 日常-3
「失礼しまーす」
帰りのホームルームで呼び出しを受け、流星は職員室へと足を踏み入れた。
担任である光明寺貫太郎の背広を見つけ、歩み寄る。
「先生、話ってなんですか?」
パソコンに向かっていた光明寺先生はくるりと反転し、流星の顔を見るなり「おお来たか」と明るいトーンで言った。
「実は十七夜月のところに感謝状が届いておってな」
「感謝状ですか?」
「ああ。なんでも、コンビニの駐車場に捨てられていた空き缶をゴミ箱に入れたらしいじゃないか。これで大学への推薦が決まったも同然だな」
流星はほくそ笑む。
「ふっ、当然のことをしたまでですよ」
前髪を掻き上げ優越感に浸っていると、「なにをしとる十七夜月! 早く来い!」という怒声が職員室に響いた。
仰天して顔を上げると、流星がいたのはいまだ職員室の入口。険しい顔でこちらに視線を投げかけてくる光明寺先生と目が合い、小走りで駆け寄る。
「す、すいません。ぼーっとしてました」
「ああ、ぼーっとしとったなぁ。いまも、授業中も」
「は、はぁ……」
「国語数学物理に社会。オマケに英語の成績もてんでダメ。わかっているのか? このままだとお前、進級できないかもしれないんだぞ?」
「マジっすか」
「本当ですか? だ。……だが、いちおう私の方から各教科の先生に頭を下げて救済措置を用意してもらった。それがこれだ」
光明寺先生は、机の上に置かれていた大量のプリントを掴むと、流星の腹に押し付けた。
反射的に受け取ると、確かな重量感が腕と肩にのしかかる。
「マジっすか……」
「だから……。ああ、マジだ。大マジだ。いいか? 来週の月曜に特別テストをやる。問題はこの宿題から出題する。期末の結果がどうであれ、そのテストに合格しなかったらお前は夏休みの補習確定だ」
「ええー……」
「去年の前半までは上位だったんだ。お前は頭が悪いわけじゃない。足りないのは集中力とやる気だけだ。やればできる。自分を信じろ。信じて行動した者だけが救われる」
「いや、でも、この量はちょっと……」
軽く見積もっても百枚はある。ちょっとした文庫本並みの厚さだ。
「基礎問しかないからすぐ終わる。わかったらもう行け」
しっしっ、と手で追い払われて職員室を後にする流星。
重いプリントの束を抱え、背中を丸めて帰路につく。
電車に乗り、商店街を抜けて、似通った家々の連なる住宅街に差し掛かる。
「ただいまー」
「お、帰ったか」
革靴に靴ベラを刺しこんだ父さんが出迎えた。
足元には黒いトランクケースが置いてある。
「父さん、どうしたのその荷物」
「実は急に出張が決まってな。一週間くらい家を空けるから、それまで陽詩を頼むよ」
「出張……そっか」
「お前こそ、どうしたんだその荷物?」
父さんの眼鏡越しの視線が、プリントの束に向けられた。
「え! あ、いや、これは別に! ほら、陽詩の奴がまた絵を描くかなーと思って、学校で印刷ミスったプリントをもらってきたんだよ!」
苦笑いをしながら答えると、父さんはふっと微笑み、「とにかく陽詩のこと、任せたぞ」といって流星の肩に手を置いた。
「あ、そうそう。そろそろ母さんの部屋を片付けようと思っていたんだが、父さん、出張で出来そうもないからやっといてくれないか?」
「え!」
「とりあえず本を束ねといてくれるだけでいい。それじゃ、いってきます」
「あ、ああ……いってらっしゃい」
閉じられるドア。
無音の家の中、流星のため息だけが空気を震わせた。
階段を昇って自室に向かう。
拙い文字で「ひなた」という表札がかけられた部屋の前を通り過ぎようとしたその時、扉の下の隙間からにゅっと一枚のエイ四用紙が飛び出した。
そこには『めし』と一文字だけ書かれている。表札より幾分か大人びた字だ。
「父さん出張なんだよ。腹減ったなら部屋から出てきて自分で用意してくれ」
言い返すと、扉の向こうからペンを走らせる音が鳴り、追加の紙が出てきた。
『うっせぇ』
「…………」
さらに追加。
『めし』
「…………はぁ」
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