第3話 日常-2
昇降口を抜けて二階へ、二年C組の扉を潜る。
窓際最後尾の自分の席に座ると、さっそく吉田政宗が近づいてきた。
「よ、流星」
「政宗ぇ、聞いてくれよー」
「なんだよ朝っぱらから。朝日山からキモイとか言われたのか?」
「いや、キモイとは言われてない」
「へぇ、じゃあなんて?」
「キモ、って言われた」
「ああ……一緒だな」
流星は顔の前で縦に構えた手を振り、真面目な顔で「いやいや、肝吸いが飲みたくなったのかもしれん」と答える。
「腹減ってたのかな、朝日山のやつ」
「かもしれん。可能性は無限大だ」
「お前って、変なとこ前向きだよな。そういうとこ、すっげーいいと思う」
「いや、これはあれだ。素直にキモイって認めちゃうと辛いから目を逸らしてるだけだ」
「変なところで素直なのも……いやどうだろうな。もっと素直な素直になれよ」
「わかりづれぇー……」
政宗はスポーツ万能、頭脳明晰、オマケにお洒落で気さくで背も高いクラスの中心人物。
意外なことに漫画やアニメが好きで、話題が合うため入学当初から仲良くしている。
「おい金子ぉ! 腹減ったからパン買って来いよ!」
廊下側の隅。流星と反対側に位置する席で、荒々しい声が聞こえた。
見るとクラスのヤンキー二名が、地味で大人しい金子を取り囲んでいるのが見えた。
「やめたまえ君たち!」
流星はすっと席を立ち上がり、腹から声を出す。
教室中の視線が集まる。
無論その中には、ヤンキーたちの尖った視線も含まれている。
「ああん? んだよ十七夜月。なんか文句あるのかよ」
ニット帽のヤンキーが、ポケットに手を突っ込んだまま空いている机を蹴り飛ばす。
「あんまちょーしこいてっと次はお前よ? わかる?」
坊主頭の側頭部にバッテン印の刈り込みを入れたヤンキーが近づいてくる。
「おいお前ら、その辺に――――」
口を挟もうとする政宗を手で制し、流星は彼らに向かって歩き出す。
「そんな脅し文句で引き下がると思ってるのか?」
「ああん?」
「男なら……拳で語れよ」
伸ばした腕の先で「かかってこいよ」と指で煽れば、坊主頭のこめかみに青筋が浮かんで拳が飛んできた。
流星は「ホホウ!」と奇声を発して体操選手ばりの後方転回を披露し、迫りくる拳を躱す。
机の上に飛び乗った彼は両手を高々と掲げ、さながら荒ぶる鷹のような構えを見せると、「キャッ!」と叫んで机から
「ぐおおおおおおお!」
強烈な飛び蹴りを食らった坊主頭は、廊下側の壁まで吹き飛ばされ一撃でダウン。
「野郎……んなめってんじゃねっぞおおおおおお!」
ニット帽がポケットからバタフライ・ナイフを取り出し、切りかかってくる。
手首を掴んで捻り上げ、無力化する。
「すげぇ……すげえや流星! ブラボオオオオ!」
政宗が指笛を吹き鳴らす。
クラスメイト達も拍手喝采。雨あられ。
これだよこれ。これを求めていたんだ――――。
「やめろよお前ら。かっこ悪いぞ、そういうの」
力強い声によって我に帰る流星。
気づけば眼前に、政宗の大きな背中が見えた。
「い、いや、これはコミュニケーションってやつでさぁ。なあ?」
「そ、そうそう。それそれ」
ヤンキー共も相手が政宗となると分が悪いと判断したのか、四つの目を同時に泳がせる。
「だとしたら方法が間違ってる。流星もそう思うだろ?」
「お、俺!?」突然同意を求められ、戸惑いながらも「まぁ、確かに」と囁いた。
「おい十七夜月。テメー、吉田と仲良いからって調子こいてんじゃねーぞ」
「は、はい!」
ヤンキーたちは流星を一瞥して教室を出ていった。
もうすぐ朝のホームルームが始まる。恐らくサボるつもりなのだろう。
「だからそういうのやめろって……ああ、もう……流星も、タメに敬語なんて使うなよ。おかしいだろ、そんなの」
口をへの字にしながら、ぐしゃぐしゃとワックスで立ち上げた黒髪を掻き乱す政宗。
「なぁ、政宗……。ごめんな、俺、なにもできなくて……」
流星が俯きながら呟くと、政宗はぽかんと口を開き、徐々に口角を吊り上げていった。
「気にすんなって! そう思ってくれるだけで、俺も勇気出したかいがあるからさ!」
そういって嬉しそうに肩を叩く政宗。
そんな彼とは対照的に、ただただぎこちない笑みを浮かべる流星。
情けなさや申し訳なさに苛まれていると、予冷が鳴った。
政宗は自分の席へと帰っていく。体も存在感も大きな彼が遠ざかると、途端に周囲の気温が下がったような気がした。
教室の扉が開き、先生が入ってくる。
今日が、始まる。
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