第二章 隙間に落ちた、種の芽吹き

(1)





 こいはま駅から高校のある綾里りょうり駅までは、最寄り駅までの徒歩の道のりも計算に入れると、大体二十分ほどで着く。そこから再び学校までおよそ二十分。お喋りしながらの登校を考慮すると、八時ちょうどには到着することが出来る。

 入学式を終えた次の日、二人は玄関に貼り出されたクラス編成用紙の少し後方で肩を寄せ合い群れの外れに待機していた。


「ね、私たち同じクラスになれるかな?」

「確率で言えば二分の一。まあ、当たらないかもね」

「ええー。なんでそこマイナス思考になるんだよぉ」

「ふふ。なんとなく?」


 眼前には同じ制服に身を包んだ同級生たちのいそいそとした喜びが賑わっており、朱色のブレザーとチェック模様のスカートがひらひらと揺れ動いていた。中に着込んだ薄桃色のカッターシャツには、男女兼用の緑のネクタイがきちりと締められている。ながめ鈴憧りんどうの右手を掴み、「早く確かめに行こ!」と群れの隙間を掻い潜った。


 岩手県立綾里第一高校は、綾里駅から北西一・五キロ先の山間に建てられた小さな学校である。全校生徒の数は百六十名足らずで、その中で普通科・福祉科と分かれている。コースが違えばクラスも違う、というのが一般的ではあるのだが、そうなると三年間クラス替えがなく生徒同士の親交が深まらないのでは? という学校側の配慮により、この学校では学科が違う生徒同士でも同じ教室で過ごすことができる。霖は普通科。鈴憧は福祉科。移動教室など授業によっては当然別々になってしまうことはあるのだが、霖には同じ景色を見続けるよりも、間違いなく幸福のような気がしていた。


「あった! 鈴も二組だって!」

「うん。そうみたいだね」

「良かった〜。私、学校とかほとんど初めてに近いから、友達が同じクラスで安心だよ〜」

「良かったね、新学期始まる前に知り合ってて」


 口元をほころばせ、鈴憧は相槌を返した。ここのみんなだって高校初めてなんだから、近いも遠いもないでしょ、と脳内でおかしな霖の発言を正しながら。──あ、そうか。霖って東京から来たからこっちの学校は初めてになるのか。そして納得のゴールに辿り着く。


 二組の教室内では、すでに何組かのグループが作られていた。おそらく地元の子たちで大半を占める学校なのだろう、グループは別れてはいるものの、みな気安い感じで挨拶を交わし合っていた。


「鈴も知ってる人ばっかり?」


 そう霖が尋ねると、鈴憧は「まあまあ」と答える。


「小中と同じだった人たちばっかりだけど、話したことはほとんどない」

「そうなの? 中学校でも?」

「うん。私口数少なかったから」

「? 喋ってるじゃん。めっちゃ」

「だから過去形で言ったでしょ、いま」


 あ、そっかそっか。と霖は自身の後頭部をポンポン叩いて微笑む。机の中に買ったばかりの筆記用具を丁寧に仕舞うと、入学式の時に配られた小冊子を抱えて鈴憧の元へ駆け寄った。席は四月生まれから始まって三月の順番になっていたため、霖は廊下側の前から三番目の席。鈴憧は真ん中の一番後ろの席だった。


「ねえねえ鈴、これ、どうする?」

「ん、何、部活?」

「うん。スケート部あるみたいだよ。入るんでしょ?」

「え」


 ものすごく嫌そうな顔が現れた。片方の口端を上げ、眉間に深く皺が刻まれている。彼女は小冊子を奪い取り、なかったかのように自分の机の中に押し入れた。


「かーえーしーてー」

「やぁーだよぉー」

「ねえなんで。一緒に入ろーよ」

「むーり。私そーゆーの向いてないから」

「向いてるってー。私が保証人になってあげるからー」

「期限切れでーす」


 どうもこうも、彼女は首を縦に動かそうとはしない。霖が前の席で貧乏揺すりのように両膝を左右に振っていると、彼女の横に二、三人の男女が寄って来ていた。


「久しぶり、鹿住かすみさん。鹿住さんも綾第りょうだいだったんだね」

「ホントだ、鹿住じゃん。覚えてる? 俺中二んとき同じクラスだったんだけど」

「あ、うん。まあ……」

「たはは、相変わらずだなあ〜、その感じ」

「あんたはうっさいからどっか行ってろ」

「な、なんだよ、俺だって鹿住と話したいのに」


 なんだか盛り上がってて愉快な人たちだな、と霖はその人たちと挨拶を交わす。どうやらみんな、中学時代からの同級生らしかった。


「──えっ! 久季ひさきさんって東京から来たの?」

「うん。二日前に」

「東京のどこから!?」

「小岩ってとこ」

「どこそれ」

「江戸川区の」

「うーわ、よく聞く地名だ。私東京の人と初めて喋った」

「あたしもあたしも。でもなんか都会人って感じしないね、久季さんって。親しみ易いというか」

「そお? ありがとっ」

「ねえねえ、渋谷とか新宿で遊んだこととかあるの? オシャレな喫茶店とか洋服屋とか、やっぱいっぱいある?」

「そりゃあるでしょ、東京なんだし」

「う、うっさい。私は久季さんに聞いてるの! ──で、イケメンってやっぱいっぱいいる?」

「彼氏は彼氏。東京にいたりするの?」

「友達は? みんな鹿住さんみたいに可愛くてスタイルいい子ばっかり?」


 論点がズレていく。会話のテーマが目紛しく移り変わる。霖は慣れない会話の速度にドギマギしながらも、一つ一つを順を追って答えていった。


「みんなだって親しみ易いよ」「渋谷も新宿も行ったことあるけど、遊んだことはない」「オシャレなお店もいっぱいあるけど行ったことはない」「二人のカッコイイとは違うかもしれないけど、たまに見かけるくらいならあったかな」「彼氏とかはいないけど、ちっちゃい頃なら好きな人はいた」「友達はいなかった。あんまり学校行ってなかったから」……などなど。

 指を一本一本、答えるたびに立てる律儀な霖の仕草を見て、そのクラスメイトが「可愛い」と笑みを溢す。天然でしょ、と言われたので、う〜ん、と考え込むと、「久季さん面白いっ」と楽しそうだっだ。


 霖は不意に鈴憧を見る。彼女は頬杖を付きながら、退屈そうに外の世界を眺めていた。





 お昼になると、霖と鈴憧は校舎裏の駐輪場脇のベンチに腰掛け、ご飯を食べていた。箸を持った霖の手には、裏ルートから手に入れたという小冊子が広げられている。それをじっくりと、まるで小説を読むかのように真剣な眼差しで読み進めていたので、鈴憧はたまらず口を開いた。


めるように読んでるとこ悪いんだけど、私は入らないからね」

「うーん」

「入りたければ霖一人で入ってよね」

「うーん」

「もう、ちゃんと聞いてるの? 箸に卵焼き突き刺さったままだよ。食べるのか読むのか、どっちかにすれば?」

「うーん」

「……はあ〜」


 鈴憧はミニトマトが挟めないのと霖の気の抜けたような空返事に微弱なイライラを募らせ、嘆息気味に肩を落として校舎を見上げた。くり色の塗装がされたコンクリートは所々が欠けている。津波の影響ではなくただの風化のようだったが、そういった何気ない古傷を見ると、あの頃を思い出すのでそっと視線を逸らした。

 霖が気持ちのこもった声を出す。


「やっぱり、ないッ! 昨日も隅々まで見たけど、このパンフレットにスピードスケート部載ってないッ!」

「もー急に大声出さないでよっ、まだ耐性付いてないんだから」

「だってだって、スケート部はあるのに、スピードスケート部はないんだもんッ!」

「それは一緒くたにされてるだけだって。ギリギリ活動してるみたいだけど、スピードもちゃんとあるって噂だよ」

「ほんと? フィギュアもホッケーもカーリングもあるけど、スピードスケートだけがないなんてことはないんだねッ!」

「うるさいなーもう。そんなに疑うなら先生にでも確認してみればいいでしょ。第一、霖はフィギュアしたいんじゃなかったの。あんなに飛んだ飛んだって無様にはしゃいでたのに」

「そんなこと言ってませんッ! 私はスピードスケートがやりたいのですッ!」


 立ち上がり、青空に向かって意志を見せつける。その横顔は大袈裟な大志を宿しており、口端に付いた卵焼きの欠片にはまったく気付いてない様子だ。


「だったら放課後にでも練習してるか見てみれば?」

「え! この学校ってスケート場もあるの!?」

「ないよ」

「ええー何それ、じゃあ見に行きたくても見られないじゃん。まったく鈴は……意外なところで考えがとぼいよね」

「それはどーも。スケート場でしか練習できない乏しい人間でごめんなさぁーい」


 鈴憧は呆れたように心を込めず返事をする。冬季外での活動は陸上練習を主としているスピードスケート。何も分からずニンマリ小冊子を捲る霖には、説明するのも何だかはばかられた。

 外の水場で歯磨きを済ませ、鈴憧はトイレに霖を置き去りにして教室へ戻った。けれどそのまま自席に座ろうとしたが、話し掛けられそうな気がしたので霖の元へときびすを返す。が、教室を出ようとした時、その予想は見事に的中してしまった。


「あ、ね、ねえ鹿住さんっ。今ってちょっと、いいかな?」


 聞き覚えのある気弱で小さな声。仕方なく振り返る。目を伏せながら。


「あ、あのねっ、この間自治体の人から連絡があったんだけど、鹿住さんも聞いた?」

「……」

「え、えっとねっ、来年からは他県からのボランティアの人たちも増えるみたいなんだけど、良かったら、鹿住さんも一緒に、どうかなって……」


 顔を上げると、そこには少し緊張した面持ちの女の子が立ちすくんでいた。鈴憧は首を横に振り、無言のままその場に留まる。


「そ、そっかそっか……。うん、それじゃしょうがないよねっ。無理はしなくても良いから、気が変わったらまた、ね?」

「行かない。……私のことは、放っておいて」


 そうして呟いた。小さく、小さく、独り言のように力無く。女生徒は聞き取れなかったそれを聞き返した。メガネの下に浮かぶ瞳は彼女を心配しているように見据えており、クラスメイトは皆、二人の会話に耳を傾けながら野次馬のようにコソコソしていた。


「あ、あのね鹿住さん。もしボランティアの数が増えたらね、三陸さんりく海岸一帯にもっと調査を派遣できるみたいなの。……去年調べられなかった首崎こうべざきとか脚崎すねざき周辺の対岸沿いとか、まだ見つかってない人たちもいて、もしかしたら鹿住さんの──」

「だから行かないって言ってるでしょッ! 私のことはもうほっといてよッ!」


 唐突に、廊下にも響く激しい怒鳴り声を上げて、鈴憧は集まった視線を見るともなく遮った。その女の子は、思わず「ごめん」と自身のスカートを掴む。


「む、無神経だったよね、私。ほんと……ごめん……」


 鈴憧はその声に苦く唾を呑み込んだ。いずみさんは何も悪くない。だがら謝る必要もない。そう言えれば良かったが、踏み込む勇気が持てなかった。最低だと自分を責めることも、ごめんのひと言も言えずに、逃げるように教室を出て行った。無言の中に、遠退く足音だけがこだましている。

 そうして数分遅れで教室に戻って来た霖が、彼女がいないところを見て、近くにいた男子グループに尋ねた。鹿住さんどこに行ったか知ってる? と。


「知らないけど、出てったよ、ついさっき」

「え、そうなの? どっち行った?」

「ん」


 一人の男子生徒が指を差す。靴箱の方角だった。


「お? また外に行ったのか」


 そして霖は軽くお礼を言って廊下へ出た。その瞬間、ひそひそと彼女の話題が聞こえて来た。


「鹿住ってさ、顔は美人なのにめっちゃ性格悪いよな。せっかく泉さんが頑張ってくれてるのに」

「だけどお前、そんなこと言ってホントは付き合いたいとか思ってんだろ」

「ば、ばかっ! んなわけねえーだろっ」

「ちょっと男子、もう鹿住さんの話題出すのやめて。ほんとムカつくから。まじ何様なの」

「あんたが話題に出してんじゃん。イライラするなら傍観しときなって。まあ、それにしても泉さんマジで可哀想だったわ。大丈夫? 泉さん」

「え、あ、う、うん……私は別に、その……」


 ドア中央のガラス越し、霖は静かに教室を覗き見る。なんだか空気が変だ。険しい顔をしていたり笑っていたり普通のようにも思えるけど、顔を伏せて苦しそうな顔をしている人もいる。鈴と何かあったのかな? 聞こえてくる言葉も、彼女を批判しているように聞こえる。


「なんで?」


 独りごちり、霖はきょとんとなりながらも靴箱へ向かって行った。


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