第5話 文化祭 後編

 校舎に入ってから今まで、私たちを除いて、一人の姿も見ていない。普段何人もの生徒が騒がしくしている分、誰もいない学校ってのは寂しく思える。

 校庭の方から聞こえてくる喧騒が、余計にそう感じさせるのかもしれない。

 普段私の通っている教室にも、思った通り誰もいなかった。


「結衣の席はどこ?」


 中に入るなり、イチフサはキョロキョロと辺りを見回しながら聞いてくる。


「ここよ。けど、わざわざこんなところに来てどうするのよ」


 するとイチフサはそれに答えるより先に、私の隣の席へと腰かけた。


「結衣が普段どんな景色を見てるか知りたかったんだよ」

「なにそれ? 物好きね」


 なぜか楽しそうにしているイチフサを見ながら、私も自分の席に座る。ほとんど毎日見ている景色。だけどほとんど無人なことと、隣にイチフサがいることで、なんだかいつもと違って見えるから不思議だ。


「ねえ、もし俺が人間だったら、こうして結衣と机を並べていたのかな?」

「なに言ってるのよ」


 突然、イチフサがおかしなことを言い出した。


「もしもの話だよ。時々考えるんだ。もし俺が人間だったら、結衣と一緒に学校通って、同じ教室にいたのかなって」

「なによそれ。そんなことありえないんだから、考えても意味ないじゃない」


 もしもを考えたって意味はない。けどそう言いながらも、実は私も、前に同じことを考えたことがあった。

 もしもイチフサが人間で、私と同じ学校に通っていたら、もっと一緒にいられたんじゃないか。もっと楽しい毎日が送れたんじゃないかって。

 だけど、すぐにそれじゃつまらないって思った。


「あんたが人間だったら、私とはせいぜい顔見知り程度だったんじゃないの。元々あんたが私に声をかけてきたのって、同い年くらいの遊び相手がいなかったからでしょ」


 もうずいぶんと昔の話だけど、それが私達の知り合った理由だった。もしもイチフサが人間だったら、遊び相手なんてたくさんいただろうし、わざわざ私に声をかける必要もない。


「だからさ、私は、イチフサが妖怪でよかったわよ。あと、私に妖怪を見る力があったのも、今はよかったって思う」


 思えば昔は、自分にある妖怪を見る力が嫌いだった。そのせいで周りからは変人扱いされ、友達なんて一人もいなかった。けど、そのおかげでイチフサに会えた。


 だから、もしもイチフサが人間だった世界があったとしても、そんなとこ絶対行かない。


 だけどイチフサは、それを聞いてもなお食い下がってきた。


「けどさ、例え俺が人間だったとしても、やっぱり結衣とは仲良くなったと思うよ」

「なんでよ」

「だって、可愛いと思った女の子とは仲良くなりたいじゃないか」

「────っ!」


 相変わらず、恥ずかしいことをポンポン言ってくる奴だ。そう、これはいつものあれだ。私をからかって楽しんでいるんだ。動揺したら敗けだ。

 そう思っているのに、頬の緩みが収まらない。それを見られるのが恥ずかしくて、机の上にうつ伏せて、イチフサと反対の方を向く。


「何言ってるのよバカ……」


 消え入りそうな声で呟く。何でイチフサ相手にこんなに照れなくちゃいけないのよ。


「ごめんごめん。俺、なんか舞い上がってるみたい」

「あんたは年中舞い上がってるようなもんでしょ」

「その中でも今日は特別。せっかく結衣の学校に来れたんだから、はしゃぎたくもなるよ」

「なによそれ。あんたが人間で、一緒の学校に通ってたら、こんな風にはしゃぐこともなかったかもしれないんだからね」


 イチフサが妖怪だからこそ楽しめるものもあるんだから、やっぱりこいつが人間だったらなんて、考えても意味のないことだ。


 イチフサの方へと顔を向き直すと、ニコリと人懐っこい笑みを浮かべているのが見えた。


 確か初めて会った時も、こいつはこんな風に笑ってたっけ。そして多分、これからも隣で笑ってくれるんだろうな。

 お互い、バカなことを言い合い、騒ぎながら。


 そんなことを思っていると、不意にイチフサが口を開く。


「ねえ、結衣。俺たち、付き合わない?」

「…………は?」


 その瞬間、私は言葉を失った。


 付き合うって、どこへ? なんて言えるような雰囲気じゃない。イチフサの言う付き合うがどういう意味なのか、いくらなんでも想像がつく。


「つ、付き合うって、その……彼氏彼女になるって意味のやつ?」

「そうだよ。この状況で付き合うって言ったら、それしかないと思うけどな」


 やっぱり。もしかしたら盛大な勘違いをしてるんじゃないかとも思ったけど、どうやら想像していた通りの意味のようだ。


 で、でも何で? いつもみたいにからかっているの?


「そんなに意外かな? 俺、けっこう普段からアピールしてるつもりだけど。可愛いって何度も言ったし、この前なんて、たった一人の特別な女の子って言っただろ」

「た、確かにそうだけどさ、可愛いなんて、初めて会った頃からちょくちょく言ってたじゃない。ああ何度も言われると、深い意味なく言ってるんじゃないかって思うわよ。特別な女の子にいたっては、マンガのセリフだったじゃない」

「そんな。俺のアピール、ずっとそんな風に思ってたんだ」


 心外そうな顔をするイチフサ。

 けどしょうがないじゃない。そりゃ私だって、ドキッとすることを言われて、もしかしたらって思ったことはある。だけど普段がそんなだから、本気かどうかなんてわからないわよ。

 だから私も、自分の気持ちを言えなかったのよ。


 けど、少なくとも今のイチフサは、冗談や軽い気持ちでこんなこと言っているようには見えなかった。


「とにかく。そういうわけだから、結衣になんとか俺の気持ちをわかってもらおうと思ったんだよ。それで、思い出したんだ。文化祭だと告白の成功率が上がるって、結衣に読んでもらったマンガに書いてあったことを」

「って、またマンガ!?」


 そういえば、最近読んだマンガに、そういうセリフがあったっけ。


 じゃあなに? これって、マンガに書いてあったから実践したってこと? こいつ、マンガの影響めちゃくちゃうけてるわね。

 そういうこと言うから、どこまで本気かわかんないのよ。


「もしかして、また失敗した?」


 呆れる私を見て、わかりやすくしょんぼりするイチフサ。なんとも微妙な空気になってしまい、確かにこれは、どっちかって言うと失敗かも。


 そう思っていると、教室の窓の外から、ドンと大きな音が聞こえてきた。


「あっ。文化祭、もう終わりか」


 これは、文化祭最後のイベントを告げる、打ち上げ花火の音だ。これからグラウンドではキャンプファイヤーが焚かれて、それで文化祭は終了だ。

 いつの間にか、そんな時間になってたんだ。


 再びイチフサに視線を戻すと、相変わらず、不安そうな目でこっちを見てる。そんな彼に向かって、私は言った。


「ひとつ頼みがあるんだけど、いい?」

「頼み? いいよ」


 頼みが何なのかも聞かずに即答するイチフサ。まあ、私にとってはその方が都合がいいんだけどね。


 スッとイスから立ち上がると、窓の外から、今度は音楽が流れてきた。それを聞きながら、イチフサの手を取り、引っ張り上げる。


「……結衣?」

「ダンス、一緒に踊ってよ。うちの学校のジンクスなのよ。キャンプファイヤーの時、音楽に合わせて踊った二人は、ずっと一緒にいられるってね。彼氏なら、そのくらいやってよね」


 その途端、イチフサの顔がパッと明るくなる。一方私は、顔を真っ赤にしてることだろう。


「ああ、やるよ。結衣の彼氏だからね」


 さっきまで不安そうにしてたのが嘘みたいに、ギュッと強く私の手を握るイチフサ。


 言っとくけど、こんなジンクス、私は信じちゃいない。どこにでもある感じのやつだし、ベタすぎて、今となっては試す人なんてほとんどいないらしい。

 けどまあ、告白の返事に使うくらいならいいよね。


「あっ。でも俺、ダンスなんて知らないよ」

「私だって知らないわよ。音楽に合わせてそれっぽく動けばいいんでしょ」

「なにそれ? そんないい加減なのでいいの?」

「うるさいわね。とにかくはじめるわよ」


 そう言って、本当に適当に手足を動かす。もちろん、それに合わせるイチフサだって適当だ。


 文化祭も終わりだってのに、ガランとした教室で、めちゃくちゃに踊る私たち。イチフサの姿が見えようが見えまいが、奇行もいいところだ。

 こんなのが、彼氏彼女になって最初にやることかと思うと笑えてくる。


 だけどまあ、それが私たちにはお似合いなのかもしれない。

 何しろ、人間と妖怪っていうおかしな組み合わせ。今さらおかしなことがひとつくらい増えたって、どうってことないんだから。

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