第3話 イチフサ、マンガに興味を持つ
「イチフサ! イチフサーっ!」
今日も私は、一人山に行っては、何度もあいつの名を呼ぶ。
知らない人がこれを見たら、不思議に思うかもしれない。わざわざこんなところで待ち合わせなんて、普通の人はやらないだろうな。
そんなことを思っていると、空から声が聞こえてきた。
「結衣、おまたせ」
見上げると、イチフサが白い大きな翼で空を飛びながら、ゆっくりとこっちに下りてきていた。
その姿は私以外の人間には見えないし、見えたら見てたで腰を抜かすかもしれない。けれど私にとっては、すっかりおなじみの光景だ。
「遅刻よ。女の子を待たせないでよね」
「ごめんごめん。お詫びにこれあげるから」
イチフサはそう言うと、私にあるものを差し出した。
「なにこれ?」
「見ての通り、饅頭。小豆洗い特性の餡子入り」
小豆洗いって言うのは、その名の通り小豆に縁のある妖怪だ。けど小さな子供じゃあるまいし、お饅頭なんかで機嫌が取れるとでも思ってるの?
「……あっ、美味しい」
「だろ」
そのお饅頭は、思った以上に美味しかった。まあ、これなら遅刻も許そうかな。
「ところで結衣、あれは持って来てくれた?」
私が食べ終わったのを確認すると、イチフサは期待のこもった様子で聞いてくる。
「ああ、心配しなくてもちゃんとあるわよ」
そう言って私は、持って来た鞄を開いて中身を取り出す。それはイチフサから、次に会う時に持ってきてほしいと頼まれてたものだった。
それは何かというと……
「はい、マンガ」
「おぉーっ!」
イチフサに頼まれたのは、マンガ本だった。人間の世界に興味のある彼は、時々こうして私に、こういう頼み事をしてくるんだ。
「とりあえず、友達の間ではやってるやつを適当に選んでおいたから」
「えっ。結衣に友達!?」
マンガを受け取る前に、イチフサがズレたところにつっこむ。
「結衣、友達なんていたんだ」
「いるわよ! 高校に入って人間関係がリセットされたおかげで、今はちゃんとクラスに馴染めてるわよ!」
私の通っていた中学は、生徒は全員同じ小学校からの繰り上がりだった。おかげで小学校の頃からのぼっちは中学に入ってからも続いたけど、高校生になった今、ようやく卒業できたってわけだ。
「そうか。結衣の口から友達って言葉を聞けるなんて、なんか感動したよ」
大げさに涙ぐむイチフサ。どうせ私は長年ぼっちでしたよーだ。
言っとくけど、そんな私にずっとつきあってたアンタも、大概物好きだからね。
「この話はもうおしまい。でないと、マンガ貸してあげないからね」
「ああっ、それはダメ。見せて見せて!」
慌ててマンガを受け取るイチフサ。それから、パラパラとページを捲って読み始める。
だけど彼は知らない。私が持ってきたマンガは、全部少女マンガ。しかもすっごい甘々な内容で、私なんか読んでる最中に胸キュンが高まりすぎて、何度も床を転がったりぴょんぴょん飛び跳ねたりした。
もちろんそんなところ、恥ずかしくて誰にも見せられない。
そんな破壊力抜群の少女マンガを見て、イチフサはどんな反応をするだろう。できれば赤面の一つでもしてくれたら面白いなって、ワクワクしながら見守っていた
だけど……
「う~ん」
イチフサは、小さく唸って本を閉じた。その顔は赤面どころか、何とも困った表情をしていた。
「面白くなかった?」
期待していた反応が見れなくて、がっかりしながら聞いてみる。だけど困った表情のわけは、面白さ以前の、もっと根本的なものだった。
「字が読めない。考えてみれば、俺達と人間じゃ使う文字が違ったんだ」
「あっ……」
そうだった。イチフサみたいな知性を持った一部の妖怪は文字だって使うけど、それは私達人間のものとは違ってた。
絵を見てもセリフが読めないんじゃ、マンガの面白さも半減だ。
「せっかく持ってきたのに、無駄だったかな」
面白い反応を期待していたのに、ちょっと残念。ところがイチフサは、少し考えた後にこう言った。
「ねえ結衣。読んでくれない?」
「えっ……」
イチフサは純真な目で私を見る。けど私は、返事に困ってしまった。
「いや、それはちょっと……」
確かにそうすれば、イチフサにもマンガの内容は伝わる。だけどそれを実行するには、私にとって大きなハードルがあった。
イチフサには悪いけど、ここは断ろう。そう思っていたのに、そんな私の気持ちなんて知りもしないで、イチフサはしょんぼりした顔をする。
「だめ?」
うん、だめ。そう言おうと思っているのに、なぜか言葉が出てこない。
かわりに出てきたのが、これだ。
「……わかったわよ」
結局、残念がるイチフサの顔を見て、それでも断るなんてできなかった。
その結果──
『どうして今まで気づかなかったんだろう』
『本当は、もうずっと前から思っていたはずなのに』
『私、あなたが好き!』
「おぉーっ」
私の読んだセリフに反応し、イチフサが声を上げる。
今読んでいるのは主人公の女の子がヒーローポジションの男の子に告白するシーン。私の好きなシーンでもあり、何度もキュンキュンさせられた。
だけど……
『自分の気持ちが分かって、凄く嬉しくて、ずっと一緒にいたいって思って……胸の奥がポカポカしたり、訳もなく涙が出そうになったり……なったり…………』
もう一度言おう。私はこのシーンが好きだった。今でも大好きだ。けどだからと言って、人前でこれを音読できるかというと、話が変わってくる。何と言うか、物凄く恥ずかしい。きっと今、私の顔は耳まで真っ赤になっているだろう。
こうなるってわかってたから、断ろうと思ってたのに!
「それで、次は何て書いてあるの?」
どうやら、マンガの内容も気に入ってくれたみたい。
お気に入りの作品だから、気に入ってくれて嬉しい。なんて思う余裕はもちろんなかった。
何でイチフサの前で甘々な言葉を延々繰り返さなきゃいけないのよ! 何度もそう思いながら、やっとの思いで最後のページをめくった。
「いやー面白かった。また今度もってきて」
全てが終わってから、イチフサが言う。だけど、私の答えはこうだ。
「二度と持って来るかーっ!!!」
「えぇーっ、面白かったのに」
イチフサは残念そうにするけど、いくらそんな顔をしても、こんな恥ずかしい思いは二度とごめんよ。
「そんなに読みたきゃ、他に妖怪が見える人を探しなさい。暇潰しの遊び相手も、その子にやってもらって!」
「えぇっ!?」
ほとんど八つ当たりのように言葉をぶつける。イチフサはその勢いに押されながら、それでも言った。
「もしも結衣以外に俺を見える人間がいたといても、やっぱり結衣に頼むと思うな」
「はぁ、何よそれ!」
そんなに私をからかって楽しいの?
もう一度文句をぶつけようとしたその時だった。
「オレが一緒にいてほしいと思うのは、やっぱり結衣なんだ」
突然放たれたその台詞に、私の声が止まる。
「他の誰でもない。俺にとって結衣は、たった一人の特別な女の子だから」
「なっ……なっ……」
何か言わなきゃ。そう思っているのに、言葉が出てこない。さっき告白シーンを音読した時みたいに、ううん、それ以上に体が熱くなる。
(って言うかイチフサ、いったいどうしたの。急にこんなそんな事いうなんて、アンタそんな奴じゃないでしょ。これじゃまるで、まるで……)
そこまで考えた時、熱くなっていた体が一気に冷めていった気がした。
「……あんた、それってさっきのマンガのセリフでしょ」
「そうだよ」
あっさり言いったなこいつ。
「アホかーーーーっ!」
持てる全ての力を使って叫ぶ私。耳を押さえるイチフサを背に、さっさと山を下りようと歩き出す。
「待ってよ結衣。ふざけて悪かったって」
「うるさい、何であんなこと言ったのよ!」
「ごめんって。だって、何だか恥ずかしかったんだよ」
「恥ずかしいって何が? 私の方がよっぽど恥ずかしいわよ」
慌てて追いかけてくるイチフサ。だけど私はそれを強引に振り払いながら再び怒鳴りつける。
「だってあんな言葉でも借りないと、俺が結衣をどう思ってるかなんてなかなか言えないんだよ」
「────っ!」
サラリと言われたその言葉に、また体が熱くなる。
「俺にとって結衣は特別だよ。でもいざ言うとなると恥ずかしいから、さっきのマンガにあったセリフを借りてみました」
どうしよう。イタズラっぽく言うイチフサに何か言い返そうとしたけど、上手く言葉が出てこない。けどこのまま黙っていたら、ますます恥ずかしくなるような気がした。
「……も、もう夕方だし、暗くなってきたから帰るわね」
ようやく出てきた言葉はそれだけだ。その時、どんなに顔を赤くしていたかは、自分じゃわからない。
「それじゃ、麓まで送って行くよ」
「いいわよ別に」
「暗くなってきたんだろ? 一人じゃ危ないって」
イチフサはそう言うと、ヒョイと私を抱きかかえ、翼を羽ばたかせ空を飛ぶ。
こうして送ってもらうのも、もうすっかりおなじみになってる。けど今はそれすらも恥ずかしくて、カチリと体が固くなる。
「どうかした?」
「な、何でも無い!」
イチフサの言う特別が、いったいどういう意味なのかは分からない。だけどそう言われて、とても嬉しがる自分がいた。
そんなこと、本人には絶対に言ってやらないけど。
次は、音読しても恥ずかしくならないようなマンガでも持ってきてやろうかしらね。
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