第2話 幼い日の出会い

 五年前。当時小学五年生だった私は、花火大会で賑わう町を背に、一人裏山を登っていた。

 両親から、せっかくの花火大会なんだから行っておいでと言われて家を出たけど、本当はそんなの行きたくなかった。


 だって花火大会には、近くから大勢の人がやってくる。もちろん同じ学校に通うやつらだって来るに違いない。

 だから行きたくなかった。学校に行かないひまで、どうしてそいつらの顔を見なきゃいけないんだろう。そう思うと、たまらなく嫌になる。

 だってそいつらは、私をおかしなことを言うやつだとバカにする。それか気味悪がって、まるで腫れものに触るように扱ってくる。

 だけどお父さんやお母さんにはそんな事は言えない。言ったらきっと、どうしてそんなことになったかと聞かれるに決まってる。そしたらまた、私の奇妙な言動を叱るだろう。


 もっともっと昔から、私は時々、変なものを見ることがあった。それは人の言葉を話す動物だったり、自在に動く泥の塊だったりと、姿形は様々。後に、それらはいわゆる妖怪と呼ばれる存在なのだと知った。

 妖怪は私以外の人には姿が見えず、声を聞くこともできなかった。けれど小さい頃の私は、そんなの知らなかった。誰にでも見えるものだと思っていた。


 だからそれを目にするたびに騒いだし、怖くて泣きだしたこともあった。

 だけど、誰もそれを信じなかった。私がいくら見たと言っても、他の人には見えないのだから、仕方ないことだと思う。

 だけどその結果、私は周りからは変なやつ、おかしなやつと思われる羽目になった。突然騒ぎ出し、いもしない者を見たという私を、友達は笑い、両親は叱った。


 それからは、たとえ妖怪の姿を見ても、見えないふりをした。ここには何もいないと、必死で自分に言い聞かせた。

 おかげで両親はすぐに優しい二人に戻ったけど、学校では一度ついた印象を消すことはできなくて、結果、私は変な奴としてだんだんと居場所がなくなっていた。


 道の先を眺めていると、その先に見覚えのある顔を見つけた。その途端、私はサッと物陰に隠れる。そいつらは、よく私を変なやつだとバカにしてきた子達だった。


(やっぱり、花火大会なんて来るんじゃなかった)


 そう思いながら、逃げるようにその場を去る。だけど今から家に戻っても、帰るのが早すぎて変に思われるだろう。

 花火大会には行けないし、家にも帰れない。困った私は、仕方なく、人気のない場所に隠れて時間をつぶす事にした。

 近くの山を少し登ったところに、古びた社があったはず。こんな日に、わざわざそんなところに行く物好きはいないだろう。

 そこならきっと、誰とも会わずにすむ。一人でいられる。


 夜の山道は、暗くて怖い。実際、こういう場所には妖怪も多く出る。だけど、学校の知り合いに見つかるよりはずっとましだった。妖怪は、私が見えていることに気づくと、意地悪をしてくる奴もいる。だけど気づかないふりさえしていれば、めったに危害を加えられはしない。


 社にたどり着くと、その境内にゴロンと寝っ転がって、空を見る。


 田舎は星が綺麗だと言うけど、ずっとこの町で育った私には比べる物がないから、よそとの違いがわからない。

 だけどこうして見上げた星空は、確かに綺麗だった。どこまでも広くて、ずっと見ていると吸い込まれそうになる。もしかしたら、それは私の願いなのかもしれない。

 このまま空へと吸い込まれて、この世から消えてしまい。いつの間にかそんなことを考えていて、気づいた時には、目に涙が溢れていた。


「泣いているの?」


 急に、どこからともなくそんな声がした。

 ビックリして飛び起きると、いつの間にそこにいたのか、私と同い年くらいの男の子が立っていた。男の子だというのに中々かわいい顔をしていて、大きな目でまじまじと私を見つめている。


 彼が現れたのがあまりにも突然だったものだから、驚いて、声も出せずに固まってしまう。だけど男の子はそんな私の様子なんてお構いなしに、相変わらずあどけない顔で私を見てた。


 だけど私はそれが嫌で、気づいた時には男の子を突き飛ばしていた。


「やっ──!」

「わっ!」


 声を上げて倒れ込む男の子を背に、社を飛び出して山道を駆けだす。

 相手が誰なのかは知らない。少なくとも、学校で見たことある子じゃなかった。だけどたとえ相手が誰であっても、こんな所で一人で泣いているのを見られたなんて、たまらなく恥ずかしい。だから、逃げたんだ。


 だけど、暗い山道を全速力で走ったのがいけなかった。浮き出た木の根っこに躓いて、道の脇へと大きく体が揺れる。

 転ぶ! そう思ったその時、誰かがギュッと私の手を掴んだ。


「危ないよ」


 見ると、さっきの男の子だった。いつの間に追いついたのか、私の手を握ったまま、転ばないように支えてくれている。

 だけど私は、それよりも彼の姿に目を奪われていた。


「妖怪!」


 震える声で叫ぶ。

 さっきはよく見てなかったけど、今ならハッキリとわかる。この子は妖怪だ。

 だって、体がうっすらと透き通ってる。それに、背中から白い大きな羽が生えていた。


「あ、やっぱり俺の事見えるんだ。そんな人間初めて見たよ。よほど高い霊力を持っているんだな。俺は……」


 彼が何か言葉を続けようとした瞬間、私は再びその体を思いきり突き飛ばす。彼はその拍子に大きく後ろに倒れ──


 ゴン!


 そこにあった木に、思い切り頭をぶつけた。それもかなり派手に。そして、そのままその場に倒れ込んでしまった。


 それっきり、動かない。


「だ……大丈夫?」


 これは、もしかするとマズいかもしれない。

 恐る恐る声をかけるけど、返事はなく、ピクリとも動かない。


「ねえ、大丈夫? 返事して!」


 慌てて駆け寄り、何度も体を揺さぶる。もしかして死んじゃったの? いくら相手が妖怪でも、ここまでするつもりはなかったのに。


「起きて!ねえ起きて!」


 涙目になりながら、何度も呼びかける。すると、今まで全く動かなかった手が突如伸びてきて、私の体を掴んだ。


「捕まえた」


 そう言ってその子はにっこりと笑った。そこでようやく、今までのはただ死んだふりをしていただけということに気づく。


「びっくりしたな。もう突き飛ばしたりしないでよ」


 こっちは本気で心配したってのに、からかうように笑う彼を見て、今までの怖さを忘れた。カッと、頭が沸騰した。

 わかりやすく言うと、キレた。


「バカーーッ!!!」


 めちゃくちゃに腕を振り回し、彼の頭を何度もポカポカと殴る。だけど彼は、それでも笑っている。まるで会心の悪戯が成功したような顔だった。

 それがどれくらい続いただろう。殴ることに疲れた私は、そのままその場に座り込む。


「ごめんね。驚かせるつもりはなかったんだ」

「なんでそんなに笑ってるのよ」


 どんなに叩いても一向に変わることのない彼の笑顔にこれ以上怒るのもバカらしくなる。


「だって、楽しかったから」


 楽しい。そう言われて、何だかひどくくすぐったい感じがした。私と一緒にいて楽しいだなんて、誰も言ってくれた事は無かったから。


「楽しいわけないじゃない」


 だから、ついそんな悪態をつく。だけど彼はまじめな顔で言った。


「楽しいよ。同じくらいの年の子とこんなふうに話すのなんて、初めてだったんだ」

「妖怪の世界も少子化が進んでいるの?」


 最近知った言葉を使ってみる。向こうの世界の事情は知らないけど、確かに私も、自分と同じくらいの年の妖怪なんて見たことが無かった。


「人間は学校って所に友達がいるんだろ。ちょっと羨ましい」


 少しだけ寂しそうに言う。そうか、この子には人間の世界はそんな風に見えているのか。だけど、現実はそんな甘いもんじゃない。


「いないよ」


 そう言った時、胸の奥がズキリと痛んだ。もうすっかり慣れたと思っていたのに、どうしてこんなにも苦しいんだろう。


「友達なんていない。私はおかしな子だから、だれも友達になんてなってくれないよ」


 苦しいのは、きっとこの子のせいだ。この子と話していると、友達といることの楽しさを思い出してしまうからだ。


 なのにその子は、私の気持ちなんて知りもせず、不思議そうに言う。


「きみ、おかしな子なの?」


 その言葉に、収まっていた怒りがまた溢れてくる。ううん。今度の怒りは、前よりずっとずっと強くて、それに、辛い。


「アンタ達のせいじゃない!」


 怒鳴り声が辺りに響き、男の子は目を丸くする。だけど、一度爆発した私の思いは止まらなかった。


「私にはアンタみたいな妖怪が見えて、でも他のみんなには見えなくて、いくらいるんだって言っても信じてもらえなくて………嘘つきって言われるようになって、仲間外れにされて……」


 どうしてこんなことを話しているんだろう。この子に言ったって何にもならないのに。

 気が付くと、私はポロポロと泣いていた。怒っていたはずなのに、どうしようもなく悲しくて、顔中涙でグシャグシャだ。

 それを見られるのが嫌で、何度も涙を拭って、顔を伏せる。けど涙は、一向に止まってはくれない。

 その時だった。


 ──ポン


 撫でるように頭を叩かれ、思わず顔を上げる。


「よくわからないけど、なんかごめん。」


 よくわからないってなに? そんなふうに謝られたって、許すわけ無いじゃない。 

 だけど彼は、そんなふくれっ面の私に向かってそっと手を差し出した。


「それじゃ、俺が友達っていうのは、だめ?」


 何を……言っていんのだろう?


「俺はイチフサ。君は、何て言うの?」


 じっと、差し出された手を見つめる。相手は妖怪だ。気を許したらどんなことになるかわからない。

 だけどそれでも、にこやかに笑いながら手を差し出す彼の姿は、とても眩しく思えた。


「だめ?」


 今度は、そのにこやかな表情が少しだけ陰る。ただそれだけの事なのに、何だか私はこの子に対して、凄く悪い事をしているような気分になった。


 迷いながら、躊躇いながら、それでも私はその子に向かって少しずつ手を伸ばす。

 そして一度大きくしゃくり上げた後、私はその手を掴んだ。


「……結衣。錦結衣」

「えっ?」

「私の名前。友達なら覚えてよね」


 これが、私とイチフサとの出会いだった。


 それから五年。高校生になった私の側には、今も変わらずイチフサがいた。

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