人間×妖怪 バカップル！

第1話 花火大会

　辺りが暗くなり、うだるような暑さがようやく和らいできた頃。私、錦結衣は、浴衣の袖を揺らしながら、神社の裏山を登って行く。

「あーっ、歩きにくい！　やっぱりこんな恰好なんてして来るんじゃなかった」

　今の私は、普段は着ることの無い、百合の花が描かれた淡い水色の綺麗な浴衣を身につけている。背中まである髪だって結い上げていて、我ながらずいぶんと気合の入った格好だ。

　だけどこんなオシャレも、山道を歩くのには向いていない。そもそも、私はどうしてわざわざこんなところに来なきゃいけないんだろう。

「ハァ……」

　その原因であるアイツの顔を思い出し、ため息をつく。

　開けた場所に出て、景色を眺めると、遠くに川が流れているのが見える。そしてその河川敷には、いくつもの屋台が並んでいた。

　今日は花火大会の日だ。そして、その打ち上げ場所になっているのが、あの河川敷。もうすぐあそこで、花火が花火が打ち上げられる。

　うん。あれこそが、本来こんな気合の入った格好で向かうべき場所のはずだ。なのに私は、山の中へグングン進んでいく。

　そうしてしばらく歩いていると、前方に一軒の古びた社が見えた。

　私がわざわざこんな酔狂な事をしている理由はただ一つ。この社で、人と待ち合わせをしているからだ。

　普通は、こんな辺鄙な所を待ち合わせになんて使ったりしない。それもこれも、これから会うアイツが、あまりに特殊な奴だからだ。

　社の前までたどり着くと、辺りを見回しながらアイツの姿を探す。その時だった。

「結衣！おーい、結衣ってば！」

「わっ！」

　急に耳元で名前を呼ばれた。それも結構な大声で。それがあまりにも唐突だったものだから、思わず声を上げてしまった。

「やあ結衣。待ってたよ」

　びっくりしてバクバクと心臓を鳴らす私の気も知らないで、声をかけてきたそいつは暢気そうに言っている。

　相変わらず音も無く現れる奴だ。ゆっくりと隣を向くと、そこには時代がかった白い着物を身にまとった少年がいた。

　柔らかな髪と白い肌、その顔立ちはよく見るととても整っていて、男なのに美人と言う言葉が似合いそう。だけどどことなくイタズラっぽい笑みを浮かべていて、単に綺麗と言う言葉だけでは収まりそうにない怪しい雰囲気を醸し出していた。

「少しは人を驚かさずに出てこようとは思えないの。イチフサ」

　逆に私はこれでもかというくらいの仏頂面。いきなり驚かされたんだから当然だ。だと言うのに、イチフサは何が面白いのか相変わらずクスクスと笑っている。

　イチフサとはそれなりに長い付き合いだけど、こういう時何を考えているかは未だにわからない。

「人を脅かしたくなるのは妖怪の性分みたいなものだから。昔話やホラー映画に出てくるお化けも大抵そうだろ」

　妖怪。それは、知らない人が聞けばふざけて言っているものと思うかもしれない。だけど私は、それが決して嘘でも冗談でもない事を知っていた。

　このイチフサって奴は、人間じゃない。れっきとした妖怪だ。

　その証拠に、って言っていいのか分からないけど、彼の姿はうっすらと透き通っていて、よく見ると体の向こう側にある景色が見えていた。

　けれど、こうして半透明に見えるのは、例外中の例外。普通の人間には、彼の姿を見ることすらできない。

　つまり私は普通の人間とはちょっと違うってわけだけど、それは今はどうでもいい。

　とにかく、このイチフサが、私の待ち合わせの相手。これから一緒に花火を見ることになっている。

「けどさ、せっかくの花火大会だって言うのに、何で待ち合わせが山の中なのよ。現地集合でいいじゃない」

　文句を言うと、イチフサはまたフッと笑う。

「だって、普通の人間は俺のこと見えないんだよ。なのに結衣がそんな格好で会場まで行ったら、一人でいると思われて男どもからナンパされるかもしれないじゃないか」

「ナンパって、私相手にそんなことする奴いるわけないでしょ」

「そんなことないって。浴衣姿、とっても可愛いじゃないか」

「なっ⁉」

　こいつ、何を言っているのよ。そんな見え透いたお世辞で、人の機嫌が取れるとでも思ってるの？

　そうは思いながらも、言われた瞬間、カッと頬が熱くなる。

　それを悟られないよう、無理やり話題をそらす。

「それにしても、なれない草履で山道はきついわね。これも、誰かさんがこんな格好で来てくれって言ったせいよ」

「それって、わざわざ俺の為に浴衣着てくれたってことだよね。ありがとう」

　作戦失敗。顔がますます熱くなっていくのがわかる。

　そりゃ、イチフサに浴衣を着てくれって言われなきゃ、こんな格好しなかったけどさ。

「うるさい！ 鼻緒も擦れるし、歩くのもう疲れたーっ！」

　声を上げて駄々っ子のように叫ぶ。実際は何日か前から鼻緒は慣らしてあるから痛くはないんだけど、イチフサを困らせたくてそんな事を言ってみる。

　するとイチフサは、私に向かって両手を差し出した。

「じゃあ、俺が運んでいく。良いよね」

　黙って頷くと、イチフサはそのまま両手を伸ばし私の体を抱きかかえる。そして次の瞬間、彼の背中に白い大きな羽が出現した。

「しっかり掴まってて」

　そう言って地面を蹴り、その大きな羽をはばたかせる。地面があっという間に遠ざかり、気がついた時には私達の体は夜空を待っていた。

　白い羽に、透き通って見える体。イチフサが妖怪だと言うことの確かな証だ。

　イチフサは世にも珍しい、白い羽を持ったカラスの妖怪だ。神話や伝承にも白いカラスは登場していて、それらで聞いた話だと、カラスと聞いて普通想像する黒いものよりも霊格が高いそうだ。

　それはさておき──

「ねえ、今変なところ触ったでしょ」

　さっき私を抱え上げた時、イチフサの手が色んなところに触れた。わざとじゃないだろうけど、からかってやりたくて、つい言ってみた。

「それくらいいいじゃない。役得役得」

「わざとかい！」

　サラッととんでもない事を言う。たまたまじゃなかったのか！

「わざとじゃないって。ほんの偶然、ラッキーだよ」

「スケベ！ 変態！ サイテー！」

　真っ赤になってジタバタ暴れると、そのはずみでイチフサは大きく体勢を崩す。

「わっ、動くと危ないって。じっとしてて。上手く飛べなくなる！」

「アンタがセクハラするのが悪いーっ！」

　ギャアギャア言い合いながら、私達は夜空を進んでいく。こんな時だと言うのに、抱えられながら見下ろす街の灯りは綺麗だった。

　そうしているうちに、ドーンと大きな音がして、夜空に花火が上がる。花火大会が始まったんだ。

　この花火を見ている人は何人もいるだろうけど、私たちほど近くで見ている人はいないだろう。何しろ空を飛んでるんだ。

「どう。誰よりも花火に近い特等席。俺と一緒に見てよかっただろ」

「まあね」

　それは、素直に認めよう。空を飛んでの花火見物なんて、イチフサと一緒じゃなきゃ絶対に体験できない。

　思えば、初めてイチフサと会ったのも、花火大会の日だったな。

　そっと記憶の糸を辿り、今となっては懐かしいあの頃を思い出していた。