一節
終末史換算 推定 三ニ五三年 十二月十四日
「おい、これ見ろよ」
男の声が響く。建物は灰を被った白、広く、ドーム状の形をしていた。電気が通っていないのか、暗闇の中を三つのライトだけが揺れている。
振り返る二人の男女。いずれもボロボロの外套で最低限の防護をしている。教科書に載っている原始人のイラストよりは服の形を残してはいたが、パンクと言うには貧相だ。
「データグラムか?『ヨド』。ここまで潜って成果ゼロは御免被る」
振り返ったうちの一人の男が質問する。彼の落ち着いた振る舞いは、その格好には似つかわしくない気品を伴っていた。この三人のリーダーなのだろうか。
「いや、むしろ正反対の物だ。『レイダ』」
最初の男が答える。彼が『ヨド』のようだ。そして質問した男は『レイダ』だろう。
ヨドの手には、経年劣化ではなく使い込んだという感じに縒れた紙の束があった。
「まさか、『本』か?」
彼らは本を見るのが初めてらしい。代わる代わる感触を確かめたり、中の文字を見たりしては驚いていた。
「驚いた。本物のインクだ」
本物。まるで偽物があるかのような表現。だが、ここでの意は『既に失われたモノ』という意を含んでいたようだ。
レイダの述べた『データグラム』は、書籍や手紙などの情報媒体を電子化した物を指す。彼らはどうやら、それを目的としてこの施設を訪れているようだ。
「タイトルは……めっせ……?」
ヨドが背表紙を指でなぞる。
「『
そう話す彼女の名は『エラ』。腕には液晶画面のある箱のような器具をつけている。これが『アーカイブ』と照合する装置のようだ。
「五百年?そんなモノがよく残ってたな。本なんてとっくにデータグラムにされていただろうに」
ヨドがエラの端末を覗き込みながら言う。エラはそれを煙たがるようにして答える。
「この施設が放棄されたのはおそらく百年前くらいよ。外は灰かぶりだけど、中は無菌室に近い。ここに至るまでの四百年間、どうやって保管されていたのか興味深いわ」
実際彼らがここまで来る途中、電気は通っていなかったが、目立った損壊や争いの形跡も無かった。加えて、施設は稼働時の状態をそのまま残したかのように異様に小奇麗だった。しかしその事実は一方で、データグラムが開発される必要を合わせて考えると、通常の保管方法では本の一つも残らないことが、この世界では常であることを示している。
「確かに。近くに『崩虫』の群れもいなかったしな」
『崩虫』。文字通り対象を崩壊させる芋虫のような姿をした生命体。「文明」であると認識した標的に大量の群れが喰い付き、消滅するまで食む。通り過ぎた後には、ただ白い灰だけが残る。彼らが現れてから、雑誌ですら貴重な資源となった。
彼らの最優先目標は「最も近くにある文明」。それ以外に狙うものはない。そこで人類は、大型の建造物に崩虫を誘導し、それらを連立させることで凌いでいた。
今日、この瞬間までは。
「おい、何か聞こえないか?」
「そうかぁ?過敏なんじゃないか隊長殿は」
金属同士が擦れるような音。最初はかすかだった音が大きくなると共に、三人の恐怖心を煽る。
「……嘘だろ?だって近くに群れはいなかったし、もっとデカい塔があったろ!」
情けないヨドの叫びとほぼ同時に、部屋の壁が崩れ、灰色の塊が露わになった。
一つの目的のために、しかし一つではない複数の生命がそこで蠢いていた。
その時、この白い部屋よりも白い閃光が辺りを包む。部屋の中央にある旧式のコンピュータから発せられたその光は、機械的でありながら、どこか温かく感じた。それはおそらく、この危機を脱する救いの光だったからだろう。崩虫は認識できなければ追わない。彼らにあるのは視覚のみだ。
「走れ!」
レイダの叱咤で、恐怖で硬直していた二人の時が動き出す。ここ数百年、逃げることを選んできた人類にとって、脚力は老若男女問わず必須の能力。一度動き出せれば、近いモノを襲う崩虫を撒くことは難しくない。
はずだった。
止まらない。寧ろ視界を取り戻した虫から順にスピードを上げている。まるで三人を、もしくは彼らが持ち出そうとしているものを狙っているかのように。
この狂気的恐怖の中、エラは冷静だった。というよりこれまでのことを思い返すことに集中していて、目の前の状況を気にしていなかった。
本を手に入れた途端に崩虫が現れたこと、崩虫が現れたタイミングでコンピュータが発光したこと。全てを偶然で片付けるにはあまりに劇的だ。
そしてその全ての元凶はこの本にある。今すぐこれを捨てるべき。咄嗟に持ち出したこの本を。だが、先程の暖かな光のイメージがそうさせてくれない。これを失えば自分たちどころか人類そのものに大きな損害をもたらす。そんな予感。
それを裏付けるかのように、崩虫が本を狙っていると気づいているはずの二人が、何も言わず走っている。保守的なレイダも、自己保身優先のヨドすらも口を噤むほどの存在感が、この本にはあった。
「覚悟はいいか、二人共」
エラは頷き、ヨドは頭を抱えていたが、文句は言わない。それを確認したレイダは、黒い棒状の物を取り出すと、すぐそこまで来ている虫の群れに向かって投げつけた。
瞬間、先程のコンピュータの光とは比べ物にならない眩い光が迸る。
それは、彼ら『旧遺調査隊』にとって、本隊と通信する唯一の手段にして生命線であり、崩虫撃退用に改良された強力なフラッシュライトでもあった。
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