第13話 五行研究所

細河は【五行研究所】と書かれた門の前に埋め込まれたパネルをカードキーで開き、液晶画面でパスワードを入力した。




「み、見たなッ!」


「初めての個展開催日と誕生日なんて誰でもわかりますよ。パスワードを変えるべきです」




家久沙は思わず口を、川田は頭を抑えた。




「……お前達スパイとかテロリストでは無いよな」




細川はスゥッと目を鋭く細め、凍てつく空気を毛皮のように纏って川田の肩を掴んで尋問し始めた。




「何故かお前の方が気になる。もしかして華花人の官僚とかスパイか?正直に言え!」


「ぅえ、ええっうぇエエ……ち、違いまする……本当に不時着しただけの気弱で何の取り柄もなく凡庸な足の臭い宇宙人です…」


「先生を脅迫しないでください!」




涙目で震える川田と殺気立った細河の間に家久沙は声を荒げて割って入った。




「先生はビビリで高血圧気味で最近までちょっとデブだったからちょっと中性脂肪高めなんだ!ストレスで血管切れたらどうすんだよ!」


「ええ…せめてふくよかとかぽっちゃりとかにしておいて欲しいでおじゃるよ…」




ちょっと肩を落とす川田を気の毒に思ったのか、まだ少しあどけなさの残る少年の必死さに心が動いたのか、細河は川田から手をどけた。




「……まあ証拠は無いし、ショック死したら後味悪いか。最近突然死が多いしな」




細河は川田をその後もジロジロ見ていたが、まあいい、と呟くと釘を刺した。




「今日見た事は誰にも言うな。こっちだ」




広い敷地内で二人が連れられたのは、真っ赤な水で満たされた競泳用プール。プールの表面には半紙の様に白く細長い敷物が二枚縦に敷かれていた。細河が言うには横幅は1m程、縦幅はプールの端まであって100m程らしい。




「これ血とかじゃないですよね?」


「当たり前だッ!田舎者!」




細河は淡々と書道デスマッチの解説をした。




「平たく言うと、水に浮いた電子端末に、どっちが字を上手く速く書けるか、という競争だ」


『どっちがうまく書けるかきょうそうだ!』

『どうしてあなただけ書くのが遅いのですか!』


「あ、あれ……」


「おい!聞いているのか!」




川田の脳裏に、威厳と気品のあるオッドアイの男の子の笑顔、豪華な着物を着た老人が上品な顔を歪めて自分を怒鳴る光景が、ふっと浮かんだ




「ウァァァオラァァァ!」




川田は普段からは想像出来ない野太い声で叫びながら、自分の顔が真っ赤になるまで往復ビンタした。




「ふぅ。失礼いたしました。これで集中出来まする。待たせして申し訳ないでおじゃる」


「お、おう……」




川田からちょっと距離を取った細河は咳払いすると、今度は天井を指した。レールからぶら下がった紐とフックが見える。




「書道デスマッチは天井と自身の体が紐と繋がった状態で行う。書き順や誤字脱字だけでなく、書かれた文字のバランスが悪いと機械が判断したらどんどん天井に登って行く。文字を先に端末の端から端まで書き終えた方が勝ちだ」


「どんどん高くなったら筆が届かなくなるんじゃないですか?」


「筆は伸びる」


「もし天井まで達したら?」


「フックが外れて辛子エキス入りプールに落ちる。勝負で負けても天井まで上がった後に落ちる」


「た、耐荷重量はどれくらいでおじゃるか」


「90kg程だ。試作品だからな」




試作品…川田は思わず身震いして腕を擦った。家久沙はそんな川田の背中を心配そうに擦ると前に進み出た。




「先生泳げないし高いのダメだし辛いのもダメだし元々俺が悪いから俺がやるよ!ほそか…」


「私が行くでおじゃる!師として弟子の前でみっともない真似は出来ぬ!私にもプライドがあるでおじゃるよ!」


「先生……」




綺麗な声で高らかに誇り高く決意する川田。彼に威厳を感じ、後光も指して見えた家久沙だったが。すぐに川田は家久沙にモジモジしながら小声で言った。




(わ、私が溺れたら決して近寄らずビート板や浮き輪を投げて欲しいでおじゃる…あと救急車…懐中電灯…あと怖くて鼻水とか尿とか色々漏らしても内緒にして欲しいでおじゃるよ…)


(はいはい!)




家久沙は苦笑いするとプール内の備品や設備を細河に聞いたり、辺りを見回して確認した。一方川田は引き攣った顔で準備運動を始めた。




「ジャンルは選ばせてやる。百人一首か漢文か」


「漢文でお願いしまする」




細河と川田はバンジージャンプ用の器具に似た物を装着すると、器具が天井と繋がっているか確認した。




「いざ尋常に勝負!」


「ちぇすとぉー!」




二人は水泳のレーンのように並んだ敷物にそれぞれ降り立ち。


敷物の上で正座した。第1レーンが川田、第2レーンが細河である。




「5、4、3、2、1、スタート!」




家久沙は細河から聞いていたように、リモコンで巨大なモニターのスイッチを入れた。課題候補がルーレットのようにぐるぐる周り、家久沙は直感でストップボタンを押した。モニターにデカデカと表示されたのは『皇帝詩集・木の章』




「くっ!これは初見だ……」


「コウテイ……」




溜息を吐きながら、表示された字を達筆でサラサラと書く細河。一方虚ろな目で川田はブツブツ何かをつぶやいた。




「1句終わりだ!」


「ヘイカ…」


「先生!どうしたの!大丈夫?」


「あっ」




体が少し宙に浮いた事や家久沙の心配そうな声を聞いた事で川田は我に返った。彼は深呼吸すると、画面も見ずにサラサラと漢文を書き始めた。細河程の流麗で華やかな字ではないが、素直で基本に忠実で整った字をどんどん書き連ねていく。暫くしてふと横を見た細河は目を見開いた。




「目の色が違う…?気のせいか?」




川田は宇宙人とは言っていたが。川田の目の色が日の国人によくいる焦げ茶の瞳から深い紺碧の瞳に変化したように一瞬見えて、細川は目をしばしばさせた。




「気のせいか。集中せねば」




集中して再び書き始める細河だったが。いちいちモニターを見てからでないと書けない彼では詩を暗唱しているらしき川田とは分が悪い。細河も筆は速い方だが、浮いている状態で書いている川田の方が少し速かった。身体能力は並より下に見えたが……吊り下げられる事に慣れているのか?宇宙人というのは本当で、人を簡単に吊るすような野蛮な星から来たのか?そう考えつつも細河は汗を拭いながら筆を急いだ。しかし。




「しまったァァ!」




漢字の書き順をミスした細河は宙に浮き、吊るされた状態で続きを書いていく。非常に優れた身体能力でバランスを取りながら書き続ける彼だが、結局このミスが致命的となった。しばらくして荒い息でフラフラになりながら最後まで書ききった川田がガッツポーズをして、プールを出ようとしたと同時に。モニターの画面が変わった。




【勝者・第2レーン(接待モード)】




「しまった。設定変え忘れたッ!」


「ギャアアアアアヒィイアあアア!」


「先生!」




【接待モード】により敗者となり。機械に引っ張られてとっさに端末を掴む川田。川田の服の襟を掴む家久沙。




「離しなさい。よく考えたら私は泳げるでおじゃる、大丈夫」


「泳げないじゃん嘘つき!」




見た目より力のある家久沙は両手で襟を持って踏ん張っていたが。だんだん手に力が入らなくなってきた。そこへ駆けてきた細河が加勢。背が高い彼は川田と天井を繋ぐ紐を掴んで叫んだ。




「リモコンのストップボタンを押せ!俺が先生を持つ!」




家久沙は懐からリモコンを出して、ストップボタンを押した。川田を天井に引き上げようとした機械は止まった。




「先生!もう大丈夫だよ!」




何とか家久沙と細河にプールから引き上げられた川田はひっくり返り、家久沙はペットボトルの水を川田の頭にかけた。一方、細川はプールサイドの冷蔵庫からスポーツドリンクを二人に差し出した。




「ありがとうございまする」


「ありがとうございます」




頭を下げる二人に細河も頭を下げた。




「字の判定は『非常に厳しい』に設定したのに参りました。さすが芳名帳にも綺麗な字をお書きなだけあります。川田先生の勝ちです」


「いや、私はあの漢詩を丸暗記していまする。私が有利な勝負だったからあいこです」




細河は首を振って微かに微笑んだ。




「勝負は勝負です。お見事でした。花瓶の件はもう結構です」


「ありがとうございまする!」


「やった!ありがとうございました!」


「所で本日の泊まる宛はありますか?良かったら…」




細河が何かを言いかけた時。モニターの画面が自動的に変わった。




【ニュー京都タワーに集合せよ 金色の酉がタワーに張り付いている 観光客が危険】




「またアイツか!」


「ニュー京都タワーって……」




『俺、ニュー京都タワー行くんだ』




宿の隣室の少年を思い出した家久沙と川田は立ち上がった。






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