第11話 玄武、見舞いに来る
踏み固められた雪のように固く冷たく無機質な空間で。最神家の皆は祈っていた。蠟燭の炎のような赤いランプがスッと消え。鈍色の扉からは緑衣を纏った男性が出て来た。思わず四人は立ち上がって男性に群がった。
『妙子は……』
『残念ながら……』
三人は思わず泣き崩れた。一方、女性と見違える程の美しく愛らしい青年は、涙で包帯を染めながらも男に尋ねた。
『……お、おうきゅうしょち…が…良ければ…助かったんでしょうか…その場を離れず…もっと…ずっと…強く止血すべきだったんでしょうか……』
『あれは最善の応急処置だったよ。君も怪我していたのに本当に良くやった。急所を何箇所も刺されたから出血が止まらなかったんだ。…私の力が及ばなくて申し訳ありません』
『……あ、ありがとう、ございました…』
しゃくり上げるように泣きながらも青年は頭を下げた。ハッとした三人もよろよろと立ち上がって男に頭を下げた。
(この時悲しみながらもすぐに先生にお礼が言えたのは家親だったな……)
-----義康達の母・妙子は、ストーカーに襲われた家親を庇って刺されて亡くなった。本来は駒が狙われていたのだが。家親は駒と容姿がとても似ていたのと、当時は駒がボーイッシュな服装を好んでいたので間違えられてしまったのだ。朗らかで優しい妙子を失い、心が真冬の夜のようなった四人をさらに苦しめたのは。全く反省しなかった犯人と、報道機関や法曹関係に圧力をかける犯人家族であった。義光も一般人より遥かに力はあったのだが、相手の力が強すぎたのだ。
(私がもっと強かったら、しっかりしてたら……)
義康は河原を歩きながら、悔しさに身体を震わせて唇を噛んだ。駒は毎回ハッキリかつ丁寧に贈り物もデートも交際も全て断っていたが【男性を弄んだ美しい悪女】として報道され。家親は、助けを呼べるし犯人も母から引き剥がせると判断して現場を走り去った事が【母親を置いて逃げた男】と報道された。家親は犯人に追いかけ回されて刺されたというのに。そして、義光は収賄を疑われて知事の座を追われそうになった。
(父上は自業自得か……いや、私もだ!)
義康は自分の失策を走馬燈のように思い出し、唸りながら頭を抱えてしゃがみこんだ。義康は同級生の友達が誕生日に来てくれない、と嘆くヤクザの息子のパーティーに行った。それが【知事の長男が反社会的組織のパーティーへ】と報道されそうになったのだ。
(彼には申し訳ないけど行かなければ良かった)
幸いヤクザの息子が【そんな奴知らないし来ていない】と主張したのと、ヤクザの組長が週刊誌に圧力をかけた事、義光が記事を買い取った(駒や家親の記事の買い取りは門前払いをくらった)為に記事にはならなかったが。その後ストーカー殺人犯は、凄腕弁護士のお陰であっという間に執行猶予が付いて出所した。しかし、駒そっくりの華花人(総理大臣・徐幸の親戚)を襲って返り討ちに遭い。被害者は無傷だったが裁判で終身刑を求刑され、家族は海外に逃げた。そして最神家の名誉も何だかんだあって回復したのだった。
『失礼だが、義康殿は守るべき人の優先順位を付けるのが苦手なように思える。何が一番大切か良く考えるべきだ』
義久古の言葉が、卵液に漬けた穴空きパンのように義康の身体の隅々まで深く染みた。私が浅はかで、皆に迷惑をかけてしまった……そう義康は反省し、自分の顔をビンタした。そして暗い部屋にパチッと電気を点けたが如く、義光の描いた景色が見えてきた。
(父上が駒や私の縁談を進めようとしていたのは、徐幸総理大臣やその親戚がバックにいれば私達を守れると思ったのか。駒と家親は美形だからまたストーカーに遭うかもしれないし、家親は体がそれ程丈夫じゃないし、私は馬鹿だから…)
駒は当分男性には関わりたくないと言っていたから無理だったとしても…自分は見合いを受けるべきだったかもしれない。どうして父上の話をよく聞かなかったのか。それもだが、里見が花瓶を割るのを止められなかった事、やってもいない罪を被って徐幸総理大臣達の最神家に対する心象を悪くしてしまうのは非常にまずい事だった…義康は自分がしでかした事が恐ろしくなった。
『父上を追い詰めたのは自分か』
『でも流石に命を狙うのはおかしいでしょう』
義康が振り向くと河の向こうに特攻服に釘バットを持った金髪のヤンキー美女がいた。顔立ちはよく見ると母に似ていたが。義康は母の金髪姿はアルバムでも見たことが無い。
『ど、どなたですか』
『あなたも人の話をよく聞かない所、独りよがりな所、浅はかな所は改善して欲しい。でも命を狙われたのはちゃんと怒りなさい。あなたは怒り方が下手なの』
『はい!気をつけます!』
思わず敬礼する義康に女性は警告を続けた。
『それから家親は忙しくても夜23時には寝るように、30歳を越えたら毎年人間ドックをセカンドオピニオン付きで受けて、具合が悪い時は早めに病院に行くように言って。駒はメンタルも体も強いけど緊張すると片手でスプーン折るのは止めさせてね。あれは見てて怖いわ。あと、亀ちゃんを大事にするように伝えて』
『……承知しました!もしかして母上ですか?いまそっちに』
川に入ろうとする義康に女性は手でバツを作った。
『もう一つ。しばらく東北地方にいて欲しい、九州大陸には絶対に1年は近寄るな、と言われたわ。亀ちゃんも』
『…も、もしかして久保殿ですか!駒が亀寿さんを心配してました!』
『……言えないの。どうかみんな仲良く元気でね。義光さんにはこれ以上悪い事はするな、離間の計はもうやめるようにと伝えて。島津さん達にもありがとうと伝えておいて』
女性の目は潤み、鼻声になり、顔を両手で覆って体も微かに震えていた。姿も火を点けて時間が経ったろうそくのようにだんだん小さくなってくる。義康は慌てて早口で叫んだ。
『い、家親と駒がずっと悔やんでいます!どうか、家親や駒のせいではないと夢枕に立って伝えてください!母上を護れなくてごめんなさい!今までありがとうございました!母上が大好きです!』
泣きながら義康は手を振った。最後に黒髪で良く着ていたワンピースの元の姿に戻った妙子は、微かに微笑んで消えていった。
————義康が目を覚ますと。椅子に座って寝息をたてる義光、そして玄武がいた。
「おはよう。皆は交代交代でお前の側にいたのだぞ」
義康は椅子に座って寝息をたてる義光に気がついた。よく見ると、義光の目にはうっすらと隈があり、頬も微かに痩せたように見え、疲労の深さを義康は感じた。
「……玄武殿もありがとうございました。いただいたお守りのお陰です」
「お前は寝ていろ」
そういうと玄武はペリペリと自分の甲羅を剥がして、小さなテーブルにドサッと置いた。
「皇帝が私をお呼びだ。恐らくもうお前達には会えぬ。置き土産だ。弘と義久古には渡してある。お前の分、家族の分……亀寿にも渡してよい。義光には渡すな。一応お前の看病はしていたが彼奴は好かぬ」
「……承知しました…ありがとうございます」
一瞬困った義康だが、玄武に深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございます。私はどうやって御恩に報いたらよいのでしょうか」
玄武は真っ直ぐに感謝の思いを伝える義康から目をそらした。
「頑張ったお前達が気に入ったからよい。壬午が世話になったしな。それに次に会う時はお前達の敵かもしれぬ。だから恩返しなど考えるな」
「…そうだとしても、私は」
「それより、弘と義久古に金子を貸してやれ。彼奴等の応急処置のお陰でお前は後遺症も無く助かったのだからな。あの様子だと弟に何かあったのかもしれん」
「も、もしかして歳久古さんですか!」
飛び起きようとした義康を玄武はベッドに戻した。
「家久沙らしい。お前は寝ていろ。病み上がりだ。プリペイドスマホを北條から貰ったらしいから連絡出来るはずだ。手紙を預かっているからそこにかけろ……無謀な行動は控えて、達者でな」
そう言うと、玄武はカーテンを開けた。朝の光が義康達を暖かく照らす。玄武はよいしょ、と窓を開けたが、視線を感じて振り向いた。
「アアアアア」
「あああああ」
ちょっと怖がりな玄武は、目を見開いて叫ぶ義光の声にビクッと体を震わせながら、窓から飛んで行った。目を見開いたまま首だけ動かして義康を見る義光を安心させるように義康は言った。
「安心してください。玄武殿は心優しき瑞獣で反社会勢力ではありません!週刊誌に撮られても大丈夫です!」
「お前の交友関係はどうなっているんだよ!昨日も思い出したら変な生き物と一緒だったし、義久古殿と弘殿は有能で良い人達だが乱暴で変わり者だ!政宗とも付き合うなと言っただろう!」
「変な生き物ではありません!由緒正しく我らを守ってくれた聖獣様です!義久古殿も弘殿も素晴らしい人格者です!いくら父上でも命の恩人や恩獣の皆様を愚弄する事は許しませぬ!マー君も本当は器が大きく賢いです!私や父上よりも!そもそも従兄弟なのだから仲良くしたって良いでしょう!」
珍しく目を吊り上げて怒鳴る義康。義光もまた、白い顔を真っ赤にして義康を指差し声を荒げた。
「確かに恩人達を悪く言ったのは悪かった!だが私の器が小さいと?政宗よりも?お前のそういう人の心を抉る所が嫌なんだよ!」
「私も父上の真っ黒な所が嫌です!今回の件だって元は里見氏に離間の計でも仕掛けて恨みを買っていたのではないですか?いや日頃から人の恨みを買うような事ばかりしてたんじゃないですか?母上ももうこれ以上悪い事はするなと仰っていました!私も同意です!」
勢いよく全部言いきって義康は思わず口を抑え、苦しげに俯いた。
「いや、本当は私達を守る為にそういう道しかなかったんですよね……私も父上の話を聞かないで、浅はかな言動をして申し訳ありません。跡継ぎだって政治家だって本当は家親の方が私より賢くて冷静で、語学も得意で人望もあるから向いているとわかっていたのに……認めたくない気持ちもありました。直ぐに自分には無理だと表明すべきでした。私は駄目な息子で駄目な兄です……器が小さくて卑怯で黒いのは私だ……」
陽射しに照らされながらも泣きそうな暗い顔で頭を抱える義康。窓を締めながら、義光は静かに言った。
「……確かにお前は全く政治家に向いてない。それなのにお前を慕う者は多いんだよ。だからあわよくば死んでほしくてカニ漁に行かせたり、宇宙船に乗せて追放したのに……お前がいなくなった後もお前の帰りと私は跡を継ぐと信じている者も居る。『義康君を救う会』とかいう団体もお前の同級生達が作って大金を集めてしまった。何処に行っても凄まじい生命力で帰ってくるし、正直恐ろしかった。お前の同級生が私を追放する計画書を見つけたと言って来た時、自業自得だが震えた。でも、私が間違っていた」
義光は立ち上がると深く頭を下げた。
「お前は家族を守ろうとしているのに…本当に申し訳ない事をした。警察に突き出しても構わない」
【あわよくば死んで欲しかった】
覚悟していても直接聞いたその言葉は、鈍器で頭を何度も強く叩かれたように響き。義康は項垂れた。布団には涙が落ち、彼は思わず顔を覆った。自分が父上をそれだけ追い詰めたのか、と。だが。
『でも流石に命を狙うのはおかしいでしょう』
『あなたも人の話をよく聞かない所、独りよがりな所、浅はかな所は改善して欲しい。でも命を狙われたのはちゃんと怒りなさい。あなたは怒り方が下手なの』
妙子の言葉を思い出し、義康は顔をあげて元気よく素直に答えた。
「はい!私も悪かったですが父上はやりすぎです!警察には突き出しませんが腹立たしいです!家親や駒の事を考えて警察には突き出しませんが親子喧嘩という事にしましょう!一発殴らせてください!」
「……何発殴られても、何度刺されても構わないよ。ありがとう」
義光は憑き物が落ちたかのように、澄んだ目で義康を見た。そして、義康のベッドに近寄って目を閉じた。拳を握っていた義康だが。少し年老いた義光の顔を見て、炭酸がパチッと弾けるくらいに本当に軽く頬を叩いた。
「今、思いっきり殴りました。これで終わりです」
「もっと思いっきり殴っても良いんだ」
義康は大きく首を振った。
「私は父上を追放する計画なんて考えた事はないし、計画書も作っていません。でも私が父上を追い詰めて傷付けてしまったのは事実です。申し訳ありません。私は跡継ぎは諦めて防人隊に入りたいと思います。今回の件で退学になったらバイトしながら受験します。名前も母の姓を名乗ります」
義康は爽やかに微笑むと、義光にスマホを借りて弘に電話した。
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