× × ×


「成程ね」

 私の打ち明け話を聞き終えた女店主は煙管を口に咥え、煙を吹かした。

「匿うのは構いません。追手とやらはここには辿り着けないでしょうから。どうぞ寛いでください」

「ありがとうございます……」

「しかし……」

 怜悧な瞳がこちらを射抜く。私は肩を縮こまらせた。

「貴女と彼はさながらロミオとジュリエットのようだ」

「何ですか、それ?」

「おや、ご存知ではないのですか。英国イギリスの作家シェークスピアによる戯曲ですよ。近頃は東京でも劇を上演しているとか」

「まあ、そうなんですね。ですが先程も申した通り籠の鳥なもので、流行りものに疎くて……」

「確かに、厳しい親御さんであれば年頃のお嬢さんには見せたくないでしょうね。なにせ、禁断の恋の物語ですから」

「禁断の恋……」

 興味を惹かれた。女店主は美しく微笑むと、近くの棚から一冊の本を抜き取った。

「よければ読まれますか? よい休息にもなるでしょう」

「ええ」

 受け取り、ペエジを捲る。私は追われていることも忘れて物語に没頭した。

 おおまかな内容はこうだ。敵対する両家に生を受けたロミオとジュリエット。ひょんなことから出会った彼らは一目で恋に落ちる。しかし不運が重なり、両家の対立はますます深まってしまう。ジュリエットはどうにか一緒になれる道を探して一計を図るも、悲しい行き違いが起きて、ロミオ共々亡くなってしまう――

 なんて素敵で、なんて哀しいお話なんだろう。けれど、悲恋だとは思えなかった。彼らは制約の多い現世で結ばれなかっただけ。きっと、自由な死後の世界では結ばれたに違いない。そう考えると、少し羨ましい。私も、彼と……

「お気に召されましたか?」

 女店主の声にハッと我に返る。

「あの……これ、いただいても構いませんか」

「構いませんよ。無論、お代はいただきますが。ここにある本は全て、誰かと巡り会うのを待っています。今回は貴女と縁があったのでしょう。良き縁に恵まれましたね」

 微笑む店主から本を購入した私は上機嫌で店を出た。彼にも読ませてあげよう。彼はどんな感想を抱くだろう。私と同じだといいな。

 足は軽やかに待ち合わせ場所に向かう。私達はここで落ち合う予定だった。けれど、辿り着いても誰の姿もない。一瞬、私は騙されたのかと穿ったがかぶりを振って疑心を振り払った。いいえ、彼に限ってそんなことはない。きっと来てくれる。

 根気強く待ち続けていると、よろめく人影がこちらに近寄ってきた。目を凝らすと、血塗れの彼だった。

「ゆり江様……」

富美雄トミオ!」

 私は慌てて駆け寄り、頽れる彼の身体を支えた。酷い怪我だ。何度も殴打されたであろう顔は痣だらけで原型も留めないほど腫れ上がっていた。私を逃がした彼は父から激しい折檻を受けたのだ。

「醜い姿を晒す無礼をお許しください。お嬢様の居場所を吐く前にどうにか逃げてきたんですが、このままでは見つかるのも時間の問題でしょう。俺のことはどうか捨て置いて、貴女だけでも逃げてください」

「そんなことできないわ! 私だけ逃げても意味がないの。貴方がいないと……」

 ふと、先程読んだ本の内容が脳裏を掠めた。しがらみだらけの現世で私達は結ばれない。それならば――

「ねえ、相談があるのだけれど」

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