◇ ◇ ◇


 僕らはビルが建ち並ぶオフィス街にいた。『人魚姫』の忌書――僕は便宜上マリンと呼ぶことにした――の持ち主だった女性が生前勤めていたのがこの辺りの会社らしい。彼女の想い人も同じ職場の人間だったようだ。

 この近辺には会社が幾つもある。虱潰しに探し出すには骨が折れる。該当の人物が今日も出勤しているとは限らないし、そもそも顔も名前も知らないのだ。かつての持ち主に大切にされていたとはいえ、マリン自身はその想い人に会ったことはないと言う。手がかりはゼロに近しい。どうやって見つければいいか二人で頭を悩ませていると、背後から声をかけられた。

「あれー、バイトくん? こんなところでどうしたんです?」

 僕はげっ、と顔を顰めた。声の主は瀬戸セト。時代錯誤な書生スタイルに身を包んだ赤毛の男は童顔も相まってどう見ても学生だが、ゑにし堂に忌書を卸す歴とした卸業者だ。

「店の外できみを見かけるなんてびっくりしましたよー。何かあったんですか?」

「何? この人……こわい」

 マリンは僕の後ろに隠れたまま出てこようとしない。忌書を売り捌く競取りはマリンにとって天敵とも呼べる。怖がっても無理はない。僕はマリンを庇うように手を広げた。

「おやおや、怖がらなくてもいいですよ。自分は怪しい者じゃありませんから。ね、バイトくん」

「僕に話を振るなよ……」

 周囲の痛い視線が僕らに突き刺さる。瀬戸のように目立つ外見の男と怯える少女。通報されるには充分過ぎる条件だ。

「おっと。場所を改めましょっか」

 瀬戸の提案で人通りのない路地裏に落ち着くと、僕は事情をかいつまんで説明した。悔しいが、今この場で頼れる人物は瀬戸しかいないのだ。

 話を聞き終えた瀬戸は顎をつまんだ。

「ふーむ、成程ね。それでしたら自分がお役に立てるかと」

「本当……?」

 マリンの警戒は薄れていない。伺うように瀬戸を見上げる。

「はい。自分は目が良いので、忌書に遺された故人の記憶が見えます。うまくいけばお相手の名前や顔も見えるかもしれません。それを参考に探してみましょう。なに、これでも仕事柄人脈は広い方なんです」

 にっこりと微笑む瀬戸がこの上なく頼もしく見えた。感心しかけたところでハッと我に返る。いやいや、騙されるな。相手は瀬戸だぞ。こうやって油断させて取り入るつもりに違いない。僕は緩みかけた気を引き締め直した。

 マリンをじっと見つめた瀬戸は「成程」と呟くとスマートフォンを取り出し、手元で操作を始めた。時代錯誤な服装に最新機器は不釣り合いだな、なんて余計なことを考えていると。

「見つかりました」

「早っ!?」

「すごーい、どうやったの?」

「お相手の顔と名前は読み取れたので、各種SNSで名前を検索しました。ヒットしたアカウントに載ってる写真と自分が見た顔を照らし合わせて確認を取り、ついでに勤務先なども過去の投稿をチェックすれば絞り込めますよ。営業の仕事をしているサラリーマンで、今日は問題なく出勤してるようですね。会社の前で張り込んで、外出のために出てきたら声を掛けてみましょうか」

 警戒を忘れて無邪気に瞳を輝かせるマリンに、瀬戸は得意げに語る。いや、この方法なら人脈は別に関係ないじゃないか。こいつは競取りよりも特定屋の方が向いているのではないだろうか。

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