気づくと辺りは見慣れた境内の景色に切り替わっていました。涙は出ませんでした。頭は冷えているのに、腹の底で煮え滾っているものがあります。憎悪の感情でした。激情に身を委ね、村人達の元へ足を踏み出したその時でした。

「少年、この村の子供か?」

「……誰」

 赤鬼はじろりと声の主を睨みました。声をかけてきたのは、村では見たことのない、それはそれは美しい女でした。

「私はしがない古書店店主だ。掘り出し物の本を求めて訪ねたんだが、何か心当たりは?」

「こんな田舎に面白い本なんてないよ。っていうかアンタ、俺と関わらない方がいいよ。ただでさえ余所者なのに、俺と喋ってるところ他の奴らに見られたら何されるかわかんないから」

「ふぅん。つまり、キミ以外の誰かが村人から何かされたことがあるんだな?」

「……友達がいたんだ」

 青鬼のこと、彼女が亡くなったこと、本を通して見えた最後の場面……赤鬼は見知らぬ女に全て話していました。

 話を聞き終えた女は腕を組みました。黒曜石の如き鋭い瞳で赤鬼を見つめます。

「キミは友達が亡くなった経緯について随分と詳しいんだな。その場にいたのか?」

「いや……この本を開いたらその時の様子が見えたんだ。まあ、信じてもらえないだろうけど」

「いや、信じるさ」

 意外にも、女はあっさりと言い放ちました。これまで大人は誰一人赤鬼の言うことを信じようとしなかったので、簡単に信用されて拍子抜けしました。

「人の想いが籠った意思のある本、私はそれらを〈忌書〉と呼んでいる。私が蒐集しているのがそれだ。その本を友人が大事にしていたのなら、念が残されていても不思議じゃあない」

「忌書……」

 考えてもみれば、本が外に落ちているのはおかしな話です。まるで、かのよう。では、青鬼が『泣いた赤鬼』に残した想いとはいったい何だったのでしょう。

「しかし、キミの目は不思議だな。なあ少年、その力を役立てたくないか? 具体的に言うと、私の仕事を手伝ってくれ」

 女は赤鬼の顔を覗き込んで言いました。赤鬼は戸惑いました。青鬼以外の人間から必要とされたのは初めてだったからです。それでも、死ぬまで村で飼い殺しにされるよりは、女と共に外の世界に出るのも悪くないと思えました。

「……わかった。アンタについてく」

 赤鬼は村を出る決心を固めました。とはいえ、纏める荷物はありません。『泣いた赤鬼』の絵本だけ持って女に従うことに決めました。

「復讐はいいのか?」

 女に問われ、腹の底であれだけ煮え滾っていた憎悪はすっかり冷えていることに気づきました。

「そんなことしてもアオノは生き返らないし、アイツはそれを望むような奴じゃない。ここの連中は監獄みたいな村に一生囚われ続けるのがお似合いの罰だ」

「そうか、気に入った。少年、名前は?」

「ない。……けど、髪の毛が赤いからってアオノは勝手にアカイって呼んでた」

「成程、その名前は私がおいそれと呼んでいいものじゃないな。キミの思い出にしておくといい。私はこれからのキミに相応しい名を考えておこう」

 こうして、赤鬼は生まれ育った村を後にしたのでした。

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