◇ ◇ ◇


「いやー、最近何かと物騒で困りますよねー」

 男性が退店してしばらく後、入れ替わるように瀬戸セトが訪ねてきた。瀬戸はゑにし堂に忌書を卸す業者、競取りだ。棚卸し中に最も来てほしくない相手でもある。

 歓迎なんかしていないのに、瀬戸はペラペラと聞いてもいないことを喋り出す。

「どうも、近くの刑務所に服役してた強盗犯が脱獄して、民家に立て籠ってるなんとかで。さっき自分も警察に職質されちゃいました。危うくしょっ引かれるところでしたよー」

 瀬戸のように目立つ頭かつ時代錯誤の服装の怪しげな人間を訝るのが普通の反応だろう。僕は真っ当に職務を遂行した警察官にこっそりと拍手を送った。

「その脱獄犯ならついさっきまで店にいたぞ」

 黙って瀬戸の話を聞いていたゆかりさんが言った。僕と瀬戸は揃って「え?」と声を漏らした。さっきまでいた人物といえば、一人しかいない。

「もしかして、モンテ・クリスト伯を買われた方ですか?」

「脱獄犯にモンテ・クリスト伯ですか。そりゃまた……」

 瀬戸が苦笑した。流石に彼も物語の内容を知っているようだ。

「ひょっとして、立て籠ってる民家も無差別なんかじゃなく、因縁のある家なんですかね?」

 先程の彼がモンテ・クリスト伯に感化されているのなら、脱獄後は復讐を果たそうと考えてもおかしくはない。けれど僕らには止める術も理由もない。

「販売した先の忌書だが、冤罪を訴えて獄中死した男性の遺品だ。故人の思いを継いだ忌書が復讐を後押しするファリア神父になっていたのかもな。もっとも、先程の客が本当に冤罪だったかどうかは定かじゃあないが」

 そうだ、彼が果たしたい復讐が逆恨みの可能性だってあるのだ。待て、しかして希望せよ――モンテ・クリスト伯が残した言葉が脳裏を過ぎる。ここは警察が優秀なことを祈るばかりだ。

「ところで見ての通り棚卸し中なんだが、せっかく来たんだ、瀬戸も手伝え」

「いいですよー」

「ちょっと、流石にダメですよそれは!」

 ゆかりさんの提案にあっさりと乗るものだから、僕は慌てて待ったをかけた。瀬戸は商売相手であって、ゑにし堂のスタッフではない。うちで管理している忌書を勝手に持ち出し、別の店に転売する危険だってある。

「構わないさ。コイツは昔ここで働いてたからな、勝手は知ってる」

 それは初耳だった。ゆかりさんが瀬戸を信頼している理由が垣間見えた。二人はどんな経緯で出会って、今の関係に落ち着いているのだろうか。

「人手は多い方がいいでしょう? 大丈夫ですよ、勝手に拝借なんてしませんから」

 にこりと微笑む瀬戸。僕の危惧が見透かされているようで、黙るしかなかった。やっぱりコイツは喰えなくて苦手だ。三人がかりでの棚卸しは夜遅くまで続いた。

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